俺がトレセン学園に来てから丸一年が経ち、また桜の舞い散る季節が廻って来た。
学園と寮は新入生の受け入れ準備と卒業生の送り出しにゴタゴタして忙しい。
それだけでなく、四月はクラシック期の晴れ舞台、桜花賞と皐月賞が開催される。一世代の頂点を決める最初のレースとなると、トレーナーや出走する先輩達の気合の入れようは傍から見てても怖いぐらいだ。
特に今年のクラシック世代は一人の抜きん出たウマ娘ではなく、数人の並び立つライバル達が限界まで競り合う、熾烈なレースが多くなると世間から注目度が高い。
皐月賞の優勝候補は、先月のG2弥生賞を勝った≪スピカ≫のシャルさんを筆頭に、ウンスカ先輩とキングヘイロー先輩が出走予定。
≪リギル≫のエルコンドルパサー先輩は四戦無敗のままNHKマイルCを予定している。同じチームで昨年ジュニア最優秀ウマ娘を受賞したグラスワンダー先輩は、残念ながら左足の骨折で休養しているが、いずれ完治すれば戦線に参加して、より華やかで激熱のレースを繰り広げてくれるに違いない。
それにシニア期も苛烈なレースが続いている。昨年クラシック三冠を巡って激しいレースを繰り広げたBNWの三人、ティアラを奪い合ったカワカミプリンセスさんやスイープトウショウさんが加わり、今年も見ごたえのあるレースが多いと評判だ。
もちろんうちのバクシさんとフクキタさんだって負けて――――いや、フクキタさんは三日前の大阪杯を、エアグルーヴさんに僅差で負けて優勝杯を逃してたな。
バクシさんの方は晴れてG1ウマ娘となり、今後はマイル戦にも積極的に出ると表明した。五月開催のヴィクトリアマイルと六月の安田記念を視野に入れて、既にスタミナ向上に明け暮れている。
みんなそれぞれ自分のレースを懸命に走っている。
その中で俺はと言うと、トレセン内のレース場で雑用をやっていた。別に悪い事をして罰当番をしたり、整備係に転身したとかそういうのはない。
単にこの時期は人手が足りないから、選抜レースの用意や運営を生徒がある程度肩代わりしている。クラスのくじ引きで、たまたま俺を含めた数名が当たったから仕事をしてるに過ぎない。
ちょっと運が悪い程度で愚痴を言うほどでもない。それにレース自体も小規模で走る生徒も少ないから、面倒なのはダートの砂を平らにする時ぐらいだ。
何しろ俺達の学年の選抜レースだから、一年かけて目ぼしいウマ娘は殆どトレーナー契約してしまい、残り物扱いの生徒ばかりだった。
フクキタさんなら「残り物には福がある」と言うかもしれないが、例え素材が極上でもメイクデビューまでもう時が無いのに、今まで基礎練習しか出来なかった選手を数ヵ月で鍛えて勝たせるのは並のトレーナーでは困難極まる。
悪く言えば、一年かけても目の出ない落ちこぼれのウマ娘に、形だけでもチャンスを与えているポーズに近かった。それでも稀に諦めない筋金入りの根性ウマ娘がその後に活躍した前例はあったらしいので、学園も万に一つと思ってレースを続けていた。
そんなレースだから見る者も参加する者も過疎った寂しいレース場で、受付をしていた事務員に頭を下げて去っていく、ウェーブのかかった長い芦毛の人が気になった。
「なあ、イクノディクタスさん。さっきの人知ってる?」
「芦毛の人ですか?彼女はメジロアルダンさんです。あの様子ではまた出走取りやめでしょうか」
眼鏡をかけてキリッとした、イケメン女子のイクノディクタスさんが教えてくれた。レース取りやめか。怪我でもしたのかな。
「うち(カノープス)のトレーナーから少し聞いた程度ですが、彼女は身体が弱く怪我も多いので、入学してから殆ど選抜レースを走っていないそうです。だからトレーナーは誰も契約していないとか」
「それで今回も事情があってレースに出れないのか。……マズいのでは?」
「拙いと思いますよ。メイクデビューまでもう時間が無いのに、選抜レースすら出ていないとなると、事情があっても退学勧告すらあり得ます」
淡々と語る彼女の声に、多少同情の色がある。ウマ娘として走りたいのに走れない辛さは、俺やイクノディクタスさんみたいな怪我知らずには、想像でしかモノを語れない。
トレセン学園は基本的に生徒の自由を尊重する校風だが、レースを走らない者、学業を蔑ろにする者には厳しい姿勢を取る。
実はオンさんもデビュー前は授業に出ない、選抜レースもサボる、毎日薬物実験をするなど、滅茶苦茶な事をしていたから学園から退学勧告を受けた事があった。その時はうちの髭トレーナーが体を張って、契約する(モルモットになる)事で選抜レースで結果を出して、どうにか在学を続けてメイクデビューを果たした。
あのメジロアルダンさんはそうした奇特なトレーナーがいないんだろう。いやまあ、頻繁に七色発光するトレーナーなんて早々に居て堪るかと思うが。
「せめて一度でも選抜レースを走れればスカウトもあると思います。彼女が練習で走ったのを見た事がありますが速いですよ」
「どれだけ速くても怪我ばかりして、レースに出れないウマ娘と契約したいかって言うと――――」
俺達は顔を見合わせて溜息を吐いた。髭から聞いたが、ウマ娘に怪我をさせるトレーナーの評価は、なまじ勝てないウマ娘を担当するより悪いらしい。
去年オンさんがジャパンカップで左足を折った時は、髭の人事評価は多少下がったらしい。多少で済んだのはオンさんの普段の奇行が度々問題視されていたため、その後処理に何年も駆けずり回った事を考慮して、マイナスが大部分相殺されたそうだ。それでもウマ娘の怪我は大きなマイナス評価になった。
ウマ娘本人の資質の問題があるにせよ、一流のトレーナーなら体調管理は出来て当然。無茶な事はさせない。何より怪我は走る俺達の一生の問題になることだってある。評価対象になるのは当たり前だ。軽く扱われて人生を棒に振るような真似になったら、誰もトレセンに行きたいなんて思わない。
だからあのメジロアルダンさんは素質はあっても担当が居ない。おそらく名義貸しするだけのトレーナーも断るだろう。
断らないような評価を気にしないのは、うちの髭や沖野トレーナーみたいな変人で、本人の体を何とか出来そうな人……なんだ身近にいるじゃないか。
後はどうやってその気にさせるかか。
「どうかしましたかアパオシャさん?」
「あーうん、ちょっとした思いつきを。今は仕事仕事と」
「はぁ」
仕事を放り出して思い付きを優先するのはまずいから、今は我慢してレース場の雑用を続けた。
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数日後。俺達は校門前で待機していた。確かな情報ではターゲットはそろそろ学園に戻って来る時間だ。
情報通り、学園の路肩に高級車が止まり、車から目標が老婆と一緒に降りた。
老婆は何度も相手を心配する声をかけてから、車に乗り去っていく。
「よし、行きましょう。ブロッサムさん、ラッキーさん!!」
「はい!バク……バクーー!!」
「はんにゃか、ふんにゃかー、フンギャロー!」
サングラスにマスクをして顔を隠した俺達三人はターゲットを囲んで足止めをする。
「あのー、どなたでしょうか?」
「最初に謝っておく。すまん!」
俺は彼女に麻袋を被せて、二人は袋の上から縄で縛って自由を奪った。無抵抗のままの相手を三人がかりで担ぐ。
「ングー!」
「「「エッホエッホエッホエッホ」」」
思いっきり犯罪者の姿でも、顔を隠していれば多分大丈夫だ。
人目に付くたびに悲鳴を上げられたが無事に部室まで行けた。
それから拉致したターゲットを椅子に座らせてから、麻袋を脱がす。
「あのーここは一体…あら、チヨノオーさん?」
「こんな手段でごめんなさい、アルダンさん」
見知らぬ顔ぶればかりの中で、唯一知った顔のサクラチヨノオーさんに出会えたメジロアルダンさんは少し安心したようだ。
拉致された彼女は周囲と俺達の顔を見渡して、ここがどこなのか気付いた。
「みなさんはチーム≪フォーチュン≫ですか?なぜこのような真似を――――」
「それは私から説明しよう!」
袖の長い白衣を纏ったオンさんがメジロアルダンさんの顔と足を交互に見比べて、ボードにあれこれ書き込む。
「メジロアルダンくん、君には二つの選択肢がある。このまま一人で足掻き続けて高い確率で学園を去るか、私のモルモットになって確実にトゥインクル・シリーズを走るか。さあ、選びたまえ」
「オンさん、ちょっと飛ばし過ぎです。俺がもうちょっと噛み砕いて説明します」
「そうだねえ。元はと言えばアパオシャくんが話を持ち掛けてきたんだから、まずは君が説明する方が筋だ」
いきなり悪魔みたいな選択を迫るオンさんを落ち着かせて、代わりに俺が説明する事になった。
「俺はアパオシャ。数日前の選抜レースで雑用してて、君が出走を止めたのを見たよ」
「はい。確かに私はレース前に捻挫をして走れませんでした」
右足を悲しそうに擦る。
「でも走りたい。デビューして、レースに勝ちたい。そう思ってるから練習をして、何度も選抜レースに出ようとしている。けど、そのたびに怪我や病気で走れない」
「っ!そうです。それがなにか」
「レースを走って、勝てないと嘆くなら俺は気にしない。でも、走る事すら許されないのは見てる方も辛い。だからちょっとお節介を焼いて、似たような悩みを抱えてたオンさんに相談したら、面白そうだから連れて来いと言われたんだ」
初対面の相手に囲まれると警戒されるから、ルームメイトのクラチヨさんにも協力してもらった。実はクラチヨさんはバクシさんと親戚同士だったから、かなりスムーズに話が進み、情報提供もしてもらえた。
「そこで最初の選択に戻るわけだよ。私が開発した薬を飲み続ければ、君の体は今よりかなり頑強になり、レースを走れるようになるはずだ。そして私もモルモットが増えて研究が進む。どうかな?お互いに利のある提案と思うよ」
「お話は理解しました。私の体を慮って頂いたのは感謝いたします。ですが、私の体は皆さまが思う以上に弱く脆く、例え今より頑強になっても、レースに出られるかどうか……」
「それは実際に試してみないと何とも言えないねぇ。しかし、このまま一人で練習を続けても、光は差さないと思うよ。他ならぬ足がガラスの様に脆かった私自身の経験談さ」
オンさんの鋭い一言で、メジロアルダンさんの目に悲しみが浮かぶ。専属トレーナーや助けてくれる先輩も居ない中で、幾ら知恵を絞って足掻いても限度があると、他ならぬ彼女自身も分かっているのだろう。
そして目の泳いだ先の髭トレーナーに視線を定めた。
「トレーナーさんはチームの方々が所属もしていない私に時間を割いてもよろしいのでしょうか」
「うちはこいつらのやりたいようにやらせる方針だし、君が正式にチーム入れば問題無いぞ」
「ですが私は選抜レースで結果を出していません」
「なら今は仮入部して、二か月後の六月の選抜レースで勝て。仮入部は結構どこでもやってる。それなら君自身と周囲も納得する」
「二ヵ月なら十分さ。ハァハッハッ!よもやトレーナーになって最初に契約するのが、私自身と似た体質のウマ娘とはねぇ。運命的なモノを感じるよ」
「失礼ですが、アグネスタキオンさんはトレーナーになられたのですか?」
「入院中に暇を持て余して、トレーナー資格の勉強をして先日試験を受けたんだよ。合格発表はまだだけど、私なら余裕さ」
オンさんはさらっと言ってるけど普通出来ないからな。そもそも中央トレセンのトレーナー資格取得は、国立大学の医学部に入学するレベルの知力を要求される。それを高等部在学中のウマ娘の取得は、過去に数件しか例が無い。まあ学生中に幾つも特許取るオンさんだから、常識でモノを考えるのは無駄と思ってる。
そんなわけで今後、チーム≪フォーチュン≫は髭を主トレーナー、オンさんをメンバー兼サブトレーナー体制で活動する事になる。
「実質現役引退した私は、君にプランBを発動する。早速これを飲みたまえ。ねん挫の回復を劇的に早めてくれる薬だ」
オンさんは試験管に入った虹色に輝く怪しい液体をメジロアルダンさんに差し出し、彼女はそれを躊躇いなく飲み干した。
「漢方薬の味がします」
「よく分かったねぇ。味の調整はまだだけど、薬効は確かだよ。――――後は私に任せたまえ」
オンさんが差し出した袖を、メジロアルダンさんはしっかりと握った。
「ようこそチーム≪フォーチュン≫へ」