飛行機はエコノミーしか乗った事の無い俺にビジネスクラスは新鮮で快適だった。
北海道の新千歳空港で手続きを済ませると、一人の眼鏡をかけた老紳士が直立不動で佇んでいるのが目に付いた。テレビや映画に出てくるような執事みたいだな。
老紳士は俺達の側に来て、深々と頭を下げる。
「皆様、長旅お疲れでございました。私、メジロ家に仕える執事でございます」
「出迎え、ご苦労様です『じいや』」
クイーンちゃんが執事の『じいや』を労った。名門なら執事の一人二人は居て当然か。うわー庶民の俺とは本当に住む世界が違う。
「当家の保養所まで、バスをご用意致しました。窮屈でございますが、今しばらくご辛抱を」
「あっいえいえ。こちらこそ大人数で押し掛けてしまって、それもお迎えまで出してもらえて、とても感謝しています」
髭トレーナーが土下座する勢いで執事さんに頭を下げている。大人同士が頭を下げ合うのは日本じゃよくあるけど、気持ちは分かるよ。ここまで気遣いを受けたら、こっちの身が縮まる。
「そのようにトレーナー様が頭を低くされては私めも困ります。どうか、頭をお上げくださいませ」
執事さんの気遣いでこの場は収まり、俺達はバスを待たせてある空港の駐車場に移動した。
バスの前では執事さんと似たような年の和服を着たお婆さんが待っていた。
「こちらの迎えは『ばあや』でしたの。いつもありがとうございます」
「年寄りには勿体ないお言葉です、アルダンお嬢さま。ささ、皆様も保養所に着くまで気を緩めてくださいませ」
『じいや』に『ばあや』か。歴史のある名門はすげえなあ。感心もそこそこに言われた通り、バスに乗った。
空港から三十分ほどバスに揺られた所にメジロの保養所があった。最初見た時は郊外のレース場と老舗の高級ホテルかと思ったら、全部メジロ家の私有地と言われてちょっと腰が引けた。しかもここ以外にも同じ設備のある本家が羊蹄山の辺りにあるらしい。名門ってすげえ。
俺がこれから獲得する総レース賞金の何人分と同額なんだよ。
内心ビビッた俺にお構いなしに、バスは五階建ての建物に横付けした。
「皆様、長時間の移動、誠にお疲れさまでした。こちらは当家の宿泊所ですので、どうか自分の家と思ってお寛ぎください。アルダンお嬢さまとマックイーンお嬢さま、そしてトレーナー様はこちらに」
お嬢の二人とトレーナーは執事さんに連れていかれる。トレーナーもという事は、親御さんか親族の人が来ているから挨拶するのかな?
残りの俺達は三階の、それぞれに割り当てられた部屋に案内された。室内は広くてリゾートホテルみたいな豪華な内装だ。これを一人で使えるってのは、ちょっと落ち着かない。
荷物を置いてから、皆と一緒にスタッフの人に建物内を案内してもらった。
一階は医務室と、大きなスポーツジム並に整ったトレーニングルームが併設してある。更衣室とシャワー室もある。
二階は食堂と調理室があって、毎日そこで決まった時間に食事を出してもらえる。
三階は客室だからスルー。四~五階はここのスタッフ用だから関係無い。
そして一番の目玉は屋上の露天風呂だ。何と天然温泉らしい。ここまで至れり尽くせりの合宿が出来るとは思わなかった。メジロの二人に感謝しよう。
案内が終わったら、もう夕方の六時を過ぎていた。移動も多く、一度に色々あったから腹も減ったし疲れた。
学校の制服から私服に着替えて、固まった筋肉を体操で緩くしておくと、部屋の電話で食事の用意が出来たと連絡があった。
二階の食堂へ行くと、チームのみんな以外に、見た事のある顔と、知らない顔の二人が居た。三人ともウマ娘だ。
「あれ、メジロパーマーさんですよね?」
「ウェーイ!そうだよー。これからしばらく一緒だからよろしくね~アパオシャ。あーそうそう、私の事は気軽にパーマーでいいからね」
そうか。よく考えたらこの人もメジロ家なんだから、夏休みに自分の家の設備を使ってトレーニングするのは当たり前だよな。
「はい、こちらこそよろしくお願いします、パーマーさん。それと、今年の宝塚記念の優勝おめでとうございます」
「はっははは~。面と向かって言われるとハズいから、もっと気楽でいいよ」
今年の宝塚記念を爆逃げでもぎ取った、累計G1二勝のウマ娘にしては随分気安い。同じメジロのクイーンちゃんやダンみたいなお嬢さまと結構違う、センジみたいな雰囲気の人だ。フクキタさんとは同期で、よくレースでバチバチやり合っても、普段は占いをしてもらったり相談に乗ってもらう間柄なんだとか。
それからまだ小学生の小さなウマ娘の二人に向き合う。
「初めまして、俺はアパオシャって言うんだ。名前を聞いてもいいかい?」
「はい!あたしはメジロライアンです!アパオシャさんの事はマックイーンとアルダンさんから色々聞いてます!」
「その……メジロドーベルです。よろしく」
ショートヘアーでいかにも活動的なメジロライアンちゃんと、ちょっと人見知りしそうなロングヘア―のメジロドーベルちゃんか。
パーマーさんの話では、一門の親族で全員姉妹ではないが子供の頃からよく顔を合わせているから、クイーンちゃんやダンも含めて、実質姉妹みたいな仲だとか。名門らしい繋がりの子達ってわけだ。
「二人とも来年はトレセンに入学するから、みんな仲良くしてあげてね~」
「分かりました!では明日からライアンさんとドーベルさんは、私と一緒にバクシンしましょう!バークシィィン!!」
「えっ、その私は―――――」
「わー!やったー!あのG1ウマ娘のサクラバクシンオーさんと一緒に走れるだなんてっ!」
無邪気に喜ぶメジロライアンちゃん。そういえばバクシさんには妹が居るから、年下の子の扱いは結構得意みたいだ。
メジロの子達と親交を深めていると、クイーンちゃんとダンがトレーナーを伴って食堂に来た。
妙に疲れている髭を見たメジロドーベルちゃんがパーマーさんの後ろに隠れた。元々人見知りする性格の子だし、大人の男が苦手なんだろうか。
「なんか疲れてるなトレーナー」
「メジロ家の大奥様と面接してな。うちの子達を頼むって」
なるほど。大家の人が頭を下げるように見せかけて、『うちの子に酷い事をしたらどうなるか分かってるね?』と言われたのか。そりゃ移動しっぱなしの身では疲れるわ。
でもそれはトレーナーの仕事だし、頑張ってもらわないと困る。そういうわけでトレーナーは放っておいて、俺達は席に就いた。
ここの食事は学園の料理と同じぐらい、とても美味しかった。しかも成長期の俺達に合わせた味、量、栄養も完璧にこなした料理だった。こういう料理を日頃から食べている家なら、クイーンちゃんみたいに一つ頭抜けた新入生になるわ。
夕食に満足した後は、疲れを癒すための温泉と洒落込んだ。勿論女ばかりでトレーナーはお呼びじゃない。
満天の星空の下で温泉に浸かれば、誇張無しで一気に疲れが飛ぶ。
そうそう、メジロドーベルちゃんは親族以外だと一番先に仲良くなれたのはフクキタさんだった。あの人は天性の明るさと同時に、妙に自己評価が低い所があるから、大人しい子とも結構仲良くなれるんだろう。
メジロライアンちゃんはバクシさんと仲が良いみたいだ。二人とも元気というか、ややテンションが高いから波長が合うらしい。
「メジロは良い子達ばかりだねえ」
「ええ、みんな優しくて、明るくて、温かい大きな家族みたいな繋がりがあるんですよ。私もみんなが大好きなんです」
のぼせると困るから、足だけ湯に入れたダンが優しい目でみんなを見ている。
「ところでアパオシャさんにはご兄弟はいらっしゃいますか?」
「兄が一人居るよ。今は京都の大学に通ってる」
「そうなんですか。仲は良かったんですか?」
「悪くは無かったと思う。それに俺がウマ娘だから、人とウマ娘がどう歴史を歩いて来たとか、そういう学術的な興味が出て、大学に行ってるんだよ」
「まぁ!それは素晴らしい事だと思います。私にも尊敬する姉が一人いるんです」
尊敬というには、喜びの中にも固い感情が顔から滲んでいる。姉って事はメジロ家のウマ娘なのかな。
「私の姉はメジロラモーヌなんです」
「……それは随分と重たい名前だな」
なんでダンが尊敬しつつも嬉しそうにしてないのか分かった。
メジロラモーヌは≪皇帝≫シンボリルドルフより上の世代で、メジロ家で初めてトリプルティアラを達成した相当強いウマ娘だ。
そんな偉大な姉と身体が弱くて碌にレースも走れなかった自分とを比較したら、どんな優しい子でも穏やかではいられない。
身内に優秀なウマ娘が居ると常に評価比較されてしまう。名門に生まれたウマ娘は、幼少からこの保養所のような手厚いバックアップを受けられる引き換えに、結果を残す事を義務みたいに課せられているんだろう。
俺みたいな一般家庭で親戚に誰もウマ娘が居ない育ちには全く分からない重さだ。
「メジロのみんなはすげえよ。いや、身内にウマ娘がいるような子はみんな凄い。家とか、名前とか、血とか、俺は背負いたくない面倒くさい重荷だ」
「そうかもしれません。でも同時にそれが、かけがえのない絆でもあるんです。決して切れない、切ってはいけない特別な絆なんですよ」
速く走るなら荷物は少ない方が良いと思うけどなぁ。俺には勝手に混じって温泉を楽しんでる同居者だけで十分だ。こいつ雨は嫌いなくせに温泉は好きときてるんだから、生まれた時からの付き合いでもよく分からん。
まあ、何を抱えて走るかは人それぞれだから自由にすればいいと思うが、レース場で顔を突き合せたら、例えチームメイトで友達でも情けなんて掛けないからな。