十月初週の土曜日。俺にとっては二戦目の≪芙蓉ステークス≫が中山レース場で開催される日だ。
朝食の味もいつもと変わらず寝不足も無し。体調は万全に整えた。昨日小雨が降ってたから、レース場に水が少し残ってるかもしれない。
今日はトレーナーは不在のままレース場に向かっている。うちの髭は明日のダンのデビュー戦と、バクシさんのスプリンターズSで掛かり切りだ。去年も似たような事はあったからあまり気にしない。担当するウマ娘が多いと、こういう事はよくある。
代わりに引率者には、年長のフクキタさんが来てくれた。普段の言動はちょっとアレでも、経験豊富な先輩だから頼りにしてる。それと応援にはクイーンちゃんが居る。
中山は千葉県でトレーナーが居ないから車は使えない。俺達は電車で行くしかないのだが、クイーンちゃんから、ならば車を出すと言って、執事の『じいや』さんが車で送ってくれる事になった。レースの時は家族の助力を得る事もあるから、送迎もたまにあると聞いているけど、やっぱりお嬢さまと一般人の考えは違う。
そういうわけで俺達三人は執事さんの快適な運転で、中山レース場まで疲れもせず無事に来れた。
レース場はのどかな雰囲気で、人通りもまばらだ。俺がデビューした時の札幌レース場より人気が少ない。
「重賞レースが無いとこれぐらいですよ。まだ土曜日だから、家族連れが居て人が多いぐらいです」
「確かに。笠松の平日レースなんて、本当に開催するのかってぐらいガラガラでした」
地方に比べれば観客の数が多いだけ中央のレース場は恵まれているよ。
いまさら観客の数を気にしても始まらないから、会場へ向かう。途中、明らかに執事さんの姿が浮いてて、G1ウマ娘のフクキタさんより目立ってた。クイーンちゃんはそれを全然気にしないんだから、この子は将来大物になるよ。
三人と別れて控室に入る。俺のレースは午後二時、今は正午前。体操服に着替えてから、軽めにおにぎりを食べて栄養補給。その後、トレーニングルームで程々に体を温めてレースに備えた。
時間があったから、スポーツドリンクを飲みつつ今日の出走表を確認しておく。俺は四番人気か。一回しか走ってないのに、みんなどこを見て投票してるんだろう。
芙蓉ステークスの欄には見知った名前は載っていない。戦績を見ると、出走者の七割は二戦以上している。その中に一人だけ二戦二勝の文字がある。『フリーズレイク』という名前か。一応注意はしておくか。
ただ、俺達ジュニアは出走期間とレース数が少なすぎて、数字だけ見ても実際の実力は測れない。それに一回の勝利で大きな経験をして『化ける』ウマ娘が居たり、一ヵ月後には見違えるほど強くなる事もあると髭は言ってた。それにクラシックやシニアに比べるとメンタルにムラがあるから、絶好調の時は実力以上の力を出す事もある。
結局は実際に走ってみないと何も分からないに近いということだ。
「あまり相手を意識せず、自分の走りをするのが勝つ事に繋がるってことかな」
レースをするなら勝って優勝賞金が欲しい。観客席で見ている、フクキタさんとクイーンちゃん、それと車で送ってくれた『じいや』さんをガッカリさせたくない。
よし、気合は入った。いつでもいける。
しばらくしてスタッフが呼びに来た。貰ったゼッケン番号は12番。今日はフルで18人出走だから外よりのスタートだ。
パドックは初戦の時に比べると浮いた空気が無い。他の走者も緊張はしているみたいだけど、前の様に落ち着きを失ってウロウロするような子は見当たらない。程よくレースに慣れたのか。初戦のような走る前から負けてるような子は居ないか。
ゼッケン番号順にパドックでお披露目をしていく。
俺の番になって何事もなく姿を観客に見せて、程々の声援を受けて終わりだ。
地下通路を通ってコースに向かう時、一緒に歩いていた同居者が後ろを振り向いた。
「そこの12番の人、ちょっといいかしら」
「…俺か?」
「ええ貴女よ、アパオシャさん」
振り向くと栗毛のロングヘアに黒色メンコ、3番ゼッケンを着けた子が立っていた。
「私はハートタイム!今日のレースは私が勝つわ!」
「そうか。で、俺だけに宣言する理由は?」
「貴女は忘れてるけど、私は四月の選抜レースで負けたからよ。だから今日はリベンジマッチ」
なるほど。トレセンは生徒数が多すぎて、クラスメイトでもないといちいち顔と名前なんて覚えきれないから、こういう風に相手に一方的に覚えられる事もあるのか。同居者は面白がってるけど、俺には微妙に面倒臭い。
「俺も負ける気は無いよ。言葉よりお互い本気で走った上で、勝ち負けを決めようか」
「くっ、余裕ね!必ず勝ってみせるからっ!」
3番の子はそれだけ言って先に行った。今日は一緒に走る相手が17人も居るのに、俺ばっかり意識してていいのかなぁ。人ごとだから、別にいいか。
コースに出て歩きながら芝の状態を確認する。雨はほぼ乾いて芝は軽い。走りやすくていい。
観客が色々なウマ娘の名を呼んでる。OP戦となると結構ファンがレース場まで見に来るんだろう。
たまに俺の名を呼んでる男の声がある。地元でもレースの時はよくあったから、気にするだけ無駄だな。
足の調子を確かめて、ゲートに入る。
意識を集中して、扉が開いた瞬間に前に行く。出遅れなし。
走者達が次々前を走りながら内柵へ寄せる。コースは出来るだけ内側を走って距離的ロスを抑えるのが基本。その時点で外枠スタートのウマ娘は若干不利になるが、もともと序盤は後方待機で2000メートルならそこまで影響は無い。
今は僅かに外側の十四番の位置でじっくり全体を把握する。先頭は数名の『逃げ』が先頭争いに忙しい。中団は少しでも内側を走ろうと、ポジション争いで体をぶつけるようにねじ込もうとしている。
「甘いっ!」
内側が一人分空けてあった俺の横を一人抜いて行く。序盤の順位はさして意味が無いから気にしない。
最初の坂が来た。普通に走ってたが、さっき抜いた子を抜き返した。坂が遅いのはあまりパワーが無いのかな。
登り切った先でコーナーを曲がりつつ、曲線を利用して前の走者達をよく見ておく。まだ三分の一も走っていないのに、既に苦しそうな顔が何人かいる。
苦しい顔のゼッケン番号は、さっきポジション争いしてた子だな。良い位置を取るのに集中し過ぎて余計な体力使ったか。
カーブを曲がり切った先は下り坂だ。ここで俺も加速して、ちょうど1000メートルの中間点までに、外側から四人ばかり抜いて中団まで位置を押し上げた。
初戦よりは『速い』がまだ先輩達よりは遅い。
さらにコーナーに差し掛かる前に一人抜いて、コーナーを走行中にスピードを出し過ぎてコースが膨らみ、内側を空けてしまった迂闊な奴を二人抜く。
七番手で最終コーナーを曲がり、残りは350メートル。
ここでペースを二段ばかり上げて、固まって走ってた三人を纏めて抜いた。あっ、塊にさっきの3番ゼッケンの子が居た。先頭はあと五バ身ぐらい。
残り200メートルで名物の坂に入った。前を走ってる三人は全員序盤から逃げながら競り合ってたから、加速する力は残ってない。坂で残りのスタミナを喰われて、ズルズルと速度が落ちていた。
逆に俺は今まで温存していたスタミナをガンガン使って、坂道だろうがお構いなしに加速する。
「なーんで~!」
「まーけないー!!」
「まだいけるっ!!」
負けん気はあるけど、君達はサイレンススズカさんじゃないから無理だよ。
坂を登り切った所でやっと先頭だ。相変わらず前を走ってる同居者が目障りだけど、それ以外に誰も居ない光景は気持ちが良い。
後ろからの足音が聞こえないのは、多分坂で音が遮られているからだろう。つまり、後ろはまだ坂を登り切ってない。
残りは五十メートル。このままペースを崩さず走り続け、そのまま一人ゴール板を駆け抜けた。
ある程度ゴールから離れて立ち止まり、息を整えて歓声を上げる観客席に握り拳を上げた。
電光掲示板には二着と五バ身と表示されてる。初戦よりはスタミナを大目に使ったから、結構差が付いたか。
「よしっ。今日も勝った」
コースから地下通路に入った時、後ろから呼び止められた。あー、また3番の子か。名前はハートタイムで良かったか。
「今日も負けたけど、次こそ勝つからっ!!」
「年末のホープフルステークスに出るから、俺に勝ちたかったら勝負服を用意しておいてくれ」
「絶対っ!絶対に勝つからっ!ぐすっ……」
挑むなら好きにしなよ。勝たせる気は爪の垢だって無いけどな。
控室に戻って体を拭いてから、ライブ用の服に着替えて会場に行く。
一緒に踊る二位と三位の子は、俺にぎこちない笑みを向ける。負けた恨み言を言わないだけ優しくて良い子だね。
観客は結構入ってて子供がちょっと多かった。1500~1600人ぐらいかな。
おっ、フクキタさんとクイーンちゃん発見。どっちもサイリウムを振って盛り上げてくれる。あと『じいや』さんも頑張ってる。俺より明日のダンのために体力は残しておいて。
二回目のライブはまあまあの出来かな。歌もちょっと感情が乗り始めた気がする。
着替えて観客席に戻ると、クイーンちゃんが俺の手を握って勝利を祝ってくれた。
フクキタさんはレースを俯瞰して、改善点を幾つか見つけてくれた。同じ差しの走りをする先輩の助言は凄いありがたい。
あとはレースを最後まで見てから、執事さんの運転で学園まで送ってもらった。フクキタさんがチームの皆に、SNSで俺が勝ったことを伝えておいてくれたから、車の中でお祝いメールが一杯来た。
寮に帰ってからはウンスカ先輩やビジンに祝ってもらい、勝利の味を噛み締めた。