――――目が覚めた。
ベッドの上から手探りにスマホを寄せて時刻を確認した。まだ夜明け前で朝練には三十分は早かったものの、昨日の模擬レースの興奮が冷めず、目が覚めてしまったので布団から這い出る。
春先は室内でも肌寒いが、我慢してジャージに着替える。
着替えたらルームメイトの先輩を起こさないように、そっと同居者と部屋から出た。
寮の外で柔軟体操をしてまだ寝ている体をほぐす。それから外に走りに行く。
トレセン学園に入学してから早くも一週間。その間にあちこちランニングをして周辺にはそれなりに詳しくなった。
今は川沿いの堤防道を半分程度の速度で走っている。ウマ娘の脚力は生身で時速70kmを叩き出すので、公道制限速度は自動車と同じように時速50km以下と決められていた。
早朝の朝もやを貫くように走るのは気分が良い。時折犬の散歩をする近隣住民とすれ違えば挨拶をする。
5kmほど走り続けて陸橋の側で足を止めた。
ここまでが片道。次は堤防を下りた川沿いの草むらで休憩がてら軽いストレッチをする。
たまに同居者がちょっかいを出してくるが無視だ。四六時中一緒に居るからこいつに構ってやる必要は無い。
適度に体を休めてから堤防の上に戻ると、トレセン指定のジャージを着た栗毛のウマ娘がこちらに走って来た。寮で見た顔の先輩だ。
「ふう、おはようございます。お互い早いですね」
「おはようございます。同じ美浦寮の人ですね」
「ええ、グラスワンダーです。貴女は新入生?」
「はい、アパオシャと言います。これからよろしくおねがいします」
アイサツは大事。古い本にもそう書かれている。
ロングヘアーの奥ゆかしい物腰から育ちの良い良家の優しいお嬢さまという雰囲気を出している。ただ、同居者がちょっと警戒しているので、温和な外見通りの中身というわけではなさそうだ。
「アパオシャ…?もしかしてセイウンスカイさんの新しいルームメイトかしら」
「ウンスカ先輩の友達ですか?」
「ウンスカ……ええ、同じクラスの友達よ」
あのゆるーいルームメイトの先輩と、しっかり者に見えるグラスワンダー先輩は、かなり性格が違うように見えるがそれでも友達になれるのか。
それから二人で寮までの帰りを話しながら並走する。
隣で走る先輩の綺麗なフォームを時々見て、自分の姿と比べて拙さが恥ずかしく感じる。
何とか参考にしようと真似てみるのを先輩に苦笑された。
「ふふ、去年の私と同じような事をしてますね。今の己に甘えず、常に上を目指す姿勢は素晴らしいと思います」
「先輩だってデビューまであんまり時間無いから、こんな朝早くから練習してるだろ?負けたくないから」
グラスワンダー先輩は瞳の奥に、闘争の炎を灯して頷いた。頭上を踊りながら翔ける同居者の見立て通り、外と中の乖離が激しい闘争心に溢れる人みたいだ。
聞けば先輩は、学園で最も実力のあるチーム≪リギル≫に所属しているそうだ。クラシック三冠を達成した≪皇帝≫シンボリルドルフ生徒会長が所属するチームでもある。皇帝以外にも≪女帝≫エアグルーヴ、美浦寮長の≪女傑≫ヒシアマゾン、栗東寮長フジキセキ、≪皇帝≫に比肩する≪怪物≫マルゼンスキーなど、そうそうたるメンバーを要するトレセンきっての最強チームに属しているのだから、この先輩も相当な実力者と思った方が良い。
むしろこの闘争心は強いチームメイトの先輩を見続けたからこそ磨き上げられた面があるように思える。
話し込んでいる内にいつのまにか寮の前まで戻っていた。この時間になると、入れ替わりに朝練に出る生徒が多い。
そのままグラスワンダー先輩とシャワーで汗を流して別れた。
部屋に戻るとルームメイトのウンスカ先輩はまだベッドでスヤスヤ寝ている。超マイペースなこの人と、さっきの先輩の落差を見て気が抜けてしまう。
と思ったらこっちの先輩が起きた。
「ふわぁ、おはよー後輩ちゃん……朝からがんばってるね~」
「おはようウンスカ先輩。あっ二度寝は無しで」
「え~セイちゃんは二度寝の至福の時間が大好きなのにー」
ブーたれる先輩の布団を引きはがす仕草をすると、観念してベッドから出る。
この芦毛のふわっふわな先輩のマイペースには数日で慣れた。放っておくといつまでも寝ているから、口よりは態度で動かした方が手っ取り早い。
先輩はタオルや歯ブラシを持って顔を洗いに出かけた。俺は制服に着替えて食堂に行く。
食堂は食欲旺盛な年頃のウマ娘の胃袋を満たすために、朝から大忙しで食事の用意に追われていた。
学園や寮の食事は基本的にビュッフェスタイルで配膳の手間を省いている。ウマ娘の方も自分に合った量の食事を好きに取れるから好評だ。
今日はパンをメインに、オムレツとソーセージにサラダを多めに取り、付け合わせにはヨーグルトとフルーツを。それに忘れないよう茹でたニンジンを皿いっぱいに持って行く。
アスリートは体が資本と両親にも言われた。沢山食べられるのも才能の内。かのオグリキャップ大先輩も並のウマ娘の数倍を食べて数多くのレースを勝ち抜いたのだから、トレーニングと割り切って腹に収まるだけ食べ切った。勿論味は申し分ない。
食器を返して部屋に戻って、今日の授業の準備をしたらもう登校の時間になった。
トレセン学園はアスリート養成学校の形式をしていても、基本的な授業は普通の学校と変わらないように思う。当然、日々の授業を怠ったら期末や中間テストは散々な結果になり補習地獄が待っている。
というか漠然と体を鍛えて、ただ走るだけで勝てるほどレースは甘くない。日常的に頭を使うほどトレーニング効率も上がり、レースで勝てる比率も向上すると、多くの選手が語っていた。
それにトレセン所属のウマ娘全部は卒業後にレースで生計を立てられない。99%は最終的に別の業種に就くと言われている。一応人より優れたウマ娘の力を活かして肉体労働者になったり、自衛官や警官といった体力を要求される職も人気だ。
身体能力に優れたウマ娘の時点で採用されやすいものの、最低限の学が無いと高い地位に就くのは難しい。
選択肢を多くするためのトレーニングと思えば、勉強もそんなに辛くは無い。
よって気を抜かず、授業中のうたた寝などもっての外。教壇の横でこれ見よがしに寝ている同居者を苦々しく思いつつ、しっかり授業を受けて、いつの間にか昼休みになった。
学園内の昼食は二千人を擁するウマ娘の胃袋を賄うために、幾つかの場所で個人が好きに食べられるようになっている。食堂やカフェテリア以外にも、持ち帰り用も充実していて、外で食べられるような配慮もされている。
毎日食べる場所を変えられるから、トレーニング漬けの生徒の気分転換も兼ねているのだろう。
今日はどの場所で食べようか考えながら歩いていると、見た顔とばったり出くわす。
「アパオシャじゃん」
「ああ、ゴルシーか」
昨日顔見知りになったブロンドの髪が眩しいゴルシーが声をかけてきた。ただ、ちょっと元気が無いように見える。
「なあ、誰かと予定が無かったら一緒に昼ごはん食べる?」
「アタシと?うん、じゃあ一緒に食べよっか」
そういうわけで学園内のカフェに来た。昼時とあって中は混雑していたが、何とか席が取れて食事も確保した。俺がロコモコで、ゴルシーはサンドイッチとニンジンジュース。
モシャモシャ食べながら昨日のレースの話をする。
「昨日のレースさ、アタシ五着で負けちゃった」
「悔しいけど次のレースを頑張って勝て。俺達のデビューは一年以上先なんだから、まだまだこれからだろ」
「アパオシャは勝ったんだ、おめでとう。スカウトの話もあったんでしょ」
「ああ、何人か声をかけてきた。まだ選んでる最中だよ。ゴルシーだって次のレースで勝てば向こうから声をかけてくれるさ」
「それなんだけどさー」
ゴルシーがベーコンレタスサンドを一つ食べ終えてからポツポツ話してくれた。
要約するとレースに負けても、何人かのトレーナーから指導の打診はあったらしい。ただ、それは負けてもレース内容が良かったからではなく、モデルをしている容姿が目立っていたから声をかけたのが見え見えだったから。
「アタシはここに走りに来たのに、見られてるのは顔だけなんだもん。嫌になるわよ」
「ゴルシーも大変だな。俺はこんな見てくれだから、そんな話は分かんねえけど、お前が嫌がってるのは分かるよ」
「あん?お前ら、今ゴルシちゃんの話をしたかー」
唐突に話に割って入ったのは、長身でスタイル抜群の芦毛銀髪美女だった。クールビューティーと称するのがこれほど相応しいウマ娘は他に見た事が無い。一緒に居るゴルシーも整った顔立ちをしているが、こっちの人の方がより洗練されていると思った。ただし帽子と一体化した変な顔当てを除く。そしてあのへんな帽子は雑誌やテレビで何度も見た事があった。
「………もしかしてゴールドシップさん?」
「おいおい!先にアタシを呼んだのはそっちだろ。今更知らない振りしたら、ゴルシちゃんは悲しくて泣いちゃうぞ~えーんえーん」
手に持った山盛りの焼きソバと、六匹のたい焼きをテーブルに置いて盛大に泣き始めた。焼きソバはともかくたい焼きはカフェのメニューにあったか、デザートのコーナーを確かめたが、やはり無かった。
そして周囲から一気に人が遠ざかった。明らかに俺達と関わり合いを避けている。
隣のゴルシー(金髪)と一緒にどうしていいかあたふたしてると、唐突にゴールドシップさんが泣き止み、俺達のテーブルの席に座って焼きソバを食べ始めたから、なし崩しで一緒に食事をする事になった。
食事をしながら簡単に名乗って新入生なのを伝えると、ゴールドシップさんは納得した。
「なーんだ、お前もゴルシって名前だったのか。じゃあこれからは生き別れの妹で良いな!」
「何でですか。―――ちょっとー、アパオシャのせいでややこしくなったじゃないの」
「俺が悪いのかよ。いや、まあ俺のせいなのか」
金のゴルシーに小声で非難された。さすがに名前が紛らわしいとは言えないし、相手は有マ記念や春の天皇賞を勝利したGⅠ六勝ウマ娘。七冠の≪皇帝≫シンボリルドルフに準ずる超一流のウマ娘に舐めた態度を取ったら、明日には学園から席が無くなる。
「で、妹ちゃんは何か困ってんのかー。今ならお助けゴルシちゃんが相談に乗ってやるぜっ!」
「そこまで困ってるわけじゃないんですけど、昨日のレースに負けたから……」
「なーんだ、そんな事で妹はシケた面してんのかよ!アタシだって宝塚でドベ2になった事あんだぜ。一回負けたぐらい気にすんな。ほれ、たい焼き食って元気出せよ」
「あっ、ありがとうございます」
銀のゴルシさんから、たい焼きを一つ貰った金ゴルシーは早速たい焼きを食べて噴き出して、むせた。
「いえ~い!ゴルシちゃん特製のロシアンたい焼き大当ったり~!!」
鼻を抑えて涙目で咳き込むゴルシーの食べかけのたい焼きの断面からあんこの代わりに緑色のペーストが見えてた。周囲にはツーンとする臭いが漂ってる。中身はわさびかな。
「へへっ、お前運が良いな。リアクションもおもしれぇから、うちのチームに来いよ。≪スピカ≫っていうんだぜ」
返事すら待たずにゴルシさんはポケットから取り出したズタ袋にゴルシーを入れて担ぐ。
暴れるゴルシーを無視してカフェから出る際、ゴルシさんはチラっと俺を見た。
「お前はほっといても大丈夫だから程々に頑張れよ。じゃ、またなー」
やりたいことだけやってゴルシコンビは居なくなり、カフェに平穏が戻った。
拉致られた金ゴルシーの事は多少心配だったが、どうにもできないので忘れることにした。代わりに手を付けていないサンドイッチを美味しく頂いた。
―――――うむ、カフェの方は今度から米よりパンを食べよう。