ウマ娘がパドックで姿を見せるたびに歓声が上がるのはいつもの事なんだが、ゴルシーの時だけスタンドの声が他のウマ娘の数倍は多い。ただ、その声の多くは綺麗だの、美しいとか、レースへの声援とは明らかに異なってる。
「相変わらずうちのシチーは人気者だねえ」
「百年に一度の美少女ウマ娘なんて雑誌で持て囃されてるもの。ファンは無邪気なものよ」
髭以外のトレーナー二人がちょっと呆れを含んで話している。速く走ってレースに勝つ事を望むトレーナーからすれば、容姿を第一に褒められるのは筋が違う。
ゴルシーが公式で走るのを見たのは今日が初めてだが、友達がずっとこの視線の中で走ってたのかと思うとイラつきが態度に出て舌打ちした。
俺達の感情なんて構わず時間は進み、十六人のウマ娘による≪サフラン賞≫はスタートした。
三人が出遅れた。ジュニアの一勝クラスだから俺の時と同じように、まだ走者の質にバラつきがある。
ゴルシーは中団で機を伺い力を溜めている。
中山のマイルは三分の一を過ぎると下り坂があるから速度が出しやすいが、調子に乗り過ぎると後でスタミナが足りなくなる。
沖野トレーナーはストップウォッチ片手に、今の位置と比べて一人頷く。予定通りの展開というやつか。
下り坂を終えてコーナーを曲がり、最終直線300メートルからゴルシーは動いた。
腕を大きく振って人より長い足で一歩一歩を跳ぶように加速して、そのまま登り坂に入ろうがお構いなしに駆け上がって行く。あれはストライド走法だと思うけど、なんか違う。
その走りに既視感を覚えた数人が、走りの正体に気付き、東条トレーナーが代表して沖野トレーナーに尋ねた。
「ゴールドシップの走りじゃないの。いつの間に覚えさせたの?」
「俺はアレを教えてねぇよ。ゴルシの奴がいつの間にかシチーに仕込んだんだ」
坂道なのに平地並みの加速で一気に先団を抜き切り、ゴルシーは他を圧倒したまま先頭でゴール。掲示板には四バ身と表示がある。
レース場はゴルシーの名前一色となり、勝者は手を振って声援に応えた。
この後はウイニングライブだが、観客席から一気に人が動いたぞ。
「あっ、俺ライブ行ってきます」
「ボクもー」
「「あたし(俺)もいくー」
≪スピカ≫の三人組と沖野トレーナーと一緒にライブ会場に行く。
会場はジュニア一勝クラスとは思えないぐらいのファンが入ってた。俺の時より倍ぐらいは多いぞ。これがモデルもやってるゴルシーの人気か。
――――――――数はともかく、ライブの出来は俺とどっこいかな。それでも客は楽しめたんだからそれでいいか。
レースの勝利者が笑顔で戻って来た。チームの三人と沖野トレーナーに、もみくちゃにされてる。
「速かったな。もうマイルじゃゴルシーには勝てそうもない」
「あたりまえじゃん!アパオシャには中距離だってもう負けないから!」
「おい」
ゴルシーの強さが心の琴線に触れたナリタブライアンが鋭い目つきで向かい合う。
「私もマイルが得意だ。同学年なら、そのうち一緒に走る事になるだろう」
「いいっしょ!アタシは相手が誰でも負けないからっ!」
質は違えど笑みを見せる二人。程よい緊張感を孕むライバル関係はアスリートに必要な養分。トレーナー達は歓迎すべきものとして見守った。
俺は基本中長距離だからこの二人とは多少住み分けが出来るけど、ダンはモロに適性距離が被るから、結構苦労するよ。いっそビジンみたいにダートも走れるなら、そっちを主軸にするのも一つの手だろう。いや、それはメジロの名が許してくれないか。まったく、名門は面倒くさい事だ。
それからレースを一つ挟んで、ようやく今日のメインイベント≪スプリンターズステークス≫が始まろうとしていた。
スタッフによりスタートゲートがスタンドの向かいのコースに用意される。1200メートルは短くコースを半周する形で、スタンド前のゴールを目指す。
パドックには麗しくも強いウマ娘達十六人が姿を見せて、その都度大きな声援が送られた。
中でも、小柄ながらも前回覇者のニシノフラワーさんには、その愛らしさから男女ともに人気がある。今日は彼女が一番人気だ。
うちのバクシ先輩も豪快な『逃げ』の走りで多くのファンを魅了する、最速スプリンターとして今日の王座を推す声が大きい。惜しくも三番人気。
さらにもう一人、露出の高いカウボーイの勝負服から早撃ちのパフォーマンスで会場を湧かす≪リギル≫のタイキシャトル先輩。シニア最後の栄冠を奪い返す、新旧王者対決を願われ、二番人気になった。
今日のレースはこの三人が主役だが、他にも油断のならない走者は多い。レースは何が起こるか最後まで分からない。
走者が現れて、それぞれゲートに入る。一瞬の静寂の後、ゲートが開き、全員が綺麗に飛び出した。
大歓声の中、一番に飛び出したのはピンクの勝負服を纏うバクシさん。今日も最高のスタートダッシュで魅せてくれる。
それに続くように集団が作られ、一番人気のニシノフラワーさんは中団から少し後ろにいる。二番人気のタイキシャトルさんはバクシさんを追従して三バ身ぐらい離されて二番手。
今のコースはスタートから下り坂になってるからガンガンスピードが上がり、バクシさんの作ったペースで超が付くハイペースの展開だ。
正直言って、バクシさんのスタミナが持つのか心配になる。それでも俺達≪フォーチュン≫はみんな先輩が勝つと信じている。
スピードが乗り切った状態でコーナーに入った。後ろのタイキシャトルさんとは、さらに差が開いて四バ身。
チラっと東条トレーナーを見ると、眼鏡をかけてキリリとしたポーカーフェイスを崩さない。むしろ、予想通りに展開になったと余裕すら感じさせる。大人の女という雰囲気がかっこいいなあ。
コーナーは速度を出し過ぎると遠心力で外に膨らんでしまうから、上手に回らないとロスが大きく、ここでバクシさんは若干後続に差を縮められてしまう。あの人は直線的だからコーナーは割と苦手だった。
それでも先頭は決して譲らず、コーナーを回り切った。これで後は直線と最後の難関の坂道のみ。
直線を逃げるバクシさんをジリジリ追い詰めるタイキシャトルさんのすぐ後ろには、ニシノフラワーさんを始めとした後続が横並びで追い立てる。
「いけーいけー!逃げろ逃げろバクシンオー!!」
「バクシンオーさーん!もっと早く走ってくださいっ!!」
中山名物の坂道に入り、急にバクシさんの足が衰える。いや、バクシさんは坂でも失速してない。タイキシャトルさんは常識外のパワーで坂を平地の様に走ってるんだ。
さらに後続集団からニシノフラワーさんも抜け出して、タイキシャトルさんのすぐ後ろまで来ている。
それでも坂を懸命に登ったバクシさんはまだ先頭を保っていた。
最後の50メートル直線で三者が己の限界に挑む。一歩先を行く挑戦者と、追い抜こうとする新旧王者二人。
「抜きなさいタイキシャトル!二度も負けてはダメよっ!」
叱咤激励が届いたのかタイキシャトルさんが一歩差を縮め、残り10メートルでクビ差まで迫る。
だがバクシさんは諦めない。百分の一秒でも早くゴールを翔ける事だけを目指して、死ぬ気で足を動かして、最後はほぼ同時に両者がゴール板を駆け抜けた。
最初にゴールを駆けた三人が真っ先に膝から落ちて、その場で荒く息をする。
スタンドからの歓声はまだ出ない。アタマ差で三着のニシノフラワーさんの番号は出ているが、一着と二着はまだ決まっていない。
電光掲示板に写真判定の文字が出て、どよめきが起きる。観客はどっちが先だったか自分の希望を語っているが、全ては判定が終わってからだ。
二分近くが経って、走者達の息が整った頃、ようやく掲示板に確定の文字と共に一着のウマ娘の数字が出た。
「やったー!!バクシンオーが勝ったぞー!!」
「いよっしゃーーー!!!」
一着にはバクシさんの数字が堂々と表示された。その瞬間、スタンドが沸き返り、コース場でかつての王者タイキシャトルさんが、新しい王と昨年の王に抱き着いた。
凄まじいデッドヒートを演じた三人にスタンドからは惜しみない拍手が送られた。俺達三つのチーム全員も、素晴らしいレースを見せてくれた十六人のウマ娘に拍手を送り続けた。
「……ねえ藤村」
「どうしました東条さん?」
「サクラバクシンオーはマイルも走れるんでしょう?次のマイルチャンピオンシップ行けるかしら」
「勝ち逃げは許してくれませんか」
「当然でしょ。負けっぱなしでタイキシャトルに引退なんてさせないわ。私はウマ娘に悔いを残させたくないのよ」
タイキシャトルさんは本来マイル適性のウマ娘。マイルとなるとバクシさんの方が不利だ。トレーナーは本人に聞いてみないと分からないと言葉を濁したが、きっと出ると言うに違いない。
それよりも今は新たな最速の王のライブに参加する方が先。今度は学園三指のチーム全員がウイニングライブに参加して、三人の王の華々しい歌とダンスに喝采を挙げた。
今日のレースが全て終わり、俺達はトレーナーの運転する車で心地良い気分に浸っていた。このまま寮に帰ってぐっすりと眠りたい。でも今日はまだ終わってない。最大のメインイベントがまだ夜中に残っていた。
「凱旋門賞の始まる時間って何時でした?」
「夜の十一時からです。寮は消灯時間を過ぎてますね」
隣に座ってるフクキタさんが教えてくれた。寮長のヒシアマゾンさんに頼んだら特別に見せてもらえないかなぁ。日本のウマ娘の希望の星を録画で見るわけにはいかないとか言いくるめて。
「俺は見るけど、お前達は明日は学校があるんだから大人しく寝ておけ。特にアルダンとバクシンオーはレースをしたんだから、ちゃんと休むんだぞ」
二人ともトレーナーの言う事を聞いて返事をした。スマホで中継を見ようと思ったが、先に髭に釘を刺された。
まあいい。こっそり起きててカフェさんの優勝する姿を見てやる。
それから俺達は帰り道で、そこそこ良い焼き肉屋を見つけて打ち上げをした。
ダンは肉を自分で焼く形式の焼肉は初めてだったから面白がって、色々肉を焼いてマイペースに食べている。
バクシさんは牛肉はまだマシで、ホルモン系を碌に焼かずに食べようとして、俺と髭に止められてしょんぼりしてた。
クイーンちゃんは肉は適度に食べつつ、サイドメニューのアイスやパフェに気が向いてて、〆の時に俺らの三倍はパクパク食ってた。
俺と髭とフクキタさんは特に言う事は無い。普通に食ってただけだ。
会計は札が二十枚ぐらい飛んでたけど、土日の二日で桁の違う賞金を稼いでるから、ほとんど端数扱いだった。
たらふく食べて学園に着いた時には、みんな眠気が限界に達してしまった。辛うじて寮で風呂に入ったのを覚えてたが、次に意識が戻った時は早朝、自分のベッドの上だった。
凱旋門賞を見逃したのを後悔しつつ、スマホでレース結果を検索した。
「おいマジかよ」
フランス―――パリ・ロンシャン凱旋門賞、マンハッタンカフェ三着の文字に、俺はしばらく頭が空っぽになった。