三月の末日。ぼつぼつ桜が咲き始めて花見の季節になっても、俺達みたいなウマ娘にはそんな暇が無い。
春休みで授業が無いから、練習コースを朝から晩まで走り続けて、百分の一秒でも早く走る事だけを考えて、身体を鍛える事しか頭に無かった。
目指す最初の頂はクラシック三冠≪皐月賞≫。どのウマ娘も一生に一度しか走れない栄誉ある舞台に立ち、勝利の誉れを得るにはいくら時間があっても足りない。
それに同じチームのダンは先々週にG3フラワーカップを競り勝ち、本人初の重賞勝利を飾った。
先週もフクキタさんが阪神大賞典を勝ったんだから、俺も負けてはいられない。
本日三回目の本番を想定した2000メートル走を走り切って、タイムを計ってくれたカフェさんに結果を聞く。
「……駄目ですね。予想タイムより……0.1秒遅いです」
「くっそ!またか」
悪態一つ吐いてから頭を冷やすためにドリンクを飲む。―――ふぅ、少し落ち着いた。
ここ一週間ずっとこんな感じだ。皐月賞の勝利予想タイムにまだ並べない。走り方を『差し』から『逃げ』に変えて色々試しているけど、どうにもタイムが縮まらない。
「アパオシャさんは私と同じように……スピードを上げるには距離が必要ですから……2000メートルは短いんです」
「分かってますけど、レースに出たら条件はみんな同じですから」
慰められても事実は変わらないし、タイムもそのままだ。
それに本番は18人が出走すれば、他のブロックや芝の悪さもあるから、せめて一人走行で設定した時間を達成しない限りはナリタブライアンには勝てない。ゴルシーやハッピーミークだって容易に勝てる相手じゃない。
俺にオンさんやバクシさん並の速さがあれば………。こういう時にスタミナ以外は、あくまで平均レベルのスピードとパワーが恨めしくなる。
「…あまり走り過ぎても……身体に良くありません……少し休憩を入れてください」
「あぁ……そうですね。じゃあちょっとナリタブライアンのレースを見直してみます」
受け取ったタオルで汗を拭いて、カフェさんと一緒にタブレット端末でナリタブライアンが出走したレースを全て見直す。
「―――――やっぱり速いな。スピード、パワー、コーナリング。どれも俺より上だ」
「シニアでもこれだけの才能の人は………殆ど居ません」
俺が勝ってるのはスタミナ量と精々メンタルぐらいか。不必要に競り合うあの負けん気をどうにか突いて、疲れさせて勝てないかと思ったが、これまでのレースを見ると、しっかり矯正されている。東条トレーナーの仕事は一流だな。
ならば雨降りの重い芝ならと思って、重バ場だったデビュー戦と、三着だった函館ジュニアステークスのレースを見直してみる。
――――函館レースは負けはしても水吸った重い芝と泥を苦にしないか。
「この人の強さは……足腰の強さとバランス感覚です。……重心を低くして走るから……コーナーのロスも無く、末脚も凄く速い」
カフェさんの言う通りだ。ナリタブライアンの天性の足腰の強さとバランス感覚は、悪路を物ともせずコーナーで重心を下げて遠心力を小さくしてロスを減らす。さらに姿勢を低くして前に行く力を生み、あの驚異的な末脚が使えた。
「こいつは単純に強いんだよ。弱点とか無いのかなぁ」
何度もレースを見返して弱点が無いか探っていると、ちょっと気になる点を見つけた。
函館ジュニア戦の、ゲート前のナリタブライアンの耳がしきりに動いたり、耳を前に倒して塞いでいる。他の走者も何人か似たような耳の動きをしていた。
レースが始まっても周囲を気にしたり、時々尻尾が跳ね上がる時もある。
何でかなーと持って、繰り返し映像を見続けると、はっと気づいた。
「雷鳴ってるな。落ちた音が煩くて集中しきれないのか」
もう一回耳が動く場面と雷の音のタイミングが重っているのを確認した。雷が苦手かは分からないが、少なくとも煩くてレース中も集中しきれていない。負けたのはこれが理由か?
弱点と言えなくもないモノを見つけたはいいが、レース当日に都合よく雷雨が降ってくれるとは限らないしなあ。
「でも何もしないよりはやっておくべきかなー」
「雷を呼ぶのは……無理だと思いますよ」
「ダメ元でやってみよう。ちょっと行ってきます」
俺は必要なモノを揃えるために校舎に向かった。
―――目的の物は半分も手に入らなかったが仕方がない。
今度はプールで練習している他のメンバーに会いに行く。
「ん、アパオシャか。コーストレーニングはどうした?」
「ちょっと休憩と対策を考えてた。フクキタさーん!ちょっと良いですか」
「はいはい。何ですか」
水着のフクキタさんが俺の側に来たから、ポケットから出した封筒を差し出す。
「これあげますから、雨乞いして皐月賞の日に雨を降らしてください。フクキタさんは巫女さんだから、儀式だって出来ますよね」
「えぇ~。いやでも、私は実家でそういう儀式は教えられてないんですけど。それにこの中身は……ちょ、お金じゃないですか!」
「だってタダでやってもらおうなんて、虫の良い事は言いませんって。それにお供え物だって必要じゃないですか。それはとりあえずの支度金二十万で、上手く行ったらさらに追加で払いますからお願いします」
フクキタさんに渡したのは俺のレースの賞金の一部。学園の事務で頼んで少し降ろしてもらった。ただ、本当は百万円ぐらい欲しかったけど、理由を言っても許可は下りなかった。レースに必要な経費と頼み込んで、粘った末に何とか二十万円は引き出せた。本当に雨が降れば、後で残りの八十万を出す約束も取り付けた。
「お前何考えてるんだ。フクが神社の娘でも雨は降らせられないぞ」
「やれることは全部やっておきたいんだよ!ナリタブライアンに勝つには天候も味方につけないとダメだ」
「―――――アパオシャ」
「なんだよトレーナー」
「今日はもう練習するな。一日休んで頭をスッキリさせろ。これはトレーナー命令だ」
「なぁっ!俺は真面目に考えてるの!」
「真面目に考えた答えが神頼みだから休めって言ってるんだ。お前は今、思うように結果が出ずに迷走してるんだよ!とにかく今日は筋トレも走るのも無し!返事っ!!」
「……分かったよ。今日はここまでにする」
くっそー!何だってんだよ。
髭にトレーニング禁止を言い渡されてから、昼飯を食って学園内をフラフラしている。
休めと言われたけど、遊びに行くわけにもいかず、ともかく時間を潰すために歩き回ると、いつの間にか≪リギル≫が練習してるコースに来ていた。
芝のコースでナリタブライアンが走ってる。並走するエルコンドルパサー先輩とグラスワンダー先輩を、コーナーの立ち上がりから追い抜いてそのままゴール。
大外から抜いてもスピードが落ちず、ぐんぐん加速する脚の強さは過去のレース以上の切れ味だ。
「厄介だよ。また末脚のキレが増してる」
何か弱い部分は無いかな。
何度も何度もナリタブライアンの走りを見て、皐月賞を走っているのを脳内で再現し続けて、結局は勝てなかった。
「――――――聞こえているか。君の事だよアパオシャ―――――」
「……あぁ?誰だ……ビワハヤヒデさん?」
「ふう。やっと気づいてくれたか。無視されていたら少し傷付いたよ」
「あーすみません。考え事をし過ぎて聞こえてませんでした」
素直に頭を下げる。買い物袋を持った先輩のビワハヤヒデさんは冗談だと言って薄く笑う。
「うちの妹を見ていたのか。君も皐月賞を走るなら、偵察ぐらいは当然かな」
「そんなところです。正直、中距離で勝てる見込みは相当薄いですよ」
「……ふむ。少し話をしようか」
ビワハヤヒデさんは近くの桜の木の下のベンチに腰掛ける。俺もそれに続いた。
先輩は袋からバナナを出して俺に一本渡し、自分も一本食べる。
「バナナはいい。ビタミンとミネラル、食物繊維が豊富で、脳の栄養になる糖分を多く含む。疲れている時は食べるべきだ」
「先輩から見て俺は疲れていますか?」
「誰が見ても疲れているよ。トレーニングはあまり詰め込み過ぎても、却って身体に悪い」
やっぱりそうか。髭が休めって言ったのも、時には休むことも必要だからか。
なんでビワハヤヒデ先輩がわざわざバナナを持っているのかは謎だが。俺がバナナを一本食べている間に、先輩はもう三本食べ終わってた。
「姉としては嬉しくもある。妹に本気で勝つ気でレースをしてくれる君に礼を言いたい」
「?レースをするなら相手が誰でも勝つつもりで走るのでは?」
「少なくともトレセンに来る前に妹と走った子は、みんな勝つ事を諦めたよ。ブライアンが強すぎるから」
先輩は困ったような、寂しいような、少し誇らしげに口にする。
幼稚園の遊び、小学校の体育の授業、幼年レースクラブ。それら全てで、ナリタブライアンが強すぎて誰も勝てなかった。
強い子が居ると聞いて幾つもの幼年クラブを渡り歩いたが、みんな才能の差を痛感して走る事すら拒否する始末。
相手が見つからず、走る事を辞める事すら考えていた時に、最後に辿り着いたのが姉のビワハヤヒデさんが居る中央トレセン学園だった。
「入学した妹はそれなりに満足してたよ。学園トップの≪リギル≫には、年上とはいえ自分より速いウマ娘ばかりだった。―――それに君が居たからね」
「俺が?…あぁ一度模擬レースしてました」
「距離が長かったとはいえ、同学年に一対一の真っ向勝負で負けたんだ。あの時のブライアンはここ数年で一番喜んでたよ。妹は常に強い相手と走り、競い合う事を求めている。その相手が現れた事が何よりも嬉しかったのさ」
「もしかして競う相手が強ければ強い程、ナリタブライアンは強くなるんですか?」
「そう思ってくれて差し支えない。私の分析でもアパオシャ、君は適性こそ違えど妹に匹敵する才能がある。その上、距離適性の不利を分かってなお競って勝つ気もある。頼もしい後輩がいて、私も嬉しいよ」
好きであんな怪物と同年に生まれたわけじゃないんだぞ。それでもG1に勝てば億単位の賞金が手に入るから、勝つ気で走るがよぉ。
しかし怪物は昔から怪物かよ。あぁ、でも昔からナリタブライアンを知ってる姉なら何か攻略の糸口になりそうな情報を持ってるかもしれない。話を続ける価値はある。
「先輩、あなたの妹は昔から負けん気が強くて、隣で誰か走ってる方が速かった?」
「ある程度大きくなった頃はそうだったよ。でも、おかしな話だが、今はあんな感じのぶっきらぼうだが、小さかった時はずっと臆病でな。自分の影がオバケのように見えて怖くて泣いていた時期もあったんだぞ。クククッ、あのブライアンがだ」
「じゃあ雷も怖かったとか?」
「雷はあまり怖がっていなかったが、うるさいから嫌いだったな」
ふむ、雷は決定打にならないか。精々が集中力を少し乱すだけか。こりゃ雨乞いした所で勝率が数%上がる程度だったな。
俺や先輩達との並走で薄々気付いていたが、ナリタブライアンの末脚の強さは、誰かと競うほどに速さを増す負けん気というのも確証が得られた。これは大きい。
それと相手が弱かったり途中でやる気を失くすと、妹は一気に走る気を失くして負ける……というより走る事を放棄してしまう事があって幼年クラブのトレーナーが困ってた、という話も聞けた。
俺みたいに楽に勝てて賞金貰えれば喜ぶって性格じゃないな。
「さて、これで勝つ目が少しは出てきたかな?」
「んー多少は。分かってて教えてくれたんですか」
「姉として妹が喜ぶのを見たかったからな。君がこれからもブライアンのライバルであって欲しいのさ」
「シニアになったら俺は長距離に逃げますからね」
「その時は一年だけだが、私がお相手しよう。これでも菊花賞ウマ娘だ」
はた迷惑な姉妹だな。けど、勝つ方針は少し定まった。
「話を聞けて、色々参考になりました。バナナもご馳走さま」
「何か悩んだらバナナを食べて、気分を落ち着けるといい。では、クラシック三冠を楽しみにしているよ」
ビワハヤヒデさんは去った。あの人結局ここでバナナを五本は食ってたぞ。どんだけバナナ好きなんだよ。
でもおかげで助かった。今の俺ではこれ以上速く走れないが、≪怪 物≫ナリタブライアンに勝つ方法は見つかった。―――――正気でやるような策じゃないけどな。
翌日。髭は俺がやけに機嫌が良いのを不思議に思ったが、迷いが無くなったのを喜びいつも通りのトレーニングを許可した。