宝塚記念が終わり、まだまだ蒸し暑い梅雨が続く七月に入った。
今年の宝塚記念はグラスワンダー先輩、シャルさん、ビワハヤヒデさん、ナリタタイシンさん、スイープトウショウさん、カワカミプリンセスさん、パーマーさん、そしてうちのフクキタさんが出走したシニア期の大混戦だった。
熾烈を極めたレースの末に宝塚の優勝をもぎ取ったのは、アタマ一つ差でビワハヤヒデさんだった。フクキタさんは着外の八着に沈んだ。
このレースの後からフクキタさんは、時々物思いにふけるようになったり、急にテンションが高くなった――――いや、テンションは元から高いか。
ともかく練習をしていても、ちょっと調子が悪いような時がある。ただ、本人が何も言わないから、俺達も話してくれるまで待つ事にした。
夏休みまであと十日に迫ったある日の放課後。今日も今日とてトレーニングと言いたいが、残念ながら今日は学園の設備の予約が全て埋まっているので、部室でレースの研究をしたり、追試のための勉強をしている。追試の勉強はフクキタさんとバクシさんの二人だけだが。
新しく入ったマヤノトップガン―――――長いから俺はガンちゃんと呼んでる―――――も成績優秀者だ。時々数学の数式をすっ飛ばして解答だけ書いて減点を受けてるが、基本的に回答の間違いは少ない。こういう所が良くも悪くも天才肌なんだろう。
レースの勉強の休憩中に、俺はレースカレンダーをパラパラとめくって、これからの予定をあれこれ考える。クラシック三冠の最後≪菊花賞≫までは、あと三ヵ月はある。それまでに一回二回はレースをしておきたいと思って、ちょうどいいレースを探している。
クイーンちゃんも六月からデビュー戦を走れるが、本人の希望で慌てず、少し鍛えてから万全にしてのメイクデビューを希望している。
そのクイーンちゃんとダンのおかげで、去年と同じように、今年もメジロ家の保養所で合宿をさせてもらう予定だ。
ガンちゃんも北海道の温泉付きの施設で夏休みを丸々過ごせると知って、目をキラキラさせていた。
今年も賑やかで良い夏休みになりそうだ。
「あのアパオシャさん……次のレース決まりましたか?もし決まってなかったら、私と重賞レースを走りませんか?」
「フクキタさんと一緒にですか?」
「私はタキオンさんやカフェさんとレースをした事があっても、チームの後輩と走った事が無かったので。今年シニア三年目ですし、一緒に走れる機会があるうちに、アパオシャさんと走りたいんです」
よく考えたら俺はもうクラシックだから、先輩達のようなシニアと混じってレースをする時期に来ていた。練習でいつも一緒に走ってるけど、公式の場で競い合うライバルになる事もあるんだったな。
これも胸を借りる良い経験の一つだろう。
「良いですよ。フクキタさんとなら距離の適性も合いますし、俺もチームの先輩後輩対決はやってみたい」
「でしたら、八月の札幌記念を走りましょう!去年は私、負けちゃいましたからリベンジマッチです」
「俺だって負けませんって」
「むむむ、何という素晴らしい光景……アルダンさん!私も後輩とレースがしたいですっ!!今度マイルで勝負しましょう!」
「そのお誘いお受けしますバクシンオーさん。でしたら来年、お互いにシニアに上がってから走りませんか?」
「約束ですよっ!!これぞ模範的な先輩後輩の付き合い方ですっ!!」
「チームメンバー対決か……まあ、時にはそれもアリか」
髭トレーナーがちょっと悩んだ後に了承した。
日本のレースはレースはあくまで個人の戦いとみなして、互いに全力でぶつかる事が善しとされる。同じチーム内で勝ち負けが生まれるから、なるべくトレーナーが避ける傾向があっても、本人達が希望すればたまに見かける。
一方で海外では同じチームメイトにラビットというペースメーカーや、妨害要員を使ってチームメイトを勝たせるような戦術的なプレイも日常的に行われる。
カフェさんもフランスで、そうした行為を実際に目にしており、文化の違いを見せつけられた気分だったらしい。
断っておくが、同レース出走が違反でもないし、直接選手に危害を加えるような妨害でもなければペナルティは無い。
フランスで思い出したが≪リギル≫のエルコンドルパサー先輩は今、フランスでレースしてたな。五月にはマイルG1を二着、今月初めにフランス版宝塚記念と称されるG1サンクルー大賞を勝ち、日本レース界を驚かせた。これはいよいよ凱旋門賞の勝利を日本にと、URAはメディアを使って盛り上げていた。
去年のカフェさんも盛り上がったが、今年こそはという執念が伝わってくる。もはや日本の凱旋門賞への想いは呪いに近いよ。
ここで言っても仕方が無いか。フランスは一旦置き、来月のフクキタさんとの対決を楽しみにした。
□□□□□□□□□□
十日なんてあっという間だ。チーム≪フォーチュン≫は夏の終業式を済ませて、現在東京の空港で搭乗手続きを待っていた。今年で二回目となると楽なものだ。
「マヤちん、これからテイクオーフ!」
一番年下の子は元気で良いね。なんでもガンちゃんの父さんは民間飛行機のパイロットで、親の職場にたまに遊びに行って飛行機の事を覚えたらしい。流石に運転はさせてもらえなかったけど、一緒に飛行機に乗って交信に使う色々な飛行機用語は自然と覚えたとかなんとか。
どんな紙でも紙飛行機にして飛ばせると豪語したから、試しにコーヒーショップでコーヒーを買った時に貰った柔らかい紙を渡したら、結構飛ぶ飛行機を作ってくれた。すげえ特技だ。俺もレース以外で何か特技を覚えてみようかな。
「それにしても、まさかマヤがタキオンさんと契約するとは思わなかったよ」
「怖いもの知らずなのが羨ましいわ」
向かいの席でライアンちゃんとドーベルちゃんが、パーマーさんと一緒に『うぇいうぇい』言ってるガンちゃんを見て苦笑いしてる。
メジロの三人も今年は俺達と一緒に北海道の保養所に行く。トレーナーも一緒だ。
パーマーさんとドーベルちゃんのトレーナーは年配の女性で、そろそろ引退を考えている年だったが、ドーベルちゃんを見て、最後の仕事として彼女を育てる事を決めたそうだ。
ライアンちゃんのトレーナーは四十歳過ぎの男性で、今までの教え子に重賞を勝った人は一人だけだが、全員を大きな怪我も無く無事に育てられた事を誇りにするトレーナーと聞いている。他人事ながら初のG1ウマ娘がライアンちゃんだったら良いなぁと思った。
「おーい。そろそろ搭乗時間だ。行くぞー」
髭に呼ばれて、俺達は飛行機に乗った。
そしてあっという間に北海道に着き、メジロ家の迎えのバスで保養所へと送られた。