居心地の良かった北海道のメジロの保養所から、学園に戻ってきて既に一週間。東京の項垂れる暑さに辟易しながら学校生活を過ごしていた。
トレセンに来てからもう三度目の夏休みになるが、毎回長い休みになると周囲のみんなが一回り成長したように見える。
休み中ひたすら練習に明け暮れた子もいれば、レースを走り勝ち負けに拘らず、大きく成長したような子も居る。
そしていよいよ上級生達と混じってレースをする時期に来て、さらなる力を得ようと一つの催しがトレーナー達の提案で始まった。
今日の放課後は通常の練習を取りやめにして、俺は何人かの同級生たちと一緒に学園のレース場に集まった。
それに制服姿の生徒達や、どこからか今日の事を聞きつけた記者やらカメラマンがスタンドに集まって、ちょっとしたお祭り騒ぎになってる。あっ、またゴールドシップさんが食べ物売ってる。今度はアメリカンドッグとドーナツのセットか。
これだけギャラリーが居て、ウマ娘がレース場に集まってやる事なんて一つしかない。トレーナー主導のクラシック期限定ウマ娘の模擬レースだ。
しかも出走条件は最低でも重賞に一回は入賞経験がある事という、ほぼ俺達の学年の上澄みが一堂に集まる、注目度の高いレースになった。学園内の模擬レースなのにメディアが寄ってくるのも分かる。
参加者は主だったメンバーに俺、ダン、ゴルシー、ビジン、センジ、イクノディクタスさん、ナイスネイチャ、ハッピーミーク、ナリタブライアンなどなど。
距離はスタンダードにマイルと中距離の芝を想定。片方走るだけでも良いし、両方出ても構わない。俺はマイルは苦手だから中距離限定だけど、半分くらいの参加者は両方走るみたいだ。
今はマイルレースをやっている。やはり頭一つ抜けているのはナリタブライアンか。日本ダービーから、また一つ二つが速さと力強さを増している。まったく、参るな。おっと今はルドルフ会長は側に居ないな。
「なにキョロキョロしてんのよ?」
隣に座ってたナイスネイチャが不審に思って話しかけた。この子も今日の中距離に参加する。
「いやあ、ルドルフ会長が居たら『ブライアンがマイルを走ったら周りは強すぎて≪参る≫な、って言いそうだと思って」
「ぶっふぉ!!ちょ、マイルを走ったら『参る』って……くくくお腹苦しぃ」
えぇ。何でそれで笑えるの?ナイスネイチャはお笑いのハードルが低いのかな。
これでこの子も六月の鳴尾記念と八月の小倉記念、G3を二つ勝利している。同期の中でも二十番以内に入る有望なウマ娘として世間で認知されてる。
なのに本人の自己評価は結構低くて、変に卑屈なんだよ。G1に勝てなきゃウマ娘にあらずとか、理想が高すぎるのかもしれない。
「それで笑えんのはアンタだけだしぃ。マジうけるー」
後ろの席で足の爪の手入れをしていたセンジが、今も笑ってるナイスネイチャに呆れてる。
センジは今まで酷い爪割れの治療で走れなかったが、夏休み明けにようやく医者からレースの許可が出た。半年ぶりの復帰レースは来週のOP戦を予定して、今日のレースで調整する。
「あーあ、いま下で走ってるアイツらマジやべえぇわ。シチーもユキノもめっちゃ速くなってんじゃん。何なの、あれでアタシとタメなんですけどー」
―――ふむ、現状の力量差は分かってるみたいだな。半年のブランクの大きさを正確に把握して、悔しそうに顔を歪めている。才能は一流でも、怪我で練習出来なかった期間で置いてきぼりにされて、どうやって取り戻すかな。そこらへんは友達のトレーナーに期待しよう。
怪我と言えば離れた所で、ダンと一緒に見学しているクラチヨさんもか。オークスで骨折したのがまだ治っていない。ルームメイトのダンは何も言ってなかったが、あの顔では最後のティアラに間に合わないかな。もっと悪いと今年いっぱいは無理かもしれない。
俺は頑丈な身体を親から貰って心底良かった。どれだけ才能が有ったり足が速くても、怪我ばかりで走れなかったら意味が無い。
おかげで八月に札幌で走ってから、また今月下旬にG2オールカマーを走れる。その次はいよいよ菊花賞が見えてきた。
ナリタブライアンとハッピーミークは今月にG2セントライト記念を、ゴルシーはG2神戸新聞杯をやはり今月に、ビジンはG2ローズステークス出走と聞いてる。ダンの奴は直接、秋天皇賞を出走すると言ってた。
そういえばハッピーミークは七月のジャパンダートダービーを優勝してたな。あの子、ホント走る環境を選ばない唯一無二のウマ娘だよ。
「ナリタブライアンも菊花賞を走るんだろうな。ゴルシーはどうだろう?ビジンは最後のティアラを取りに行くと思うが」
「……ネイチャさんも菊花賞は走るけど、正直勝てませんわーアハハ」
「アタシは走りたいけど、トレーニング時間が取れないからトレーナーに止められて、アルなんとか杯を走る事になったしぃ」
「アルゼンチン共和国杯な。シニアも参加するG2長距離レースだから、手強いぞ」
「ふん!やってやんよぉ!!アパオシャも菊花賞勝ちなよ!」
言われずとも勝つよ。
さて、レースの方は順当にナリタブライアンが勝ったか。二着がビジン、三着はイクノディクタスさん。あの人も何気に強いな。
三十分の休憩を挟んで、次が中距離レースだ。
俺達も下に降りてウォーミングアップを始めた。
中距離の模擬レースは非公式と思えないほどに盛り上がった。勝ったのはナリタブライアン。ほぼ同時にゴールを抜けて判定が難しかったが、体勢がちょい有利だったから俺がハナ差で二着になった。模擬レースだからこれぐらい緩くても構わない。
元より俺はレースに勝つより、本番のレースに備えて調整や勝負勘を刺激しておくために走るのが目的で、満足いく結果なんだから何も言う事は無い。
「よう、二回目のレースお疲れ」
「ちっ、2000メートルならアンタに余裕で勝っておきたかった」
ナリタブライアンは納得いかないと顔と態度に出てた。日本ダービーで俺にしてやられてから、前にも増して俺への対抗心が強くなってる。
たまに≪リギル≫のトレーニングを見る事があるが、最近はスタミナ向上のプールトレーニングを重点的にしていたり、3000メートルのコースで本番さながらの並走を先輩達と繰り返していた。明らかに菊花賞への準備をしている。
同じ寮のグラスワンダー先輩が話してたが、俺とナリタブライアンがクラシック三冠を一つずつ勝った状態だから、最後の一つを獲って、どちらが強いか納得したいらしい。俺はどちらでも良いと思うんだけど、それを言っても納得してくれそうもないか。
「ははは、やっぱり二人とも強いねえ」
「ネイチャも三着なんですから、十分強いですよ」
「二バ身も離されての三着じゃ、強いなんて実感湧かないよ、イクノディクタス」
レースの展開はナイスネイチャの言う通りだ。三着以下は大体似たような差で一緒にゴールしてる。それだけ参加した連中の実力が伯仲していると言えるし、その中で俺とナリタブライアンの実力が頭一つ飛び出ている証拠でもある。
「どんな強い奴でもレース中にミスの一つはするもんだぞ。それで負けることだって珍しくない」
「相手のミスを望むようなレースしてたら、強い人にはいつまでたっても勝てないって」
ナイスネイチャの言ってる事は大体正しい。俺が日本ダービーでやったように、自分で積極的に動いてレース展開をコントロールして相手のミスを作るなら、実力が劣っても勝つ目はある。そうでないならただ、口を開けて親鳥が餌を放り込んでくれるのを待つ雛鳥と変わらない。
こいつはどうするつもりかな。このまま地道に鍛え続けて勝ったり負けたりを繰り返すのか、それとも何か俺達が思いつかない手段で勝ちを目指すのか。
どちらにせよこれからはちょっと警戒して見てた方が良いかもしれない。
模擬レースの収穫は沢山あり、満足だった。