年始行事が立て込んでいた一月が終わり、二月になっていた。
今日は節分で、学園でも豆まきのイベントが行われたり、昼食には恵方巻きが出て、無言で太巻きを頬張る奇妙な光景が食堂でそこかしこに見られた。同時に、悪戯心を刺激された一部の生徒が、友達をどうにか喋らせようと苦心するシーンもたびたび見られた。
刺激のあるイベントは、レースとトレーニング漬けのトレセン学生の心の潤いだから、ほどほどに楽しみつつ次なるレースへの糧とした。
その次のレースは今月中旬に東京レース場で行われる、G3ダイヤモンドステークス。芝3400メートルという、やや変則的な長距離レースだ。今のところ俺以外に出走願いを届け出ている有力選手は居ない。おかげで≪領域≫の調整にはもってこいのレースになる。
しかし日本の長距離レースは少なくて困る。G2クラスならそこそこあっても、G1となると春の天皇賞と有馬記念しか無い。カフェさんも結構苦労してたし、俺も同じ苦労をしそうだ。
ただ、それについては一つ考えがあるから良いんだけど。
その考えについて意見を聞いておきたいから、練習が終わってから髭とオンさんの使っているトレーナー室に来ていた。
「それで、アパオシャは今後のレースについての相談だったな」
「ああ。今月のダイヤモンドステークスは順当に勝てるから、『春の天皇賞』以降の話になる」
「ふぅむ。些か気が早いようにも思えるが、今の君なら勝つ事もそう難しくはない。先を見据えるのも悪くはないね」
オンさんに淹れてもらった紅茶を一口飲んで気を落ち着ける。カフェさんによく淹れてもらうコーヒーとは、また違った風味だが美味しい。油断しているといつの間にか七色発光するお茶になるから油断は出来ないがな。時には紅茶の匂いなのにラーメン味だったり、ニンニクみたいな味がするんだから、どうやって作ってるのかすごく気になる。口に出したら実験に付き合わされるから、絶対言わないけど。
「春の天皇賞が終わったら、一度海外で走ろうと思うんだ」
「そうか、お前も海外を視野に入れるようになったか。多分違うと思うが、凱旋門賞を目指すのか?」
「いや、長距離レースを考えてる。凱旋門賞は俺じゃ無理だろ」
適性が近いカフェさんが三着、海外の芝に対応出来たパワーに優れるエルコンドルパサー先輩でさえ二着が限界だった。中距離適性の一枚劣る俺では、走る前から結果は見えている。
「うーん、クラシック二冠獲ったお前なら学園も反対しないと思うが、ちなみにどのレースを希望するんだ?」
俺は図書館で色々拾ってきた資料のコピーを二人に見せる。
二人とも、少々難しい顔をしてる。希望するレースの難しさを分かっているから、この反応もやむなしだ。
「――――――お前、これ本気で勝つつもりだな?とりあえず挑戦とか軽い気持ちなら俺は許可しないぞ」
「当たり前じゃないか。俺は常に勝つつもりでレースを走ってるぞ」
「クッフッフ!いいじゃないかトレーナーく~ん。今のアパオシャくんなら厳しいが、まだ時間はある。これから鍛えれば、十分勝算はある」
「……分かった、学園側には俺が話を伝えておく。ただし、春の天皇賞で優勝とまで言わないが、最低三着までに入って学園を納得させられる結果を示せ」
「見くびるなよ。俺は優勝するつもりだぞ」
「分かった、お前を信じよう。やれやれ、また海外とはな」
口では不満そうにしてても、口元がつり上がってるぞ。あんただってカフェさんの時の悔しさを忘れてないんだから、また挑戦するチャンスと思ってるんだろう。
オンさんも早速タブレットからデータを引っ張り出して、何かを始めている。何だかんだでこの人もカフェさんを勝たせてあげられず、骨折して実質引退に追い込んでしまったのを気にしていたのは知ってる。走るレースは違えど再挑戦が出来ると思うと力が入るんだろう。
「じゃあ、明日も練習頑張るよ」
邪魔しちゃ悪いから、トレーナー室から早々に引き上げた。
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バレンタインデーも通り過ぎた、二週間後の土曜日。今日は隣の東京レース場で出走予定のダイヤモンドステークスが開催される。
移動時間を加味しても、午後二時以降に学園を出れば十分間に合うから、朝から疲労を残さない程度にトレーニングをして本番に備えた。
昼食も学園の食堂で食べておく。今日は友達も各自トレーニングをしてたり、休日で出かけてるから久しぶりに一人の食事だ。
「アパオシャ先ぱ~い。一緒に食べて良いですか?」
「んー、ウオッカちゃんと、カレットちゃんウオーちゃんに、もう一人はライスシャワーちゃんか。遠慮しなくて良いぞ」
ジャージ姿の≪スピカ≫の下級生達四人が俺と同じテーブルに付く。それぞれの食事を見ると、一番年下のライスシャワーが他の子の倍の量を持ってた。なかなかの健啖家だな。
「先輩は今日は隣でG3レースですね。頑張ってください」
「ありがとカレットちゃん。君ら三人も調子いいみたいだな。カレットちゃんはOP戦勝って、ウオッカちゃんは阪神ジュベナイルフィリーズ勝って、ウオーちゃんは三戦三勝」
「へへっありがとうございます!」
「当然じゃん!ボクはカイチョーみたいに無敗でクラシック三冠獲るんだからねー」
「アタシだってトリプルティアラ目指してますから!ウオッカにだって負けないわよ!」
「いいぜー!俺が受けて立ってやるよ!」
仲良き事は良き哉。こうやって切磋琢磨する友達やチームメイトが居ると強くなりやすい。隣のライスシャワーちゃんにはそういう子が居るのかな。
一気に騒がしくなった、普段と違う昼食もなかなか良い。
話す話題はレースの事が多いが、ゴルシーの事もそれなりに上がる。四人とも悪く言ってないから、慕われているな。G1二冠でモデルをしつつ、後輩の面倒見も良い。多少朝が弱い事を除けば、頼れる先輩だもの。
思い出したがゴルシーの奴は都合の良いモデル人形を辞めたいから、ウマ娘としてレースに勝って『人形じゃない事』を証明したかったと言ってたな。
「―――なあ、妙な事聞くけど、みんなはどうしてレースの道に入ったんだ?」
「アタシはママが凄いウマ娘で憧れてます。私が着けてるティアラもママがG1で勝った証明なんです。だから私も一番綺麗で凄いウマ娘になりたいからです!」
「へん!俺が一番すげーカッコイイウマ娘になるから、お前は二番だぜ!レースじゃ負けないからな!」
「なんですってー!見てなさいよ!」
なるほど。この二人が友達なのがよく分かる。どっちもレースで勝って凄いウマ娘になった『証明』が欲しいのか。
ちらりとウオーちゃんの方を見る。
「ボク?ボクはねえ、クラシック二冠獲った時のかっこいいカイチョーを見て、憧れて、同じ場所に立ちたいって思ったんだー。そのためには無敗でクラシック三冠を勝つ!それがボクの走る理由」
「それは随分と困難な道を歩くんだな。それだけの才能はあると思うが」
「ふふん!才能だけじゃないもんねー。努力して運もあるから出来るんだよー」
運は分からないが、努力は本人の言う通りだろう。今までの戦績から努力の跡は簡単に見て取られる。
「そうだな、悪かったよ。ウオーちゃんは努力してる才能ある子だ。あとはライスシャワーちゃんか」
「う、うん。ライスはね、レースに勝って、キラキラ輝くところを、レースを見てくれる人に見せたいから走るんだ」
「へえキラキラか。うちのガンちゃんも似たような事を言うんだ。まあ、うちの子は自分がワクワクして楽しみたいからレースしてるけど」
確かに俺達ウマ娘のレースとウイニングライブは、世界が誇る一大興行として多くの人に輝きと夢、それに希望を見せている。
そうした輝きの一つになりたいというウマ娘はとても多い。ありきたりだが、良い『証明』だと思う。
「みんな、色々な理由を抱いてレースを走ってるんだなぁ」
「アパオシャ先輩だって、何か特別な理由とかあるからレースを走ってるんじゃないですか?そうでなかったらクラシック二冠だって取れないですよ」
「俺かー。俺、レースは優勝賞金目当てで走ってるぞ」
「えっマジで?」
「俺達ウマ娘は食費が人よりかかるから、金はあれば困る物じゃないからな。走る事も好きだから、レースやトレーニングに不満は無いけど、君達や周りのように強烈な動機ってのは今まで持った事が無い」
四人がポカンとした。そりゃそうだ。金目当てで走るウマ娘はたまにいるけど、大抵はそこそこのクラスで落ち着いて、重賞勝利まではいかない。稀にタマモクロスさんみたいに実家が経済的に困窮して、何が何でも金を欲しいという強烈な動機の子もいるけど、俺はそこまで金に貪欲でもない。
厳密に言えば、生きてく上で金は必要になる。だからせっかくウマ娘として生まれたんだから、効率的に稼ぎたいという程度の理由でレースをしているに過ぎない。
「それで滅茶苦茶強いのも、ちょっと普通じゃないわね。しかも先輩って名門とかの生まれじゃないんでしょ?」
「ああ、親戚に一人もウマ娘居ないし、四~五代遡らないとウマ娘は居ないぞ。そのウマ娘だってたぶんレース経験ゼロだし」
ウマ娘は両親が人でも生まれてくる。ただ、母がウマ娘でレースに強いウマ娘だった場合、その子や親族のウマ娘は、同じように強くなる傾向が強いという統計は昔から存在している。
メジロ家やシンボリ家、サトノ家などがそうした著名な名門である。そういえばフクキタさんの姉もすごく強いウマ娘だったと、本人が言ってたな。強い血統というのは確かにある。
そこにきて俺みたいな全く関わりの無いウマ娘がG1勝者になるケースも少数あるものの、レアな部類になるだろう。
カレットちゃんが言ってるのはそういう理由があるからだ。
「ただなー、どうも最近になって金以外でレースをする理由が俺にもあるように思えてきた。で、君達にも動機を聞いてみたんだよ」
きっかけは正月のオグリキャップ先輩との模擬レース。あの人とのレースで≪領域≫に入る感覚は掴めた。そして先輩の話から推測すると、走る事で何かを『証明』したいという己の意思が≪領域≫への条件。なら、まずはそれを知る事。ただの同居者への怒りでは不安定なままだ。
「それでアパオシャさんはライス達の話を聞いて、理由が何か分かったの?」
「全然。やっぱり話聞くだけじゃ、心やココに響く物じゃない。レースしないと分からん。みんな、ゴメンな」
胸に手を当てても鼓動はそのまま。オグリキャップ先輩とのレースのように、体中の血液が沸騰するような熱さにはならない。
手間を掛けさせた後輩達に頭を下げる。ほんとどうしようかな。
昼食を終えて後輩達と別れて、軽く運動してから東京レース場に向かう。
いつものようにゼッケンを貰って、3400メートルのレースを走って勝った。
≪領域≫には入れて、レースもレコードを更新したが、どうにも納得いかなかった。勝った喜びはあれど、同居人のケツを見せられたまま走るのは、やはり気に食わない。
レースが終わってから、トレーナーに相談した。
「『春の天皇賞』前に、もう一度レースして調整したい」
「なら、来月の『阪神大賞典』を走るか。たぶんスペシャルウィークやナリタブライアンも出るぞ」
「いいよ。強い奴と走った方が得られるモノも多いはず」
なかなか上手くいかないなあ。