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桜が散り、四月も末になる頃。中央トレセン学園に入学してから、そろそろ一ヵ月が経つ。
俺を含めた新入生も、慣れない新環境に順応し始めて、トレーニングの合間の学生生活を満喫していた。
トレーニングの方は順調すぎるぐらいに上手く行っている。走行中の技術的な部分は現役最高峰のカフェさんとオンさんから存分に吸収した。
スタートの技術を最も重要視する短距離逃げを専門にするバクシ先輩から学んだ。
フクキタ先輩には終盤、後方から一気にスパートをかけて追い抜く、驚異的な末脚と仕掛けるタイミングをレース型式で何度も繰り返し教えられた。
その合間に髭トレーナーからは、中距離に必要なスピードとパワーを身に付ける筋力トレーニングを課せられた。
ウマ娘特有の圧倒的なスピードを生むには筋力が不可欠。レース中、集団に囲まれた場合に抜け出すには力でこじ開ける事も多いので、やはりパワーを求められる。
俺やカフェさんのような長距離走者は豊富なスタミナが必須だが、同時に高い走破性を支えるパワーと、速く走るスピードもバランスよく要求されるものだ。スタミナ一つで相手をすり潰すようなゴリ押しは格下には通じても、同格以上の相手には有効打にはならない。
毎日限界まで鍛えて体力を出し切り、疲れ果てて眠り、起きてはトレーニング。この一ヵ月はその繰り返しだ。他の年頃のウマ娘なら時には街で遊びたいと思うかもしれないが、俺はそうした欲が希薄なおかげで、修行僧のような生活にもストレスをあまり感じない。
あまり、というのがミソである。多少なりとも精神的な疲労はある。しかしそういう時はカフェさんが気を遣ってくれて、コーヒーを淹れてくれた。トレーナーからはケーキやプリンの差し入れもある。おかげで程よくストレスを抜く事が出来た。
それと、もう一つストレスを解消する手段がある。
「………あー美味い肉だ」
美味い肉をたらふく食う事だ。今日の食堂の昼食は中華フェアだったので、青椒肉絲と回鍋肉を大盛にした。辛めで濃い味付けの料理が白米と一緒にすっと体に入ってくる。特に俺のような成長期の欠食児童に肉とお米はスイーツ以上の大正義だ。
「気持ちは分かるけどさ、ちょっとは女の子らしくしなよ」
隣で焼売を頬張るゴルシーに窘められる。でも美味しい肉を前にして外面は勝てないぞ。
「いいじゃないか。ゴルシーも口では何のかんの言っても身体は正直。求めているんだろ、肉を」
「紛らわしい事を言わないっしょ!」
「ははっ」
ゴルシーの白くて染み一つ無い綺麗な顔が赤く染まる。綺麗と言うと不機嫌になるから口には出さないが、こうやって少しつつくと反応が面白い。
それでも遊ぶだけだと怒るから、俺の回鍋肉を一口分ゴルシーの口にねじ込んでやった。
無理矢理入れられたキャベツと豚肉を咀嚼するたびに、怒りは散って悔しそうに「美味しい」と渋々認めた。それはそうだ。パリパリのキャベツと適度に脂を落とした豚肉の旨味を香ばしい辛味が包み込む、一流の料理人の仕事が下手なわけがない。
それでも一方的は面白くないのか、意趣返しとばかりに今度はゴルシーが熱々の麻婆豆腐をレンゲに掬って強引に俺の口に突っ込んだ。
あっつ!!とろみがあるから全然冷めてない!その上、山椒が辛い!
それでも吐き出せず、我慢して飲み込んだ。でも美味い。
「どう?美味いっしょ」
「ああ、美味い。……青椒肉絲も食べる?」
頷いたから、同じように食べさせた。こちらも甘辛のタレが苦味のあるピーマンと絡み合って美味と、ゴルシーも太鼓判を押す。
なぜか周りから悲鳴が上がる。それもやたら嬉しそうな声がだ。なんでだ?
そんなこんなで周りが煩かったが、食べ終えてからニンジンジュースを飲んでいる。
「ところでゴルシーは≪スピカ≫の方はどうなんだ?」
「うーん。良いチームと思うけど、変わった人が多いかなぁ」
頬をかいて誤魔化すような仕草に、もっと過激な言葉を発したいと思っている本心が見え隠れしている。
実際チーム≪スピカ≫は最年長?のゴールドシップさんが変人の極みにいるから、学園屈指の変人チームと思われている。あと沖野というトレーナーが、噂ではやたらとウマ娘の足を触って悦に入っていると聞いた事がある。だからうち≪フォーチュン≫程ではないが、生徒全体から敬遠されている空気があった。
チームメンバーのサイレンススズカ先輩はシニア級重賞ウマ娘として実績もあり、一応奇行の類は聞いた事が無い。ウンスカ先輩の友達のスペシャルウィーク先輩も良い先輩と聞いている。
「…でも嫌じゃないかな。トレーナーは放任気味だけど、アタシがモデルやってるのも認めて、専用のトレーニングプラン組んでくれるし。先輩達も気にかけてくれるもの」
不器用に笑うゴルシーの顔を見れば、嘘はついてないのは分かる。だから周りから言われているほど、変なチームではないと思う。ただし、ゴールドシップ先輩の妹扱いにはちょっと困ってるらしい。
「なら、次の模擬レースは勝てそうか?」
「うーん、少しは力が付いたけど、まだちょっと自信無いかなー。アンタはどうなの?」
「俺は出ないぞ。フクキタさんが春天皇賞に出るから、応援で宝塚に行く。土産は何が良い?」
「お菓子なら何でもいいっしょ。じゃ、お互いマイペースにがんばろ」
空になった食器を一緒に返却口に返して、それぞれの教室に戻った。
そして随分後に知った事だったが、どうやら一部の生徒達から俺とゴルシーがカップル扱いを受けていた。それも美女と野獣扱いでだ。
マジふざけんな。
一週間後。チーム≪フォーチュン≫は新幹線で大阪まで移動した。トレーナー曰く、当日移動は何が起きるか分からないので、関東から外の場合は前日に出来るだけレース場近くのホテルに入っておくのが基本らしい。
在来線を乗り継いで、ようやく宝塚駅で降りて、今は徒歩で最寄りのホテルに向かっている。時刻はそろそろ夕方だった。
大阪に来てから電車の乗り継ぎの度に人だかりが出来て驚くが、先輩達にとってはこれが普通だとか。
俺以外はメディア露出した一流のアスリートばかりだから当然と言えば当然なのだろう。それに中央トレセンの制服を着ていれば嫌でも目立つ。
「私服は着ないのか?」
「お前達は学生なんだから人目につく時は規律を守った方が良いぞ。それにウマ娘は目立つから私服でも気付かれるし、後から服のセンスをあーだこーだ言われるよりは制服の方が面倒が少ない」
髭に言われて納得。俺達の本分はアスリートでも、ウイニングライブを踊って歌うから、ある種の芸能人として扱われる。芸能は常に流行の最先端を走るので、ファッションも無駄に評価対象になる。
レースで着る勝負服は専門のデザイナーさんが用意してくれるから、とやかく言われても平気だが、私服は当然自前になる。今までのように適当なシャツとジーンズはダメかなぁ。
先輩達かゴルシーを参考にするか、一緒に買い物に行って買った方が良いかも。
「浮かない顔してますが、アパオシャさんは乗り物酔いですか?」
「それはいけないねぇ。せっかくだから私の開発した酔い覚ましの薬を飲みたまえ」
「酔ってないから大丈夫です。フクキタさんこそ体調は良さそうですか?」
「勿論です!今日は中吉を引きましたし、明日はきっと大吉を超える超吉です!シラオキさまが見守ってくれています」
未だにシラオキさまとやらはよく分からないし、理由はともかくフクキタさんがポジティブなのは良い事だ。
「トレーナーさーん!私も来年は春の天皇賞を走りたいですっ!」
「じゃあいつかはヴィクトリアマイルと安田記念を走ろうか。どっちも1600メートルだから、合わせて勝てば3200メートル。春の天皇賞と同じ価値があるぞ」
「おおっ!!確かにそうですねっ!私はやってやりますよ~!!バックシーンっ!!」
騙されてる騙されてるって。バクシ先輩が長距離を走りたがってるのはよく知ってるけど、これは大丈夫なのか心配になる。
バクシ先輩、将来悪い奴に騙されないと良いけど。
「……懐かしいです……フクキタルさんも勝ってくださいね」
「分かりました!カフェさんに続いて春の天皇賞を連覇してみせますね!!」
昨年の覇者の先輩から激励を貰い、フクキタさんも気合十分だ。これなら優勝も期待出来る。
そんなこんなでわちゃわちゃ女子学生らしく、姦しい集団は騒がしく歩き、予約したホテルに着いた。
ホテルは街によくあるビジネスホテルだ。割と新しいから綺麗で、サービスも充実している。あと髭はチェックインを済ませる時に、明日の朝に六人分のタクシーの手配をしていた。
「じゃあ部屋割りは渡したプリント通りだから、夕食までは各自休んで疲れを取っておくんだぞ。じゃあ後でロビーに集合だ」
カードキーを渡されてそれぞれの割り振られた部屋に入る。
俺はオンさんとバクシさんとの三人部屋だ。ビジネスホテルらしく最低限の設備だけ置いた簡素な部屋でも、遊びに来たわけじゃないから不満は無い。
主役のフクキタさんは経験者でメンタルケアを務めるカフェさんと同室、トレーナーは男だから当然一人部屋だ。
それから言われた通り、三人で軽いストレッチをして移動で固まった体をほぐしておく。
時間になり、ロビーで全員集合して、ホテル近くのチェーン店のファミレスで食事をとった。
チームのレース前は大体こんな感じらしい。練習通りのパフォーマンスを発揮させるのが目的で、出来るだけ日常と同じように過ごす事を重視するのだと。
そういうわけで食事をした後は観光などもせず、まっすぐホテルに戻って、明日のレースの入念なチェックを全員で行い、早めに寝た。
俺は自分がレースに出るわけでもないのに緊張して、遅くまで眠る事が出来なかった。