変な新入生のアドマイヤジャパンの『ジャン』が≪フォーチュン≫に仮加入してから、二週間ほどが経った。
ジャンは変な子なりにチームに馴染んでいた。元々図太いというかお調子者で人懐っこい性格だから、みんなからしょうがない子だと思われつつ、何かと世話を焼かれる末っ子体質な所がある。それだけでなく、雑用とかも率先して動くから、結構可愛がられる子だ。多分計算でやってるんじゃなくて、天然なんだと思う。
だって面白そうだからと言って、オンさんが調合した新薬を躊躇いもせずに飲んで七色発光するんだから、この前の迷子の件といいアホの子なのは確かだ。
それでも素質もまずまずあるから、G1はどうか分からないが、重賞勝利は確実に出来るだろうと髭トレーナーとオンさんは予想している。
まだ仮契約は解いていないが、そのうち髭と本契約して正式に≪フォーチュン≫のメンバーになると思われる。
新人がアホな事をやってる間にも雨模様の東京レース場で、マイルG1のヴィクトリアマイルが開かれた。うちからはダンとバクシさんが出て、ビジンやハッピーミーク他、多くのシニアが参加する見た目には華やかなレースになった。
実際は貪欲に勝ちを求める猛獣の喰らい合いに等しいが、それを含めての美しさと言われれば肯定しよう。意志の強さには美しさも宿るのだから。
その祭典の勝者は、足に儚さを宿したまま走り続けるメジロアルダン。昨年のNHKマイルから一年遠ざかったG1の栄冠を久しぶりに手にした。
先輩のバクシさんは惜しくも二着。二月の中山記念でもダンに負けて、同チーム対決はマイルで二敗を重ねている。
それでも二人は楽しそうだ。負けるのは悔しいだろうが、同じチームでG1を走れる喜びは勝負とはまた別と二人は言っていた。
俺もフクキタさんと一緒に走った時は負けても楽しかったから、その気持ちは分かってるつもりだ。早ければ俺も今年中にクイーンちゃんと勝負出来るから、結構楽しみにしている。
なおレースの三着はハッピーミーク、四着がビジンだった。
外目には気丈に振舞ってるがビジンもまだG1一勝だから、友達の俺達にはそろそろもう一勝が欲しいと時々呟く事があるのは知っている。アスリートが勝ちたいと思うのは本能だよ。
終わった話はここまでにしよう。俺達はまだまだシニア一年目。走る機会はこれからもたくさんある。
俺も次のレースの準備に入らないといけない。
そういうわけで、俺は今日、学園の大会議室でテーブルを挟んで五十人は集まった記者達を前にしている。
何をしているかと言ったら、予定していた次のレース発表の会見だ。ただの発表に大仰と思うかもしれないが、学園にとっても俺の価値はかなり高まっているから、それなりに場を整える必要があった。
今まで海外遠征をするとだけ情報を出して、それっきりお預け状態を食らったマスコミが大挙して押し寄せたのを見れば、世間も俺の動向を気にしているのは確かだろう。すでに紙切れ一枚の通達では収まらない。
学園側で会見に出席したのは、チビッ子理事長で親しまれる秋川理事長、生徒会長シンボリルドルフ、当事者の俺とトレーナーの髭。それに司会進行役の駿川秘書。
当事者以外の顔ぶれで、既にただ事ではないと記者達は感じた。これはいよいよ凱旋門賞挑戦かと期待が高まる。
「えー、本日は御足労頂きありがとうございます。これから日本ウマ娘トレーニングセンター学園による会見を始めさせて頂きます」
司会の秘書さんが厳かに挨拶した後、チビッ子理事長が今日の会見の趣旨を述べる。
要は俺の海外遠征について。記者達も分かっているが、緊張から唾を飲み込む者も多い。
「発表!我が学園の生徒、アパオシャの行き先はイギリス!そして、出走するレースは―――六月開催アスコットレース場のゴールドカップ!既に開催者への出走手続きは進んでいる」
一瞬記者達はポカンと口を開けたまま呆ける。その数秒後にはシャッターを切る音や、ざわつきで一気に喧騒になる。
イギリスのゴールドカップと言えば、日本ではロイヤルアスコットと呼ばれる、イギリスレースの祭典の一つを担う、ヨーロッパレース界で最も長い歴史と長い距離のG1レースだ。フランスのカドラン賞芝4000メートルと同等の、約4000メートルの超長距離レースとして、先月行われた春天皇賞のモデルにもなっている。
近年は世界トップ100レースからは外れてしまったが、未だその格式は世界随一と言われている。何しろ主催者がイギリス王室ともなると、出走するウマ娘への栄誉は計り知れない。
レースにはイギリスだけでなく、アイルランドやドイツといったヨーロッパ中から一流のステイヤーが集まる、ヨーロッパの最強ステイヤーウマ娘を決める祭典に等しい。
「悲願!かつて二十年以上前に日本のウマ娘が挑み、悔しい想いをした。その挽回の機会が巡ってきた!アパオシャなら、必ず勝ってくれると信じて、我々は彼女を遠い地に送り出す!」
理事長の魂の慟哭に記者達は気圧された。二十年前とは、過去に一度同じようにトレセンが春天皇賞優勝ウマ娘を送った事があったらしい。彼女の名前はイングランディーレ。残念ながら彼女はゴールドカップを九着で失意のまま帰国。ほどなく左足の屈腱炎を発症して、長期療養の末に引退を余儀なくされた。
今回はその悲しみと悔しさを返上する機会として、トレセン学園も俺の希望を了承した。まあ、そんな過去の話は俺には関係無いのだが。
「ウマ娘レース発祥の地であるイギリスは、私達にとって憧憬を持つ地。そこにアパオシャも足跡を残せると私は信じています」
ルドルフ会長が力強く宣言した。
この人も機会があれば、きっとヨーロッパの地を自分で走りたかったんだろう。それをひた隠しにして後輩達を見守り続けているんだから、大した人だよ。
それから記者達の質問に移った。全員が一斉に手を上げて、適当な人を駿川さんが当てる。
「ゴールドカップ出走は、アパオシャさん本人が希望したんですか!?」
「そうです。去年の菊花賞が終わってから、ちょこちょこ情報は集めていました」
次の記者の質問が飛ぶ。
「なぜゴールドカップを選んだんでしょうか。何か特別な理由があるんですか?」
「単純に春天皇賞が終わって、国内に大きな長距離レースが無く、時期と適性距離が合致したからです。俺は長い距離ほど優位を取れますから」
不満があるとすれば、賞金額が日本のG1の半額以下で安いって事だ。ヨーロッパのレースは名誉が第一で、興行と見なされないから仕方ないけど。
「ヨーロッパのレース環境は日本とかなり異なりますが、それでも勝つ自信があると思っていいですか?」
「勿論ですよ。チームメイトの言葉を借りるなら、『常に自分に都合の良い環境で走れるわけでない。それでも勝利を目指さない理由にはならない』ですかね。俺はいつでも勝つつもりで走ってます」
ちょっと≪領域≫に入る要領で気を強めると記者達が息を呑む。野暮な事聞くなよ。
隣のルドルフ会長がなんか良い笑顔してるな。この人も当然『出来る』から、頼もしい後輩と思う程度なんだろう。
駿川さんが咳払いをした。やめろって事かな。秘書さんも強い。
気を取り直して、質問が再開する。
「アパオシャさんはゴールドカップ以外に予定しているレースはありますか?」
「七月末のG1グッドウッドカップ芝3200メートルも、ゴールドカップの出来栄え次第で走るつもりです。レース間隔は一ヵ月ですから、疲労の心配はありません」
こちらはイギリスウマ娘レース統括機構、通称BRAの主催するレースになる。格で言えばこちらの方が下なんだが、賞金額は上なんだ。どっちにせよ日本のよりずっと安いが。
「ではこの両方のレースに勝った場合。アパオシャさんの名はヨーロッパに響き渡りますね。その後も海外挑戦は続けられますか?」
「出来れば11月のオーストラリアのメルボルンカップも出たいです」
こちらも記者達に強い反応があった。やはり3200メートルの長距離レースだが、海外G1に日本のウマ娘が挑むのは、それだけで大きな話題になる。
さらに別の記者が――
「年末の有マ記念を走る予定はありますか?」
「有マ記念は走ると思います。去年ナリタブライアンが一緒に走りたかったみたいですから」
大体こんな感じで記者会見は進み、大きな滞りは無く進んだ。一部の記者はフランスフランス煩かったけど、何がそこまで連中をフランスの凱旋門賞に駆り立てるんだ。
URAの一部も未だにフランスでの勝利を求めてるみたいだけど、凱旋門賞はそんなにお宝なのかねえ。世界を見たらドバイやアメリカだって決して見劣りはしないのに。
むしろウマ娘レース発祥のイギリスG1レースの方が、余程格式と名誉が得られると思うんだけどなあ。特にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスとか。
その辺りの生臭い話は、俺に関わりの無い事だ。俺はただレースを走るだけ。だから準備は可能な限りしておきたい。
今年のゴールドカップの開催は約一ヵ月後の六月二十一日。現地には来月初めに行くから、準備はあと半月しかない。
そしてグッドウッドカップは七月末だから、二ヵ月近くイギリスに留まるんだ。必要な物を出来るだけ用意しておかないと。海外戦の経験のあるオンさんとカフェさんに、色々話を聞いておいて助かった。
まず休日に大型スーパーで好みの味噌と醤油、七味唐辛子や山椒、カレー粉に出汁粉を沢山買っておく。オンさんはあまり気にしなかったが、カフェさんは日本食がたまに恋しくなる時があったらしい。でもフランスに日本食を食べられる店は中々無いか、パチモンばかりでウンザリしたとも。
だから俺は前もって日本の調味料を持ち込むつもりだ。最悪向こうで自分で作ればいい。レシピは母さんから教えてもらってるし、味噌汁みたいな基本的な料理ぐらいは自分で何とかなる。
それ以外にもコーヒーや紅茶はあっても、緑茶は見かけなかったから、一応茶葉と抹茶を用意する。
口にする物はとりあえず揃えた。
あとは石鹸やシャンプーなんかも拘りがあると、持ち込んだ方が良いらしいが、そちらは俺はあまり気にしないから平気だ。
そういえば海外は電源の規格が違うから、スマホの充電器も互換性のある機器を使わないとダメって聞いたな。
服だって厳格な決まりがあるからドレスコートもきっちりしないと。今までは学園の制服と勝負服で何とかなったけど、今回ばかりはパーティーにも出席するから、ドレスも用意しないといけない。
今回のために、前もって学園を通してドレスの発注をしてある。こういう時に先例があると非常に助かる。俺はヒラヒラしたスカートは苦手だけど、この際我慢しよう。
一応未成年だし、あんまりとやかく言われないのが救いかな。
まったく、やる事が多い。それもこれも国内に長距離G1レースが少ないからだ。日本でもっと長距離レースが流行ればわざわざ外国まで行かなくてもよかったのに。
でも、これでもダートよりはマシだからなあ。長距離は国内で人気の有マ記念と春天皇賞があるし、G2ぐらいでバンバン走れるだけ恵まれている。俺も中距離はそこそこ走れるから、いざとなったらそちらを走ってもいい。
おっと下を見ても仕方がない。今は慣れない土地でのレースを万全に走れるように全力で準備を進めるとしよう。
それと、イギリスにはオンさんが一緒に来てくれることになった。髭が行くと言ったが、同じウマ娘で機微が分かるトレーナーという意味では、オンさんの方が長期遠征には適している。それに敢えて言わなかったが、二ヵ月も海外となるとカフェさんが髭が居なくて寂しがると気を利かせた部分もある。
既に学園を卒業しても、二人には今も強固な友情の絆があると分かって、ちょっと羨ましいと思った。