夏休みが終わり、月が変わってもまだまだ暑さが衰えない九月の末週。
トレセン生には休みなど関係無しに、日曜日の早朝から練習が始まっている。
俺も夜明け前から起きて、練習コースに集まって朝食前にひと汗かいていた。
「バクシンバクシーン!!私は次のレースも勝ちますよー!!」
バクシさんが朝からハイテンションでスタートダッシュの練習を繰り返し、俺も隣で付き合い続けている。
こんな日曜の朝でも、うちの先輩は気合十分だ。何しろ来週はスプリンターズステークスが控えている。クラシックから走り続けた四度目にして、前人未到の三連覇が掛かったレースなのだから、気合が余る事は無かろう。
次のレースに勝てばバクシさんの名は、日本レース史上に燦然と輝き続けるだろう。チームの後輩としてこれほど嬉しい事は無い。
俺のレース技術の一部はこの人から学んだと言っていい。特に『逃げ』の技術はバクシさんと走る事で培われた。その恩返しが少しでも出来るなら、早朝トレーニングに付き合う事など苦ではない。
都合百本ほどダッシュをして朝食の時間になったから一旦休憩を入れた。
シャワーを浴びてバクシさんと向かいで朝ご飯を食べる。早朝から練習をして、この後もハードトレーニングが控えているから、いつも以上にガツガツ食べて栄養補給をしておく。
後から起きてきた寮生の子達が俺達に挨拶する。後輩たちがバクシさんに寮長の敬称を付けると何とも言えない気分になる。
向かいの先輩も短距離オンリーながらG1を三度勝って、マイルG1も度々入賞を果たしている偉大な先輩で、寮のトップだからな。誇らしい気もするし、普段の言動も知っていると、人事でもくすぐったさを覚える。
「おはようございますバクシンオー先輩、アパオシャさん」
俺の横の席に、山盛りのご飯を持ったビジンが座る。ジャージに石鹸の匂いを纏っているから、朝飯前に朝練をしてたようだ。
彼女も再来週には故郷の盛岡レース場で、G1マイルチャンピオンシップ南部杯を走る。三年ぶりの故郷に錦を飾るために、いつになく気合が入っていた。
「おはようビジン。気合十分だな」
「ほにほに。ふるさとの皆にあたしの今の姿を見せてぇンだぁ。おしょすい(恥ずかしい)姿は見せねぇ」
「良いですねっ!遠くにいる家族や知り合いの人達に立派になった姿を見せたいユキノさんを、私は力の限り応援しますよー!!バクシーン!!」
「ありがとがんす~」
そして後から起きて来たダンと一緒に朝食をガッツリ食べて練習に備えた。
午前中もチーム≪フォーチュン≫の半数が黙々とトレーニングに励む。
トレセンに残っているのは俺とバクシさんとダンの三人だ。後のメンバーとトレーナー二人は中京レース場にいる。
今日はガンちゃんのメイクデビューレースと、クイーンちゃんの走るG2神戸新聞杯が開かれる。フクキタさんとジャンはその応援だ。
特にクイーンちゃんは来月の菊花賞のトライアルレースだから、是非とも勝って帰って来てもらいたい。
暑くなり始めた頃合いに、一度水分補給の時間を入れる。
「後で休憩中に、二人のレースを見ようか」
「そうですね。レース場まで行けない分、マックイーンやマヤノさんの応援をして励ましましょう」
「二人ならきっと勝って帰ってきます!そしてマックイーンさんは菊花賞も勝ちますっ!!」
バクシさんの勝利宣言に俺とダンは頷いた。
足を骨折したウオーちゃんは、まだ本格的な練習に入っていない。この時期で足が完治してなければ、菊花賞は絶望的だろう。そのせいか、うちのクイーンちゃんが来月の菊花賞最有力に推されている。
まったくもって世間は見る目が無い。例えウオーちゃんが怪我をせず、万全の状態だろうとクイーンちゃんの勝利は揺るがない。今年のクラシック最強はうちの後輩だって日本中に教えてやれ。
「うちのクイーンちゃんは強い!ウオーちゃんが居ないから菊花賞に勝てたなんて寝言が言えないぐらい圧倒的なレースになる!そうだよなっ!!」
「アパオシャさんの言う通りです。あの子はメジロ家で誰よりも強い子ですから」
俺達も負けていられないぞ。気合を入れ直して三人で練習に打ち込んだ。
昼前になったら早めの昼食にして、部室のテレビにタブレット端末を取り付ける。東京で地方のデビューレースなんてテレビ放送しないから、ネットの生配信をテレビに流して見れるようにした。
「あとどれぐらいですか?」
「五分ぐらいかな。パドックのお披露目はもう終わってるはず」
いやあ後輩の晴れ舞台はドキドキするねえ。
解説の人が出走する子を読み上げている。デビュー戦は前情報も無いから、あんまり話す事も無いらしい。
そしてカメラがターフに出た十人を映し出した。
「おぉ!ガンちゃんだ!」
「頑張ってくださいねマヤノさん」
「大丈夫ですよアルダンさん。マヤさんは勝ちます。何故なら私達の後輩だからです!」
理由になってないバクシさんの確信的な言葉を俺達は否定しない。みんなそう思ってるからだ。
時間になり、十人の新人がゲートに入る。
全員がバラバラにゲートから出た。ガンちゃんはちょっと出遅れ気味だが今日は2000メートルだから大丈夫だろう。
序盤に三番手で様子を窺っている。今日は先行で行く気か。
先頭に近いからカメラもよくガンちゃんを映している。顔は結構楽しそうだ。
「楽しそうに走ってるから、大丈夫かな」
「そうですね。マヤノさんはワクワクするレースなら絶対勝てますよ」
後輩に絶対の信頼を置くダンが確信めいた予告をする。俺もそれに異を唱えない。
レースは順位の入れ替わりの激しい乱戦に突入する。逃げを選んだ先頭の子はペース配分を崩して最終コーナーで、ズルズルと脚色が衰えてガンちゃんが二番に繰り上がる。
最終コーナーを抜けた所でガンちゃんがペースを上げて先頭に立った。同時に後団も次々ペースを上げていく。
「いけいけ、このまま先頭を譲るな!」
「バクシン、バクシンですよマヤノさん!」
残り400メートルの直線を快調に飛ばしていき、最後の坂道でも後続を寄せ付けず、そのままの脚色でゴール板を駆け抜けた。
「よーし!やったなダン!!」
「はい。マヤノさんならきっと勝てると思ってました」
三人でハイタッチして喜びを分かち合った。
着差は一バ身半か。初戦で緊張を感じさせない余裕の勝利だな。
その後はお待ちかねのウイニングライブ。キラキラした笑顔で観客を魅了して、初のライブは盛り上がった。
後輩のデビューが無事に終わって安心したら練習再開だ。
まだまだ暑い昼の練習にもへこたれず、三人で1200メートルの模擬レースを繰り返して汗を流した。俺が一番ドベだけどな。
午後三時になったら今日の練習はおしまい。後片付けをしてから再び部室のテレビの前に座る。今度は今日のメインイベント、神戸新聞杯が始まる。
流石にメインレースになると視聴者のカウントも一気に増えた。
画面の脇に人気順が張り出されて、クイーンちゃんが堂々の一位に輝いている。
そしてパドックに出走する体操着姿のクラシック期の子達が姿を見せる。クイーンちゃんも名門に恥じない優雅な足取りで観客に応えた。
「頑張ってくださいね、マックイーン」
十六人のウマ娘達がコースに出る。流石にG2ともなると全員が落ち着いて、やる気に満ちていた。
2200メートルのレース。去年はゴルシーが勝ち、うちのチームではフクキタさんが勝利した。それ以前にもビワハヤヒデさんやゴールドシップさんがこのレースを勝ち抜いて、勢いのままに菊花賞ウマ娘へと駆け上がった。
そこにクイーンちゃんも仲間入りすると信じている。
ファンファーレが鳴り響き、走者が次々とゲートへ入る。
――――――――ゲートが開き、各人が一斉に飛び出した。
最初の直線でクイーンちゃんは先団に位置取った。そのまま5~6番手で最初のコーナーへと入り、一定のペースを保ったままレースを進める。
「タイムはまずまず。位置取りも良い。今のところは順調だ」
コーナーが終わり、向こう正面の長い直線に入る。そこでもクイーンちゃんはペースを変えずに先団五番手を維持し続けた。
いつもの練習通り、慌てず落ち着き、いつもの通り堅実に走り続ける。本当に練習風景を見ているような淡々とした走りだ。だからこそ、周囲との違いが明確に露になっている。
王道、あるいは横綱相撲というのか。奇抜な事をせず、ただ力の差を見せつけるように、普通に走って普通に勝つレースをしている。
第三コーナーに入ってもそれは変わらず、平静なままジリジリと周囲に圧力をかけて状況を動かしていた。
クイーンちゃんより前の走者は、いつ抜かれるか過敏に後ろを警戒して、後ろの走者は壁のようにあり続ける彼女に苛立ちを覚える。
ただそこにいるだけでプレッシャーを与え続けるのだから厭らしいことだ。
そして最終コーナーを曲がり終えて、最終直線へと差し掛かる。
まだクイーンちゃんは動かない。後ろは焦れて次々に末脚を利かせた加速を始め、先頭集団は逃げの一手。
動いたのは登坂の直前だった。それまでに温存したスタミナで一気にトップスピードに乗って力任せに登坂を走り切って先頭を奪い取り、そのまま後続を置き去りにしたまま猛然とゴール板を走り抜いた。
僅かな時間でレースを支配しての鮮やかな勝利に、会場のマックイーンコールが鳴りやまない。
「レベルが違うってのはこういう事か」
ウオーちゃんクラスが居ないレースで負ける事は無い。当たり前に走って当たり前に勝つ。しかもまだ余力を残しての堂々一着。
「流石ですねマックイーン」
「これで来週に私が勝って、チームで三連勝と行きましょう!やってやりますよー!!」
この後にクイーンちゃんのウイニングライブを見て、部室の戸締りをして寮に戻った。
翌日、帰って来たクイーンちゃん達にお祝いの言葉を贈って、お菓子とジュースで乾杯した。本格的な祝勝会は来週のバクシさんのレースが終わってからになる。