バクシさんが史上初の三連覇を成し遂げた、スプリンターズステークスから三日が経った。
世間では今もバクシさんの話題で持ち切りだ。まだ誰も到達していない偉業は話題性も高く、マスコミも視聴率や部数が稼げるとあって、盛んにバクシさんを持ち上げて宣伝している。
それ自体は特に気にするものじゃない。罵倒、罵声とは無縁で、賞賛なら幾ら受けても困る物じゃない。俺とて先輩が祝福されるのは見ていて気分も良い。
持ち上げ過ぎて、当人が慢心し過ぎて弱くなったら困るけど、バクシさんに限ってそれは無い。
強いて問題にするなら、どうも菊花賞を前にしても話題に上ってない事が気になった。
毎年今の時期になれば、最後のクラシックを飾るレースの予想をどこのテレビ局でも流しているけど、今月に入ってから全く見ない。
レース雑誌やレース新聞はそれなりの大きさで扱っていても、世間の目は菊花賞には向いていない。
クイーンちゃんを始めとした面々を、粗雑に扱っているように思えて多少不満を感じる。
やはり、二冠達成したウオーちゃんが不在なのが理由か。
昨日、ウオーちゃんは今年いっぱいの休養を正式に発表した。これまで精力的な治療をしていたが、完治は間に合わなかった。辛い決断だったが本人こそが一番辛かっただろう。
来年どうするかは、まだ話が聞こえてこない。でもシニアに上がってきたら、その時は全力で俺かクイーンちゃんがお出迎えしてあげるとしよう。
さて済んだ事は脇に置いて、自分達のトレーニングが優先だ。
俺は来月の初週にオーストラリアのG1メルボルンカップ、クイーンちゃんは今月に菊花賞を控えているから、今日もトレーニングに余念が無い。
ダンも秋天皇賞があるが、今日はちょっと調子が良くないから大事を取って休息を取っている。バクシさんとガンちゃんは、レースが終わったばかりだから休みだ。
そういうわけで今日は、俺とクイーンちゃんと、ジャンの三人で外にランニングに出ている。
ただのランニングなんだが、俺とクイーンちゃんは気が抜けない。何しろ――――――
「あーネコー!待てー!」
「待つのはお前だジャン!」
「またですか!」
手のかかる後輩がいるから、常に気を張り詰めて走らないといけない。
ジャンは猫や犬を見かけたら、無性に追いかけたくなる癖があって、時には車に乗った犬を追いかけてはぐれた事もあった。
そんなわけでこいつとトレーニングする時は、必ず一人にせずに誰かと一緒に行動させていた。
散歩中の猫を追いかけようとしたジャンの首根っこを掴んで、飛び出すのを防いだ。これで今日は三回目だ。
正直こいつと一緒に外にランニングは行きたくないが、今日は学園の設備は全部他の子が使って、外でランニングか筋トレするしかなかった。
最悪腰に紐でも着けて、犬の散歩のようにしようか、そろそろ真剣に検討しようかと考えながらランニングをしていた。
それから気の抜けないランニングを続けて、そろそろ折り返しで学園に帰ろうかと思った時。
「あー、トウカイテイオーさんだー」
「はいはい、トウカイテイオーな…ん?」
駆け出しそうになったジャンの首を掴んだまま、視線の先を追うと、確かにウオーちゃんがセグウェイに乗って、どこかに向かっているのが見えた。
「本当ですわ。どこに行くつもりなんでしょうか」
「気になるなら本人に直接聞いてみようか」
俺はジャンを放して、ウオーちゃんを追いかけて声をかけた。
「アパオシャさんとマックイーン」
「たまたま見かけまして、どちらに行くのか聞いてもよろしいですか?」
「うん、秘密にすることじゃないから良いよ。うちのライスが怪我をして入院してるから、そのお見舞い」
「あの子か。せっかく芙蓉ステークス勝てたのにな」
スプリンターズステークスの前日にあったOP戦を勝って、ウイニングライブが終わった後に痛みに気付いたとゴルシーから聞いている。
「今チームで暇なのはボクだけだからね」
ウオーちゃんは自虐的な笑みを作る。≪スピカ≫は来週ゴルシーが京都大賞典、カレットちゃんとウオッカちゃんは二週間後の秋華賞を予定している。シャル先輩とサイレンススズカさんはその練習相手だ。
それでまだ本格的な練習が出来ないウオーちゃんが代表でお見舞いに行くというわけか。
「じゃあ私達も一緒にお見舞いに行っていいですか?」
おいジャン。俺達はトレーニングの途中だぞ。
ただ、怪我人を見舞うのにトレーニングを理由に撤回も気が咎める。それにジャンのニコニコの笑顔を見ると、強い理由も無いのに断るのは何か良心がチクチク痛むんだよ。
「それはいいけど…あんまり面白い物じゃないからね」
「退屈しているライスシャワーちゃんの気が晴れるなら、少し寄り道してもいいさ」
「ジャンさんが言い出したら仕方が無いですわ」
反対意見は出なかったから、急遽四人で見舞いに行くことになった。
途中、スマホで髭にちょっと寄り道する事を伝えて、見舞いの品にお菓子を購入して病院に着いた。
病室にはライスシャワーちゃんが右足にギブスを着けて本を読んでいる。ウオーちゃんの次に、こちらを見て驚いた。
「やっほーライス。お見舞いに来たよー」
「ちょっと邪魔するよ」
「う、うん。でもどうしてアパオシャさんやマックイーンさんがここに?」
「うちのジャンさんがお見舞いに行きたいと仰って、付き添いで来ました」
「だって、病院って走れないからつまらないでしょ。私達が居たら少しは気晴らしになるかなって」
ジャンの打算とか下心の無い笑顔に、ライスシャワーちゃんが泣き出してしまう。
落ち着いたライスシャワーに、俺達とウオーちゃんからの見舞いの品を渡した。
「こんなにいっぱいのお菓子をありがとう」
「全部一気に食べちゃダメだぞ」
「た、食べないよ!ライスはそんなに我慢弱くないから!」
本当か?普段から結構ご飯をモリモリ食べてるから、病院食じゃ物足りずに間食してるんじゃないの。
それからお茶を淹れて、軽くお菓子を摘まむ。
「――――全治三ヵ月か。順調に治ればクラシックやティアラには間に合うな」
「うん。それまでには治って、レースに出たいな」
ガンちゃんと同年デビューだから、勝ち負けは置いておいて、この子も万全の状態で一緒に走れればいいな。
「ライスはいけない子だよね。せっかく沢山の人が応援してくれたのに、心配させちゃうなんて」
「私達ウマ娘は怪我と切っても切れませんよ。誰しも足に不安を抱えながら走っています。私達だって、いつライスさんのように走れなくなるか分かりませんわ」
「そうだよ。ボクだって足折れちゃって、レース走れないんだもん」
クイーンちゃんとウオーちゃんに窘められて、耳がペタンと萎れた。
二人の言う通り、俺達ウマ娘はいつ足が壊れるか分からないままレースをしている。
オンさん、カフェさん、サイレンススズカさん、ウオーちゃん。レース中に骨折したウマ娘は珍しくない。ダンも気を付けてはいるけど、いつ怪我をするか分からない。
デビューしてから一度も大きな怪我も無しに引退出来たウマ娘が幸運と言われるほど、レースは怪我と隣り合わせの競技だ。
それでも俺達はレースに『何か』を見出して、走る事を止めない。
隣でライスシャワーちゃんの本を読んでいるジャンだって、ちゃんと目的があって走っている。
そのためには怪我を治して万全の状態で走るべきだ。レースで怪我をするのはどうしようもない。
ナリタブライアンが何で身体を痛めたまま、隠して走り続けたのかは知らない。でも、それは間違いだろう。
体が悪いまま走り、勝ったところで次が無くなってしまったら、何の意味も無いと思う。
もっとも、それは俺がとびきり頑丈で、怪我知らずだから言えるんだろうが。
「日本ダービーで無茶なことやった俺が言えた義理じゃないけど、しっかり怪我を治して、また走ればいいんだよ。ライスシャワーちゃんも、ウオーちゃんもだ」
「うん、そうだね。ボクも怪我一つしないのが不思議なぐらい、あそこまで無茶な跳び込みはやらないから」
「ライスも頑張って怪我を治して、クラシック勝つから」
その後は三十分ほど話をして、見舞いは終わった。
帰り道に、ウオーちゃんは俺達に礼を言った。
「みんなありがとうね。ライスも喜んでた」
「えへへ、それほどでも~」
ジャンが褒められて顔がだらしなくなった。どうもこの後輩はお調子者な所があるからな。悪い子じゃないし、天然でも相手を気遣える性格だから、俺もどうこう言わないけど。
しばらく無言で歩いていると、急にセグウェイが停まった。ウオーちゃんが降りて、クイーンちゃんと同じ視線に立つ。
「――――マックイーン。ボクが居ないからって、気の抜けた走りせずに次の菊花賞勝ちなよ」
「勿論勝ちますわ。ですが一つ訂正なさってください」
「何を?」
「例えテイオーが居ても、私は菊花賞を勝ってます」
クイーンちゃん不敵な笑みでウオーちゃんを射抜く。それが何よりも嬉しかったウオーちゃんもまた、悪ガキめいた笑みで迎え撃った。
「ふふん、じゃあさ、来年レースで決着を付けようか。ボクは無敗の三冠バになれなかったけど、無敗のウマ娘にはまだなれるんだから」
「いいでしょう!返り討ちにしてあげますわ」
おーおーいいねー。ライバル同士バチバチやりあって。でも、同世代に競い合えるライバルがいるのは良い事だよ。
俺にとってのライバルは誰だろう?
ゴルシーは友達でレースを一緒に走っても、そういう感じじゃない。
となるとナリタブライアンなんだろうが、何となく奴とは走りたくない気持ちがある。
あるいは俺の頭上を飛んでいる同居者か?……でも何かしっくりこない。アイツとは生まれた時から一緒にいる腐れ縁で、いずれ前を走って負かしてやる相手なだけだ。決してライバルじゃない。
――――そうか、まだ決着がついていないのが一人いる。
「どうしたのアパオシャ先輩?」
「俺にとってのライバルって誰かなーと考えてた」
「アパオシャさんのライバルでしたら、ナリタブライアンさんでは?」
「俺もそう思ったけど、もう一人居たよ。キュプロクスだ」
「その人ってイギリスの―――」
「来年また一緒に走るって約束したからね。次は勝ち越すよ」
「いーなー先輩達は。私のライバルは何処に居るんじゃろー」
「貴女はまだ育成期ですわ。デビューすればすぐに見つかりますとも」
ジャンはののほんとしてるけど、同世代にも強い子が結構多いから苦労するぞ。≪リギル≫のテイエムオペラオーちゃんとかな。
ガンちゃんとライスシャワーちゃんの世代も粒揃い。大きなレースに出続ければ、いずれライバルと呼べる相手が見つかるだろう。
互いに切磋琢磨し合って、自分を高め合うのも時には良い事だろうと最近は思うようになった。
来月のオーストラリアには、そんなウマ娘が居るのかな。少しだけ楽しい気分になった。