僅かだが寒さが緩み始めた二月の末日。寮の部屋で一人、勉強しながら物思いにふける。
同室のウンスカ先輩は居ない。風呂に入っているとか、トイレに居るわけじゃない。
あの人は今月のダイヤモンドステークス後に、骨折していたのが発覚して今は入院している。こちらに戻ってくるのは多分来月になるだろう。
そのダイヤモンドステークスは、ナイスネイチャのチームの後輩のマチカネタンホイザちゃんが勝利した。おまけで俺のレコードを更新して。
ちらりと最近使われていない先輩のベッドと机を見て、思わずため息が出てしまう。
既に脚に衰えの来るシニア三年目、完治まで最低数ヵ月はかかる骨折の後、仮に復調したところでどれだけレースを走れるか。
過酷なレースを走るウマ娘にとって怪我や炎症は珍しくない。昨年も中央トレセンだけで数十人のウマ娘が骨折か炎症で長期療養に入っている。
今年に入ってダンも屈腱炎になった。親しい人が続けて療養リストに入っただけと言えばそれまでなんだろう。でも無関心でいられるほど俺はメンタルが強くない。
「明日はフクキタさんの卒業式だってのに」
チームの先輩がまた一人学園を巣立っていく。明日はそんな悲しくもおめでたい日だ。
そして今年も卒業旅行を計画して準備をしているんだから、湿っぽいのはこれっきりにしようか。
翌日、もう何回目かになる卒業式に参加して、長い間頑張り続けた先輩達を無事に見送った。
今回フクキタさんの他にも、≪スピカ≫のサイレンススズカさん、俺達とも親しいメジロパーマーさん、バクシさんと何度も競ったニシノフラワーさんなどが卒業を迎えた。
サイレンススズカさんは学園の大学部に進学して、ドリームトロフィーリーグも続ける。重度の骨折をしてもなお走り続ける姿には、多くの人が希望を見ている。
メジロパーマーさんはレースは引退しても、大学進学はした。お世辞にもパーマーさんは学に優れているわけじゃないが、メジロ家として大学は出て欲しいと実家から勧められて、進学することになったらしい。
そしてフクキタさんは、先の二人と違い大学には行かず、実家の神社を継ぐために北海道に帰郷する事を選んだ。本人が選んだ進路だから俺達がどうこう言えないけど、ずっと皆で汗を流して苦楽を共にした先輩と会えなくなるのは寂しい。
オンさんのようにトレーナーとして残ったり、カフェさんのようにマメに顔を出してくれるわけじゃない。いずれお別れしないといけないと思うと辛い。
だから、卒業旅行は思いっきり楽しんで思い出を作ろうと、俺達は知恵を絞って一ヵ月も前から計画を練っていた。
今回は卒業式の数日後に弥生賞を控えたガンちゃんのスケジュールを考慮して、レースが終わった翌日の旅行となった。
レースは残念ながらライアンちゃんに負けて二着だった。ガンちゃんは初の負けを非常に悔しがりつつ、本番の皐月賞はもっとキラキラしたいと気持ちを切り替えた。
旅行には学園に戻って来たダンの脚によく効くと評判の温泉宿を選び、ふやけるまで湯に浸かって、遊び、食べ、これまでの思い出を夜遅くまで語り合った。
そうそう、おなじメジロのドーベルちゃんも、前日に行われたチューリップ杯は三着で負けた。卒業したパーマーさんに勝つところを見せてあげたかったとションボリしていたが、桜花賞を勝つところを見せてくれればいいとパーマーさんやトレーナーに慰められて、すぐに立ち直っている。
そこまでなら美しい思い出で終われたはずなんだが、ここからがオチの話である。
高等部を卒業したら生徒は寮から出て行かないといけない。当たり前の話である。
実家に帰るフクキタさんだってその中に入っている。去年もオンさんとカフェさん、それ以外の沢山の卒業生も通った道だ。
一人ではその荷造りも手間がかかると思い、俺とジャンとバクシさんとで朝から手伝いに来た。
ルームメイトで親族のマチカネタンホイザちゃんにも協力してもらって作業を始めた矢先。
「ちょわーーーー」
勢いよく押し入れの扉を開けた瞬間、バクシさんが雪崩を打って出てきたゴミの山に埋まった。
しばらくしてバクシさんがゴミ山から這い出てきて、アタマに刺さっていた小さな旗を剥がして捨てる。
「それは私が子供の頃に頑張ったご褒美に食べさせてもらったお子様ランチの旗ですね。いやー懐かしい」
色々ツッコミたい衝動を抑えて、ゴミの一つを手に取った。何の変哲もない市販のプリンの空の容器だ。それをフクキタさんに見せる。
「それは私が初めてプチっと出せた記念に取っておいたプリンの容器です」
―――――そうか、よく分かった。ただのゴミだな。
俺は無言でそれを持って来たゴミ袋に放り込む。
「ぎゃーーー!!それは私の大事な開運グッズなんですよー!」
「先輩はこんなものに頼らなくても、自力で幸運を掴める人です。だからいらないですよ」
フクキタさんの悲鳴と抗議を無視して、俺はさらに折れた傘、ボロボロのハタキ、ポテチの袋などを選んでゴミ袋に入れた。
絵マやお守りはゴミ扱いはアレだから別で分ける。壊れた人形も同様に、これらは後で神社か寺でお焚き上げして供養してもらおう。
つーか門松なんて個人で持つ物じゃねえよ。鯛の置物といい、限度ってもんを考えてくれ。
「いやー皆さんが来てくれて助かりました。私とフクキタルさんだけじゃ、いつまで経っても終わらなかったです」
マチカネタンホイザちゃんが頭を掻きながら苦笑いする。フクキタさんは開運グッズなどと言うが、実質ゴミの山で同居生活していた苦労が偲ばれる。
先輩は抵抗を諦めて、服や教科書などを整理している。
五人で作業すればスムーズに進み、昼までにはほぼ終わった。
あとはただのゴミは学園の方で処理してもらい、お守りや人形は近くの神社まで持って行って焼いてもらった。
長年持ち続けた開運グッズの最後を見届けて、帰りに商店街を歩いている。
「ふう、なんだか寂しいけど、肩の辺りが軽くなってスッキリした気分です」
福を呼び込むと言っても、集め過ぎたら重いのはある意味当然の話である。
そしてフクキタさんは今日のお礼という事で、俺達に昼食をご馳走してくれることになった。
「このお店の恵比須様天丼は絶品ですよ!おまけに縁起が良いんです!」
「おー大きなエビだー!」
縁起物かどうかは分からないけどジャンが喜んでるし、この天丼もサクサクふわふわで、甘辛いタレとマッチしてとても美味しい。
その後には甘味処で弁財天ぜんざいを堪能した。美味しゅうございました。
腹も満たされて、学園に帰る道中に思い返せば、最初にあった時は騒がしくて癖のある人だと思ったけど良い先輩だったな。
「フクキタさん、実家でも時々で良いから俺達のレースを見てくださいよ」
「私も先輩から教わった事をこれからも大事にしていきます!」
「フクキタルさんの人生というバクシン道はまだまだ続きます!これからも走り続けてください!」
「み、みなさーん!!こんな私でも、素晴らしい後輩達に恵まれた、幸運なウマ娘だったんですね!」
道端で泣きだしたフクキタさんを宥めて学園に戻った。
この時期、こうした別れを告げるウマ娘は数多くいる。中央でOP戦に勝てれば強いウマ娘と評価されるぐらいだ。先輩のようにG1を勝てた人はごく僅か。重賞だってそこまで多くない。
そんなウマ娘ばかりじゃないけど、何年も懸命に努力して走り切れた人達ばかりだ。
だから胸を張って新しい場所へと旅立ってほしいと切に願った。
さらに十日後。阪神レース場で阪神大賞典が開かれた。うちのチームからはクイーンちゃんが昨年勝者のナリタブライアンに挑戦する。
俺は翌週の中山で行われる日経賞に出るから応援には行けないが、同じく皐月賞を控えたガンちゃん、トレーナーのオンさんと部室のテレビで応援していた。
このレースはある意味特別だ。数日後に実家に帰るフクキタさんが見る最後のレースになる。だからクイーンちゃんはいつにもまして勝つつもりだった。相手がナリタブライアンだって関係無い。
熾烈なレースの結果、アタマ差でクイーンちゃんがナリタブライアンを下した。
「頑張ったなクイーンちゃん」
そして恐らくあの子は俺達と同じ場所に立ったはずだ。来月の春の天皇賞、本気で走らないと俺も負けるだろう。
テレビを消して、これまで以上にきついトレーニングを再開した。