天皇賞春の観戦を終えて、月曜日の昼にはトレセン学園に戻り、午後からいつも通り授業を受けて放課後になった。
この時なにかクラスの雰囲気がピリっとしているのに気付いた。土産に買ったクッキーをクラスメートに渡すと、先週まで自主トレに励んでいた数人が、トレーナーの指導を受けると嬉しそうに話してくれた。
そいつらは昨日の選抜レースで良い結果を出してトレーナーと契約を結べた。そして他の連中も負けていられない、次は自分だと気合を入れているから空気に張りがあった。
競い合うのは良い事だ。俺もウカウカしていられないから、今日もトレーニングに励むとしよう。
「アパオシャ。お前は今日から暫く、バクシンオーとレース形式で短距離並走しろ」
「いや、俺短距離苦手なんだけど」
「誰も勝てなんて言ってない。一緒に走れる役がお前しかいないんだ」
髭の命令に反対したが、事情を知って引っ込めた。
バクシさんは今月末に愛知でG3葵ステークスに出走する。その練習相手が俺しか居ないとあらば、拒否は出来ない。
カフェさんも月末に東京でG2目黒記念2500を走るし、オンさんは研究に没頭してトレーニングには出てこないと言い張ってる。フクキタさんは昨日の激戦の疲れがあるから、暫くトレーニングは休みだ。
「ついでだからスタートの練習と逃げ対策を考えながら走れ。欲を言えばピッチ走行も覚えて欲しいが、そっちは後でいい」
この髭は無茶苦茶言うな。だが、距離は違えど逃げの達人のバクシさんから学ぶ事は多い。言う通りに並走の準備に入った。
東京に帰って来た翌日は土産を渡すついでに、ゴルシーと一緒に昼ご飯を食べている。今日のメニューはみんな大好きニンジン&ハンバーグ。食堂は大盛況だ。
二段重ねの肉の塊の真ん中にニンジン一本を丸ごと刺した豪快なハンバーグを、箸で切り崩して食べる快感はここでしか得られない。
「それで昨日からスプリンターに転向してるってわけ?無茶振りされてるわね」
「うちのチームは中~長距離に偏ってるからしょうがないさ。つーか五人居てマイラーが一人もいないのが珍しい」
マイル~中距離が日本のレースの主流の中で、誰もマイルを走れない五人チームは珍しい。しいて言えばバクシ先輩が頑張って走るだろうが、あの人の基本は短距離だ。
ゴルシーのいる≪スピカ≫のマイラーはシニア級のサイレンススズカ先輩が有名だ。驚異的な逃げ脚を活かした、レース開始から絶対に先頭を譲らない走りで重賞勝利を重ねてきたため、密かに≪先頭民族≫の異名を付けられている。まだG1勝利は無いが、今年は何かしらのレースを獲ると期待されている。
「いっそアンタがマイラーになったら?アタシとレースで走れるよ」
「俺にはマイルは短すぎる。中距離なら走れるから、クラシック三冠にしよう」
「いいじゃん!アタシはデビューしたらクラシック三冠バになってやるわ!」
まだデビューもしていない育成期が何を言ってるかと思われるが、俺達ウマ娘はこれぐらい勝気で良いんだよ。しかしゴルシーはティアラを目指すかと思ったら、クラシックを走るのか。何か強い思い入れがあるんだろう。
そんなこんなで二人で先の事をあーだこーだ言い合いながら、並の二倍の量のニンジンハンバーグランチを平らげた。
「ところでゴルシーに相談したい事があるんだけど」
「何よあらたまって?」
「専門的な事は専門の奴に聞くのが一番だからさ。俺に流行りの服とか教えてくれないか」
「アパオシャに?どうしてよ?」
至極当然の疑問に、関西に行った時に思った事を素直に話す。ゴルシーは頷いて納得したみたいだ。
「確かにアタシ達は色々見られる側だから、オシャレの一つもしてないとバカにされるわね」
「俺はあんまり気にならんが、それで先輩達まで色々言われるとむかつくよ」
「オッケー!そういうことなら付き合うわ。えっとースケジュールは―――――」
スマホを出してこれからの予定を調べている。この年でモデルとアスリートをやっていると、俺達以上にスケジュールやスタイルの管理が大変なんだろうと、ゴルシーを見て思ってたら、何か急に良い笑顔になってた。
「じゃあ、今週の土曜日の午後を空けておいてね。お土産ありがと」
ゴルシーは先に食器を持って席を離れた。
なーんか悪い事を企んでる気がするな。頼みごとをするのは早まったかもしれない。
ゴルシーとの買い物の約束は一旦置いて、日々のトレーニングは大変だ。
毎日バクシ先輩との並走はかなり疲れる。適性の合わない短距離で、なるべく競り合うような形のレースにするには、こちらも走り方を変えないとダメだった。
俺の走り方はレース後半までは後方待機して、後ろからレース全体を把握して仕掛け時に加速して、最後に差すか追込む。長距離は間延びする展開になりやすいし、俺は加速に時間がかかるから、距離が長い方が都合が良い。
反面、短距離は加速距離が足りな過ぎて何も出来ないままレースが終わってしまう。昨日はそれで大差の負けばかりだった。
だから思い切って、バクシさんと同じ逃げで、最初からスパートをかけてスピードをガンガン上げて走った。
そんな無茶なスタミナの使い方をしたおかげで競り合うとまでは言えないものの、何とか追従してレースの形になる程度まで差は縮まった。
その分、練習が終わる頃にはクタクタで、ここ数日は風呂に入ったらいつの間にか寝てしまう生活になっている。
学園内は毎週開催されるG1レースの話題で持ち切りでも、話についていく余裕が無くなっていた。
「来週はNHKマイル、次はヴィクトリアマイル、その次はオークス、でもって最後は日本ダービー。うちは誰も出ないから関係無いけどな」
マイラーかクラシック期なら夢見る五月も、≪フォーチュン≫には関わりが大して無かった。
そんなわけで今日も並走練習に励んで、片づけをしてから半分寝ながら寮に帰る。一応、同居者が先導してくれるから危険は無いと思う。
浮遊感のあるフワフワした感触の足を動かしていると、同居者が止まれと意思を伝えて来た。
「アパオシャさんでねえか。大丈夫だべか?」
「あーヤ……ユキノビジンか?お疲れー」
声をかけたのは同じクラスのユキノビジン。確か岩手の盛岡から東京に来たウマ娘。四月の選抜レースでも良い走りをしていて、早速トレーナーと契約していた。クラスであまり話した事は無いが、カフェさんの新しいルームメイトという事で多少知っている。
「よがった~。寝ながら歩いでると思ってたけんど、起きてだんべぇ」
「悪いな。疲れて頭がぼーっとしてる」
「暗い道は危ねぇべ」
そう言ってユキノビジンは俺の手を引っ張って歩く。一緒に寮に戻り、そのまま風呂場に直行だった。
半分寝ながら熱い湯に浸かっていると段々意識が冴えて、風呂から上がる頃には眠気は消えていた。
それからユキノビジンと寮の食堂で一緒に夕食を食べる。
「さっきは助かったよ。先輩と並走でスタミナすっからかんだったから」
「同じウマ娘なンだから気にしねぇでがんす」
いかにも純朴な田舎娘で着飾らない朗らかな笑いは、それだけで好感が持てる。まあ俺も出身は割と田舎なんだが。
食べながら色々な話が出る。都会は何でもあってキラキラしてるとか、料理の味付けに塩気が少ないけど味がついてて不思議とか。
地元の味と言えば、また笠松レース場のどて煮が食いたい。関東の味噌はなんか甘いんだよ。あーあ、赤黒くて濃い味の豆味噌が恋しい。
甘い味噌汁を啜っていると、向かいのユキノビジンが何か聞きたそうに俺を見ている。
「どうした?何か聞きたい事ある?」
「あっ…えっと、アパオシャさんはゴールドシチーさんと友達なんだべ?」
「友達と聞かれたらそうだな。たまに一緒にご飯食べる程度の仲だけど」
「はぇ~あのゴールドシチーさんと仲良しなンて羨ましいべ」
なぜかすごく憧れの目で見られてる?
なんでゴルシーと思って聞いたら、ユキノビジンがトレセンに行く決め手が、友達から見せてもらった雑誌の記事に乗ってた、幼年クラブで走ってるゴルシーの写真とインタビューだった。
キラキラして、カッコいいゴルシーに憧れて、立派な≪シチーガール≫を目指してトレセンに来たと。
「別にあいつは普通なんだから、そんなに憧れなら直接本人と仲良くなればいいだろ」
「あたしがゴールドシチーさんとなンてぇ!そンな夢みてぇな事ぉ……」
同じ年の奴に憧れが過ぎると思うんだけどなぁ。
「……ユキノビジンは今週の土曜日時間ある?」
「土曜日ならトレーニングも入ってねぇですが、どうしたべ?」
「明日また教室で話すわ」
「?」
ちょっとした悪だくみを思いついた。楽しくなって箸が進み、あっという間に夕食を平らげて、まだ疑問符を浮かべるユキノビジンと別れた。
部屋に戻ってからスマホで、相手に連絡を付けてOKを貰った。向こうも乗り気だったのは幸いだ。
ちょっと良い事をしたその日の夜はよく眠れた。