異例尽くしの春の天皇賞が終わり、世間はゴールデンウィークに突入した。
大型連休ともなると観光地は盛況になり、各地でイベントも開催される。普通の人にとっては楽しくとも忙しい。
そんな連休でも働く人の中には、楽しいとは言い辛い職場もある。
俺とクイーンちゃんが訪れた病院も、連休中に働く人達が多い場所だった。
通常の診療は行われていないから閑散としているものの、入院患者の世話と治療は休めないから、連休中でも人の出入りはそれなりにある。
幸い我々は今のところ医者の世話になる必要は無い。誠に運が良くありがたい事である。
それでも病院に来たのは見舞いのためだ。
病院独特の消毒の匂いと辛気臭さに、内心で辟易しながらエレベーターに乗った。
あらかじめ見舞う相手には連絡を入れて、病室の番号も聞いてある。
だから目的の部屋も間違っていない…はず。
しかし、かかっている入院者の札の名前はあまり馴染みが無い。普段見慣れない名前だからしょうがないんだが。
「この部屋で合ってるよなクイーンちゃん」
「ええ、教えられた通り合ってますよ。私達が知っているウマ娘の物と違いますが、本名ですから仕方ありません」
ウマ娘の名と戸籍上の本名は異なる。病院や役所では本名の方が扱われるから、こういう時は結構混乱する。
間違ってたらごめんなさいで済ませればいいか。気軽にノックして、聞き慣れた声の返事なのを確認してから部屋に入る。
「やあ、怪我の具合はどうだ二人とも?」
「おっすー、やることねーからマジ暇だし!アパオシャが見舞いに来てくれて助かったわー」
「テイオーも脚以外は元気そうですね」
「んもー!一言多いぞマックイーン!」
病室のベッドでセンジとウオーちゃんが仲良く並んで寝ていた。センジは右足首に包帯を巻いてて、ウオーちゃんは右足にギブスを着けてても結構元気そうにしている。
「これは見舞いの品な。俺からは焼き菓子の詰め合わせ」
「私は果物のセットです」
「ありがとねー」
怪我人達に渡して、ちらりとテーブルを見ると共に花が活けてあり、開封した贈り物用のお菓子も置いてあった。センジの方には何冊かのファッション誌もある。
前日に≪スピカ≫のメンバーがビジンと共に、二人を見舞っているからその品だろう。
ビジンは今月中頃に、G1ヴィクトリアマイルがあるのに時間を作って見舞っている。友達想いの良い子だよ。
四人部屋の病室を今は三人が使っていて、もう一人は五十歳ぐらいのケガをしたおばさんがいる。あまり煩くしたらダメだな。
とりあえず立ち話もアレだから、椅子に座って俺はセンジを、クイーンちゃんはウオーちゃんに向き合う。
二人は共に数日前の春の天皇賞のライブ後、脚の痛みを訴えて病院に行き、すぐさま入院した。同室なのはそういう理由だ。
センジの方は幸い捻挫だった。念のため歩かないように病院に放り込まれただけで、休み明けには退院予定。練習も今月の中頃には始められる。
深刻なのはウオーちゃんの方だ。昨年の左足骨折に比べれば幸いと言っていいかは分からないが、今度は右足の剥離骨折で全治三ヵ月と診断された。
完治は夏になり、またしても長期休養に、次の人気投票は必ず上位に食い込んで宝塚記念を走ると思っていたファン達は大いに落胆した。
そうは言ってもウマ娘にとって、脚の怪我は切れない縁で結ばれている。これは運が悪かったと思って受け入れるしかない。
「大したものは無いけどさ、ジュースでも飲みなよ」
センジから紙コップに入れたニンジンジュースを貰い、差し入れした品と別の菓子も二人分渡される。
一口サイズのチョコレートをみんなで食べて幸せな気分になる。そしてクイーンちゃんは顔にもっと食べたいと書いてある。
センジがそれを何となく察して、欲しいだけ食べろと箱ごと渡した。
「いえいえ、これだけ全部は頂けませんわ!」
「いや、誰も全部食べろなんて言わねーし。テイオーに聞いたままの子じゃん」
「ニシシ。ねっ、ボクが言った通りでしょジョーダンさん。マックイーンならこう言うって」
ウオーちゃんは悪戯が成功した悪ガキめいて笑い、流石に全部食う発想は無かったとセンジは呆れて、クイーンちゃんは赤面した。
意外にこの二人は仲が良いな。同病相憐れむって言うし、同じレースを走った怪我人同士でシンパシーでもあったのか。
でもこのまま虐めたままなのは可哀そうだから、代わりに二つばかりチョコを貰って、クイーンちゃんにも貰うように促した。
その後は常識的な数を食べながら適当に駄弁る。
「あたしら、このまま休みは病院だけど、二人はレース終わったばっかで連休はどうすんのよ?」
「俺は月末にイギリス行くから、その準備をするよ。あと、明日はテレビ出演あるから。出たくねーけど」
「私もアパオシャさんと一緒の番組の収録があります。それと家の行事がありますから」
「せっかくのレース休みだってのに勿体ねー」
そう言うなよ。俺達にとって休みなんてのは、次のレースのための準備期間でしかないんだぞ。
しかしレースの準備はともかく、注文した新しいドレスの試着とかは面倒くさいから省きたい。
ドレスだって去年と脚以外の体格は殆ど変わってないんだから、使い回せばいいと思うんだけどな。
毎回デザイン変えた物を用意しないと笑いものになるとか、ファッション関係はなんとも面倒臭い。
そしてテレビ出演なんて出来ればしたくないけど、さすがに『八冠』まで獲った以上、ある程度はメディア露出しないといけないのが困る。あー面倒くさい。
「イギリスかー。アパオシャさん、外国のレースってどんな感じ?」
「現地の飯が慣れないと辛い。芝が合わずに調整もミスるとボロ負けする。とりあえず英語喋れれば何とかなる。新しい場所に行くたびに、友達が出来るのは結構気に入ってる」
「そっかー。ねえ、ボクがイギリスのレース走ったら勝てるかな?」
ウオーちゃんの走り方は、柔軟な身体を沈み込ませるように踏み込んでからの、反発を利用した大きなストライド走法。これは爆発的な加速を生み出せる走りだが、同時に骨への負担がかなり大きいように思う。
二回の骨折も多分それが原因なんだろう。この子の最大の持ち味が最大の怪我の要因になってしまうんだから皮肉な話だ。
対して俺の走り方は徹底してフォームを固めて崩さない、柔軟性を捨てたスタミナ特化の走り方。ある意味ウオーちゃんとは対極の走法になる。
「ウオーちゃんなら向こうのG1でも入賞はいけると思う。それに、ヨーロッパの芝は日本のより深く沈むソフトな芝だから、接地した時に力が分散しやすい。ウオーちゃんの走り方は骨に負担がかかるから、ソリッドな日本の芝で走るよりは怪我をしにくいかもしれないな」
「ふーん。じゃあさ、脚を治して秋にアパオシャさんとマックイーンに借りを返したら、ボクも海外挑戦考えてみようかな」
へえ、この前は結構な負け方したのに言うじゃないか。この分なら怪我と負けを引き摺って調子を落とす事は無いか。
「よーし!ボクの今年の目標は、秋のシニアG1『秋天皇賞』『ジャパンカップ』『有マ記念』を勝つことっ!!」
秋のシニア三冠制覇とは大言を吐いたな。その偉業はまだ誰も、シンボリルドルフ会長でさえ成し得ていない。
ルドルフ会長の無敗のクラシック三冠に並ぶのは叶わなかった。無敗のウマ娘も無理だった。それでもなお未踏の難業に自ら挑む、模範的アスリートの姿勢を褒めてやる。
「あら、大きく出ましたわね。ですが最初の秋天皇賞で私が返り討ちにして差し上げますわ」
「じゃあ俺は有マ記念で手加減無しで捻り潰してやるよ」
「えーっと、あたしはジャパンカップ走るからよろー」
あまり関係の無いセンジも流れに乗ってくれた。でもセンジだってG1ウマ娘。舐めてかかったら、ウオーちゃんだってあっさり負ける。
それから四人で一時間ばかりこれからのレースの話をした。センジは退院したら、すぐに宝塚記念に向けてトレーニングをすると言ってる。
となるとクイーンちゃんと競うのか。ゴルシーの奴も走ると聞いているし、また熾烈なレースになりそうだ。
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あまり楽しくなかったゴールデンウィークも最終日になり、NHKマイル杯も無事に終わった。
そして翌日。世の中が日常に戻りつつある日の夕方に、学園での記者会見が予定されている。何の会見と聞かれたら、来月のイギリスで開催するアスコットミーティングへの参加発表。
今回俺は昨年王者として招待されているから、真新しさの無い注目度の低い情報と思われている。よって報道陣は去年より少なくなった。
しかしその予想は思いっきり外れているぞ。勝手に判断して、スクープを取りこぼした間抜けと笑ってやる。
三十人程度の記者の前に置かれたテーブルと椅子に、チビッ子理事長を中心に俺達四人が座っている。
この時点で集まった報道陣は、数分前の予想と異なる展開になると確信した。
「本日は御足労頂きありがとうございます。これから日本ウマ娘トレーニングセンター学園による会見を始めさせて頂きます」
司会の駿川さんの挨拶で、いよいよ重大発表が始まると記者達が固唾を飲んだ。
「発表!今年のイギリス開催のアスコットミーティング、プリンスオブウェールズステークスにナリタブライアン、ゴールドカップにはアパオシャが参加する!」
理事長の両隣に座る俺とナリタブライアンに向けて、一斉にカメラが向けられる。
プリンスオブウェールズステークス(以下PWステークス)とは、ゴールドカップに準ずる伝統あるイギリス王室の主催するG1レース。距離は約2000メートル、ヨーロッパの中距離レースの中では非常に格式高く、現在は世界トップレースの20位に入っている。つまりヨーロッパ中の強豪ウマ娘が参戦する、名誉ある世界レースと言ってよい。
そして今現在、日本のウマ娘は誰も入賞を果たしていない難関である。
「追加!その翌月に開かれる、ナリタブライアンがキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、アパオシャは昨年同様のグッドウッドカップに出走手続きを済ませた!」
理事長のさらなる燃料投下に、記者達はてんやわんや。
渦中のナリタブライアンを見れば、この記者会見を面倒そうに感じてダルそうにしている。俺も似たようなものだけど、彼女はそれ以上に億劫だと思ってるな。
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(長いからKQステークス)は、イギリスレースの中では比較的最近設立した約2400メートルのG1レースだが、その実態はフランス凱旋門賞に比肩するヨーロッパ最高の中距離レースである。
過去には日本のウマ娘も何度か挑戦している。しかし目立った結果は出せていない。
実はシンボリルドルフ会長の親族の、シリウスシンボリという人が過去に挑戦しているものの、結果は芳しいものではなかった。会長はその事には何もアクションを示していないので、心中は誰にも分からない。
学園側の説明が終わり、記者達が一斉に質問の手を挙げる。駿川さんがその内の一人を選ぶ。
「ナリタブライアンさん、今回の海外挑戦はどのような心境で決意なさったんですか!?」
「アパオシャから誘われた。海外には自分と同等か、それ以上のウマ娘が多いから、きっと私を熱くさせてくれるレースがある。だから一緒に来ないかと」
俺に視線が集まり、別の記者が手を挙げる。
「アパオシャさんは、なぜナリタブライアンさんを誘ったんですか?他の人では駄目だったんですか?」
「俺の知る限り、ナリタブライアンが誰よりも強いからです。それに彼女のパワーは、重いヨーロッパの芝でも十分に通用する」
「ではナリタブライアンさんなら、ヨーロッパ最高峰の中距離レースを勝てる確信があるわけですね!?」
「俺が勝てて、彼女に出来ない道理は無いですよ。ナリタブライアンは世界の頂の一つに手が届きます」
さらに別の記者がトレーナー達にも質問を向ける。
「二人はこのように言っていますが、東条トレーナーも同様に思われますか?」
「トレーナーは勝つ見込みも無しに、ウマ娘にレースを走らせたりはしません。ブライアンならきっと世界を驚かせてみせます」
東条トレーナーの自信を讃えた笑みに、記者達は喜びの声を上げる。
以前バレンタインの時にナリタブライアンにイギリス遠征の話を持ち掛けた後、担当の東条トレーナーを説得させられるか危ぶんでいたが、やってみたら意外とすんなり口説き落とせたらしい。
ウマ娘の要望を叶えてあげたい想いと、単純にブライアンの実力なら勝算があったからだと聞いている。そしてもう一つ理由がある。
ただしもう一つの理由は言わず、記者達の相手をほどほどにして会見は終わった。
その日の夜には俺達の記事がネットニュースに載って、翌日の新聞の一面を大きく飾った。
それでも来週のヴィクトリアマイルまでには落ち着くだろう。
アスコットミーティングまでそんなに時間も無いし、練習練習と。怠けてたらキュプロクスには絶対に勝てないからな。