午前中に日本を発ち、半日以上飛行機の中で過ごし、ようやくイギリスの大地を踏みしめた。
俺は長時間の飛行も三回目で慣れているけど、初めて日本の外に来たナリタブライアンは取り繕っていても結構疲れが見えている。
おまけに入国審査を受けて、ようやく自由になったと思ったら、空港に出来た報道陣の人だかりだ。予想してたけど、溜息が出てしまった。
「メディアのお目当てはアパオシャかしら」
「去年の王者の出迎えなら、これぐらい普通ですって東条さん」
「ブライアンはオマケね。エルもフランスの帰国時はこんな感じだったと言ってたわ」
日本でいくらG1勝利の実績を積み上げても、本場ヨーロッパでの一勝もなければ無名も同じ。東条トレーナーも指導者として、やる気を刺激されたみたいだ。
少し離れた場所には黒服サングラスのウマ娘達が陣取っている。あれが主催者の用意した護衛の方々かな。
本当は俺と初挑戦のナリタブライアンで差が付くはずだったらしい。けど、学園が主催者側と交渉して、費用の一部を持つ代わりに同じ扱いにしてもらったと聞いている。
ゲートを出ると早速報道陣が寄ってきた。
『クイーン、ようこそイギリスへ!貴女のレースがまた見られるのを楽しみにしていました』
去年とは打って変わって友好的な出迎え。でも、去年色々新聞で好き勝手に書いた事は忘れていないぞ。
そして不用意に近寄る記者達は、黒服のウマ娘の方々に押し留められた。代表の一人の栗毛の女性が礼をする。
「お待ちしておりました。アパオシャ様、ナリタブライアン様。そしてトレーナーのミス東条、ミスター藤村。私は皆様の滞在中の護衛を務めさせていただくフリージアと申します」
「こちらこそよろしくお願いします」
代表して最年長の東条トレーナーが握手を交わす。そういえばこの人、髭の先輩だったな。つまり今年で3〇歳超えか。いや、だからといってどうこう言うつもりは無いけど。
挨拶は済んだけど、どうにも報道陣が煩い。これは何か一言ぐらい記事になる事でも言っておかないと、ホテルまで付いて行く気満々だろう。
よし、『タイラント』がちょっとサービスしてやる。
『みなさん、今年はゴールドカップとグッドウッドカップ両方のトロフィーを受け取りに来ました。隣のナリタブライアンもプリンスオブウェールズステークス、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを勝ちますから、記事を今から作っておいてください』
「ちょっとアパオシャ」
「イギリスならこの程度は挨拶ですよ。それに俺達は勝ちにここまで来たんだ」
「もう、しょうがないわね」
東条トレーナーは一応納得した。ナリタブライアンは何となく英語で自分の事を言われたのは分かったけど、疲れていて正確な内容までは頭に入っていない。
色めき立つ記者達は放っておいて、改めて護衛の人達に連れられて凄い高級な車に乗った。映画で見た事あるロールスロイスって車かな。
車の中でナリタブライアンがさっきの事を尋ねたから、日本語でそのまま伝えたら、特に否定的なアクションは取らなかった。
こいつだって、わざわざイギリスまで来てレースに負けたいなんて思いはしない。魂を熱くさせるレースをした上で勝ちに来たんだ。
空港から車で一時間近くかけてホテルに着いた。今回の拠点はウィンザーの街ではなく、アスコットレース場の近くのホテルだった。
夕暮れに照らされた白い壁は、まるでお伽噺の城のようで凄い綺麗なホテルだ。メジロの邸宅よりは小さいけど、イギリスという国の歴史と品格を感じさせてくれる。
ホテルの玄関にはスタッフ十名ぐらいが並んで仰々しいまでに出迎えてくれた。
ホテルマンに護衛の人と一緒に部屋に案内してもらう。
割り当てられた部屋は前回のホテルから数段飛ばしでグレードアップしていた。寝室だけで二つ、風呂も二つ。キッチンも備え付けてあるし、リビングには今のシーズンは使われていないが暖炉もある。うちの実家を二軒分丸ごと渡されたようなものだ。
前もって送っておいた荷物も許可した分は荷解きを済ませてあり、クローゼットに服もきちんと入っていた。
それからホテルマンが建物内の説明をしてくれた。
ここはプールとトレーニングジムを完備してあり、小さいけどゴルフ場とテニスコートもあるから、いつでも自由に使える。
電話を貰えれば可能な限り必要な物は揃えて、王室の外国からの大事な客人に不便な真似はさせないと自信をもって言っている。
「私達もこちらに滞在しますので、外出の御用があれば遠慮無しに仰ってください」
「分かりました。多分明日からレース場でトレーニングしますから、用意しておいてください」
「承知しました。それでは、お寛ぎください」
護衛の人は部屋から出て行く。
さて、現在は午後七時半。機内で三時におやつを食べてから水しか口にしてないから腹が減ったな。
みんなへの連絡は時差があるからまだ早い。風呂より先に食事をしよう。
髭に内線で連絡を入れて、あとの二人も誘ってレストランに行く。俺達選手のドレスコートは緩いから普段着でも問題無い。
四人で席に就いて給仕からメニューを貰う。ざっと目を通すと今日のコースは鹿と鱈の二つか。
トレーナー二人はざっと見て内容を把握したけど、ナリタブライアンはちょっと手間取ってるから、東条トレーナーが助けている。
結局俺とナリタブライアンが鹿、トレーナー達は鱈を選んだ。飲み物はジュースと大人二人がシャンパン。
給仕が一旦退き、東条トレーナーが俺に礼を言う。
「貴女のおかげで良い部屋に泊まれるわ。さすが招待選手は違うわね」
「ナリタブライアンも来年は俺のオマケじゃなくて、正式に招待されますよ」
「ええ、勿論よ。ゆくゆくは毎年日本のウマ娘が招待を受ける立場にしたいわ」
「私を熱くさせてくれる相手がいるなら、泊る場所はどこでもいい」
こいつは相変わらずである。そして飲み物と前菜が運ばれてきた。
四人で乾杯をして、早速季節の野菜を使った見た目にも華やかな料理を一口。――――うん、美味しい。
ただしナリタブライアンは嫌々口にして、ジュースで流し込むように食べている。
「嫌いな野菜があったの?」
「野菜が嫌いなんだ」
「―――そうかい」
それ以上は何も言わない。俺はこいつの家族じゃないし、トレーナーでもない。そこまで踏み込む必要は無い。
ただ、世の中食える物が多い方が食事の楽しみは増えると思うぞ。
ナリタブライアンの好き嫌いはともかく、今日の夕食は非常に美味しかった。特にメインの鹿肉のローストは絶品だった。鱈も美味しいらしいので明日は魚も試してみよう。
その後は風呂に入って、日本時間で朝になる就寝前にみんなにメールを送って、オンさん印の安眠薬を覚悟して飲んでぐっすり寝た。
翌朝。いつものように起きた。疲労はすっかり抜けている。発光現象も今のところ見られない。
ホテルの周囲を同居者と一緒に軽く散歩してから、昨夜と同じように四人でレストランに行き、イングリッシュブレックファストを食べる。
ここのレストランは選択式に米も選べるから、そちらを頼んだ。
髭トレーナーは残念ながらオンさんの薬を飲んで発光現象が起きたらしい。幸い腹の部分だけで済んだから、今日は服で隠してやり過ごせそうだ。
それより問題はナリタブライアンが少し不調そうに見える事だ。
「調子悪いなら今日はホテルでゆっくりしてても良いだぞ」
「いや、いい。ずっと飛行機の中で動けなかったのに、今日も走らないと体が鈍る」
「そうか。なら今日の夜はオンさんの調合した薬を分けるから飲んで寝るといい。運が悪いと七色発光するけど疲れは取れる」
「いらん!」
断られた。飲む覚悟はいるけど、効き目は保証するのに。本人が要らんと言うなら無理に勧めるものではないから、これ以上は言わない。
多少問題はあったが朝食を済ませて、部屋に戻って準備を済ませた。
予定時間になったら護衛の人にアスコットレース場に連れて行ってもらう。
一年ぶりのレース場は何も変わっていない。違うのは駐車場で記者達に囲まれた事だが、それらは全て護衛の姉様達が押し留めてくれた。
「最初はスタンドの上からコースを見て、形を把握してからの方が走るイメージがしやすいぞ」
「分かった。ここは経験者に従おう」
素直でよろしい。
四人で警備員に通行証を見せて、スタンドの上部に登ってコースを見下ろす。
「日本のレース場とはずいぶん違う」
右手のロングストレートと繋がった三角形のコースを始めて見て、ナリタブライアンは去年の俺と同じように困惑を含んだ感想を口にする。
「おまけに丘をそのまま使っているから起伏が凄い。左の第一コーナーから第二コーナーまでずっと下り坂。第二コーナーを過ぎたら今度はゴールまでひたすら登り坂だ」
資料の知識は知っていても、実際に見て走るとなると大きく違う。
ひとまず全体像は把握したから、今度は実際に走って感覚を掴む時間だ。
更衣室でトレーニングウェアに着替えてコースに降りる。
すでに何人かのウマ娘がトレーニングをしていて、俺に気付いて向こうから挨拶をしてきた。一人は名前は知らないけど去年も見た顔だった。
簡単に挨拶を返して、ナリタブライアンも紹介するけど、こいつは不愛想だからちょっと構えられてしまった。まったく、仕方のない奴め。
「アンタの言った通り、ここの芝は沈む。だが私の力なら問題無い」
「そいつは良かった。じゃあ、準備体操したら軽く一周してみようか」
入念に筋肉をほぐして、準備が整った。
一年ぶりの重く絡み付く芝の感覚を懐かしみつつ、ナリタブライアンと共に七割程度の力の軽い並走をしていく。
第一コーナーを過ぎて、第二コーナーとの中間点まで来た。
「この辺りがナリタブライアンの一回目2000のレースのスタートな。下り坂スタートでスピードが出やすいから、スタミナ管理は気を付けて」
「わかった」
さらに第二コーナーの角度のきついカーブを過ぎ、今度は1マイル続く地獄の登り坂に変わる。
登坂を続けて最終コーナーを回り、最終直線を走り切ってゴール。
一旦、壁際でデータを取っていたトレーナー達の所に戻った。
「初めての海外の芝はどうかしら?」
「昔走った函館のレース場の芝に少し似ていた。坂道も慣れればどうということはない」
「頼もしいわね。アパオシャも指導してくれて助かるわ。やっぱり経験者は違うわね」
「これぐらいなら構いませんよ。今日は軽めに走って芝に慣れるのを優先させましょう」
それから休憩を挟んで、芝とコースに慣れるために軽めの並走を続けた。
二回目の休憩中に、一人のツインテールの金髪ウマ娘が俺達の傍に来た。背はあまり変わらないけど、そばかすのある顔立ちはまだまだ幼い。多分年下だと思う。
『あの、昨年ゴールドカップを優勝したアパオシャさんですか?』
『そうだよ。君は?』
『あたしはアメリカから来たフロリダガールと言います!クイーンメアリーステークスに出る予定です!握手してください!』
手を差し出すから握手はしてあげる。最近こういう風に握手を求められる事が多い。
クイーンメアリーステークスは、約1000メートルの直線レースだったな。確かジュニアクラス限定だから、この子はジュニアでわざわざイギリスにまで来てるんだから、将来有望なスプリンターというわけか。
『お互いレースに勝つために全力を尽くそう』
『はい!ありがとうございました!』
そのままフロリダガールちゃんは元気いっぱいに、トレーナーと思われる女性の元に帰って行った。
走る距離が違えども、ああいう年下の子に憧れを抱かれる年になっちゃったのか。ちょっと複雑な気分。
「どうしたアパオシャ?そんなビタージュースを飲んだような顔をして」
「いやー俺も年を取ったと思って」
「はぁ?まだ女子高生のお前がそんなこと言ったら、俺は年寄りになっちまうぞ」
髭トレーナーに呆れられた。おまけでナリタブライアンと東条トレーナーにも、『何言ってんだお前』みたいな目で見られた。
ちょっと気分がブルーになったけど、並走は続けて昼時になった。
今回は移動で不調気味のナリタブライアンの事を考慮して、トレーニングは午前中で切り上げてシャワーを浴びてから昼食にした。
昨年に続いて昼食はレース場のレストランで、主催者のイギリス王室から無料提供してもらえる。
日本トレセンと同様に好きな料理を選べるビュッフェスタイルだから、ナリタブライアンも喜んで肉料理を色々食べている。
俺も久しぶりに、ここのカレーを食べられて満足。それとキュウリのサンドイッチとシチューが美味しい。トレーナー二人も不満は無さそうだ。
「ここの飯も結構美味しいだろ?」
「ん。肉は悪くない」
食事が合わないと露骨にコンディションは落ちるから、実際美味しく食える料理は大事。
この後はスタンドに上がって他の走者のデータ収集に努めてホテルに帰った。