「うどん食いたい」
「どうした急に?」
「そんなことよりおうどん食いたい」
「いや、アンタ本当にどうしたんだ」
「なんか無性にうどんが食いたくなったんだよ!分かるだろ、日本人ならさぁ!?」
イギリスに上陸してはや十日。アスコットミーティングまであと五日に迫っていた、トレーニング帰りの車内で絶叫した。
レースへの調整は順調そのもの。最初は時差ボケだったナリタブライアンも、今は調子を戻して上向いている。この分なら残りの期間で好調な状態を維持するだろう。東条トレーナーの仕事はそつがない。
俺の方も一年ぶりのイギリスに順応して、同じレースを走るライバル達のデータも頭に叩き込んだ。
しかし、前回同様にそろそろ禁断症状が出てきてしまった。
ホテルやレース場の食事に不満は無い。それでもどこか物足りなさを覚える。そう、魂が和を求め始めている。
「確かにそろそろ日本食が恋しくなる時期ね。この辺りで日本食を食べられる店でもあるかしら?」
「申し訳ありません。ロンドンのような都市ならともかく、この辺りには………」
同行していた護衛のフリージアさんが申し訳なさそうに横に首を振った。そうだろう、予想していたから落胆はしない。
言って悪いがアスコットレース場は都市から離れた田舎の街。日本人が一人も居ないと言われても納得する。需要が無い店が成り立つはずがない。
「大丈夫ですよフリージアさん。信長も言ってました、『無いのなら作ってしまえ味噌うどん!』」
「いや、言わねえよ。けど、味噌煮込みうどんか。俺も久しぶりに食いたいなあ…東京じゃ食えないし」
「味噌うどん?うどんは醤油だろう」
隣のナリタブライアンは首を捻る。そうだった、味噌味のうどんは愛知や岐阜の人ぐらいしか食べないローカルフード。愛知県民の髭はともかく、ナリタブライアンと東条トレーナーはおそらく一度も現物を見た事が無い。
「明日はトレーニング終わったらレース場の厨房借りて、うどん作って食べるぞー!」
「ちょっと待て。材料はどうするんだ?」
「こんなこともあろうかと、味噌と出汁粉や鰹節は日本から持参してるんだよ。他の国のウマ娘が今年も料理作れとせっついてるから、纏めて食わせてやる!」
麺に使う小麦粉やら他の材料は融通してもらえれば事足りる。
「別に貴女が作る必要無いと思うけど」
「俺と髭以外に味噌味のうどん食った人はイギリスに居ないでしょ。なら俺が作るしかない」
最近は外国で味噌がよく売られていると聞いている。俺が味噌工業組合会の広告モデルをしてから、国内の味噌の売り上げも減少が止まって持ち直していると聞いている。
外国にも日本食が広まってうどん屋のチェーン店が海外出店している話もあるから、外国人のコックもうどんを食った経験はあるかもしれない。
けど、ローカルフードの域を出ない味噌煮込みうどんを食った事のある外国人のコックは居ないだろう。
見た事も食べた事も無い料理を作れと言うのは無茶振りや嫌がらせの類だと思っている。だから自分で作るんだ。
「うどん食べたい?食べたい人は手上げて」
いの一番に髭が手を挙げた。あとの二人もおずおずと手を挙げる。なんだよ、やっぱりみんな日本食に飢えてるじゃねえか。
くくく、楽しみにしていろよ。明日は美味いモノ食わせてやるからな。
後で知った事だが、フリージアさんは俺を見て、医者に連絡しようか迷ったらしい。
翌日。トレーニング用の道具以外に、数十人分の味噌やら出汁の材料を持ってレース場に来た。
その後、いつもより早めに調整を済ませて、午後四時にはレストランの厨房に顔を出した。
どうも俺はここのコックに変わり者ながら、料理に興味を持ってくれるウマ娘として好意的に見られているらしい。
昨年と同じ顔ぶれのコックに無理を言った事を感謝して、食堂の方で待っている餓鬼ウマ娘共が暴動を起こさないうちに料理を始める。
一仕事終えた後は気持ちがいい。
と言っても今回は去年ほどは働いていない。午前中にコック達に一人前のサンプルを作って、下ごしらえの大半を丸投げして汁だけ作った。余分な仕事を作ってしまったコックには申し訳ないと思ったが、そうでもないと練習の後にウマ娘三十人分以上の料理なんて一人で作れるか。
食堂で待っているウマ娘達や、一部のトレーナー連中の期待の視線に笑みを返してやる。
ほどなくウェイター達が、えも言われぬ芳醇な香りのする皿を大量に運んできて、ウマ娘達の前にそれぞれ置く。
「うおおお!イギリスで味噌煮込みうどんが食えるとは思わなかった」
「ちょっと藤村、落ち着きなさい」
「本当に味噌のうどんだな」
ナリタブライアンが深みのあるグラタン皿に入った熱々のうどんに興味をそそられる。
他の食堂に集まったウマ娘達も、何人かは昨年に食べたどて煮を思い出して腹の音を鳴らし、新顔も味噌の香ばしい匂いで食欲を刺激した。
『みんな、冷めないうちに食べなよ』
その一言で、集まった皆はそれぞれの形の祈りを済ませて、うどんに手を付けた。
『言い忘れてたけど日本の麺は音を立てて食べても、マナー違反にはならないから』
俺達も久しぶりの和食を箸でズルズルと音を立てて食べる。
「イメージと違うけど、みそ味も美味しいわね」
曇るから眼鏡を外した東条トレーナーが初めての味を褒める。
味噌煮込みうどんはただ、味噌を湯で溶いてうどんを入れただけの料理にあらず。
愛知産の濃厚八丁味噌をみりんで溶いて砂糖を加え、出汁湯と混ぜた特製汁を使っている。
「鶏肉と、かまぼこが入っているな。イギリスでかまぼこがあるのか?」
「そいつはイギリス料理のクネルだ。魚のすり身の料理はヨーロッパにもあるんだと」
ナリタブライアンが焼いて臭みを取った鶏肉と、魚のすり身を丸めて茹でたクネルを食べて、悪くないと言う。ここのコックの仕事は一流だよ。
野菜はネギの代わりにタマネギを使い、みんな大好きニンジンも茹でて柔らかくして入れてある。
油揚げの代わりの、麩のさらに代わりの荒いパンが汁を吸って美味い。
それに半分に切ったゆで卵を生卵の代わりに入れた。生卵は食品衛生上そのまま出すのは危険と判断されて、茹でて妥協した。
「きしめんとは分かってるじゃないかアパオシャ」
「ここは大型のパスタマシンがあったから、せっかくだからきしめんにしたよ」
髭トレーナーが最高の笑顔を向けてくる。今回は普通のうどんと違い、名古屋名物の平打ちの麺にした。
流石というか小麦が主食の国なおかげで、下手したら日本以上に美味しい麺が食べられる。
それに太い麺だと俺達以外のフォークを使っている子が麺を取りにくい。だから巻きやすい平麺にしたのも理由の一つだ。
周囲を見渡すと、俺達みたいに麺を啜る子は二人だけしかいない。それ以外は全部フォークで巻いて食べて、汁はスプーンで掬って音を立てずに食べている。
しかし、はて?あの麺を啜ってるのは去年も来ていたフルートマスターさんと、もう一人は見かけない子だな。でも俺もアスコットミーティングに参加するウマ娘は全員知ってるわけじゃないから、見逃しているだけかな。
重要なのは美味しいと思って食べるかどうかだ。食べ方ぐらい何でもいいか。
そして最初の希望者以外に、トレーニングを終えて間食に来た他のウマ娘達も、美味そうに食ってる光景を見て、涎を垂らして見つめている。
元々お代わりも出来るぐらいには多めに作ってあるから、途中参加の子にもうどんを勧める。遠慮がちに何人かは食べたいと申し出たからそのまま座らせて食べさせた。
いやーしかし、自画自賛かもしれないが、このうどんは美味い。店を出したら金取れるぐらいだ。
「レースを引退したら、うどん屋を始めようかな」
「貴女の人生だから私はとやかく言う権利は無いけど、それは惜しいと思うわよ」
「じゃあ東条トレーナーは俺が引退したら何が似合うと思います?」
「ルドルフを超えた日本最強ステイヤーなんだから、レース関係なら何でも歓迎されるわ。少なくとも学園とURAは放ってはおかないわね」
「うーん………ナリタブライアンは、引退したら何か考えてる?」
「さあな。私は走る事しか今は考えていない。将来は後で考えればいい」
こっちは当てにならないな。そしてトレーナーの髭は、久しぶりの味噌煮込みうどんに集中し過ぎて話を全く聞いていない。
チームの先輩はオンさんがトレーナー、カフェさんが料理関係、フクキタさんは実家の神社を継ぐ。
バクシさんはクラブチームのコーチになって、子供達に『バクシン道』を教えたいと聞いている。トレーナーじゃないのは学科がどうしようもないからだろう。
同期のダンや、後輩たちはどういう道を選ぶのか。
いまいち答えの見えない難題を考えながら美味しいうどんを平らげた。各国のウマ娘達からも評判は上々で、お代わりも多かった。今年も作って良かったよ。
うどんを食べたウマ娘達が次々礼を言う中、先程箸で食べていた二人も俺に礼を言いに来た。
「美味しい料理をご馳走してくれてありがとう」
「どういたしまして。美味しそうに食べてくれて俺も作った甲斐があったよ」
フルートマスターさんの隣に居た、小さい鹿毛のウマ娘が日本語で話しかけた。両耳にクローバーの耳飾りを付けていて、よくよく見たらトレーニングウェアも着ておらず、上品なブラウスとスカートだ。もしかして、アスコットミーティングの参加者と違うのか。
さらに周囲の何人かは、どこか余所余所しい雰囲気で距離を取っている。
「アパオシャさん、今日はありがとうございました。殿下もとても喜んでいます」
「フルートマスターさん、日本語を話せたんだ。それで、殿下ってこの子?」
「はい、この方は我が祖国アイルランドの王族のファインモーション殿下です。今回のアスコットミーティングに観覧されるご予定です。今日はその…日本の料理を是非食べてみたいと仰られまして―――――」
フルートマスターさんは言い澱む。偉い立場の子に無茶振りされたって事ね。飛び入りだけど一人増えるぐらいなら俺はとやかく言いはしない。
ヨーロッパ出身のウマ娘の一部がこの子達から距離を取っている理由がよく分かった。それに周囲を見るとやけに黒服サングラスの女性の護衛が多い。最初は俺達の警護かと思ったが、本当はこの子の護衛なのか。
「ラーメンも良いけど、うどんも美味しかった。来年は毎日日本の料理を食べられるなんて、今から楽しみだなー」
「来年?」
「うん、来年から日本のトレセンに留学するの!芸能科だからレースはしないけど、沢山友達を作って、美味しい料理を食べて、いっぱい思い出を作るんだ」
マジか。髭や東条トレーナーを見ても、知らないと言っている。まだ現場には知らされていない情報だったのか。
「そっか、来年は俺達の後輩になるのか。なら一足先によろしく」
未来の後輩と握手を交わした。
そしてファインモーションちゃんは護衛の方々と共に去った。
「お前相手が王族でも全然物怖じしなかったな」
髭が感心とも呆れともつかない声をかける。
「相手がどういう生まれだって同じウマ娘だからな。それに同じものを食べて喜ぶんだから、俺達と大して変わらないよ」
来年は後輩になるみたいだし、必要以上に畏まる必要も無いさ。
色々ハプニングはあったけど、美味いものを食ってやり切った充足感でストレスも無くなった。
あとは本番のレースまでしっかりトレーニングをして備えるだけだ。