キシャー!! \‘()’/
すいません。
「うへへへ……」
エルガドにある資料がたくさん置かれた研究者専用の部屋にて、椅子に座り、笑顔を綻ばすツバタ。
竜人族の研究者 バハリは、そんな彼を全力で気持ち悪がっていた。
「聞いてくださいよバハリさん。凄く綺麗な竜人族の人がいたんですよぉ」
「はぁ」
バハリは物凄く興味が無さそうだった。
「赤に青が混ざった長い髪で、斬竜の鱗みたいに逞しくもありながら、とても美しくて……何より笑った時の八重歯が可愛らしくて……」
「ふぅん」
バハリは本に夢中で、彼の話など右から左へ流していた。
「で? オチは」
「オチ? あるわけ無いですよ。単に綺麗な竜人さんだったなぁ、ってだけで」
「惚れたんだろう」
「なっ……!」
しれっとそう言われたが、ツバタにはかなり刺さったようで、一気に顔が紅潮した。
「ほほほ、惚れたなんてそんな! ただ綺麗だなって思っただけで、惚れた訳じゃ……!」
「惚れてるね」
「違います!」
「だいたい、竜人族なんて早々出会える物じゃないんだぞ。俺みたいなのは凄く珍しい。人里に来るような種族じゃあないからさ。
君、夢でも見てたんだろ? 夢に出た女に惚れるなんて浅はかな奴だねぇ!」
バハリは大声で、他の研究員にも聞こえるような声で彼を小馬鹿にする。
カンカンに怒ったツバタは、机を叩きつけて、勢い余ってこう言い放つ。
「じゃあ連れてきますよ! 嘘じゃないって証明するために!」
◇
「ほ、本当にいたのか……」
バハリ、と言ったか。その研究員は口をポカンと開けて、こちらがまるで幽霊かのような目で見つめてくる。
息を切らしたツバタに強引に此処へ連れてこられたディノ。泣き叫びたくなるくらいに、人の視線が怖かった。
「わ、悪かったよツバタ……少し君をバカにし過ぎた……」
「分かればいいんです」
謝った矢先、バハリは何かを思いついたようにハッとし、とんでもない事を口走った。
「ディノさんって言いましたっけ? こいつ、貴女様に惚れてるらしいですよー!」
「……ほ」
そう伝えられると、ツバタが建物が震える程の絶叫を轟かせた。先日狩ったティガレックスといい勝負ができそうな咆哮である。
「ちちち違うんだディノさん! バ、バハリさんが勘違いしてるだけで!」
「惚れてるって……私に?」
「そうなんですよ! 一目惚れ、ってやつです!」
バハリの野次が、彼の顔を更に真っ赤にした。
「あ、あはは……」
どうすればいいか分からず、ディノは笑う。
ぎこちない笑みで、鋭い八重歯をちらつかせながら。
「ん……?」
突然バハリが近づいてきて、怖がるディノの口をお構いなしにこじ開けて、歯を凝視した。
「人間の八重歯が、こんな形状になるはずがない……まるでこれは……」
彼女を突き放したバハリは本棚へ飛んでいき、一冊の太い本を恐ろしいスピードで捲った。
あるページで手を止め、首を振ってそのページに一通り目を通した。
「やはり……僅かだが斬竜“ディノバルド”の牙に酷似している……」
ディノの肩がぴくり、と震えた。研究者の観察眼というのは、こうも恐ろしいものなのかと関心すると同時に、己の正体が明かされようとしている状況に恐怖していた。
「え……?」
「人の姿をしながら、モンスターの形質を持つ……聞いたことがある……。
何処かの村に、モンスターとの子を作る事ができる竜人族がいて、その竜人から産まれてしまった人の子は
彼女の顔が、血が抜けていくように青ざめる。
やめて、それ以上言わないで。
そう言いたくても、声が出ない。否定しても無駄だという心が、僅かなながらに残っていたから。
「それが〈忌み子〉……!」
バハリが再び近づいてきて、彼女の胸ぐらを掴んだ。
「何が目的でこのエルガドに来た? 人を喰うためか? 答えるんだ!」
「や、やめてくださいバハリさん! な、何が何だか、分かりませんけど……ディノさんはそんな事をする人じゃあないですって!」
血眼になりながら声を荒げるバハリを引っ剥がし、ツバタは彼へ必死に訴えた。あの事実を知っても尚、なぜ彼はここまで必死に庇おうとしてくれるのか、ディノには分からなかった。
「何かあってからでは遅いぞ! 君の勝手な考えで、王国の皆を危険に晒す気なのか!?」
「まずは落ち着きましょうって!! 王国の危険とか、そんなの、この人と関係ある訳ないじゃないですか!」
ツバタの声が響いた時、静かな静寂が訪れた。
二人の男の、荒々しい吐息の音だけが、虚しく木霊していた。
「そうだね……まずは落ち着こうか」
「何なんですか? その……〈忌み子〉って」
バハリは本へ目を通し、彼へ情報を伝えてやる。
「モンスターと子を作れる竜人、〈竜巣族〉は本来、“モンスターの子”を身に宿し、産んで生涯に幕を下ろす。
しかし稀に、“人間の子”を宿す者もいる。そうして産まれたのが、モンスターと、人間、二つの遺伝子を併せ持った者……それが〈忌み子〉さ」
彼女は耐えられなくなり、彼らへ背を向けた。――まるで、彼らを騙していた気分になったから。
「それは……理解できました。でも、それと王国の危機に、どういう関係が?」
「〈忌み子〉は人間の姿をしていれど、“モンスターの遺伝子”を確かに持っている。それは身体にも現れている、彼女の場合は斬竜の牙だ」
バハリは椅子に座り、むき出しにした自分の歯をコンコンと指で叩いた。
「君もハンターなら分かるだろう。モンスターは
その“本能”とやらが、彼女には眠っている。ねぇ? 君、無性に
ディノは口元を手で覆い隠し、込み上げてくる吐き気を必死に堪えた。食べたくなったも何も、先日、無我夢中で貪り食ったばかりだ。
あの時の血の味が、再び舌に蘇って、吐き気を促進させた。
「〈忌み子〉が“モンスターの本能”を完全に顕にした時、それはもう“モンスター”と変わりはない。街にモンスターが侵入したのと、同じ事なんだよ」
バハリが冷たくそう言い放つ。
信じたくない。信じたくないのに、それが事実であるという事が、堪らなく怖かった。恐ろしかった。
「……そんなの、分からない。本に書いてある情報だ」
「実例があるから本に書かれるのさ」
「この人がそうなる確証は、どこにもない」
必死に弁明してくれるツバタに、冷たく反論するバハリ。まるで、裁判にでもかけられた気分であった。
「……わかり……ました」
耐えきれなくなったディノは、扉の前まで移動し、首だけ動かし振り向いた。
「私が……この街から出ていきます……そしてこの武器も防具も道具も、今まで貯めたもの全て投げ捨てて……密かに飢え死にます……」
自分でも、こんなにも言葉がスラスラと出てくる事に驚いた。それと同時に、やりたくもないことをすると断言してしまったのを、酷く後悔した。
本当は死にたくなんかない。もっと、もっと普通に生きたかった。
なのに、この身体はその思いを軽々蝕んでくる。
「ディノさん……」
「あぁ、そうしてくれ。エルガドの皆を傷つけるような真似をする前に」
彼女がノブに手を掛けた瞬間、ツバタが腕を引いて、部屋から出ていくのを阻止した。
「死ぬなんて駄目だ! 貴女には……貴女の、貴女の人生があるはずでしょう!?」
「じゃあどうすればいいの?! 私は!!」
感情が高ぶり、思わず大声を上げた。久々に声を張り上げたためか、喉がビリビリと痺れた。
「私の人生が、普通の人生が分からないの!! あなたには分からないわ……! 時折、どうしようもなく屍肉を喰らいたくなるの……あんなに血生臭くて、食べられた物じゃないのに……美味しいって……思ってしまう」
きっと、普通の人間には分からない。
理解できる筈がない。
「……俺にその気持ちは分かりません。けれど、貴女が歩むべき道を歩むことを、手助けすることくらいは……できると思います」
「私が……歩むべき道?」
サバタはバハリの方を振り向き、真剣な顔つきでそう呟いた。
「バハリさん。この人の事、しばらく他のみんなには黙ってて頂けますか」
その真剣な瞳に宿る、燃え滾る炎のような決意。
バハリはそれを見て、何を思ったのか、静かに本を閉じた。
「好きにしなよ」
彼女はこの日、初めて人に救われた。