「所長、それは困ります!!」
俺は焦りから頭を強く搔きむしった。
相変わらず吉田所長の傍若無人さには呆れる。いや、今回ばかりは呆れるだけの話ではないかもしれない。
「俺たちの研究がもしも世に出たなら、それは間違いなく違法なものなんですよ!!」
俺が叫ぶ姿を嘲るかのように所長はふっと鼻で笑い、艶やかな長い銀髪を耳にかけながら、白衣から壁まで一面真っ白でパレットのようなラボに深い褐色の色彩を落とすブラックコーヒーを、なんとも涼しい表情ですすってみせた。
「今村、キミは少年の望みの一つくらい叶えてやれないのかね」
足を組んで椅子にもたれかかりながら、所長はペンでコンコンと机を叩く。
「いいわけないでしょう!! 一般人に性転換薬を飲ませるなんて!!」
なんで? とでも言いたげにとぼけた表情をする所長。この吉田研究所の所長である彼女は、若くて秀麗な顔立ちをしている。なのにそれを台無しにするような変人っぷりに、助手の俺はいつも手を焼かされるのだ。いや、そういえば俺、博士の年齢知らないな……。
「別に、私だって考えなしに薬を使おうとしているわけじゃない。被験者には事情があるんだ、事情が。だからまあ、ぎゃあぎゃあ騒ぐな」
「事情?」
「人生のやり直しのようなものだよ。被験者、中井日向16歳。彼は母子家庭の育ちで母親から長年虐待を受け続けてきた。それで、これまでの人生そのものがコンプレックスだったというわけだ。性別が変われば、見える世界も変わるだろう」
所長は話しながら、熱いブラックコーヒーの入ったカップを手に取ったが、カップは手から滑り落ち、腹の辺りでブラックコーヒーが白衣に血痕のようなシミをつくった。
だが、心配するほどのことではない。所長は痛みを感じにくい人間だという。
「それで、どうやって被験者を連れ出してきたんです? 母親はどこへ行ったんですか、母親は」
博士は返事をする代わりに、不敵な笑みを浮かべた。
そして、恥じらうこともなく平然と、コーヒーで濡れた白衣とその下に着ていたシャツを脱ぎ捨て、上半身下着姿になる。背が高く細身の身体の、コーヒーを浴びた部分の肌が赤くなっていた。しかし、こうも堂々としていられると、下着姿も色気がどうこうとかいう話ではない。
「高校生を拉致して実験なんて俺たち犯罪者ですよ……」
「拉致ではない。当人の望んだことだ。それに、もとより私たちの研究は違法なものではなかったのかね」
所長は机上に置かれた、薬液の入ったフラスコをつまみ上げ、そのガラスの向こう側から俺を見つめてきた。
「ハイハイ、俺の負けですよ……」
「よろしい」
やれやれ、やはり吉田所長には敵わない。
「さあさあ今村、早く被験者が待つ実験室へ行こう」