TSライブ配信者のプロデューサー   作:卯月02

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邂逅

「日向ッ!!」

 

 パァンッ!!

 

 母の手がボクを打つ。

 

 痛い? いや痛くない。

 

 慣れたんだろうか。もう十年はこんな生活で、こうなる前はどうやって暮らしていたのかさえ、記憶に残るのは僅か。

 

 その僅かな記憶の中で、母は優しくボクに微笑んで、父は楽しそうに笑っていた。今は? 今は違う。だから、そんな記憶は、もとより幻想かもしれない。いや、そんなことはどうでもいい。もうこれ以上傷ついたって、報われることなく、あの頃には戻れない。

 

 等しく、父がいついなくなったのかなんてことも、考える意味はなかった。

 

「ちゃんとメシを用意しとけって言っただろうが!!」

 

「お母さんごめんなさい。でも、もう冷蔵庫に食材が無いよ」

 

 母にがっと髪を掴まれる。頭が激しく揺さぶられ、首もあちこち向きを変える。

 

「でもじゃねえだろうが!!」

 

 髪を掴まれたまま、腹部に蹴りが一発。身体が大きく蹴り飛ばされ、もうすっかり伸びきってしまった髪が、何本かぶちぶちと抜けた。口から飛び出したのは胃液だろうか。

 

 あれ、ふとこぼれた涙はなんだろう。もう変わりたいとは思わないようになったはずなのに。今と、記憶の中のあの頃が、頭の中で、映像が切り替わるように、なんども、交互に映し出される。けれど、現実が呼ぶ声がして、薄暗い部屋の中で視界が鮮明になれば、そこにはタバコの吸い殻、生ゴミ。そんなものだけが溢れていることに気が付いた。

 

「お母さんもお父さんも、昔は笑ってた?」

 

 聞いてはいけないこととわかるはずの言葉が、ふと口からこぼれ出た。また平手打ちがくるぞと身構える。

 

 しかし、母は諦めたように床に座り込み、タバコを吸い始めた。部屋の中、行き場を失った煙が、また肺に入り込んでくる。

 

「アイツはな、アタシらを捨てたんだよ。昔のことなんか思い出させんな」

 

 肌にじりじりと押し付けられるタバコ。母はボクの顔を見て、へへっと笑った。

 

「なんだよ、お前アイツによく似てきたじゃねえか。もうアタシの息子って感じねえな」

 

 母は立ち上がり、無造作にタバコを床に投げ捨て、手に取った財布を、ぐっとズボンのポケットに押し込んだ。

 

「じゃあアタシは外でメシ食ってくるから、お前は好きに寝てろ」

 

 ぱたりと閉まる玄関の戸。光の届かない部屋は、また静かになった。

 

 

 部屋の外から、アパートの住人たちが動きだす音がして、朝がきたことを知る。同じ場所に住んでいるのに、ボクとはまったく違う生活を送る人々だ。

 

 母はまだ帰っていない。

 

 カーテンを閉め切った部屋に朝日は差し込まず、鳥のさえずりは幻聴に感じられた。母はまたスロットを打ちに行っているのだろうか。なら夜まで帰って来ないだろう。

 

 家に居てもすることがない。テレビもスマホもここには無く、ただ布団に潜って時間が過ぎるのを待つだけだった。外に出ても、変化なんて得られないことを知っていたからだ。

 

 キッチンの流し台で顔を洗い、濡らしたタオルで身体を拭く。水道水をコップに注ぎ、それを飲む。こうしていれば、死ぬことはない。

 

 水を一口含んだ時、つい勢いよくのどに流し込んでしまいむせ返り、咳をしながらしゃがみ込んだ。

 

 咳が治まり、立ち上がった時、不意にめまいが起きる。身体からも血の気が引いたような感じがして、全身の力が抜けた。コップが手から離れる。

 

 パリン。

 

 一瞬にして床に広がる、割れたガラスコップの破片を見たその瞬間に、ボクは膝から崩れ落ちた。それは、自分の中に溜め込んだ真っ黒な思いが、一度に溢れ出すようなものだった。ぼろぼろと涙がこぼれて、また咳が止まらなくなる。肺も、真っ黒になっていたのだろう。

 

 ボクは、壊れたくない。

 

 変わりたいと思ってしまったのは、まだ心が壊れていなかったからだ。しかし、一度壊れてしまえば、それはもう元には戻らない。身体もいつか壊れるだろう。だから、そうなる前に逃げ出さないと、逃げ出さないと。

 

 戸を開けて、部屋を飛び出た。太陽を隠し、閉塞的な世界を作り出した曇り空が、お前に逃げ場はない、と睨みつけるように佇んでいる。

 

 下りの階段を目の前にすると、その僅か十数段が、とても長く感じられた。今ここで母と出会ってしまったら、ボクはどんな罰を負わされるのかと考えてしまったからだろう。だから、そうなる前に逃げ出さないと、逃げ出さないと。

 

 最後の一段を踏んだ時、足がもつれて、左肩を地面にぶつけ倒れた。まだ……まだボクは割れるわけにはいかない。手すりを掴んで立ち上がる。もうすぐ雲は晴れるはずだから。

 

 薄汚れたアパートを背に、歩道に飛び出したその時、ボクは人の腕にぶつかってしまった。驚いて閉じた目を開けると、そこにはボクよりも背の高い、白衣を着た銀髪の女性が立っていた。

 

 やっと、太陽が見えた。

 

 堪えられなくなった涙が次々に頬を伝い、地面に落ちる。

 

「す、すまない。痛かったのかね」

 

「ボクを……助けて……」

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