思えば母の事故が父をあの行動に走らせたのだなと思う。
ミューゼル家の不幸の始まりはクラリベル・フォン・ミューゼルが交通事故で死亡した時までさかのぼる。
事故の被疑者が門閥貴族に連なる者であったが故に、慰謝料や補償を得る事も出来ないばかりか「余計な事に巻き込まれた!」と因縁をつけられ、父はその相手に頭を下げる事になった。
恐らく父はあの時に"死んだ"のだろう。
まだ幼かった自分はその姿の父しか知らなかったので不甲斐ない姿に反発しかしてこなかったが今となってはひどい事をしでかしてたんだと思う。
そして流れ着いた先、まがりなりにも"フォン"の称を持っておきながら一般家庭と変わりのない小さな住宅。父は相変わらずであったが初めて友達らしい友達を得て"楽しい"といえる日々を感じ始めた時、彼らは再びやってきた。
それは皇帝フリードリヒ4世の子、皇太子ルードヴィヒの死が始まりであった。彼の死によってフリードリヒ4世の直系男子は生まれたばかりであるルードヴィヒの忘れ形見、エルウィン・ヨーゼフ(※1)のみ。新たな男子を望んだのかただの嗜好の変化なのか、フリードリヒ4世は若い寵姫を望むようになった。
その流れに深く介入を始めたのがブラウンシュヴァイク家とリッテンハイム家、共にフリードリヒ4世の娘を娶り女子ながら子を成している門閥貴族の雄である。両家にとって娘を女帝とし外戚として権威を得るのは悲願であり、エルウィン・ヨーゼフが正式に皇太子となる事はなんとしても防がねばならぬ事。その為に自家の影響下にある者を寵姫として送り込み"ささやき"をしてもらわねばならなかった。万が一、フリードリヒ4世のまだ種が残っておりその寵姫との間に男子が生まれればその子を皇太子にするのも良い。影響力を保持したうえでその妃に血のつながった一門を入れ込めば悲願達成である。それが出来なければ現在最も愛され、影響力を持っているであろう寵姫、シュザンナ・フォン・ベーネミュンデ侯爵夫人はエルウィン・ヨーゼフを選ぶだろう。少なくとも友好的とは言えない両家の姫は選ばない。
そして血眼になって手頃な女子を探す両家。見つけ出されたのはアンネローゼ・フォン・ミューゼルであった。
その時の事ははっきりと覚えている。
「お前の娘を形式上、我が一門に連なる家の養女とする。そのうえで陛下に献上する。これは非常に名誉なことである。よもや断るなどという事はないだろうな?」
要約するとそういう言葉を悪びれる素振りは一切見せず、むしろ跪いて感謝するのが当然という顔で使者は言い渡した。しかしその使者は全く知らなかったのであろう、告げられたその一門は母の命を奪った家であったという事を。そして死んでいた父がその一言で"生き返った"という事を。
父、セバスティアン・フォン・ミューゼルは恭しく使者に応える、
「そのお話、受けさせていただきます…………しかしながら我が家は御覧の通りの有様、娘を送り出す為に着飾る事すらままならぬものですので……」
あくまでも丁寧にその奥に燃え盛るものを見せずに述べる。その姿を見下しつつ使者が用意していた鞄から2枚の紙を取り出した。
「これは養女として送り出す事を認め、その手続きをこちらに一任する旨を記した委任状である。まずはこれにサインをしてもらう。そうすれば……」
使者がもう1枚の紙、貴族が使用する専用の小切手を取り出す。
「これを手付金として渡そう。当面、必要な分はもとより、末端貴族が余生を送るには十分な金額のはずだ」
父は黙ってその小切手の金額を確認し、頷くと委任状にサインをする。この瞬間、アンネローゼ=フォン=ミューゼルは売られたのである。
「正式に養女とするには典礼省への手続きが必要であり、それは我々の家においても蔑ろに出来ん。腐っても役所、しばらくは時間がかかるだろう。その間に身支度は整えるように」
そう言うと使者は満足そうに帰っていった。
「何故姉上を売ったのです!!!」
私の第一声がそれだった。はっきりと覚えている。
「いいからこれからは全て私の言う通りにするように。お前たち2人の命がかかっている」
という父の言葉も。その時の父の目は初めて見る、人として生きている意志を持った目であった。そして命がかかっているのは2人(アンネローゼ、ラインハルト)であるという言葉も。
それからミューゼル姉弟は一切の外出、人との交わりを禁止され。父は毎日何処かしらへ出かけるようになった。
このまま姉上はその通りに売られるのか? と思ったが父の仕草を見て"違う!"と何かが告げる。私はただ黙って父を見つめるしかなかった。
「せめて、ジークにはお別れの挨拶が出来ればいいのだけど……」
姉上は恐らくこの時、父の変化に気づかず売られる事を覚悟していたのだろう。
「もう一人の弟が出来た気持ちだったのに、残念ね」
私も同じ気持ちだった。隣の子、ジークフリード=キルヒアイスは生まれて初めてできた友だった。たった数か月であったがまるで何年も一緒に遊んでいたかのような雰囲気。今頃彼はどうなっているのだろうか?
父が寝ている姉弟を起こし唐突に
「明かりは点けないように、声や音も立ててはならない。1時間後までに着替えたうえで本当に必要なものだけを鞄にまとめなさい」
と言ったのはそれからしばらく経過し、もうそろそろ本当にお迎えが来てしまうのではと思われる日の深夜であった。
そういうと父は
「私も用意する」
と自分の部屋に戻る。追いかけたいという気持ちもあったが妙な胸騒ぎを覚え、とにもかくにも荷物をまとめる事にした。隣の姉上の部屋からも小さな音が聞こえる。姉上も同じことをしているようだ。
時が来て父の元に集まる。
「準備は出来たな?」
言葉に頷くと父は時計を確認し、
「ついてきなさい」
と、歩み始める。電気を点けていないので細かい様子は確認できなかったが父の声には恐ろしいまでの"力"を感じ、何も言い出せなかった。
「いきましょう」
そう、姉上がいうと私の手を握った。姉上はこの時、何が起きるか・しようとしているのかが判ったのであろう。
家を出てすぐの角に車が停めてあった。その後部座席に姉上と私が乗る。そして父は運転手に
「では、よろしくお願いします」
と言うと持っていた小さな鞄を私の方に放り投げ、扉を閉めた。
それが私達姉弟の見た父の最後の姿であった。
扉が閉まると運転手が小さな声で
「とにかく静かにしておくように」
と言うと車を"普通の走行の最高速度"で走らせる。ここまで来たら10歳だった私にも"とんでもない事をしているんだ"という事は判った。しかしもはや何も出来ず、ただ流れに身を任せる事しか出来ない。
車が停まり、外に出るように促される。次に乗せられたのはコンテナのようなもの。外見はコンテナだが中には無音の電源・換気・温度調整システム、姉弟2人がしばらく閉じこもるには十分な非常食と水、他には寝具や各種小物、使い捨てのトイレセットに丁寧にも消臭機能付きゴミ箱すらある。覚悟を決めてその小部屋に入り、扉が閉じられた。
それからしばらくの間その小部屋で生きるしかなく、その時になって初めて父の鞄の事を思い出し、中身を確認した。
中に入っていたのはいくばくかの現金と私が生まれた時であろう家族4人の写真。2つの手紙。
1つ目の手紙にはこれまでの筋書きが書かれていた。
母を奪い、姉上も奪おうとしたのがブラウンシュヴァイク家である事
この逃亡の手続きをしたのがリッテンハイム家である事
今回の一件をリッテンハイム家にリークし、ライバルであるブラウンシュヴァイク家にダメージを与えるために協力させた事
姉上の寵姫としての献上が決まったタイミングで事を起こしてもらった事
それによりブラウンシュヴァイク家の顔に泥を塗ってやった事
手助けしたリッテンハイム家への対価として責が及ばぬように自分が残って証言をしなければならないという事
これらの事が淡々と書かれていた。
生き返った父の、命を懸けたまさしく一世一代の勝負の記録だった。
そして2つ目の手紙にはただ一言
"生き抜け"
それだけが書かれていた。
それからしばらくの時が過ぎ、やっと扉が開かれた。開かれた場所は大きな立派な建物の一角。
フェザーン自治領、自由惑星同盟弁務官事務所
私達姉弟はこうして自由惑星同盟へ亡命した。
※1:エルウィン・ヨーゼフ
父であるルードヴィヒの死亡年とエルウィン・ヨーゼフの年齢に矛盾があるのはよく知られている設定だが本作ではエルウィン・ヨーゼフは786年(※2)生まれとします。原作1巻開始(アスターテ会戦)が796年なので10歳です。原作設定だと796年で5歳です。
※2:本作の歴
銀河英雄伝説には帝国歴と宇宙歴という2つの歴がありますが本作では特記がないかぎり宇宙歴記載とします。
帝国歴487年=宇宙歴796年=原作1巻開始(アスターテ会戦)の年
※:ジークフリード=キルヒアイス
彼がラインハルトにとって"もう1人の自分"になったのは原作でアンネローゼを奪われた後、だと思います。本作では「記憶に残る最初の友達」です。心残りになってる事は確かですが"魂に刻まれた関係"ではありません。