それは異様な風景だった。
その準旗艦級戦艦(※1)の内部にはあらゆる所にホワイトのビニールテープが張られており帝国語で何か書かれている。同盟語のプレートに付随するように張られているそれはこの旗艦だけでなく分艦隊全ての艦艇で施されている措置である。同盟人とつい最近まで帝国人だった者達が同居するこの分艦隊は帳簿上は七九八年年初から存在しているがまともに動き始めるのはまだまだ先となっている。亡命者達の基礎教育(主に一般常識と読み書き会話)を行いつつ配属、帝国艦艇式と同盟艦艇式の違いの確認(※2)をし、初めてまともな訓練が始まる。訓練が開始されても基礎教育と平行しつつとなるので訓練期間は通常の倍で設定されており、はっきり言ってしまうと今年は集団訓練も不可能だろうという予定が出ている。しかし政府も軍も戦力としてはアテにしていないのでそれでいいと判断した。軍属希望亡命者達を集める一つの箱であり彼らの任期が終わり、それまでに同盟人として生きていける基礎教養を身に着けてくれれば良いのだ。それがこの独立第一分艦隊、自称盟約分艦隊という部隊の存在意義となる。そこに分艦隊次席幕僚ラインハルト・フォン・ミューゼル大佐が最初の一歩を踏み出した。
「着任を確認した、よろしく頼むよ。私は(亡命)二世だが親が亡命者だってだけで自身はただの同盟人だ。ネイティブに両国語が話せる者がいるととても助かる」
分艦隊司令官エリック・ハリス少将、五〇歳。前職は前宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥の直属部隊の司令をしており、再編後は艦隊に属さなかった艦の再編業務に就いていた。この度、その再編中の部隊から亡命二~三世などを中心に(事情を説明して転属を承認した者を)かき集めて亡命者達と合流しこの分艦隊を率いるようになった。
「やはりネイティブで使える人は少ないですか?」
「うむ。それ(亡命一世)が沢山いる薔薇の騎士連隊みたいな所ならまだしも艦隊側となると人の母数も多いしその中でばらけてしまうからな。数としてはアテにならないしいたとしても万が一の敵軍交渉の為に大小問わず司令部のある所に優先的に回されてしまう」
「何かに使えるかもしれない、と忘れないようにしていましたがその意味はあったようです」
ラインハルトが軽く笑いながら応える。一〇歳の時に亡命してきた彼は既に人生の半分以上を同盟で過ごしている。最近と言うかいつの間にか頭の中で考え事をしている時も同盟語になっているしびっくりした時など咄嗟に出てしまう言葉もそれになった。しかしそれでも帝国語がネイティブと呼ばれるまで語れるのは"これ(帝国語)は錆付かせない方が手に職を考えた際に役に立つかもしれない"と考えた姉弟が自宅で"帝国語しか使わない日"を設定したりして適度に使い続けたからである。そのおかげで弟は今、役に立っているし姉は帝国と同盟双方の一般生活を知る人材として亡命者団体(の主に"婦人の会"的集団)の方々に同盟の一般生活を伝える教師的役割を依頼されてしまい引っ張りだこになっている(※3)。
「実務の方だが知っての通りわしはお飾り司令官だ。立場上やらねばならない事はするがそれ以外は任せる形になる。それを含め君が帝国語に堪能である事は非常にありがたい。宜しく頼む」
「ご期待に添えるよう努力いたします」
「おー、到着していたのか。出迎え出来ずにすまない」
そう言っている傍から"それ以外"を任されている男、アイゼンフートが到着する。平たく言うとこの時点で分艦隊としては"おかしい"のである。そもそも分艦隊に複数の少将がいる事が普通ではない。そして分艦隊序列二位である彼が司令官と同じ艦に同席していることも通常はありえない、艦隊の司令官と副司令官が同席するようなものだ。分艦隊とはいえいきなり亡命者を司令官に出来ない、しかし(亡命系兵達)への影響を考えるとおざなりにも出来ないというお役所的配慮の結果である。周りは苦労しているが当人としては"士官学校を正式に出てないし将官講習も受けていない。今勉強中なので司令官というのは何をしなくてはいけないのか横で見て学べるのでありがたい"との事でこの措置を歓迎している。
「ひとまず大佐への説明は私の方から行うという事で宜しいか?」
「うむ、任せる」
さっそく"任された"ので目線でこっち、と案内され小さな部屋に入ると当面の資料を用意していたシュトライト大佐と顔を合わせ、軽く会釈する。
「形としては俺が首席、君が次席、シュトライト大佐が三番目でもう一人四番目で中佐の奴がいるんだが今日は訳ありで不在。これがこの分艦隊の帳簿上の"幕僚陣"だ」
「帳簿上とはいえ分艦隊で将官佐官が四人ですか」
「実態としては俺が司令官的な事をさせてもらって君が参謀長、シュトライト大佐が庶務事務系全般、ベンドリング中佐が情報系、という割当だ」
「承知しました」
「それと」
「それと?」
「どうぞ」
女性の声でコーヒーが差し出される……
「あ、どう……も、っっって!!!」
軽く受け取った後で"それ"を見てしまい思わず奇声を発してしまう。うん、間違いなく、彼女は、うん……
「この度、分艦隊司令部付従卒としてお世話をさせて頂きますエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクです。これから宜しくお願いします」
優雅に頭を下げるその姿、仕草はまごう事なき貴族の御令嬢のそれなのだが軍服とのアンマッチが激しい。そしてはっとなり"グギギギギギギ"と音が出そうな首の動きでアイゼンフートの方を向く。
「うん、まぁ、これもいるんだわ。そこを含めて宜しく!!!!」
後の事を考えれば"その直後にコーヒーを顔面に叩きつけてやるべきだったのかもしれない"とは金髪青年の後の談である。
退出するその姿をポカーンと見つめてしまう。
「んー、仕事の話をする前にあれの話を先にしておいた方がいいかな? 身が入らないだろう」
「それで、お願いします」
姿勢を正し、前を向く。そしてその視線にえも言われぬ寒気を覚える。眼力が違う。恐らくこれが本来の姿? 目を閉じ、ふ~~と息を吐き、吐き捨てるように言い放つ。
「こうでもしないと守れない世界なのでね」
場が静まる。口に出していい雰囲気ではない。
「君はお偉方が俺に付けた鈴だから言うだけ言っても大丈夫だからな。言っておくが俺達、今回の亡命者達の上澄みは君が思っている以上に魑魅魍魎といっていい。帝国の表と裏で言える事言えない事の応酬を日常茶飯事のようにやってきた連中だ。実際にそれをやってきた俺が保証する。君たちに表面上友好的に振る舞っている奴らも裏でどう動いていることやらわからんぞ。俺が軍に残ったのは軍と軍以外を見れるようにする為、と以前言ったがもう一つの理由としてこういう形で娘をその世界から引き剥がせるから、というのも追加するはめになってしまった」
「…………亡命者の方々で問題ありと言われている勢力はとても少数派と聞きましたが?」
「こっちの勢力が大きいのは俺と娘が友好的であろうとする姿勢でいるからだ。あっちに付きたいが俺や娘がこっちだから仕方なくこっちという層は多い。そしてそれ以上に己で考え選ぶという事が出来ずとりあえずブラウンシュヴァイク家への忠誠心で付いてきているだけというのが多い。つまり、なんらかの形で娘があっちに担がれる事になったらその瞬間に勢力比は真逆になりかねない。あっちの本心は昔のまま、俺達があの戦いで負けた理由そのものだ。とてもではないが"平民以下の棄民の末裔である叛徒共"に従う気持ちはない。そもそも"法の順守"という概念の無い奴らだ。隙を見せたら居住区で勝手に自治をおっぱじめるぞ」
「政府はどこまで……」
「当然、理解している。だからこそ年齢条件が"未成年である事"という一点だけで同盟語もまだ話せんのに従卒にしてしまうなどという手段が認められているのだ(※4)。時間は限られるがその間に預けるに値する勢力を作る努力はするし娘にいろいろ学ばせる。…………それでだ」
冷たい視線のままじーっと見つめられて"背筋に汗が"という感覚を覚えるが目の前の顔が一瞬にして"元有力門閥貴族伯爵家当主"から"なんか食えない親父"に変身する。
「業務の傍らでいいから娘の家庭教師してくれない?」
「はい?」
さっきまでの緊張感を吹き飛ばす蹴手繰りを食らい素っ頓狂な声を上げる。
「おーい、飲み物おかわりー!」
扉の向こうに声をかけ、その焦点の人物が追加の飲み物を持ってくる。
「ミューゼル様もお飲みになりますか?」
「お願いします」
考えてみたら元公女様である、自分で茶を入れるなどやった事なかっただろう。他人の為に何かをするという概念も持ってなかったのかもしれない。しかし見る限り丁寧に茶は入れているしなによりも嫌がっている素振りは無くむしろ楽しんでいる様子すら覚える。
「彼が前に言ってた家庭教師になることになった。希望あるなら今、言っておくといい」
「そうですの!」
希望の瞳で見つめられてしまう。
(いや、まだやるって返答なんてしていないんですけど!!!)
と、少し横に控えているシュトライト大佐に目線で助けを求めるが申し訳なさそうに首を軽く横に振られる。その諦めきった表情を見て確信する。
(これがこの親子なのだ)
と。血は繋がっていないが(恐らく当人たちも予想をしていなかったレベルで)波長が合っている。まるで室長とその養子のようなコンビネーション。そして元貴族としてなのかこっちの都合にお構いなく事を進めてしまう。いや、多分それはやっていい時と悪い時を見極めたうえでの事だろう。つまり、今自分はあの食えない親父から"こいつチョロイ"と思われている。まさしく魑魅魍魎の住人である。
「それで希望なのですが……」
「はい」
もう抵抗する気力がなくなった。
「従卒でいられるのは二年ほどらしいのですがその間に……」
年齢相当のもじもじ感を醸す姿を眺めつつ次の言葉を待つ。
「正式な軍人になる為の知識を授けていただけないでしょうか?」
……………………
「本気でそんな事させようとしてるのですか!」
予想外の希望に驚き、思わずその養父を睨みつけるのだが。
「え?」
「…………え?」
信じられない表情で養女を見つめる駄目親父を見て色々なものがガラガラと崩れていく音が聞こえてくる。
(この親子はもう駄目だ)
と僅かな希望を込めてシュトライト大佐を見るがこちらも口をあんぐり開けている。そして当の本人はにこにこしながら返答を待っている。
「……ひとまず回答は保留にさせてください。そのご希望は多分に"政治"も絡んでしまいますので」
とりあえずそれで棚上げにした。
「…………一旦休憩にするか」
「仕事の話、まだ始まってませんね」
エリザベートが再び退席した後、何とも言えない空気に包まれる。
「そうかぁ、そういう希望だったのかぁ」
「事前に聞いてなかったんですか」
その呟きを聞いて思わず愚痴が出てしまう。が、それを聞いているのか聞いていないのか休憩の予定のはずだったのに勝手に話が開始される。
「学習そのものだがこの分艦隊の兵達も対象となってる成人向けカリキュラムはまだ若干若くて使えないし、義務教育世代は公立の学校で一緒に学ぶらしいからこれに行かせるわけにもいかない。あれ(エリザベート、今年で一八歳)の年代は臨時の学校みたいなものを立てて対応するらしいのだがそこに行かせるのも(エリザベートの立場上)危険が伴う」
「私の時は姉上と共に学校で学べる年齢でしたが……確かその年齢(一八歳)くらいだと公認家庭教師による個別指導のはずですね。今回は人数が多いのでその話にある臨時の学校を立てるようですが」
「分艦隊の中にもその臨時学校に行くものもいるが娘は危険が伴うので行かせるわけにはいかん。なので家庭教師、となるのだが流石にここ(軍艦)に呼んで学ばせるという事は無理と言われた。そもそもそんな特別な立場の者を無理矢理軍属にして軍艦に乗せる方がおかしい、元々将兵だった者達とは意味が違うという事だ。まったくもってその通りなのでこっちで何とかするしかなくてな」
「それでまぁ、履歴的に私が適任であると」
「そういう事だ。それにあの時言ってこなかったのだが年齢相当の女として料理や家事など一通りの"一般女性の生活"についても学びたいとは前から言っていた。それに関しては君の姉君にお願いしたい、というのもある」
「貴族の家として家政婦とかはいるはずですのでそちらから学べば?」
ややこしい事に姉を巻き込むのは正直嫌なので別の手が無いか考えてしまう。
「元々付いていた世話役などは逃亡(亡命)秘匿の為、要塞に置いてきた。顔見知りの所に頼んでみたのだが恐れ多いと辞退されまくってな。知り合い以外の貴族家のをアテにするとどの勢力の息がかかっているのかわからん」
「……姉上に頼むかどうかは判りませんがそれはそれで探してみます」
「すまんが頼む」
お父さんの顔になって素直に頭を下げる(最終的にはその姉君と室長の養子と副室長の奥方という笑い事にならない面子が"師匠"になる事になる)。
「それで、あの希望の話ですが」
「それだ、な」
二人揃って神妙な顔つきになる。
「ひとまず同盟語と義務教育課程の学問については引き受けます。その希望についてはその過程でおいおい考えていきましょう。本当に行うとしても義務教育の学問が終わらない事には手を付けられないので」
引き受ける受けないの話はもうどうにもならないと諦め、そこの部分には明確に壁を作る。後で色々な所に相談して回るしかない。
「"今、ここにいる。そうしてくれた人達に何かしらの恩返しはしたい"とは言っていたのだがこういう形での恩返しを考えていたとはな」
「今度は自分が守る側になる、と」
「そうなのだろうな。あの戦いでも実父であるブラウンシュヴァイク公の傍らで状況を聞いていたし見てもいた。人の上に立つ者としての責務ととらえている感がある。それとは別に俺と同じで帝国の軍や政府に含むものがあるのかもしれんがどうであろうとこの国で言う所の"職業選択の自由"というものを知って出されたら止められん」
「そのあたりは焦らずに日々の暮らしから読み取るしかないでしょう」
「だな。よし、やっと最初に戻って仕事の話をしよう」
「はい」
一〇分後
「……という予定になります」
スケジュール等の説明をするのはシュトライト大佐。アイゼンフートはその場にいない。"なんかもう、疲れたから任せる"と言ってどっかに行ってしまった。
「本当に今年いっぱいは個艦単位、進んだとしても分隊単位の訓練のみなのですね」
手渡された資料には訓練スケジュールが記載されているが参考として通常の訓練課程の場合の期間も載っている。通常と比べ、非常に長く時間を取られている。
「当面は同盟語習得や基礎教育課程優先ですので乗組員が十分に揃わない時が多いのが難点でして。さらに一年で退役する予定の者は職業訓練も必要となります。人の流れが落ち着くのは来年に入ってからでしょう」
「わざわざ志願したというのに一年で退役ですか?」
不思議に感じて確認してしまう。
「一般技術職など、手に職を持てる技術持ちは積極的に民間に出る方が望ましいという事です。そうしないと任期完了が同時期になってしまいますので」
「同時期……あ」
そう言われて意味を理解した。この分艦隊に所属する亡命将兵は同じタイミングで同盟軍に所属となった。つまり志願兵相当の者達は杓子定規で行けば同じタイミングで任期終了となる。この分艦隊はその特異性から考えて他箇所への配属変更はないと考えていいだろう。そして所属する三分の二が亡命将兵である。これが一気に抜ける状態にしてしまったら実質的解散といっていい状態になる。なので順次退役できるアテ(求人)がある者は社会に出して新兵を入れる事で任期のバランスを取る。任期一巡り分の時が流れればこの分艦隊はただの分艦隊になる。
「ですのでお飾りという陰口を既に頂いておりますが戦力と言う点においては本当にお飾りのままになるかもしれないと危惧されています。初年度はもう諦めるしかありませんが二年目は厳しく行こう、という算段です。ミューゼル大佐にとってはそのお力に合わぬ役不足な職場となりますがお力をお貸し頂ければと」
シュトライト大佐の丁寧な口調にムズ痒さを感じてしまう。この年齢で大佐になってしまったので階級下の年上というものには慣れるしかないのだがシュトライト大佐は帝国で、とはいえつい最近まで准将だった人であり出来れば自分が下になりたいのだが大佐任官時期の関係で自分が上になってしまっている。
「いえ、今の階級も不相当なものですし現場の経験年数でいえばむしろ私が大きく学ばせてもらわないといけない立場だと思っています。ですので未熟な所があれば遠慮なくおっしゃってください」
あの妖怪じみた曲者親父と比べれば"良い人だよなー"という印象は持っている。しかしブラウンシュヴァイク公の側近だったという事を思えば魑魅魍魎の世界は知っているのだろう。もし本性がその世界の人であり、今目の前にいるのが仮面だったら……。そうでない事を祈ろう。
「しかし……」
資料をめくっていくと訓練の具体的内容についても書かれているがこれがやたら細かく詳しい。
「訓練内容がとてもまとまっていますね。我が軍のカリキュラムですか?」
「いえ、それもいただいていますが我々のカリキュラムも踏まえた改修版となっています」
「帝国軍の?」
「はい」
シュトライトが経緯を説明する。元々帝国軍のいわゆる貴族艦隊は対同盟の前線に出る事はなく訓練や国内治安維持を中心としていたらしい。なので今回亡命してきた貴族艦隊系将官や士官はそれらの事柄についてそれなりに技量を持っている者が多い。しかも亡命してきた艦艇にてそれらの訓練プログラムなどが入っており現物もある。
「ということもありまして。帝国式訓練内容の良い所を取り入れた新しい訓練カリキュラムの作成について提案させていただきました。これはまぁ、我々亡命士官達による"価値"の創出という側面もあります」
なるほど、と思う。貴族系士官は本当に実力による階級なのか貴族と言う社会的地位で手に入れた階級なのか判らないという声は聞いたことがある。軍人としてこれからもやっていきたいと思っている者達にとって少なくともその階級相当の能力(得意分野)がある事を示さなければ随時肩を叩かれる事になる。人が不足しているとはいえ階級に伴った能力のない者を雇い続ける程、同盟軍は甘くない。
「ですのでミューゼル大佐には是非とも生粋の同盟軍軍人としての視点でこの内容の評価・指導をしていただければと思います」
「若輩者ですがご期待に添えるよう努力いたします」
個艦単位が多い訓練全般となるとここ(旗艦)に留まらずにあっちこっち行く必要があるだろう。艦隊勤務について詳しく学ぶ、亡命士官や兵について見る、それが自分に期待されている内容だとは認識している。どうやらそれなりに為になる日々は過ごせそうであった。
「という事なのですが士官対策の教育はしてしまってもいいのでしょうか?」
後日の対策室。神妙になって上司の反応を見るラインハルト。
「するしかないんじゃないかなぁ。もし職業選択の自由を持ち出されたら拒む事も出来ない」
ちらっと横目で養子を眺め、ヤンが答える。そう言う意味でこの二組の養子親子は似た者同士である。
「適性が無いのならきちんとそう言って考えさせる事も出来る。でもそれは実際に教えてみないと判らないからね」
「やるだけやるしかないだろ。そもそも本当に駄目ならばずっと上の方の判断で任官させないだろう」
もう一人の上司もそう答えた事で方向性は決まる。
「それで、女性としての家庭スキルだがお前の姉さんが忙しければ女房に手伝わせてもいいぞ。こっちは専業主婦だから時間はどうとでも都合がつく」
「あ、それお願いします」
キャゼルヌの申し出を有難く頂戴する。実際にアンネローゼが忙しいのは事実だし厄介に巻き込まれそうになることはやらせたくない。
「それに今、弟子は既にいる状態だしもう一人の先生もいる」
そういってフレデリカとユリアンの方を見る。現在、フレデリカはとある事情がありキャゼルヌ宅で絶賛修行中でありユリアンも付き添ってる。一人くらい弟子が増えても稀代の魔女には負担にはならないだろう。
「ではその話はそれでいいとして。亡命貴族界というのはそこまで魑魅魍魎となっているのでしょうか? 姉上は友好的な方々を相手にしていますしそういう事には疎いので特にそういう情報は聞いたことないのですが」
それを聞くとヤンは顎に手を当て、珍しく何かを考えこむ。
「どこまでかは判らないけど」
そう呟くと"うん"と一つ頷き、言葉を続ける。
「直接は体験したわけではないけどあの手の世界が陰謀にまみれた所である事は想像できる。こちらに逃げ込んできた有力者達には自らは戦場に立たず裏で活動して、可能性の一つとしての敗北・亡命を事前に考え計画して、不本意ながらその計画でうまいこと離脱に成功した。そういう人達も多くいると思う。如何せんその手の陰謀家というものは用意周到だからね。自分の勢力仲間達にも情報共有して逃げる事が出来ているならそれなりの勢力にはなるだろう。その賢さでこちらの世界を理解してくれればいいんだけど世の中の権力者にはそれが出来ない人が多いからねぇ」
ヤンの言葉にキャゼルヌも続く。
「ま、その手の連中は色々あれど"諦めが悪い"という事にかけては共通事項だ。こっちに来て少しは諦めて丸くなってくれればいいのだがな」
「ですね。大佐も気になるだろうと思うけど下手につついて反応されてしまうのも多方面に影響が出てしまう。相手が話してくる分にはいいけどこちらからはほどほどにね」
「了解しました」
正直な所、あの世界は苦手なので"探りを入れてくれ"と言われたら苦しい。なので手を付けなくていいと言われる分には即座に受け入れる事にした。
席に戻るラインハルトをいつもとは違う目で見つめる。
「どうしましたか?」
ユリアンが新しい飲み物を用意しながら訪ねると不意を打たれたように"はっ"と反応し、すぐに元の顔に戻る。
「ううん、気にしないで。ごめん、ちょっと考え事タイムにさせてもらっていいかな?」
そう言われるとユリアンはおかわりの入ったディーポットをそのままにして自分の席に戻り、それを聞いていたフレデリカも同じようにする。
ヤン・ウェンリーも人の子であり他人に介入されたくない時間というのは存在する。その時はこう言って一人にしてもらう。周囲の者はあの二人(フレデリカ&ユリアン)の両方が近くに待機していないのを見ると直接報告しなくてはいけない事も控え、そっとしておく事にしている(報告そのものは一旦パトリチェフが代わりに聞き、後で良いもの、代打キャゼルヌで良いもの、本当に今伝えなくてはいけないものを仕訳けている)。
(流石にまだ表に出せないからなぁ)
そうヤンは考える。宜しからずな一部亡命者達のグループについては既に軍幹部には情報が回っており幕僚総監としてのヤンもそれを知る立場である。言い換えればそのクラスでないと回ってこない程に今の所は秘められている、という事である。
その"宜しからずな一部"は色々と悶着を起こしてはいたが結果として亡命手続きと住居割当の時は従順だったらしい。後になって各人が思うに揉め続けた挙句に送り返されるのだけは危険だと判断したのであろう。そして手続きが終わり形としては正式な自由惑星同盟国民としての国籍登録が完了した所で"棄民同様の叛徒共"とのお付き合いを終了した。彼らはまず住居を改造した。彼らの住居としては(侵攻作戦の損害の結果)空き団地となっていた正規艦隊所属者用兵舎が割り当てられていたのだがその際に親族たちや縁のある者たちが同じ兵舎(=マンション)に集まるのを許可したのが運の尽き。そこ(マンション)を文字通り有力貴族単位の牙城とし、軍に志願させなかった私兵達を勝手に警備員にし、兵舎単位に添え付けの大ホール(集会用など)をサロンの場(※5)としてしまい"宜しからずな集団"の活動の場にしてしまった。その集団(※6)は兵舎マンション群の一角を拠点とし、既に自治(当然無許可)と言える体勢を築き上げている。当然ながら己の牙城外周には私兵警備員が巡回し、必要外の者は政府・正規軍警備兵を問わず追い払っている。そんな事をしても外部に情報が漏れていないのは一般市民が勝手に入れない軍兵舎街内部の事であり、同盟に慣れるまでの配慮として亡命者居住区一帯を部外者進入禁止エリアにして軍の警備兵が巡回しているからである(慣れるまでまだ勝手に動いちゃ駄目、となっている。同盟軍兵達にも落ち着くまで近づかない事とされている)。
(数としては六万乃至七万人。今回の亡命者全体で言えば一割弱と言った所だが一つの町くらいの人口を持つ"身勝手自治領"か)
この集団に対しては後に"政府は門閥貴族を舐めていた。流石に内乱で敗北し亡命に至ったという経緯を考えれば郷に入っては郷に従うであろう、と思い込んでいた"と酷評されている。そう評されても仕方のない事象がこれからも続くのであるが少なくとも現時点では政府や亡命者支援団体達も一生懸命になって彼らの"自由惑星同盟国民としての一人立ち"の為に努力していたのである。
「流石に国を問わない一般学問については問題なし、むしろ賢い。これだけの基礎教養があるのなら国の違いがある歴史や社会、道徳などについてはゆっくりやるよりも駆け足で流し込んだうえで弱みを見つけて追試をしていったほうがいいだろう」
ラインハルトが帝国語で書かれた答案用紙を素早くチェックする。少しでも慣れる為だろう、一対一なので書かなくてもいい名前欄に覚えたての同盟語でわざわざ名前を記入している所などほほえましいものだ。事の流れでエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクの家庭教師になったラインハルトはその細かいカリキュラムを考えるまでの時間稼ぎとして亡命者成人向け用カリキュラムの基礎学力テストを手当たり次第にやらせてみたのである。帝国に義務教育と言う制度はないがそれ同様の国営学校は存在するしそもそもブラウンシュヴァイク家公女として最大限の教育は受けているのだから成人向けでも行けるだろうと考えたのだが当然の結果となった(※7)。
「しかし、思いのほか歴史や社会についても悪くない所がある。少なくともこれは自由惑星同盟という国が、共和制という制度がどういうものかの基礎知識を学んでいる。有力な門閥貴族がそうなのかブラウンシュヴァイク家がそうなのか……。本人に聞く前に環境がどうだったかを聞く必要があるな」
後日、ブラウンシュヴァイク家の事を知ってそうなシュトライト大佐に聞いてみた所、
「確かにこちら(同盟)の政治形態などについても大まかながら教育が施されていたとは聞いております。ブラウンシュヴァイク公は長きにわたった政治抗争の中で"倒したい敵の事を良く調べろ"と常々我々に命じておられました。表舞台の政治の頂点を目指されていたので帝国の敵であった同盟の事も知識を持っておられましたしそれをある程度教え込んでいたとしても不思議ではありません」
という回答であった。"敵を知り己を知れば百戦危うからず"という古代地球の格言があるがこれは現代でも通じるという事だ。
「どうりでこちら(同盟)への理解や順応力が高いわけです」
「それ故に一部の方々と衝突してしまい、こちら(軍)で預かった方がいいだろうという話になりまして……」
「衝突?」
思わぬ言葉に首を傾げる。それを見て"内密でお願いします"と一言付け足してシュトライトがその時の話を始める。
「亡命直後、まだイゼルローン回廊に留まっていた時からの話です」
アイゼンフート宣言によって始まった亡命動乱。亡命者達は一旦イゼルローン要塞近辺に集合し最低限の受け入れ準備が整った後に移動、となっていた。その最中において万が一に備えイゼルローン要塞近辺、つまりは要塞主砲の射程距離内で待機を余儀なくされた亡命者一行は帝国の追撃から逃れられたという安心感と同時に気が抜けたのかこれからどうなるのかという不安とひたすら対峙していないといけないという緊張した日々を送らざるを得なくなった。その中でエリザベートは一行の不安を和らげるために度々回線を通じ彼らへの語りかけを行っていたらしい。しかし、その語りかけが通じない者達も当然ながら存在する。特に今"宜しからずな一部"として扱われている集団においてはそれが顕著であった。口が悪い言い方で表すのならこのような内乱を巻き起こす元凶の一つであった"門閥貴族のエゴの塊"と言うべきその集団はその初手から同盟という存在を見下していた。彼らはそもそも命令(指示)される事に免疫がない。一時待機指示すら無視して同盟領内に移動を開始し監視部隊から強制停止(威嚇発砲付き)を受ける有様である。そして待機場所に戻されるや否や何故かエリザベートを非難する。"なぜ我々を助けなかったのか? "と。エリザベートからしてみれば"私たちは亡命希望者なのだから受け入れられるまではその指示に従うのは当たり前なのでは? "と言った所であるが彼らにそのような常識は通用しない。そのような悶着を何度も繰り返しているうちにエリザベートは年齢相当の癇癪を起こし部屋に引っ込んでしまいアイゼンフートは要塞司令部にひっそりと"今度勝手に動いたら一隻二隻、問答無用で撃沈していいです。私がそう依頼したと公表してもいいです。なんでしたら私の直属で始末をしてもいいです"と申し込む有様である。流石にそこまではいかなかったが色々と険悪なムードでの亡命受け入れとなりハイネセンに到着するのだがそこでも悶着は続く。
「何故叛徒政府は我らの封土を用意せぬのか?」
とある門閥貴族当主が当たり前のように同盟政府役人に言い放った言葉である。このレベルの認識の貴族がグロス単位でやってきたのである。対応したくなくなったエリザベートも"結果としてここまで連れてくることになった原因としての責任"として流石に無視する事は出来ず彼らの説得を行う、といっても同行したアイゼンフートが慌てて(エリザベートを)奥に引っ込ませて説得役を交代する程度には説得なのか罵声なのか判らない言葉が発せられていたらしい。尚、この時点で同盟政府は"流石に限度を超えた者達は亡命意思無しとして送り返そう"と腹をくくりかけたらしいが説得(?)が通じたのか実際に返送手続きを開始した時点でやっと(表面上は)まともに対応し始めた。流石に"絶対の死"を引き換えになったのなら"送り返されないと判るまでは叛徒政府の言い分も少しは聞いてやってもいい"という事になったらしい。だがその彼らのそれからの振る舞いを見て同盟政府は"返送すれば良かった"と後悔する事になったのはいうまでもあるまい。その結果、不満の塊となった集団の矛先を軍に身を置きつつ守るのは無理、と判断しエリザベートは軍属になったのである。
「…………よく今まで表沙汰にならなかったものですね」
「入国までに色々ありすぎたせいですか、十二分な警戒態勢となったものでして……」
さもありなん、とラインハルトは思う。同時にヤンが見せた珍しい仕草の事を思い出す。
(なるほど、軍幹部には情報が入っていたのか)
「私もその門閥貴族の"ごたごた"で亡命する事になったのですが。またそれを見なくてはいけないのですか……」
思わずため息交じりに呟くラインハルト。そして気づくと目の前のシュトライトが深々と頭を下げている。
「あの、すいません。そういう意図で言ったわけではありませんので気になさらないでください」
「いえ、そういう訳にはいきません」
頭を下げたままシュトライトが語る。
「私めはブラウンシュヴァイク公の傍に長らく仕えておりました。故にあなたのその一件について知り得る立場なのです」
その姿をはっとして見つめる。ブラウンシュヴァイク家という事で心にしこりがあったのは事実である。しかしエリザベートは無関係だろうし、そもそも感情を出してしまったら公私混同である。関係があったと言われている両家(ブラウンシュヴァイク、リッテンハイム)が没落した事で少しは溜飲が下がる思いだったしそれをここでぶり返すつもりはなかったのだが向こうからそれがやってきてしまった。
「その話は後日、職務外の時間にしましょう。あくまでもそれは私個人の問題なので」
「……わかりました」
シュトライトがやっと頭を上げる。
「お名前を聞いた時からもしやと思っていたのですが、罪滅ぼしにはなりませんが私が知り得ることは全て後日お話します」
「ありがとうございます」
口に出さなければこちらから聞く事は無かったと思う。そう考えるとやはりこの人は魑魅魍魎の世界を知ってはいるが"いい人"なのであろう。これを機にラインハルトは苦手だった"表裏の裏としての大人の駆け引き"について色々とお世話になる事が多くなる。如何せん彼のメインの職場でのトップ(1と2)からはそれを学べない(※8)。
「それにしても、世の中の巡りあわせとは面白いものですね」
そう呟くしかないのだがその巡りあわせの究極系を彼が味わうのはまだまだ長い年月を必要としていた。
七九八年の同盟は亡命勢力関係の話は避けて通れないので今後も出続けるだろうトンチキ親子。多分この文面というか流れというかオリキャラが目立つのは嫌な方はいると思いますが自分はこのテンポ等が好きなのでお諦め下さいとしか言えません。
判り易く言うとあの亡命者達は門閥貴族の悪い信念を引き継いだ数十万の人口、それも軍人軍属を多く要する"銀河帝国正統政府"予備群です。軍&元貴族のトップがその悪癖にNOの態度を取っているから現状表立って動けていないだけです。帝国の門閥貴族の魂を引き継いでいるので専制式システム(皆が認める最高権力者の"血筋")以外を上として認める事が出来ません。もしそれがいないのなら自分達が一番上、という認識です。なので彼らの認識上、自由惑星同盟には彼らの上はいません。
※1:準旗艦級戦艦
標準型戦艦の通信機能を強化したもの。主に分艦隊旗艦に使用される。旗艦級戦艦を使うのが理想的であるがコスト的にポコポコ作る物でもないし量産効果を得られる程沢山作る物でもない。なので旗艦級戦艦が回ってこなかった時はこれでお茶を濁している。尚、居住区のカスタマイズはされていない為、分艦隊司令部の人数分要職士官用個室が足りなくなり、割を食う若手士官が出てしまう。
※2:帝国艦艇式と同盟艦艇式の違い
下手に帝国艦艇式が染みついていると無意識な操作でその差異が出てミスが発生する可能性がある。ある意味、何も知らないまっさらから訓練した方が早い場合もある。
※3:姉さんひっぱりだこ
事が事なので本業(菓子職人)を少し休めて半々の副業になっている。そして好意的マダム達のカリスマ的存在になってしまい、未婚である事でさらに目の色を変えられてしまっていて弟としてははだはだ不安となっている。尚、本人はボランティア的活動のつもりであったが正式な仕事として礼金が国から出ており、馬鹿にならない金額を受け取っている。が、姉弟共にお金には無頓着なのに散財の癖は無いので貯まる一方である。
※4:未成年
エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクは七八〇年生まれで七九八年で一八歳。
七九八年 ラインハルト22、ユリアン16、フレデリカ24、シャルロット・フィリス10、シャルロット・フィリスの妹7、カーテローゼ・フォン・クロイツェル14 のはず
※5:サロンの場
必要な物は亡命の際に持参している。そもそも亡命の際に乗って来た"お召し艦"にはデフォルトでそういうものが満載されている。
※6:諦めの悪い貴族集団
貴族単位の兵舎(マンション)が遠い場合、マンション単位で勝手に引っ越して一塊になっている。当然無許可、無届け。ついでに言うと一人(一家族)一戸という考えもなくマンションの数割をそこを治める元貴族当主(と家族)が使い、下々の者は相部屋になっている。当然無許可、無届け。
※7:帝国の義務教育
臣民たるもの、学びは強制的やらせるのではなく自ら進んで行うべきものである。として義務(=強制)教育の制度は存在しない。のだが"臣民が身に着けるべき理想的基礎教養"は定められておりそれを教える国営学校や私立学校は存在する。そして"自ら学ぶ意欲のある臣民を慈しみ育てるのは為政者の成すべき姿である"として国営学校には"下賜金"が毎年与えられておりこれを元に余程の貧困層でない限り払える学費で学ぶことが可能となっている。帝国臣民に為政者の立場・慈悲を示すという建前と流石にそれ(義務教育)は必要だよねという本音の入り混じっためんどくさい制度である。
しかし、義務ではないので帝国政府が関与できない貴族領においてはその平均学力(修学率)はその為政者の気持ち次第であり、内乱後処理の際に盟約系貴族から没収する領土が経済的に豊かな所を選んでいるのは経済的なものもあるが基本経済の豊かな所は教育レベルも悪くない所だからである。
※8:お勉強
その手の手腕に関してはヤンは苦手を通り越して無理、キャゼルヌは完璧な理論で正面から殴ってしまうので寝技は出来ない、パトリチェフは表の交渉術は学べるが裏が出来る人柄ではない。