起床していつも通りのルーチン+αをこなして朝食となる。
「おはようラインハルト。体調は大丈夫?」
「大丈夫。元に戻ってる」
「そう。ならいつも通りの朝食にしてしまったけど大丈夫ね」
いつも通りの朝食をいつも通り姉弟でいただく。いつの間にかというか今年で二四でとなり「もうそろそろ自立したらどうだ?」という声もあって少しは考えているのだが自立といってもここは士官用宿舎であり"自立=姉を追い出す"となってしまうので考えるのをやめた。
「それにしても面白いわね。解熱剤だけで何種類あるのかしら?」
「今回なんて併用可能だから二種類飲んだ」
「レポートは忘れてないわよね?」
「うん」
今の二人にしか判らない妙な会話が続く。
ラインハルトの義務の一つになっている健康管理。去年の出征中の発熱ダウン以降、そこそこの間隔でそれが発生するようになった。健康優良児を自認している彼とはいえ普通に風邪をひいたり熱を出したりする時もある。だが「前は何年前だったか?」と指折り数える程度の頻度であり薬飲んで安静にしていれば半日程度で全快するようなものだったのであの時のように完全なダウンというのは非常にショックの大きい事件であった。とはいえ数日休めば動ける程度のものであり、気にするほどのものじゃあないだろうと思っていたが義務によって報告した医療機関の反応は正直な所「やりすぎなんじゃ?」と思うくらいの代物であった。
その"今まででは考えられなかった体調の変動"に大きな反応を示した主治医はまず、その時の状況などを詳しく確認すると後に同様の症状になった時に備え指定の薬を常備するように指示した。そして「そこまでするものなのですか?」と素直に聞いた彼に対して主治医は
「身も蓋も無く、ひどい言い方なのだが君はとても貴重な"被検者"なのだ」
と答えた。確かにひどい言われ方であるが今までの状況も逐次聞いているので「そうなんだよなぁ」という気持ちにしかなれなかった。
"遺伝子情報の一部に遺伝子登録情報(データベース)に例のない項目有り。定期的診断の要有り"
この反応が出た後、彼のデータはすぐさま解析班に送られ既存データと合わせた詳細分析が開始された。そもそもこの遺伝子検査は結構な費用のかかる代物であり被検者数はとても少ない。さらに彼のように実際に遺伝子情報に異常がある人というのは当たり前だが非常に少なく、それが過去の情報にない"新種"であり、これだけの若さでどうやら発症していない(特に病気に繋がる異常ではない可能性もあるが)状況で遺伝子検査を受けてくれて発見となるともはや奇跡に近い。こんな"被検者"はそれこそ何十年に一人現れるかどうかでありそれを知ってしまったからにはもはや適当な扱いなどできない。彼はもうこの医療機関にほぼ一生ストーキングされる事が決定したようなものなのだ。
主治医の説明によればこのような未知の遺伝子異常を持った人と言うのは一定割合でいるのだろう、という事だった。しかし大抵の場合、そもそも目に見える形で異常が表面化することも無く詳細な遺伝子検査を行う機会を得ることも無いまま一生を過ごす。運悪くそれが症状となって死に至った場合も過程が判らないまま直接の原因を死因とし、その要因としての遺伝子異常にまで手が回らずに処理されておしまいである。運よく死に至る前に"何かがおかしい"と気づいたとしてもその頃にはもはや対処療法で最後を伸ばす事くらいしかできない。この手の症状に根本的な治療法・延命法などが確立されるのはこのような不可思議な発症事例などのデータが蓄積され、それを誰かが記憶してて「あれ? これってこの症状なのでは?」と早期に気づいて調査対応等を行って前進して……という長い時間・世代を経てとなる。しかし今、目の前に未知の症状を最初期から調査対応を行えそうな被検者がいる。病気の要因かもしれないが何の影響もない代物だったとしても"害はない"と判る事自体が医学の前進となる。君自身の為にも、未来においているかもしれない同症状者の為にも。そもそもこれが遺伝するのであれば君の子や孫たちの為にも君の代でこの異常がなんなのかを可能な限り調査しないといけないじゃないか!!
と"なんか正直怖い"と言いたくなるような(実は部署の予算カットにリーチがかかって必死な)主治医の圧迫面談を経て今日に至る。ひとまずその"今まででは考えられなかった体調の変動=高熱"の原因に遺伝子異常が関係していると仮定して使用する薬を指定し、持たせる事にした。それからも何度か同様の高熱やそれほどの熱ではないが何日か妙に集中力が続かない時などが発生し、その都度詳細な医療チェックや異なる薬を渡されるようになった。高熱と言ってもその原因は多々あるようでそれぞれに対応する癖の強い薬を試す事で今後症状が重くなる(とは決まっていないがそうなるかもしれない)前に少なくとも有効な対処療法は確立しておこうという魂胆だ。角度にしてたった一度のずれでも長い距離を走れば大きな差異になる。だがそのずれをなるべく早いうちに少しでも修正が出来れば大きなずれを発生させるまでの距離はより遠くなる。そう言う事だ。かくして彼は専用の薬を(併用可能なら複数)常備する生活となり、姉の"面白い"発言につながるのである。
("自分の身体の事は自分が一番わかっている"って言葉を使えないのは残念だけど姉さん個人には異常が無かっただけでも良しとしなくては)
とラインハルトは考える。この一連の騒動(現在進行形)における唯一の安心点は発見後に行われたアンネローゼの検査で同様の事象が見られなかった、という事である。といってもこれが"ラインハルト個人から発生したもの"なのか"親からの遺伝なのだが隔世遺伝などの関係で今回はラインハルトだけ露見したもの"なのかはまだ不明である。なのでもしアンネローゼがだれかと結婚し、子を宿した時。その子に異常が発生しないという保障はどこにもない。だからラインハルトは面倒くさいと思いつつも調査協力の手を緩めるつもりはない。まぁ、その協力理由に"自分の子孫"という考えがすっぽり抜け落ちている所が彼らしいといえば彼らしいのである。
「そんじゃま皆さん今年もよろしく!!」
宇宙歴八〇〇年を迎えた最初の会議。同盟軍第三独立分艦隊のそれは分艦隊司令官フェルテン・フォン・アイゼンフート少将の何とも気の抜けた一言で終了した。
「それで年末の研修はどうだったの?」
「事前に学んでいた事と重なるのは沢山ありましたが改めて習う、と考えればいい機会でしたよ。本番はまだ先でしょうけど」
二人が囲むテーブルの上に三人分、アイゼンフートとラインハルトとちゃっかり自分の分のコーヒーを置いてエリザベートもちょこんと席に座る。
「いや、もう(大佐になって)三年近くなんだから上がってもいいんじゃないの?」
「まだ今年で二四ですよ、私は」
「三年前に大佐、今年で准将だとして二四。三年毎で二七で少将、三〇で中将。うん、悪くない」
「いや、階級と言うのはそう簡単にはですね」
「ヤン参謀長は二〇代で中将だったらしいし第六艦隊司令官になった、えっと、名前なんだっけ?」
「アッテンボロー少将ですか?」
「あー、彼だ。あの司令長官の秘蔵っ子も今年中には中将予定らしいし年齢的にもそれくらいでしょ。ならお前さんでもなれるだろう」
「あんな濃厚なキャリア積んだ人と一緒にしないでください」
まったくこの人は、と軽く溜息をつく。その"年末の研修"というのはある程度の大佐任官期を迎えた者が受ける将官基礎教程の受講である。一昔前は人員不足や頻繁な欠員(=戦死)に伴う穴埋め昇進などを含め、適正ありそうな者をその都度昇進させねばならなかったが現在はある程度落ち着いている為、候補者たちに対してこのような研修を行ってじっくりと適性を判断できる余裕が出ている。
「やっと"下に任せて我慢する事"が判り始めて来たってレベルで将官になってしまったら迷惑かけるだけですよ」
「そのおかげで"大事を取って病欠"を後ろ髪惹かれずに出来るようになったんだ。少しは成長したと考えればいい」
その言葉に"ふんっ"とだけ応える。が、実際の所その慣れが無ければ"この程度なら動けるから働くか"としてしまう可能性が大なだけに声を出して言い返せない。そう考えるとこの人やその前の上司のような"やる事は確かにやっているそれ以外はちゃらんぽらん"な人の近くで働いていたのはそれが軽度ながら感染した(?)という結果から見て幸運な事なのかもしれない。人の身体とは不思議な事にこういう時にきちんと休むと体は"休むものなのだ"と覚え、動いてしまうと"休まなくていい"と覚えてしまうらしく体調不良への自己免疫能力に差が出てしまうという。やっかいな病魔(候補?)を抱えているだけに体を休ませねばならない時に休む事を覚えさせる事は悪くない事なのは事実だ。
「先日も体調を崩されたとアンネローゼさんから聞きましたけど大丈夫ですか?」
二人のやりとりをほほんと見ていたエリザベートが少し首を傾げつつ尋ねる。
「軽かったので大丈夫ですよ。問題ありません」
「そうですか。何かあったら遠慮なくおっしゃってくださいね。勉強中ですので」
"ふんぬ"といった感じで鼻息が出てきそうな気合の入った声でエリザベートが宣言する。
「なんなら仕事中だけじゃなくて私生活でも遠慮しなくていいぞ」
「遠慮しておきます」
最近段々と押しが強くなってきた駄目養父の言を瞬時に却下し、そっと視線をエリザベートの方に寄せるとこっちはこっちで養父の言葉に反応したのかなにやら下を向いてもじもじしている。
はあぁぁぁぁ
と隠すことなくどでかい溜息をつくと
「それにしてもどうするんですか? 政治的判断でここにいるとはいえ兵役三年は今年で終わりますよ」
と話の方向転換を試みる。
「そうなんだよねぇ……」
駄目養父が話の乗っかった所でなんとかかんとか矛先が変わった。
エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク(※:1)は名簿上七九八年の年初より独立分艦隊司令部付の従卒という扱いになっており、特に理由のない限りその任期は三年で一区切りである。そして今年で二〇歳となる彼女はもう年齢的に追加で従卒として扱う事は出来ない。
「このまま経過した場合、一応分艦隊司令部の総務事務担当として雇ってもらうという形で話は進めてる。非軍属ではなくて軍属扱いにすれば勤務先を陸じゃなくて艦に置く事もできるらしい。変則すぎる形態だがお偉さんからしてみれば"厄介者を野放しにするよりかはいい"という事だ」
アイゼンフートの言葉がエリザベートの現状を物語っている。彼女が一時期希望していた軍人への道は最初の一年で挫折した。基礎学力は士官学校の優等生と比べても遜色はないのだがラインハルトのかき集めた色々な模擬テストなどを行ってはっきりした事がある。
"この人は軍人としての命を左右する決断を下せない。それをするだけの厳しさを持つことが出来ない"
という評価でありその養父も同意した。それにより教育の方向性は総務事務系となりラインハルトは家庭教師を継続しているが基礎教養系のみとなり事務系はシュトライトが担当する事となった。そしてそれだけではあきたらず去年の途中からは自主的に医療系の通信教育を始めている。理由はいわずもがなというやつで今では分艦隊旗艦に常駐する(ラインハルトの事情を知っている)軍医の元で教育生として認められる範囲でのサポートすら行っている。
「私もマルガレータさんのようになれればよかったのですが……」
「そこは気にしなくていいです。彼女はなんというか……順当にいけば規格外、という子です」
「今の所、総合成績首席キープだそうな」
アイゼンフートの付け足しにラインハルトの顔が"やっぱりなぁ"というものになる。
マルガレータことマルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーは去年(七九九年)に士官学校を首席入学。今年で一七歳となるまさしく天才。この独立分艦隊の幕僚で情報担当のベンドリング中佐と一緒にミューゼル姉弟の後に亡命してきたこれまた亡命一世である。エリザベートに手当たり次第の模擬テストをやらせている最中、その勉強を知ったヘンドリングが受験勉強中の養女(マルガレータ)の実力を測ってくれないか? と話を持ち掛け、実際に模擬テストをやらせてみて。関係者全員が面食らった。性格面は仕方ないにしても軍人候補の学力面においてエリザベートが諦める決断を下す理由となった一つの事件である。
「いい具合に鎮静化してくれれば軽い護衛は付けるが一般生活を送らせても良かったんだがな……」
今度はアイゼンフートがふぅ、と溜息をつく。溜息の原因となっているのは旧盟約亡命門閥貴族派とでもいうべき集団でありそのひねくれた精神の元、亡命三年目を迎えた現在も独自のテリトリーを維持している。主張も活動も相変わらず。こちらとの交流なりなんなりを経たら少しは考えも変わるだろうと思われていたがそもそも交わろうとしないのでどうにもならない。上でふんぞり返る方々だけなら少人数なのだが何故かその者達に仕え続ける者も残り続け未だに推定五万乃至六万人がそのテリトリーで生活している。下々の者は"出稼ぎ"には出ているらしいが生活するのに必要な最低限の稼ぎを得る事しかしていない。それ以上に稼いでいても恐らく上が吸い取っているだろう、と言われている。
「目を覚まして頂きたいので何度か対話の場を作れないかと試してみたのですが……」
エリザベートが呟く。
「あいつらの出した最低条件は"娘が一人であいつらの元に行く事"だ。当然だが却下した」
「なんというか……そこまで自分達の世界に籠ってしまうと可哀想という気持ちにすらなりますね」
ラインハルトの評に二人がうんざりとした顔で頷く。すっぱりと切り捨てられればいいのだがやはり捨てきれない何かがあるのだ。
「何もしないのならいつかは自然消滅するだろうが……最近は対帝国強硬派の市民団体と仲良くなり始めているからな。もう現帝国政府への敵対心が高ければ誰でもいいらしい。これは帝国的思考だがいっその事ここまで来たら何か大きな事をしでかしてまとめて潰れれば楽なんだがな」
「…………この話はやめましょう。頭が痛いです」
「……だな。頭と胃が痛む。健康第一でいこう」
「「「はぁぁぁ」」」と三つの溜息が同時に発生し場が静まる。
時に宇宙歴八〇〇年一月。旧盟約派亡命者一向の問題は実の所、まーったく解決していないのである。
同じく宇宙歴八〇〇年一月、帝国某所
年の釣り合わない老人と少年がいる。
「全ての準備が整ったとの事。数日内に軍の者が正式なお言葉を受け取る為に拝謁を求めて来るでしょう」
「……余が命じなくてはならぬのか?」
「はい。彼らは陛下に直接認可を求め、陛下はそれを認めました。故にその発動も直接行うべきでしょう」
「そうか……」
幼さが抜け始め、そろそろ幼帝という言葉も使いにくくなったエルウィン・ヨーゼフ二世が俯く。
「それで何百万の兵が動き、百万、何十万という臣民が死ぬのだな」
「それが、権力を持つという事なのです」
「あの人は"銀河の全ては皇帝の所有物なのだから思うがままでよい"と言っていたが…………」
"チッ"という舌打ちが聞こえてしまい皇帝が驚いたように顔を上げる。
「陛下はその時、どのようにお答えに?」
「何も答えておらぬ。いや、答えさせてくれぬ」
(あの雌狐めが、わしが引く前に片付けておかねば大変なことになるぞ)
「陛下」
「なんだ」
「確かに帝国は陛下のものでございます。故に臣民を幸せにするのも不幸にするのも陛下のお心次第。そう思し召しくださいませ」
「こういう話を……お主がいなくなったら余は誰を相手に話せば良いのだ?」
「…………私が身を引く前に探しておきましょう。陛下が陛下である事を忘れて話す事が出来る者を。陛下を陛下としてではなく一人の男子として叱る事が出来る者を」
そう言うと老人、帝国摂政クラウス・フォン・リヒテンラーデが大きく咳込む。ただの咳ではない。何がと言われると困るが何かがおかしいとは判るものである。
「大丈夫か?」
「なんのこれしき。あと一年、どんな手を使ってでも、這いつくばってでもこの役目を果たせてもらいますぞ」
「頼りにしている。が、倒れても困る。健康第一だぞ」
その言葉に老人の顔が緩む。
「ご心配なく。これでも人一倍、己の身体には気を使っております故に」
(健康第一、か。あと一年、どれだけ寿命を前借してでも持たせて見せるわ)
帝国摂政のその日は現実の所まで迫っていた。
※1:エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク
アイゼンフートの養女となったが姓は元のままとしている。
彼女の意思というよりもブラウンシュヴァイク姓を変えると旧家中勢がどういう反応を示すのかわからないからである。