――医療スタッフ以外ずっと人払いされていた、『
いつも静かな部屋に皆が首を傾げていたその部屋で……数ヶ月ずっと寝たきりだったはずの少女が、しかし何事もなかったようにベッド上で身体を起こし、周囲をキョロキョロと不思議そうに見回していた。
「……目覚めたかね。身体の調子はどうかな?」
「わ、た……けほっ、けほっ」
「おっといけない、慌てて喋らなくていいから、まずはゆっくりこれを飲みなさい」
渇いて張り付くような喉に、無理に声を出そうとした少女が激しく咳き込む。
枕元で様子を見ていた男性……この『林檎の花』のドクターは、そんな少女の背中をさすり、あらかじめ用意していた水を匙で掬うと、ゆっくり少女の口にふくませていく。
水に、喉に良い成分のシロップ薬を少量混ぜた飲み薬だ。仄かに甘いその水に、少女は夢中で渇き切っていた喉を動かす。
そうしてしばらく匙で水を与えると、ケホケホと小さく咳き込んでいた少女も人心地ついたように落ち着きを取り戻す。
「あの……ありがとう、ございます」
「……! 私たちの言葉がわかるのかね?」
「あ……はい」
どうしたんだろうと言いたげに、こてんと首を傾げる少女。どうやら意思疎通は問題なさそうだと、ドクターは疑問に感じつつもひとまずは安堵する。
「いや、なんでもない。それより君のことを聞かせて欲しいのだが」
「私の……こと、ですか?」
「ええ、何処から、何のためにやってきたのか、差し支えなければ教えていただきたい」
努めて優しく語りかけると、少女は何かを考え始める。
その協力的な様子に何ならば教えてもいいのかを今頭の中で整理しているのかと思い、ドクターはしばらく様子を見る姿勢に入る。
少女のその姿は……頭髪も、肌も、背中の翼も何もかもが真っ白。先天性白皮症かとも思ったが、ご丁寧にも目の光彩まで白銀色だ、まるで、色素に染まるのを拒絶するかのように。
唯一……うっすら肌を桃色に染めている血の色だけが、彼女が精巧な石膏彫刻ではなく、体温を持った生物であることに気付かせてくれる。
腰下まである長い髪は……治療のため悪いと思いながらも、一度ほぼ根本までばっさり鋏を入れたのだが、例によって切っても一日もすれば元の長さまで再生してしまう。仕方ないので看護師の一人が緩い三つ編みにして、あまり邪魔にならないようにしてくれていた。
作り物であることを疑うほどに、とても整っている容姿をした、可愛らしい少女だ。
若い医療班の男のうち一人が『マジ天使』などと曰い何やら懸想している様子だったので、接触禁止令を出したほどだが……目覚めた少女は物静かで丁寧な物腰も相まって、庇護欲を掻き立てる雰囲気がある。
なるほど、今ならばドクターにも、彼の気持ちがわからないでもない、欲の種類には相容れ難い断絶があるが。
……と、そんな事を考えながら、少女の言葉を待っていたドクターだったが。
「……分からない」
「……む?」
俯き、愕然とした様子で呟く少女に、ドクターが眉を顰める。
だがすぐに少女は焦燥感に駆られながら探し物をしているように、目に涙まで溜めて必死に何かを思い出そうとしているが……それがうまくいっていない事は一目瞭然だ。
「あれ、どうして……何か伝えないといけないことがあったはずなのに、私、わたし……」
必死に記憶を探ろうとするあまり、少女がその真っ白な頭を掻き毟しろうとしたので、ドクターはその手をさりげなく押さえながら……今こちらに向かっているであろう
◇
「――何も覚えていない?」
「はい……ごめんなさい」
「すまない、いや、責めているわけじゃないんだ」
ご丁寧に背中の羽根まで垂れさせて「しゅん」としている少女に、カーティスが慌てて頭を上げるように言う。
――結局、少女は自分の名前も、何処から来たかも、その目的すらも何も覚えていなかった。
「何か、やらないといけない大切な事があったと思うんです……だけど、全然」
先ほどまでよりは落ち着いたものの……まだどこか焦燥感に駆られた様子で俯く少女に、カーティスはポンとその頭に手を置く。
「まあ、まだ長い眠りから目覚めたばかりなんだから、そのうち思い出すでしょ。気楽にいこうぜ、気楽にさ」
実際、情報を渇望しているのはカーティスも一緒なのだが、だからといって半年も眠っていた病み上がりの少女を急かしても、どうにか事態が好転するわけではない。
ゆえに、落ち着かせるようになるべく優しく語りかけて……ふと、初対面の少女にベルナデットを相手にしている感覚の気安さで髪に触れていることに気づいて、少女の頭からパッと手を離す。
「おっと悪い、女の子がおじさんに髪を触られるのは嫌だよねェ」
「いえ……そういう訳じゃ。ただ……」
少女は触れられた場所を両手で押さえ、しばらく驚いた様子でパチパチと目を瞬かせながら、カーティスの方をじっと見つめた後……
「あなたの手は……なんだか安心します」
ふわっと表情を和らげると、微かに笑う。
当然、目の見えないカーティスにその笑顔が見えた訳ではなかろうが……しかし何故か、少女がどのような表情を浮かべていたか幻視したような気がして、口元を手で隠しドクターに捲し立てるように声を掛ける。
「ちょ、ちょっとおれ、何か着る物もってくるよ、この子を第三格納庫に連れて行きたいし」
「おいカーティス、お前もいい大人だろうに、何を照れているんだね」
「いや、わかってるんだけど、ねェ。不意打ちはさすがに効くっていうか、ねェ」
少女に懐かれるのはベルナデットで慣れていたつもりだったが、彼女の場合は生まれた時からずっと、それこそ親子同然に一緒にいたため、色々と複雑な事情はさておき二人の関係は非常に気安いものだ。
一方でこちらの天使の少女は、大人しくも無警戒に擦り寄ってくる小動物じみており、何というか……タイプが違う。
もちろん、カーティスもいい大人だ、あのような少女に性的な魅力を感じた訳では微塵もなく、万が一そんなことがあった場合、意外と嫉妬深い
そんな訳で、誓って少女に抱いているのは父性、守らなければならない相手に対する好意だ。
どちらも保護欲をくすぐられる少女であるが、しかし……二人まるでタイプが違うと、どうやら同じようにもいかないらしいと痛感する羽目になった。
ベルナデットが自分以外の子供を知らないように、カーティスもまた、娘と同年代の少女への付き合い方はド素人なのだ。
「しょうがない奴だな……怪我人用の艦内着があるから取りに行こう、ついてきなさい」
「あ、ああ。すまないねドクター」
「君はしばらくそのまま休んでいなさい、私たちはすぐに戻るから」
「あ……はい」
素直に返事をして、ベッドに横になる少女。
おとなしくて聞き分けのいい子供って扱いやすくて楽だなと、この部屋に居ない誰かさんと若干失礼な比較をしながら、二人はそそくさと病室から退散するのだった。
そうしてやってきた、医療品の備蓄倉庫内、リネンや入院着を保管している小部屋。
あるかも分からない子供用の服を探しながら……ようやく冷静になったカーティスに、ドクターが話しかけてくる。
「しかし記憶喪失とはね。重要な情報源と期待していた君にとっては残念だったな、カーティスよ」
「そうだねぇ。まあ、脳にダメージを受けていたからなァ……」
「いくら脳組織というハードウェアが回復しても、そこにあったデータは別、ということだな」
土星圏で起きた一連のことについては、あの少女を情報を頼りにしていたのに、これでまた振り出しだろうか。
あとは、少女と『
そう考えて、カーティスはこの日もう何度目になるかわからない溜息を吐くのだった。
予想以上になかなか戦闘まで行けない……!