「さて、アンジュ。おれたちのモットーはなんだった?」
「働かざるもの食うべからず?」
「ああ、そうだ。というわけで……」
カーティスはちょこちょこ後ろを着いてくる真っ白な少女を引き連れて、目的の部屋……クルーの腹を満たすための重要施設、『林檎の花』調理室の扉を開ける。
「やぁご婦人がた、忙しいから猫の手も借りたいと常日頃から言っていたあなた方に、猫の手を連れてきまぅわぁあああ!?」
可愛らしい女の子が手伝いにくると噂を聞き付けており、待ってましたとばかりにアンジュへと殺到してきた厨房のご婦人がたに吹き飛ばされて、目を回すカーティスなのだった。
◇
「……はー、やれやれ、ひでぇめにあったぜ」
ようやく目を回していた状態から復帰したカーティスに、先ほどまでアグレッシブな食堂のご婦人がたに熱心な歓待を受けていたアンジュが苦笑しながら労うようにその肩を叩く。
「アンジュは、大丈夫だったか?」
「はい、プリンおいしかったです」
「そいつぁよかったな」
嬉しそうに顔を綻ばせる少女の頭を、カーティスがポンポンと軽く撫でる。プリンといっても保存用の合成ミルクと卵の成分を合成したペーストで作った紛いものしか出せないのがこの艦の台所事情であるが、どうやら気に入ってくれたらしい。
今の少女……名前がないのは不便だからと、カーティスにより『
服装は、主に負傷者などに着させるためのゆったりとしたサイズの入院着。結局リネン室では彼女に合うサイズのものは見つからず、大人用のオーバーサイズなものをところどころピンで詰めて、だぼっと着る感じで誤魔化していた。
オフショルダー風に首筋や肩が見える状態なのは少々気になるため、カーティスとしてはできれば早くちゃんとした物を入手したいのだが……意外にも、ここまですれ違ったクルーたちには「可愛い」と好評だった。
問題は、どう考えても服を着る邪魔になる、背中の真っ白な翼だったのだが……
「その翼、目立たないように隠せない?」
「えっと、やってみます。んんぅ〜っ!」
……といった感じで、少女がぎゅっと目を瞑り可愛らしく力んだら、消えた。もう訳がわからないと、完全に諦めたカーティスだった。
――と、それはさておき。
本当ならば、カーティスはアンジュのことを早く第三格納庫に眠っている『
代わりに、ドクターの提案によりアンジュを連れてきたのが……この、調理室だった。
「それじゃあ、ご婦人がた。俺がいない間は……」
「はいよ、ちゃんと面倒みておくよ」
「頼みます。あと、聞き分けの良い子だから、何か簡単な仕事もさせてやってくだぁさい」
そう言って、カーティスは調理室で働いているご婦人がたに頭を下げる。
カーティスは情報部でかなり高い地位にある、責任のある立場に居る人間だ。アンジュに付きっきりという訳にはいかない……というか、つい先程新たに木星の部下から入ってきた情報のせいで、付きっきりという訳にいかなくなった。
それゆえに、不在の間に面倒を見てくれる場所として選んだのが、この調理場である。ここならば簡単な雑用もあるし、働いている婦人方もこの幼い少女を気にかけてくれるだろうといった目論見もあった。
そんな調理室で――続いて、カーティスは部屋の隅の方で野菜の皮剥きをしている何人かの中に、アンジュの世話をしてくれそうだと目星を付けていた目的の人物を見つけた。
「なんだビル、お前またジャガイモの皮剥きか、好きだねぇ」
「うるせぇ、土星圏からこっちずっと暇だから、訓練と芋の皮剥きくらいしかやる事がねぇんだよ!」
「はは拗ねるなよ、医者とモビルスーツ乗りは暇なくらいがちょうどいい、だろ?」
「はは、ちげぇねえや!」
屈託のない言い合いをしている、カーティスと、『ビル』と呼ばれた大男。
一方で……カーティスの背中から覗き込んでいるアンジュはというと、喋りながらも止まっていない、芋を剥くビルの手を興味津々と言った様子で見つめていた。
「ん、なんだこの嬢ちゃん。芋の皮剥きがそんな珍しいのか?」
「すごい、魔法みたい」
「……ま、まあ、こんなのは慣れよ、慣れ」
ビルは、荒くれ者揃いのバタラ隊を纏める隊長だ。
そのため言動は乱暴で、鍛えられた大きな身体やモヒカン頭と相俟って、子供から見たらにはかなり怖いはずだ。事実、木星では子供には姿を見られただけで逃げられていたと、本人が語っていた。
だがその実、彼は周囲をよく見ており細やかな配慮ができる、面倒見のいい男だ。カーティスも、彼の機転や気配りに助けられたことは一度や二度ではない。
そんなカーティスのビルに対する信頼を敏感に感じ取ったのか、アンジュは彼を怖がる様子はなく近寄っていき、手慣れた様子で次々と芋を剥いていく彼の手元を興味津々に覗き込んでいる。
それは……強面だが気の良い大男には、少々刺激的すぎたようで。
「なぁ……天下のバタラ隊隊長が、何、女の子に芋の皮剥き褒められて照れてるんだ?」
「うるせぇカーティス、俺ぁこういう時どうしたらいいかわからねぇんだよ、いつも子供は俺の姿見たら逃げるからな」
茹で蛸みたいに真っ赤になったビルは、はぁぁあ……と深く溜息を吐く。
「まったく、この嬢ちゃんといい、ベルお嬢様といい、どうしてこの艦に乗っている嬢ちゃんたちはこう調子が狂うのばっかりなのかねぇ」
そうぼやいていたビルは、しかしふと思い出したようにカーティスの方を向く。
「そうだ、ベルお嬢様がまだ拗ねてたぞ、土星でのこと、やっぱり叱りすぎたんじゃないのか?」
「うへぇ、今回は根に持つなぁ。とはいえ、まだまだベルお嬢様にはあの力は絶対危なそうだしなァ……」
まだ未成熟なベルナデットにとって、土星圏で見せた視覚を共有する能力は危険だと判断したカーティスが、珍しく本気で怒りつけたのだが……以来この数ヶ月間ずっと、ベルナデットはすっかり怒った様子でカーティスのことを避け続けていた。
しょうがない、そろそろご機嫌伺いしてくるかと肩を落としながら引き返していくカーティスが、ふと、思い出したようにビルの方へ向く。
「なあビル、おれは席を外すから、悪いけどお前がその子の事見ててくれない? ついでにしばらく食堂で雑用してもらうから、芋の剥き方も教えといて」
「あ、カーティスてめえ!?」
突然仕事を押し付けられ、ビルはカーティスに文句を言うも、結局、面倒見の良さを発揮した彼は嫌とは言わなかった。
「はぁ……ああ待てこら嬢ちゃん、俺の真似して急がなくていい、素人は指を切らないように丁寧に慎重にだな……ナイフはこんな感じに持って……」
「こうですか?」
「そうだ、刃の先に指を置くことが無いように……ああ上手いぞ、その調子だ」
しばらく入り口の影に隠れて耳をそばだてているうちに聞こえてきた、アンジュに対しなんだかんだで親身に芋剥きの指導をしているビルの声に……大丈夫そうだと判断したカーティスは、今度こそ食堂を後にするのだった。
◇
――所変わって、テテニスとベルナデットが共用している私室。
「――そうかぁ、ベルのやつ、ここにもいないか」
ベルナデットの行き先についてアテが外れたことに、カーティスががっくりと肩を落とす。
「ごめんなさい。ベルってば、私のことも避けちゃって。『私はただカーティスの役に立ちたいだけのに、お母さんも分かってくれない!』ってずっとおかんむりなのよ」
「あの子が本気で隠れた場合、全然見つからないからなァ」
まあ、それもあと数日。
補給基地のある衛星カリストへとついた後、木星本国でやるべきことがあるテテニスをはじめとした『林檎の花』に残るパピヨン追撃隊に志願した者以外は、輸送船で本国へと戻る手筈となっている。その時には、いくらベルナデットとはいえさすがに見つかるだろう。
そう、二人ともちょっとだけ希望的観測混じりに考えて、話を変える。
「それで、カーティス……木星本国に向かう際、あなたまで私たちの護衛に着くそうだけど、『林檎の花』の方は大丈夫なの?」
「ああ、エウロパのウーレンベック・カタパルトに向かう前に、数日カリストで補給のために停泊するから、その間おれにやることもないしな。君を本国へと送り届けて来るくらいならスケジュール的に問題は無いよ」
大規模なヘリウム3とメタトロンの採掘基地がある、木星圏でも屈指の資源衛星であるカリストで、『林檎の花』は数日間停泊する。
元々、この『林檎の花』は、土星に行って木星まで帰ってくるというミノフスキードライブ搭載艦としての試験飛行が目的だった。
事情が変わり地球圏まで行くことになったが、そのためには必要な物資を補給する必要があり、そのための衛星カリストへの停泊だ。
「でも、あなたが『林檎の花』を離れて私たちの護衛につくのはやりすぎじゃないかしら?」
「いや……情報部の報告から、どうにも気になることがあったんでね。念のためさ」
「気になること?」
尋ね返してくるテテニスに、カーティスはごく真剣な表情で、告げる。
「――例のバシリア・カウンティで組織された反政府組織が、数ヶ月前に、本国が極秘裏に匿っていたらしい地球連邦の部隊が滞在する施設を襲撃したそうだ。そして今も木星圏で何かを探して潜伏しているらしい……何か、嫌な予感がする」