小学校に上がった年の夏、初めての夏休みに入った当日に、俺と直葉に姉ができた。
彼女の名前は桐ケ谷美澄。旧姓、兎沢美澄。
両親が離婚したことをきっかけに、母方の親戚である桐ケ谷峰高──つまり俺の親父の養子として引き取られた。
彼女が初めて桐ケ谷邸にやってきたとき、正直俺は面白くは無かった。
今まで「お兄ちゃんお兄ちゃん」と俺によく懐いていた直葉が、その日を境に「お姉ちゃんお姉ちゃん」と美澄にゾッコンになってしまったからだ。
加えて、それからしばらくの後に、俺もまた幼い頃に引き取られた養子だと判明してしまった事も災いした。
美澄はお袋の「折角名門校に通っているのに転校するなんて勿体ない」という意見により、引き取られる以前から通っているエテルナ女学院付属中学に通い続けていた。
同じ養子という立場なのに、通う学校──嫌な言い方をしてしまえば教育にかけている金額──がまるで違うという事実が、俺を意固地にさせた。
尤も今では、親父にもお袋にも、もちろん美澄にも、そんなことで差別する意図なんて全く無かっただろう。
そういった理由から、俺の一方的な敵視によって、俺と美澄の仲は険悪──とはいかないまでもぎこちない関係が数年続いた。
転機が────少なくとも俺にとっては────が訪れたのは俺が小学5年生、美澄が小学6年生の時だ。同時既に廃人ネットゲーマーの域に片足を突っ込んでいた俺は、ゲームにかまけるあまり、学校のテストでとんでもない点数を取ってしまった。
当然、厳格な親父は激怒。お袋に泣きつくも取り付く島もなく、俺はテストで満点取るまでゲーム禁止を言い渡された。
そんな時だ。美澄が俺を助けてくれたのは。
名門お嬢様学校で主席を張り続ける美澄にとって、地方の公立校のテストなど赤子の手を捻るようなものだったのだろう。的確な予想問題とその対策、加えて俺が一夜漬けにならないように基礎の復習まで面倒を見てくれた。おかげで俺は僅か1か月でゲーム禁止期間を終えることができたのだ。
まぁ恥を忍んで打ち明ければ。
それが俺にとっての”初恋”だったのだと思う。
俺は他人より精神的な成熟が早かったのか、そのころ既に思春期の入口に立っていた。そのせいで、姉に甘えていると思われたくなくて、碌に感謝の言葉も伝えることができなかった。
はたから見れば俺と美澄──姉貴の関係は冷え切ったままに見えただろう。
時折、一緒にゲームをしていたから、多少改善された程度に周りは思っていたはずだ。
とはいえ、思春期男子が毎日姉にべったりなんて状況に耐えられるはずもなく、基本的には疎遠な関係が続いていた。
────────だから、その日は自分でも驚くほど舞い上がった。
2022年夏。世界初となるVRMMORPGソードアートオンラインのベータテストに俺と姉貴が当選したのだ。ゲームの中ならリアルのしがらみなんて関係ないと、俺は小躍りしそうになる衝動を抑えてゲーム内で姉貴のアバターを探し回った。(なんでリアルで聞かないんだよとか聞かないでほしい。それが出来たらここまでこじれてない)
結局最後まで姉貴とゲーム世界で出会う事はなく、パーティを組んだのはホルンカの村のクエストを一緒に攻略した鎌使いの大男だけ。
正式サービスへの興奮と一抹の寂しさを抱えて俺のベータテストは終わりを告げた。
だから、その日も俺は内心ウキウキしながら、ナーヴギアを装着した。
ソードアートオンライン正式サービス初日。今度こそ姉貴と一緒にゲームできるかと思うと飛び跳ねそうになった。
──────────────だというのに。こんな事になるなんて。
「急いで街から出るぞ、クライン」
俺は、今まで一緒にプレイしていたプレイヤー、クラインの腕を掴んで広場の外の路地裏に連れて行く。
「これから俺と次の村まで行くぞ。この街の周りはすぐ他のプレイヤーに狩りつくされる」
「ま、待てよ!次の街ったって俺は[[rb:初心者>ニュービー]]だぞ!?」
だが、デスゲームとなった以上、たった1度のゲームオーバーも許されない。クラインの言う通り、初心者を連れての強行軍など、文字通り自殺行為だ。
「安心しろ。ここには俺の姉貴がいる」
「?なに言ってんだお前?」
「姉貴もベータテスターだった。二人がかりならはぼ確実にお前を連れて次の街までたどりつける」
そう。ベータテスター2人で初心者1人を守りながら移動すれば、安全に次の街まで辿り着ける。
「………だめだ。俺は他のゲームでダチだった奴らと一緒にこのゲームを始めたんだ。アイツらをおいてはいけねぇ」
「それは………」
例えベータテスターが2人居たとしても連れていける初心者は精々2人。クラインの仲間まではどう頑張っても連れては行けない。
「…………なぁに。俺にはお前が教えてくれたテクがあるからな。仲間たちとやってけるよ。だからてめぇも姉貴と一緒に行けばいいさ」
「クライン」
「お前のツラ案外好みだぜ。…………ガンバレよ、キリト」
「っ…………お前も、その野武士面の方がよっぽど似合ってるよ」
クラインのくだらない軽口が彼成りの激励ということは、人付き合いの経験の浅い俺にもわかる。それに似たような軽口で答えて走りだした。
振り返ったときには既にクラインの姿は無かった。もう後戻りはできないと悟った俺は、僅かな後悔を押し殺して走り出した。ベータテスターである姉貴ならば、はじまりの街西門で俺を待っている筈だと信じて。
そして、レンガの街並みを駆け抜けた先に、彼女は居た。
「────────姉貴!!」