兎沢深澄ではなく、桐ケ谷深澄だからこその苦悩と、キリト、アスナとの関係。そういうものを感じていただければと思います。
ホルンカの森の北側。ダルハリ地塁へと至る平原をミトは一人歩いている。その足取りは重く、周囲を警戒する素振りすらみせない。
(私は、なんてことを……)
つい1時間ほど前、ミトは2人のプレイヤーとパーティを組んでクエスト攻略に勤しんでいた。ネペントの中でも希少な個体である『花付き』を倒し、ドロップアイテムを持ち帰るというクエストをクリアするためにミト、そしてキリトとアスナの3人は手分けして森中のネペントを狩っていった。
安全マージンも十分、何かあってもキリトとミトでフォローできる。その油断が致命的な悲劇を生んだ。
アスナが誤って攻撃した『実付き』個体が仲間を呼び寄せる煙を寸出し、100体近いネペントにキリトとアスナが取り囲まれてしまったのだ。
そして、そんな最悪の状況でミトは、最もしてはならない選択をしてしまった。
(キリトと、アスナを置いて逃げるなんて………!!)
どちらか一方しか助けられない。ミトの選択によって確実にどちらかが死ぬ。そのトロッコ問題を突き付けられて、ミトは第3の、どちらも助けず逃げることを選んでしまった。
全ては、自分の選択によって誰かが死ぬことを受け入れられなかったミトの弱さ故。
(今頃、あの二人は……)
そこまで考えて、ミトは恐怖のあまり膝をつく。
無数の触手にとらえられ、絞め殺されるアスナ。
数えきれないネペントに群がられ噛み殺されるキリト。
ミトの想像でしかないそれは、きっと現実に起きた光景だ。
(なんで……なんでッ!!)
「私がッ!生きてるのよッッ!!」
とうとう声らえきれなくなってミトは慟哭する。
「親友を護ると誓って!弟にまで協力させて!死ぬなら私が死になさいよッ!!なんで貴女一人生き残ってるのよ!!せめて、どちらか一人くらい、助けられた……筈なのに…………ッ!」
視界がにじむ。その涙は友と家族を失ったが故か。それとも愚かに過ぎる選択しか出来なかった己への惨めさ故か。
「私ひとり生きてても意味ないでしょう桐ケ谷深澄ッッッ!!!」
天を裂くような悲痛な叫びが木霊する。しかし、それにこたえる声はない。
こんな時、キリトならどうしただろうか。ぎこちなくこちらの手を握ってくれたかもしれない。
アスナなら、そっとミトを抱き締めてくれるかもしれない。
今となっては、どちらもかなわない願いだが。
「なんで、なんで私は……こんなに──────」
──────弱いのか。
最早彼らに詫びるには今すぐこの大鎌で自らを貫くしかないというのに、それすら手が震えて実行できない。
自分で選んだくせに、涙があふれて止まらない。
「やだよ……。明日奈、和人……。私を、一人にしないで……………」
その叫びは、深澄にとっての、最も深い傷なのだろう。
一人にしないで。それは明日奈と和人だけに向けたモノではなく。
「行かないで。置いてかないでよ………。パパ、ママ……。カナちゃん。ユウちゃん。」
それはかつて深澄の元を去っていった人々の名前。深澄の親権を押し付け合った挙句、桐ケ谷家に引き取られることが決まった途端離婚して、その後音沙汰もない実の両親。
深澄だけが生き残るから面白くないと、遊ばなくなった幼き日の友人達。
深澄が、桐ケ谷では無かったころの辛い思い出。
何度も何度も失って、今度こそ、途絶える事の無い関係を築いたと思っていた。
兎沢深澄から、桐ケ谷深澄になって。家族が出来た。峰高、翠、直葉、そして和人。
血の繋がりなんて関係ないと信じられる暖かな家庭は氷ついたミトの心を溶かした。
明日奈と出会って、本当の友情を知った。誰かと笑い合う日常がこんなに楽しいものだなんて、明日奈が居なければきっと一生気付かないままだった。
そんな関係を。
かけがえのない宝物を。
ミトは、自ら手放したのだ。
「ごめん、ごめん明日奈、和人。私が、私のせいで、2人が……。う、うあああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
それは子供のような泣声だった。いや、事実ミトは子供なのだ。未だ15歳で。
両親から捨てられるという凄絶な経験をした、一人の女の子。
少女は、涙が枯れるまで、荒野で泣き続ける。
*********
ミトの後を追う事はそう難しくは無かった。
キリトの習得している『索敵』スキル。その拡張機能である『追跡』MODによってミトの足跡がはっきりと見て取れたからだ。
とはいってもまだまだ熟練度の高くないスキルだ。足跡が視界に表示される時間は短く、キリトとアスナ、軽装の二人でなければ後を追うことはできなかっただろう。
けれど、それもここまでだ。
荒野の只中、膝をつき泣きじゃくる彼女の姿が見えるところまで来てしまえば、スキルなど必要もない。
「ごめん、明日奈、和人」
風に乗ってミトの、深澄の悲痛な声が届く。
堪えきれなくなってアスナは駆けだした。キリトはそのあとをゆっくりと歩いていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい………!私のせいで、2人が……!!」
「ミトのせいじゃないよ………!!」
飛び込むようにして天を仰ぐミトを背後から抱き締める。
「ミトのせいじゃない。私も、キリト君も生きてる。ミトが阿山rう必要なんて何処にもないんだよ………!!」
「あ、すな………?」
「私だよ、ミト」
「なんで、貴女はネペントに………」
殺されたのではなかったのか。
「キリト君が助けてくれたんだよ。ネペントを崖に誘導して、私を迎えに来てくれて。だから、2人とも生きてるんだよ」
崖。そうか。プレイヤーに落下ダメージがあるように、モンスターにも落下によるダメージは適用される。小さいとは言え、あの時キリトと明日奈の間にあった峡谷を利用すれば、100体以上のモンスターを殲滅することも可能だったのだ。
「そん、な。私は……なんてことを」
助けられたのに。どちらか一方ではなく、2人両方を助ける手段はあったのだ。ミトが気付かなかっただけで。
にもかかわらずミトはわが身可愛さに逃げ出した。その事実が、より一層ミトの心を締め上げる。
「自分を責めないで。ミトの葛藤は分かってる。私とキリト君を助けようとしたことも、どちらも見捨てられなかったことも、全部わかってるから」
「………それでも、私は、許されない事を………」
「姉貴はさ」
アスナの必死の言葉でなお自分を責め続けるミトに、歩み寄ってきたキリトが声をかける。
「格好つけすぎなんだよ。うちに来た時からずっと、いや、多分その前から、勉強も運動もできて隙が無くて、何でも一人でこなせる。そういう自分であり続けてただろ。そういうの見てて正直痛々しかった。姉貴にとって他人を信じるのが難しいのは分かる。完璧でなければ自分の居場所なんてないって考えるのも……多分理解できる。けどさ」
そこで息を吸って、キリトは叫んだ。
「
人付き合いの苦手なキリトが、それを伝えるのにどれだけの勇気を振り絞ったのか。伊達に8年以上姉弟をやっているわけではない。その勇気を、弟の優しさを分からない姉ではない。
「いいの、かな。完璧じゃなくて。弱い私で」
「いいに決まってる」
「どちらも選べなくて逃げ出す様な私でも………良いって言うの……・…?」
「当たり前だ」
「そうだよ、ミト。ミトはいつも私の事を心配してくれた。手を引いてくれた。だから、今度は私の番。ミトはもっとワガママを言っていいんだよ」
「うっ………うっ………」
溢れ出す涙で堪えられなくなったミトをキリトをアスナはじっと待つ。彼女の本心。本当の想いを聞くために。
「アスナとキリトと一緒に居たい。このゲームをクリアして、現実に帰っても、私の家族、私の友達でいてほしい。もう一人ぼっちには、なりたくない………!」
「「大丈夫」」
その言葉を待っていた、というようにキリトと明日奈が声を揃える。
「「例え離れ離れになったとしても」」
「俺が姉貴の」
「私が深澄の」
「「手を掴むから──────────」」
「う、わあああああああああぁぁぁぁぁっ!!!!!」
雲の切れ間から除く青空に照らされた荒野の只中で、3人はミトが泣き止むまで抱き合っていた。
この世界で、どんなに困難な壁が立ちふさがろうとも、決してこの手を離さないと誓いながら。