ミトアスのピンチに覚醒するキリトはいいよね
日が昇り、木々の隙間から木漏れ日が除き始めた頃。鬱蒼と茂る森の中にミト、アスナ、キリトの姿があった。
ホルンカの森の端、断崖絶壁にポカリと空いた大穴が、昨日キリトを謎の恐怖で苦しめた元凶だ。
丁度昨日のこの時間、3人は迷宮区最寄りの街、トールバーナへ向かうために、洞窟攻略に乗り出した。
しかし、洞窟に踏み入れた途端キリトは異常な恐怖に襲われ、結局半分も進むことなく引き返すことになった。
一晩明け、今日こそはトールバーナにたどりついて見せるという意気込みを胸に、キリトたちは洞窟に足を踏み入れる。
「キリト」
その直前、ミトがキリトを呼び止めた。
「今日は私が前衛に上がるわ。アスナが中衛、キリトが後衛のフォーメーションで行きましょう」
「いや、3人の中だったら前衛は俺が適任なんじゃ………」
「碌な防具もないくせに何言ってるの。私は紛いなりにも金属防具だし、両手武器だからいざって時には防御もしやすいのよ」
「そりゃそうだけど………」
納得いかない、とキリトは訝し気に眉を寄せる。
「キリト君、まだ本調子じゃないでしょ。いつも助けられてばっかりなんだから、偶には私とミトを頼って」
「それは………」
不安げな眼差しでこちらを見るアスナからは心からキリトの身を案じていることが伝わってくる。
昨日の無様な姿に愛想を尽かされた、とは思わないが、やはり彼女たちなりに思うところはあったのだろう。
「分かったよ。今日は後ろでおとなしくしてる。………でも危なくなったら前衛に上がるからな」
「大丈夫よ。アスナも強くなったし、私が強いのも知ってるでしょ?」
軽くウィンクするミトに入りとはそっと息を吐く。実のところ、ミトやアスナの実力に不安があるわけではない。
ただ、彼女たちだけで攻略できてしまうなら、自分の居場所がなくなってしまうのではないかと不安なだけだ。
いや、それすらも杞憂に過ぎないだろう。優しい姉がキリトを見捨てることなど考えられないのだから。一度過ちをおかしてしまったのなら尚更だ。
だからこれは、姉の前で弱いところを見せたくないという子供じみた意地なのだろう。
キリトたち3人は、普段と違う陣形で、2度目の洞窟攻略を開始した。
*********
「アレ、見覚えある?」
「いや、ベータの時は絶対いなかった」
「だよね………」
岩陰に身を潜めて話すキリトとミトの視線の先には、小山のようなシルエットがうずくまっている。
その頭上に表示されたカーソルの色は、血のような黒い赤。
SAOにおいてモンスターのカーソルは赤系統の色で表示される。その色が白に近いほどプレイヤーにとって弱い敵であり、黒に血合いほど、適正レベルを超えた強敵となる。
安全マージンを過剰なほどとったキリトたちですら、五分の相手ではないのだ。目の前にいる怪物────カーソルによればアントロテリウムなるモンスターは、洞窟の平均レベルをはるかに上回る強敵と言える。それは同時に──────
「新しく追加されたフィールドボス………ってことか」
「そうでしょうね」
プレイヤーに閉塞感を与えないようにある程度の広さをもって作られた洞窟が狭く感じる程の巨体。全身を明らかに硬そうな剛毛で覆った熊型のモンスターはこちらが近づけば容赦なくキリトたちに襲い掛かるだろう。
そして、洞窟を抜ける唯一の道に陣取っている以上、避けて通るすべはない。
「………一旦、撤退しましょう。明らかにフィールドボスだし、ホルンカの村の周辺を探せば、関連クエストが見つかるかもしれない」
SAOにおいて、ボス級のモンスターには大抵関連クエストがあり、クリアすることでボスの弱点や攻撃方法といった情報を入手する事ができる。
ベータテスト時代は、『事前情報があったらつまらないだろ』と初見で特攻しては玉砕する死に戻り戦法で攻略していたが、デスゲームと化した本サービスで同じことが出来る筈もない。
安全性と確実性という意味でミトの判断はこの上なく正しいものだ。
「待って。アイツはここで倒しましょう」
ミトの判断をこれまで黙って様子をうかがっていたアスナが遮る。
「いくら何でも初見攻略は無茶よアスナ。ここは情報を集めてから………」
「ミト」
ミトの言葉を遮ったアスナはゆっくりとキリトの方に顔を向ける。
釣られてミトがそちらに目をやると、そこには悲しいような、寂しいような顔をしたキリトが居た。
「………ッ」
その表情を見た途端、ミトの胸にズキリとした痛みが走る。
キリト──和人は優しい男の子だ。不器用でも困っている人がいれば助けようとするし、満員電車でお年寄りに無言で席を譲るところを見たこともある。
そんな和人にとって、自分の身を案じることでミトやアスナが現実に帰る日が遠退くことが耐えられないのだろう。
誰より弟の優しさを知っている筈なのに、キリトの気持ちに気付けなかった自分をミトは恥じた。
「でも…………」
「ミト」
「アスナ………」
逡巡し、鎌を握り占めるミトの手をアスナが包み込む。そっとミトに身を寄せてアスナは微笑んだ。
「大丈夫。ミトもキリト君も一人じゃないよ。私がついてる。2人に比べたら頼りないかもしれないけれど、もう守られるだけの初心者じゃない。私たちは3人でパーティでしょ?」
じっとこちらを覗き込むヘイゼルブラウンの瞳からは、ミトやキリトと並び立とうとする強い意志が感じられる。
彼女の言う通り、アスナはもう初心者じゃない。知識面でまだ教えることはあれど、戦闘面では立派な戦力だ。いずれミトやキリトを追い抜いていくのも時間の問題だろう。
「分かった。でも、前衛でタゲをとるのは私。キリトとアスナは攻撃に専念すること。これは譲れないし、少しでもイレギュラーが合ったらすぐさま撤退するからね」
「りょうかい」
「ああ。…………ありがと」
「はぁ。行くわよ。作戦は『いのちをだいじに』で」
突然発せられた有名なフレーズにキリトとアスナは揃って噴き出す。そのやり取りだけで3人の中にあった緊張がほぐれた気がした。
「行きましょう」
アスナの号令の元、3人はアントロテリウムに突撃した─────。
*********
「スイッチッ!」
振り下ろされた爪の一撃をミトの鎌が受け止める。鈍い音を立ててはじき返した隙に、キリトとアスナが飛び込む。
「やあっ!」
「ぜああっ!」
《リニアー》と《バーチカル》。細剣と片手直剣の基本技がアントロテリウムの体に赤々としたダメージエフェクトを散らす。ダメージを与えたプレイヤーにターゲットが移動した瞬間、ミトが《モラー》で熊の片目を抉る。
元々デバフ要素の強い鎌の特性と重要部位を攻撃されたことが合わさり、アントロテリウムのHPゲージの真横に盲目状態を示すアイコンが点灯する。
「今よ!一斉攻撃!」
誰よりも速くアスナがその好機に飛び込む。つい最近解放されたばかりの2連撃技《パラレル・スティング》が無防備は首筋に炸裂する。反対側では、キリトの《バーチカル・アーク》が熊の臀部にV字の傷を刻みつける。
壁を蹴って跳躍したミトが落下の勢いと回転の速度を乗せて、モンスターの脳天に刃を突き立てる。
一連の攻撃で満タンだったHPが半減した。
「グラアアアアアッッッ!!!」
HPの減少によって行動パターンが変ったのだろう。雄叫びを上げてアントロテリウムが突進する。
だが、3週間も命を懸けて戦ってきた剣士たちだ。単調な突進を難なく躱し、すかさず攻撃に映ろうとした瞬間。
「きゃあっ!」
突進によって破壊された鍾乳石がアスナを襲う。そして直撃を受けた左脚がポリゴン片となって砕け散った。
「嘘、なにこれ………!?」
「部位欠損………!!」
「アスナァ!!」
どうやらボスの攻撃で破壊された鍾乳石には部位欠損を引き起こすギミックがあったらしい。これでアスナは3分間、戦うことはおろか立って歩くことすら難しくなった。
もっとも倒しやすい敵から倒す。基本的なプログラムに従ってアントロテリウムがアスナに標的を定める。
バイナリコードの塊から発せられる殺意に、アスナは身を震わせる。
「させるかああああっっ!!」
ターゲットが外れたことでモンスターの意識から外れたミトがアントロテリウムにソードスキルを炸裂させる。そのままアスナから引き離すように後退し、爪による攻撃を受け止める。
「スイッチ!!」
攻撃直後の隙を晒すクマの延髄をキリトの《ホリゾンタル》が抉る。
────このまま時間を稼いでアスナの復帰を待とう。
一瞬のアイコンタクトでその認識を交わしたキリトとミトをボスの攻撃が襲う。
滅茶苦茶に腕を振り回す初見のモーションに2人は大きく飛び退く。しかし──────
「しまった………!」
誤って壁際に追い詰められたミトに破壊された鍾乳石が降り注ぐ。鎌のガードをすり抜けた一つがミトの右腕を破壊する。
片手では支えられなくなった両手武器がガタリと音を立てて地面に転がる。
「がっっ!!」
振り回された腕の一撃がミトの体を捉える。脚を失い座り込むアスナのすぐそばまで吹き飛ばされたミトのHPはただの一撃で8割近くが消滅していた。
「ミト………!!」
這うようにしてアスナがミトに手を伸ばす。その背後からアントロテリウムが突進してくるのを見て、ミトは咄嗟にアスナに覆いかぶさった。
(せめて私が盾になれば………!)
ほんの僅かな時間でもアスナは生き延びられる。もう二度と話はしないと、ミトはアスナの手を握り占める。親友の身を案じながら迫りくる衝撃に目を閉じた直後────────
「止めろおオオオオッッッ!!」
キリトの絶叫とそれに続く轟音に目を開いた。
アントロテリウムが向かってきた方向とは反対側の壁が大きくくぼみ、その下で巨体がうずくまっている。まるでミトたちの頭上を飛び越えて壁に激突したかのようだ。
「一体、何が………」
「2人とも大丈夫か!?」
ミトの困惑は駆け寄ってきたキリトをみて驚愕に変わる。彼の手には、ミトが落としたはずの大鎌が握られていたのだ。
「キリト、まさかそれで……?でもソードスキルでも使わないとモンスターを転倒なんて………」
「だからとったんだよ。鎌スキル」
「「はぁ?」」
ミトとアスナが思わず声をあげる。とった。鎌スキル。
それはつまり、戦闘中にスキルスロットに入っていた索敵は隠蔽を外して鎌スキルを取得したと言う事か。
「な、あなた……どういう思考してれば、そんな発想になるのよ………」
ミトは呆れとも関心ともつかないため息を漏らす。
「話は後だ。ちょっとあのクマ倒してくるからここで待ってて」
「倒してくるって……ちょっと待ちなさい和人!」
未だ混乱する2人を置いてキリトはアントロテリウムと対峙する。
使い慣れていない筈の大鎌を器用に回転させ、ようやく立ち上がったモンスターに切り掛かった。
「キリト君、ちょっと怒ってたね」
「え?」
「だって大好きなお姉ちゃんを殺されかけたんだもん。怒らないわけないよ」
そう……なのか………。7年ほど一緒に暮らしているが、和人が起こったところなど1度も見た事がない。
彼自身、今自分が抱いている感情が怒りだと気付いていないのではないだろうか。
「…………」
キリトの初めての感情が自分に向けられている。その事実にミトの鼓動は少しだけ速くなった。
*********
「ラアッ!!」
回転する刃がアントロテリウムの体に無数の傷を創っていく。
苛立ったように振り下ろされた爪を下段からの切り上げではじき返すと、キリトはすかさず鎌から手を離した。
頭上を舞う凶器を気にすることなく背後の片手剣に手を伸ばし、引き抜く勢いのまま《バーチカル・アーク》を発動する。
斬り下ろしと斬り上げ、2連撃を一呼吸の内に繰り出すと、クルリと手の中で剣を回して納刀する。落ちてきた鎌を掴むとすかさず切り掛かった。
鎌と剣、2種類の武器を次々と持ち替える戦い方は、中性的な容貌と合わさって、まるで踊っているかのようだ。
死神の如き戦舞はミトとアスナの手足が治るまで続き、アントロテリウムのHPを跡形もなく消し飛ばした。