リコリス・リコイルレス TS転生者・観世セイカの戦闘記録【完結】 作:璽武通
東京都墨田区。錦糸町駅から少し歩いた先の静かな住宅街に、一軒の小さな喫茶店がある。
その店の名は『喫茶リコリコ』。ステンドグラス調の窓が目を惹く、モダンで落ち着いた雰囲気の外観。和洋折衷のお洒落な内装の店内。マスターの淹れる美味しいコーヒーや、和菓子を中心とした甘味が楽しめる、知る人ぞ知る穴場の店だ。
時刻は午後9時を過ぎ、営業時間が終わった喫茶リコリコの前に1台の
ベージュ色の車体に『創作菓子工房 LycoLess』の文字とロゴマークが描かれ、後部スペースに特殊作戦用の銃器と機材が積み込まれたリコレス隊の車両である。
それを運転しているのは、制服と同じ紺色のウレタンマスクで口元を覆っているセカンドリコリス。そして助手席に座っているのは彼女の相方──ではなく、彼女の上官であるセイカだった。
「30分後に迎えに来てください。場所は……錦糸公園の南側辺りで」
部下にそう言って、セイカはドアを開けて降車する。走り去っていく車を見送ると、彼女は陰鬱な表情を浮かべて天を仰いだ。
「……やっぱり、行きたくないなぁ……。帰りたい……。帰ってパンケーキ食べたい……。たっぷりのホイップクリーム……チョコチップも乗せて……」
俯いてブツブツとそんなことを呟きながら、セイカは重い足取りで店の扉の前に立つ。そして、意を決するように一度深呼吸をして、取っ手に手をかけてゆっくりと引いた。
◆
──DA東京支部所属のサードリコリス、観世セイカ。特殊作戦部隊の隊長(デスクワーク担当)であり、リコリスたちに小さな幸せを日々提供する菓子店の店長でもあるという異質過ぎる立場の少女。
3日前の深夜。そんなセイカから喫茶リコリコに仕事を依頼するメールが来た時、DAの情報部に所属していた経歴を持つ中原ミズキはこう思った。
(……は? アイツからの個人的な依頼? アイツ、小規模な作戦だったら実行できる権限持ってる筈でしょ!? どう考えても厄ネタでしょコレ。何やらせるつもりなのよ……!?)
不穏なものを感じたミズキは適当な理由をでっちあげて依頼を拒否しようとしたが、ミカに言いくるめられて結局引き受ける羽目になり、そして現在に至る。
「──こんばんは」
約束の時刻である午後9時過ぎ。扉に取り付けられたベルの音と共に、喫茶リコリコの店内に少女の無感情な声が響いた。その声の主である観世セイカの剣呑さを帯びた表情を見て、カウンター席の片隅に座っているミズキは、嫌な予感が的中したと言わんばかりに表情を歪めた。
「セ、セイカ? えっと、ひさしぶり。元気にしてた……?」
「はい、お久しぶりです。千束さん。たきなさんも」
困惑した様子で声をかけた千束にそっけなく返事をして、セイカはミズキの位置から2つ隣のカウンター席に腰掛けた。ちらり、と彼女は一瞬ミズキを横目で見たがすぐに視線を逸らし、鞄を背中から降ろして膝の上に置いた。
「いつもの、でいいか?」とミカがコーヒーを勧めるが、セイカは「いえ、すぐに帰りますので」とそれをすっぱり断ってしまう。彼女がこの喫茶リコリコを時々訪れるようになってから3年ほど経つが、今までこんな様子を見せたことは無かった。
いつもなら客の少ない時間帯に来て、コーヒーと甘味を味わいながら千束とアクション映画談義をしたり、ミカに部隊の運用や店の経営について相談したりして過ごすのが常だった。だが、今の彼女は治安維持組織のエージェントらしい冷徹な雰囲気を纏っており、仕事以外の話をする気は無いという意思がありありと感じ取れる。
「時間が惜しいので、早速本題に入ります。今回、皆さんに依頼するのは人探しです。対象の名前は……」
一瞬、セイカはその表情に迷いの色を浮かべ、口ごもった。しかし、すぐに覚悟を決めたように表情を引き締め、口を開く。
「──“ウォールナット”」
その名が出た瞬間、店内の雰囲気が一気に張り詰めた。千束は「えっ?」と小さく声を上げて硬直し、いつも冷静なミカとたきなですら動揺したような反応を見せ、ミズキは「ほらぁ、やっぱり厄ネタだったじゃない……」と言わんばかりに両手で頭を抱えた。
そんな喫茶リコリコの面々の様子に目を向けることも無く、膝の上に置いた鞄を右手の人差し指でトン、トン、と叩きながらセイカは言葉を続ける。
「対象の性別は女。年齢は不詳。外見は10歳前後の児童。髪はウェーブがかかった長い金髪。青い瞳。白い肌。インターネットの黎明期から、ダークネットでその名を轟かせているウィザード級ハッカーです。ああ、それと……今はウォールナットではなく、“クルミ”と名乗っているとか」
淡々とした口調でそう語ったセイカはゆっくりと顔を上げ、たきなの方を向いた。
サードリコリスとセカンドリコリス。本部直轄の特殊部隊の隊長と、本部から放り出された問題児。DAの職務に忠実ながらも歪さを抱えた2人のリコリスの視線が交錯する。
「……たきなさん。ウォールナットは今、どこに?」
「店の奥、押し入れの中です」
「ちょっ、たきな!?」
リコリスとしてのランクは下でも役職に基づく立場では上であるセイカの問いに、正直に即答するたきな。それに千束が慌てた様子で声を上げる。
剣呑さを纏った今のセイカの様子と、暗殺が主な仕事であるリコリスが人探しをしているという2つの要素から考えると、セイカがウォールナットもといクルミに何をするつもりなのかは明白だ。
「……Good, That's one less loose end」
そう呟いてセイカは、幽鬼の如くゆらりとした動作で立ち上がり、店の奥へと向かおうとする。そんな彼女の前に、千束が両手を広げて立ち塞がった。
「ちょっと待ってセイカ! 話を──」
制止の言葉を紡ぐ千束に対し、セイカはその手に持っていた鞄──リコリスの基本装備である拳銃やナイフが収められた戦術武装鞄を、無言で投げつけた。突然の投擲に驚きつつも、持ち前の超人的な反射神経を発揮して千束はその鞄をキャッチする。
「うわっとぉっ!?」
「勘違いしないでください。私は、ウォールナットを殺しに来たわけでも、連行しに来たわけでもありません。私がここに来た理由は……彼女に、仕事の依頼をするためです」
千束の背後に視線を向けて、非武装状態のセイカは無感情な声で言った。セイカの視線を追って千束は後ろを向く。
そこにはいつの間にか店の奥から出てきたクルミが、焦りと警戒が入り混じった表情を浮かべ、額に冷や汗を垂らしながら立っていた。
「はじめまして、ウォールナットさん。観世セイカと申します。お会いできて光栄です」
「……今の話、本当なんだろうな?」
「はい。ただし、あなたの返答次第ではその限りではありません」
「……選択の余地は無し、か」
「無いですね。ツケはしっかり払ってもらいます」
静かながらも有無を言わせぬ声色でそう言って、セイカは右手で小上がりの座敷席を指し示した。
「──話をしましょう、ウォールナットさん。私にとっても、あなたにとっても大事な、お仕事の話を」
◆
「今回、あなたに依頼するのは人探しです」
座敷席にクルミと向かい合う形で座るセイカはそう切り出して、卓の上に1枚の写真を置いた。
4月にとある一般人の女性が、悪人たちによる銃取引の現場を偶然撮影してしまった写真。その一部分を切り抜いて拡大したもので、黒いロングコートを着た男を赤いペンで丸く囲んである。それを見たミズキは思わず「なっ!?」と声を上げ、驚愕に目を見開いた。
「まさかこいつの正体、特定できたの!?」
「……はい。一応は」
自分の問いに曖昧に返したセイカに、ミズキは「今の間は何よ。というか“一応”って」とツッコむ。だが、それを無視してセイカは説明を続ける。
「対象の名は真島。年齢は推定30代。最低でも10年前から活動しているテロリストで、電波塔事件にも関わっています」
「電波塔事件にも?」
隣で話を聞いていた千束が声を上げると、セイカはこくりと首肯する。
「はい。……これが当時の真島です」
セイカは鞄からスケッチブックを取り出し、卓の上に置いて開いて見せた。その場にいる全員が身を乗り出してそれを覗き込む。「ほう」とミカが興味深そうな、感心したような声を漏らした。
開いたページには、電波塔事件時の真島の人相書きが色鉛筆で描かれていた。薄緑色に染められたベリーショートの髪。包帯のような布を巻いている目元。それなりに特徴を押さえて緻密なタッチで描かれており、捜索に充分役立つレベルのクオリティである。
「千束さん、こいつに見覚えありますか? 情報が正しければ、あの時こいつは展望台の近くにある売店の辺りで、リコリスたちと交戦していたはずなんですが」
「うーん……ごめん、覚えてない。10年も前だしなぁ……」
「目隠しをしているのは、なぜなんでしょうか?」
「真島は先天性の盲目なので、それに関係あるかと。正確な理由は不明です。……奴は盲目というハンデを補うように聴覚が異常に発達しており、高い空間認識能力と戦闘技術を持っています。……あの時、あの場で殉職したリコリスたちは、奴に殺されたようなものです」
声色と瞳に怒りを滲ませながらセイカは言う。当時、DAの司令を務めていたミカも思うところがあるのか表情を険しくさせていた。
「……次にいきます。こちらが、現在の真島です」
気を落ち着けるように息を吐き、セイカはページをめくって次の人相書きを見せる。ボサボサの髪に鋭い目つき、目元のシワ。ぱっと見の印象はだいぶ異なるが、よく見ると前のページの人相書きと顔立ちは一致している。
「電波塔事件の後、日本から姿を消した真島は海外で、マフィアやテロ組織からの依頼で動く戦争屋として活動していました。日本には船舶を使って帰国……いえ、密入国したと思われます」
「船舶を使ったという根拠は?」
「奴は中々に人望があるらしく、大勢の部下を連れています。推定で2個小隊規模の。それだけの人数を引き連れて密入国するなら、貨物船などの大型船舶を使うのが一番手っ取り早いです。それにアジトとしても、大量の銃の隠し場所としても使えますし……」
セイカは鞄から東京港の地図を取り出して卓の上に広げる。地図上には赤いペンで囲まれた部分が数ヶ所あり、その傍には数隻の船名が書かれたメモが貼り付けられていた。
「真島はコンテナ船を使い、東京港から日本に密入国したと仮定して話を進めます。東京港でコンテナ船の停泊に対応しているのが、この赤く囲ってあるエリア。このメモに書いてあるのが、例の銃取引が行われた日から2週間前までに入港して、今も停泊している船の名前です」
一つ一つを指差して説明していくセイカ。クルミはタブレットPCを持ってきて、人相書きと地図をカメラで撮影してなにやら作業を始めた。セイカに生殺与奪の権を握られている状況故に、その表情は真剣そのものだ。
「この中のどれかに奴はいる。そう私は考えているのですが、私の権限で調べられるのはこれが限界です。これ以上は、ウォールナットさん。あなたにお願いするしかありません」
「……わかったよ。で、何かわかった時の連絡方法は?」
「それなんですが……」
セイカはミカに視線を向け、少し言いよどんでから言葉を続ける。
「私がこの件に関わっていることは伏せた内容のものを、喫茶リコリコにメールで送って……ミカさんから、楠木司令に連絡していただけませんか。『ウォールナットと名乗るハッカーから、例の銃取引に関する情報が送られてきた』と。……それが一番、私にとっても、ウォールナットさんにとっても都合が良い方法だと思いますから」
「……ああ。確かに、そうだな」
自分の正体に関して、重い秘密を抱えている者同士のセイカとクルミ。2人は頷き合うと、揃ってミカに頼むような視線を向けた。ミカは真剣な表情で2人を見つめ、考え込む様子を見せた。緊張感に満ちた空気がしばし、その場に流れる。
「……わかった。引き受けよう」
どう考えても不自然なことをやらせるというのに、ミカはセイカたちに理由を聞くことなく了承の言葉を返した。それを聞いて安堵したセイカは、深々と頭を下げて礼を言う。
「ありがとうございます、ミカさん。……ご迷惑を、おかけします」
「気にするな。誰にだって、明かせない秘密はある。……特に、私たちのような者にはな」
若者を見守る大人の優しさと、裏の世界で生きてきた者の哀愁を感じさせる声色で、ミカは穏やかに微笑んで言った。そんな彼に対して、セイカは再度深く頭を下げて礼を言うのだった。
◇
セイカが喫茶リコリコへ訪れてから翌日の早朝。クルミは彼女専用のコンピュータールームと化した押し入れの中で、真島の捜索を始めていた。
彼女は使役している高性能AI──『ウォールナット』にセイカから提供された資料の内容を学習させて、広大なネットの海の中から真島の姿を探していく。
モニターに流れていく大量の文字列と数字。その膨大な量の情報をクルミはキーボードを叩き、時折音声入力も使いながら処理していく。
「……見つけた? マジか、こんなあっさりと……」
10分も経たずに、クルミは目当ての情報を見つけた。今、彼女の目の前に表示されているのは、東京港の敷地内に設置された防犯カメラの映像だ。
その日付は4月の銃取引が行われた日──彼女がDAのAI、『ラジアータ』をハッキングした日。
早朝の夜明け前。黒いロングコートを羽織っていて、薄緑色に染められたボサボサな髪の男が、手下たちを引き連れて車に乗り込む様子が映されている。
「この骨格で照合して。それから──」
AIに指示を出しながらクルミは考える。アイツは、観世セイカは何者なのかと。
彼女のDA内での役職や立場、リコリスとしての実力についてはミカたちから聞かされている。だが、それらの情報と昨日実際に対面したセイカの印象には大きな隔たりがあった。
セイカは一体どうやって、ウォールナットが喫茶リコリコに匿われていることを知った? なぜあの写真の男が真島であることがわかった? どうしてDAの情報部ではなく、秘密裏にウォールナットに依頼して真島を探す?
何もかもが不自然で、明らかに何かを隠しているセイカの存在は、クルミの好奇心を刺激した。……だが、彼女はセイカの裏を探る気はなかった。ヤバい秘密を抱えていそうな相手の裏を探ろうとした結果、住んでいたマンションを爆破され、武装集団に追われ、今はこうして押し入れの中で格安の報酬で働く羽目になったのだから。
好奇心は猫を殺す。藪を突いて蛇を出す。触らぬ神に祟りなし。命あっての物種……。脳裏に浮かび上がるそれらの言葉に思いを馳せながら、クルミは作業を続けるのだった。
◇
──1週間後。DAの司令である楠木のもとへ、ミカから連絡が入った。『ウォールナットと名乗るハッカーから、例の銃取引に関する情報が送られてきた』と。
彼から送られてきたメールには、4月に起きた銃取引の首謀者の顔と名前、アジトにしている中型コンテナ船の船名と場所が記されていた。証拠となる画像や動画も多数添付されており、それらを元に調査を行ったDA情報部もこの情報の信憑性は高いと判断した。
「……老人め。敵か味方か……」
DA本部の執務室で、報告書に目を通した楠木はどこか忌々しそうに呟く。その様子を、セイカは応接用のソファに姿勢正しく座って見つめていた。セイカが今、何を思っているのか。表情からは読み取れない。
「……セイカ。お前はこの情報をどう見る?」
「情報部の見解を信じます。これは、正確な情報なのでしょう」
「そうか……」
楠木は机に両肘を立てて両手を組み、考え込むように口元を隠す。しばらくの間、その場を沈黙が支配した。1分か、2分か、あるいはそれ以上。時計が秒針を進める音だけが、静かな空間に響く。
ややあって、彼女はゆっくりと顔を上げた。そして、セイカを見据えて言う。
「セイカ。リコレスに出撃準備をさせろ。都内に展開中の部隊だけでなく、本部にいる部隊にもだ」
重々しい口調でそう言いながら、楠木は真島がアジトとして使用している貨物船の写真を持ち上げる。
「今夜、ここを全力で攻撃する。……真島を見つけ出し、殺せ」
「了解しました。“全力で”ということは、D装備を使用してもよろしいのでしょうか?」
「かまわん。どんな手段を使ってでも、奴を仕留めろ」
「……かしこまりました」
ソファから立ち上がり、セイカは楠木に一礼して部屋を出る。そして、廊下をしばらく歩いたところで足を止めると、左腕に巻いた腕時計で時間を確認した。
「……よかった。仕込みが始まる前に決まって。食材をムダにするのは心苦しいですし……」
心底から安堵した様子でそう言いながら、腰に下げた無線機を手に取ってセイカは部下たちに指示を出す。
「セイカより、リコレスの全隊員へ。ただちにD装備にて出撃準備を整えてください。繰り返します、ただちにD装備にて出撃準備を整えてください。創作菓子店リコレスは、今日は臨時休業となります。繰り返します──」
隊長と言う立場にも拘らず、威厳とか厳格さなどは一切感じられないセイカの声。だが、無線から響いたそれを聞いたリコレス隊所属のリコリスたちは即座に表情を引き締め、慌ただしく動き始める。なぜ全隊員が出撃準備を整えなければならないのかとか、そんなことをセイカに尋ねてくる者はいない。彼女たちは、誰一人例外なく理解しているのだ。自分の役目や責務というものを。
指示を出し終え、無線機を再び腰に下げたセイカは窓に視線を向けると、スマホを取り出して東京の夜の天気を確認する。空には厚く雲がかかり、月明りの無い夜になるらしい。夜間戦闘部隊であるリコレス隊にとっては絶好のコンディションといえる。
「……大丈夫、だよね。うん。きっと、大丈夫……。絶対に、真島を殺せる……」
窓を開け、灰色の雲が覆っている空を見ながら、セイカは自分に言い聞かせるように呟く。
この世界に生まれてから、できる限りのことはしてきた。リコリスたちのために。DAのために。平和な東京のために。
「……よしっ!」
気合いの入った声を上げて、背筋をピンと伸ばし、セイカは部下たちの元へと向かう。自分のしてきた努力が、報われるかどうかを確かめるために。自分にとっての最終決戦の勝敗を、見届けるために。