「――自分も、ですね。流石にいい加減、この学園にも慣れてきたと思うんですよ、スペさん」
「……うん。そうだね」
「でもですね。たまにですけど、やっぱり自分なんか
「……そんな事、無いよ」
体育座りをしながら、腕に頭を埋めるドロップスティアー。その顔色を、目の前のスペシャルウィークは伺う事は出来ない。しかし、分かる。
彼女の境遇は、自分に似通っている。地方からこの学園にやってきた転入生、中央という未知の場所へ踏み入れた身。故に顔が見えずとも、悩みの幾らかは共有出来た。
平時のドロップスティアーが見せない暗い表情の奥にある――スペシャルウィークだからこそ分かる、今の彼女の悩みを。
「……うまぴょいってなんですか! うまだっちってなんですか! っていうか、なんなんですかこの曲とダンスーッ! なんっも意味分かんないんですけどぉーっ!?」
「……そ、そうだね……」
トレセン学園のダンスレッスン、スタジオ内。その中心でドロップスティアーは、山彦の如き虚しき咆哮を上げた。
ウイニングライブは、トゥインクル・シリーズの華である。アイドル的な側面もあるトレセン学園のアスリート達には、レースの熱狂だけでなくライブの愛嬌も求められている。
その重要性はシンボリルドルフより骨身の髄まで叩き込まれた。その需要はトウカイテイオーのライブを何度も見た事で良く理解している。しかし、それを差し引いても尚、今のドロップスティアーは叫びを上げるしか無かった。
それだけ現在練習中の曲目――”うまぴょい伝説”が、受け入れ難いモノであったが為に。
「恥ずいんですよーっ! いや歌詞もそうですけど、振り付けもツラいんですよーっ! なんでコレ学園の必須履修曲なんです!?」
「ま、まぁ、変わった曲だよね、うん……」
顔を深紅に染め、這い蹲るドロップスティアーが床を両手で殴る。その姿を見るスペシャルウィークは、半分ほどはその心理に同情していた。
この二人はトゥインクル・シリーズの世界をろくに知らないままやってきた身であり、ウイニングライブについても無知の身だった。なので、元々レースとライブをセットで観てきた学園のウマ娘と比べると、ライブ練習では一歩遅れを取っていた。
とはいえ、スタートラインが他より遠かったというだけで、デビュー戦以外のライブはちゃんとこなして来た。しかし他の学園生と比べ、ライブという文化に疎いのは事実である。
それが、”うまぴょい伝説”というライブ曲目に対しての抵抗感を産んでいた。
「で、でもほら! 最初の頃に比べたら私達、ちゃんと踊れる様になってきてるし! 別に大丈夫だよ、うん!」
「そりゃこんだけやってりゃ出来はしますよ! でも恥ずさは変わんないんですよ!
「……ティアちゃんも、別に合ってない訳じゃないと思うんだけどなぁ……」
歌う事も出来る、踊る事も出来る。しかし見えぬ心の裏では羞恥心が暴れ狂っているというのが、ドロップスティアーの現状であった。
スペシャルウィークは良い。元々可愛い系の純朴なウマ娘である彼女は、愛嬌を振り撒くこの曲に合っている。実際、スペシャルウィークはこの曲について『変わった曲』という認識は残っているものの、持ち前の純粋さもあって今や抵抗感をほぼ抱いていない。
しかしドロップスティアーの場合、少々事情が異なる。何せ彼女の場合、”ウイニングライブ”に対する
「くそうっ……! テイオー先輩は何でも出来るってのに……! 自分は、自分はっ……!」
トウカイテイオー。ドロップスティアーの敬愛する先輩たる彼女は当時、ライブの存在と必要性を語るにあたり、実際にライブを目の前で実践してみせた。
その時にトウカイテイオーが演じた曲目は、”Winning the soul”だった。三冠レース限定の曲目という特別性もあるし、興味を持ってもらうなら”Make debut!”よりもインパクトのあるこちらの方が良いだろう。その思惑は実際に成功し、ドロップスティアーはライブの必要性を理解した。
だが、”ライブ”という概念に対し、その手本が脳に強く焼き付いてしまったのである。
「うさぎみたいなポーズとか、投げキッスとか、手でハートとかぁ……! これ何回も人前でやったら自分発狂する自信ありますよ……! っていうか鏡で自分の姿見てるだけで憤死しそうですし……!」
「そ、そんなに辛い気持ちで今まで練習してたの……?」
「だってだって、こんな方向性のライブあるなんて思ってなかったんですもん! 辛いんですもん! キツいんですもん!」
ドロップスティアーはレッスン室の鏡で見た自身の幻像を思い出し、ドカドカ床を叩いて悶絶する。自分と向き合う事、その辛さがいかに厳しい事かを思い知らされていた。物理的に。
スペシャルウィークはライブに対し、先入観を抱いていなかった。しかしドロップスティアーにとって、ライブは『カッコいいモノ』と事前に教えられ、その結果二人の間には認識の隔絶が生まれた。
近い境遇と経験、違う前提と認識。その二点の差異により、スペシャルウィークとドロップスティアーは定期的に揃ってライブ練習をする仲でありながら、片方が勝手に自爆ダメージを負うという現象が時々発生していた。
「ティアちゃん、”ENDLESS DREAM!!”の練習でも言ってるよね、それ……歌うのはあんなに上手いのに……」
「最初から
更に言えば、ドロップスティアーは”うまぴょい伝説”のみならず苦手とする曲目があった。その最たるモノが、”ENDLESS DREAM!!”である。
歌う分には全く問題無いのだが、振り付けの可愛らしさで言えばこの曲も近しいモノがあった。元々出るレースを絞りまくっていたドロップスティアーは、”ENDLESS DREAM!!”については一切覚える必要が無いと割り切り、個人的なカラオケ趣味として歌を覚えるに留まっていた。結果、キングヘイローに叱られたが。
なので朝日杯でグラスワンダーのライブを見た時は、内心で『え、こんな可愛い系の振り付けだったんです……?』と戦慄していた。完璧に観客達を惹き付けていたグラスワンダーを見て、『絶対に勝てない……』と格の違いを勝手に
ともかくとして。ドロップスティアーはそういった、可愛い系の振り付けを求められるライブとその練習に対し、地獄マラソンの次点ぐらいに羞恥心と苦手意識を抱いているのである。
「……ダメです……自分はこの先、生きのこる事は出来ません……自分は置いていって下さい、レッスンはしましたがハッキリ言ってこのライブには付いていけないとか、キングさんにうまい事説明して……」
「いやダメだよ!? ここまで踊れる様になっておいて今更その言い訳通用しないよ!? 個人的に踊りたくないだけだよねそれ!」
「スペさんまで自分を否定するんですかッ……!!」
「そんな鬼気迫った顔する程!?」
今日も今日とで羞恥により、顔面の画風が変わる程に苦しんでいるドロップスティアーへ、スペシャルウィークは永続的にツッコミをさせられていた。
ちなみに『スペさんまで』という台詞の通り、ドロップスティアーはこれまで何回・何人ものウマ娘達より、似たようなツッコミを喰らい続けてきた。ちなみにツッコミ量の首席はキングヘイロー、次席はグラスワンダーである。
数え切れない程『やだやだやりたくないです』とゴネまくるドロップスティアーが、一応これらの楽曲を踊れる様になったのは、主にその二人の圧力のおかげだった。しかし今日、ドロップスティアーを『やりなさい』の一言で黙らせられる二人は居ない。
なので今のスペシャルウィークはその割を食う羽目になっていた。普通に被害者だった。
「――ふっふっふ……お悩みみたいだね、若きウマドルのタマゴちゃん……!」
「……!? 誰ですか!?」
声と共に、レッスン室の扉がゆっくりと開かれる。それに対し、ドロップスティアーは驚きの声を上げた。
今日ここでレッスン室の予約をしていたのは、ドロップスティアーとスペシャルウィークの二人であった。他の生徒とのバッティングは無い事は確認している、そして今聴いた声に覚えは無い。
完全なる第三者のエントリー。声の方向に振り返ると――
「私の名前はスマートファルコン! 最強のウマドル、だよっ☆」
「いやホントに誰ですか」
スン。珍しくドロップスティアーは無表情でマジレスツッコミをかました。
スマートファルコン。彼女は曲者揃いの中央でもまた別方向に有名な、というか自分から名をあちこちに売りまくって自ら有名となっているウマ娘である。
その特徴は、彼女の一貫した信念からなる数々の行動――いや、
「ファル子は皆も認めるトップウマドルを目指してるけど、同時に未来のウマドル達を育てる事も使命だからね……手助けするよ、ドロップスティアーちゃん!」
「凄い、自分ですらツッコミに回りそうな勢いと言語量です。思考をフル回転させても現状が理解出来ません」
乱入してきた通りすがりのスマートファルコンは、ドロップスティアーにとって未知の単語をクラスター爆弾の如くバラ撒きながら捲し立てる。
ウマドル。それはスマートファルコンが提唱した定義、目指すべき理想。ウイニングライブでは観客達に輝きを魅せ、更にファン達の期待にも常に応え続けるべきという、アスリートとアイドルを兼ねた存在である。
最も、レース至上主義たるレース業界において、ウイニングライブ以上のアイドル活動を追求するウマ娘は極小数な為、その概念は熱意に反してあまり浸透していないのだが。
「ライブで苦戦してるんだよね! なら、ファル子にお任せ☆ ウマドルにとって、ライブは命! あなたの苦手意識、しっかり無くしてあげるよ!」
「その”ウマドル”がさっぱり分かんないんですけど……えーと、ダンスを指導してくれる、って事で良いんですよね? なんでそんな事してくれるんです?」
「ふっふっふ……ファル子は見出したんだよ。あなたの中に眠る、確かなウマドルとしての才能を……あの、菊花賞でのライブで!」
「ティアちゃんの菊花賞……あぁ。そういえば、あの時のティアちゃんのライブは、いつも以上にスゴかったよね」
そんなスマートファルコンがこの場へやってきたのは、確かな理由があった。それは、菊花賞でドロップスティアーがセンターを飾った、ウイニングライブである。
スペシャルウィークはあの時の事を昨日の事の様に思い出せる。キングヘイローに言われてようやくライブ練習に力を入れる様になったが、それでもドロップスティアーにとってライブへの心的な優先度は低い。他者から見ても本人にとっても、それは純然たる事実である。
が、菊花賞でのライブの真剣さと力の入れ方は、まさしくGⅠの
「あのライブは、ファル子から見てもカンペキ以上だった……だからファル子はあの時決めたの! 機会があれば、あなたもウマドルに誘おうって!」
「いや褒めてくれるのは嬉しいんですけど、繋がりの前後関係がサッパリなんですが? あとマジでウマドルってなんなんです?」
事実、あの時のライブはドロップスティアーにとって特別だった。天国まで届かせる、そう決意してのウイニングライブは、我ながら最高の出来だったと断言出来る。
その深く高く強い熱を、誰よりもライブに拘るスマートファルコンは見極めた。真剣に取り組むだけなら他のウマ娘でも出来る、しかしあの時のライブから伝わった覚悟はスマートファルコンすら言葉を失うモノだった。
故に、ウマドルとする。彼女のあの時の覚悟は、ウマドルとして申し分無い素養だった。ウマドルを目指し、布教し、共に高め合う。そんな存在の原石として、スマートファルコンはドロップスティアーに目をつけていた。
「……ん? あーっ! ごめんティアちゃん、ちょっと早いけど私ここで抜けるね! 今日、トレーナーさんとスポーツショップまでお出かけする予定、忘れちゃってた!」
「え゛!? ちょっ、スペさん、この状況で自分一人になっちゃうんです!?」
「ごめんね、元々ダンスレッスンは早く切り上げるつもりだったんだけど、思ったより時間経っちゃってて……! それじゃまたねー!」
そしてこのタイミングで、スペシャルウィークは忘れていた物事を思い出した。擦り減ってきたシューズや古くなってきたサポーターなどのトレーニング用品を新調するべく、彼女は今日トレーナーと出かける予定だったのだ。
元々スペシャルウィークがダンスレッスンをしていたのは、それまでの空き時間を埋めるでもあった。思わぬ雑談によって時間を余計に食ってしまっただけで、元々レッスンは途中で切り上げるつもりだったのである。
スペシャルウィークは鍵をドロップスティアーの荷物の傍に置いて、ジャージ姿のまま慌てて荷物を手に取りレッスン室より走り去る。
その場に残されたのは、未だ困惑の渦中にあるドロップスティアーと、身を乗り出す勢いで目を輝かせるスマートファルコンの二人のみとなった。
「……うん! じゃあ、始めよっか☆」
「何も『うん』じゃないです。お願いします、自分に整理する時間と情報と余裕を下さい。自分がここまで落ち着いてるのは、最早キャラ崩壊と言えるレベルの事態ですよ」
思わぬ形で一人取り残されたドロップスティアーは、ひとまず目の前の”圧”その物たるウマ娘とのコミュニケーションの第一歩を刻む事とした。
◆ ◆ ◆
「――
「うんうんっ! ウマドルの形は、一つじゃない! ティアちゃんがライブを見て”凄い”以上のモノを感じたなら、それこそがウマドルの世界なんだよ!」
「そうか……そうだったんですか……ウマドルとは……世界とは……!」
数分後。落ち着いたスマートファルコンから”ウマドルについて”の説明を一からゆっくり聞き出したドロップスティアーは、あっさりその概念を心に浸透させていた。
ドロップスティアーの頭は知恵こそあるが、基本的に純粋で素直・悪く言えばすっからかんである。常識外のコーナリングや定石に無いパーマー式走法を習得したり、同類のゴールドシップを勝手に姐さんと認定して従う様になったり、良くも悪くも適応力が高い。
なので、スマートファルコンからの話に適宜質問をしていく中で、ドロップスティアーは完全に”ウマドル”という事象への適応を済ませていた。
「それで、話を戻すんだけど。ティアちゃんは、かわいい振り付けがニガテなんだよね?」
「まぁ、はい。
「へ? 感情を、消す?」
「――――」
「うわぁっ!? 何その顔、目!?」
その言葉の瞬間、ドロップスティアーは
表情・感情・雰囲気が失せる。極度のリラックス状態でありながら、瞳から光が消える。
彼女は誰よりも恐怖と絶望を知っている。目の前で自分の大事な
深い絶望の想起による、心の凍結。本当に恥ずかしくなって耐え切れなくなった時、ドロップスティアーはこの手段を用いてダンスの振り付けを機械的に体へ覚えさせていた。色んな意味で悲しく虚しい技術である。
「――と、まぁ。自分が
「限界なんて、自分で決める物じゃないよ! ファル子だって、最初は自分の夢に悩んでた……だけどっ! 諦めなければ誰にだって、誰かの
「ファル子さん……」
あたかも人生相談かの様な真剣な空気の中で、どこかネジの刺し所がズレた会話が交わされる。
そもそも今回の問題はウマドルになれるかどうかではなく、ドロップスティアーがかわいい系のライブへの抵抗を持っているというだけだ。それ以外に語るべき事は無い、限りなく小さな問題。
現状はその超しょうもない事に対し、スマートファルコンの拘りと夢が混線した結果、二人の会話と熱量が勝手に膨張を続けているというだけであった。
「ティアちゃんはもう知ってる筈だよ、ウマドルに一番必要なモノを! それは……強い想い!」
「想い……」
「そう! 想いを届ける、それがウマドル! それを自分の心じゃなくて、誰かの心に向けるの! そうすれば恥ずかしいなんて気持ち、どこかにすっ飛んじゃうんだから☆」
一本指を立て、スマートファルコンは持論を展開する。ライブとは、捧げるモノだ。
己の心を見せて届ける、それに魅せられたファンは心を返す。そういった双方向の繋がりが、新たな力となる。それこそが真実であり真理だと、スマートファルコンは信じている。
そしてそれを、ドロップスティアーは既に知っている筈だと確信していた。ただの勝利の喜びだけで、あれだけのパフォーマンスが出来る訳が無い。彼女の
あの時の熱と想いを、正しい方向へ向ける。その一押しが大事なのだ。
「たとえば……そう! いつもお世話になってるトレーナーさんの事を想って踊ってみる、とかどう?」
「トレーナーさんの、為……」
という事で、まずスマートファルコンは一例を挙げてみた。
ウマ娘とトレーナーは、一心同体・二人三脚・相互補完の関係だ。ウマ娘はトレーナーに導かれ、トレーナーはウマ娘の為に働く。故にトレセン学園において、トレーナー契約の関係というのは不可侵の代物である。
GⅠウマ娘にまで上り詰めたドロップスティアーの苦労の裏には、トレーナーの献身が無ければ成立しないだろう。二人で辿り着いた頂に、想う所が無い訳が無い。
そんなスマートファルコンの言葉に、ドロップスティアーは目を瞑り記憶を辿った。
『うちの担当、セイウンスカイと交換してくんねーかなー』
『お前が普通とか笑わせんな、片腹が捩れて死んじまうだろうが』
『お前の走りがクッッッソ、ヘタクソだったってだけだ』
『だあほ』
『だあほー!』
『だあほぉーっ!』
「――
「うひゃあぁっ!?」
瞬間、轟音。
かつてレスバの為に働いていた、無駄な思い出の全てがストレスに変わる。
震山脚の力と、自身の怒りの全てを組み合わせた、彼女の真の八つ当たり。
「……すみません、ファル子さん。トレーナーさんの話はナシでお願いします」
「え、えっ? な、何か、っていうか何があったの……?」
「ナシで、お願いします。あのばかトレーナーさんの事なんて考えたくないです」
「……う、うん……☆」
噴火するかの如き本能の発露からなる震脚は、レース用に最適化された脚の技量により床を破壊しなかった。代わりに、
一バ身の範囲で一点集中する震山脚に対し、踏み込みを起点に全方位・全範囲へと殺意の波動を拡散させる、究極の震脚。過集中状態たる”
「そ、それなら! トレーナーさん以外の……そう! 家族の為に、っていうのはどうかなっ☆」
「んー……」
スマートファルコンは切り口を変える事にした。これ以上踏み込んだらヤバいと、本能が恐怖したから。
ドロップスティアーの実の両親は他界している。そして菊花賞でのライブは”おかーさん”達に捧げる、これまでの自分と別れを告げる意味を込めてのモノだった。
思い出はそのままに、決別は済ませた。故に、自分にとって残る家族は”オヤジ”のみである。
そう考え、ドロップスティアーは目を瞑り記憶を辿った。
『こぉんの、バカ娘ーッ!』
『お前はウマじゃなくてバカだ、バカ娘で十分だーっ!』
『バカか、やっぱりバカか!』
『バカ娘!』
『バカ娘ぇ!』
『バカ娘ェーッ!!』
「――
「ひえぇえぇっ!?」
瞬間、轟音。以下省略。
ドロップスティアーにとって、”オヤジ”は確かに掛け替えのない家族である。オヤジが居なければ、間違いなく自分の心と人生は壊れていただろう。
が、それはそれとして。気の置けない親子関係となり、それから受けた数々の侮辱と罵倒は、脳内の記憶とグリグリアタックを受けたウマ耳付近にしっかりと刻み付いている。
なので感謝より怒りの方が先行していた。何故自分の周りはこんなんばっかなのか。先行し過ぎて、勝手に逃げになるレベルであった。
当然その怒りの原因の九割超が自業自得だったので、完全に逆ギレなのだが。
「……失礼しました、ファル子さん。やっぱり自分なんかには、ウマドルは荷が重かったみたいです……」
「なんで急にそんな深く諦めた顔になっちゃったの!?」
二ターンの逆鱗の後、ドロップスティアーの内に残された感情は胸に穴が開いた様な虚無と絶望だけだった。
こんな自分がどうしてウマドルになれるというのか。可愛らしいライブが出来るというのか。どうして自分はいつも、いつもいつも、いつもいつもいつも。肝心な所でばかり、無力なのか。
あれ、
「ファル子さん、自分にはもう分からないんです……何が良い事で、何が悪い事なのか……これ以上踊り続けても、床を傷付けるだけ……」
「で、でもでも!すっごいおっきい音出せるし、観に来てくれた人達も一気に注目する様な、そんなステップに応用できるかもだし!」
「かわいい振り付けが出来ない事の根本的な解決になりませんよね……?」
「…………」
スマートファルコンは閉口する。いきなり感情を爆発させたかと思ったら即座に虚無るという、ジェットコースターも驚きの乱高下の様子を見せたドロップスティアーへ、どう言葉をかけていいのか分からなかったが為に。
目の前のウマ娘は、童顔も相俟って素材は良い。他に無い強み――ただし物理的――も持ち合わせる、無二の原石でもある。しかしとにかく、アイドル的な心の適性が低い。
どうしようこれ。思った以上に厄介な問題に頭を突っ込んでしまった、そんな思考が一瞬スマートファルコンの頭に
「――いやっ! 諦めないよ、諦めさせないよ、ファル子はっ!!」
「!?」
道は自分の前にしか伸びず、夢は自分の上にしか無い。自分の理想を追い求めるスマートファルコンは、それを知っている。故に、後ろを向く事などしない。自分がそれを許さない。
「行くよ、ティアちゃん! 答えはいつだって、進んだ先にしか無いっ! ファル子が連れてってあげるよ!」
「え、え? いやどこに――ちょっ……ぬわーっ!?」
スマートファルコンは、あえてこれまでの考えを全て放棄する。ゴチャゴチャ考えるなど、元より自分の柄では無かった。
そしてドロップスティアーの腕を掴み、見た目にそぐわぬ腕力で力ずくに引っ張って、二人はレッスン室を超高速で後にした。
◆ ◆ ◆
「――と、いう事で! ”逃げ切りシスターズ”に体験入部する事になった、ドロップスティアーちゃんです! みんな、仲良くしてあげてねっ☆」
「ウソでしょ……ティアちゃんまで巻き込まれてる……」
「了解しました。ミッション、『教導』を遂行します」
「わー、新メンバー!? よろしくなのー!」
「サプライズね! 問題ナッシング、バッチグーよ!」
「……えっ?」
◆ ◆ ◆
「ダメだよティアちゃん! 気持ちはファンに伝わるんだから、ただ振り付けをこなすだけなんて思っちゃダメ!」
「えぇ……?」
◆ ◆ ◆
「今日は路上ライブだよ! 他の四人はスケジュールが合わなかったけど、二人で頑張ろうねっ☆」
「えっ、えっ?」
◆ ◆ ◆
「ティアちゃん、ただステージに集中するの……そして感じるの! 自分の中の……ウマドルの”形”を!」
「えっえっ、えっ」
◆ ◆ ◆
「――ねぇ。気付いてる、感じてる? 少しずつティアちゃん、変わってきてるんだよ……?」
「……えぇ!」
◆ ◆ ◆
◇ ◇ ◇
◆ ◆ ◆
「――最近ティアちゃん、ダンスレッスンで文句言わなくなってきたよね? どうしたの?」
「ええ、スペさん! ファル子さんに色々教えてもらったおかげで、コツを掴んだんです!」
「コツ?」
後日。再びダンスレッスンでバッティングした時、スペシャルウィークはドロップスティアーの変化に気付いた。
かわいい系の曲を歌ったり踊ったりした後、照れて大声を上げたり、自嘲したり落ち込んだりする事が無くなった。むしろ清々しいとばかりに、笑顔で練習する様になっていた。
それ自体は良い事なのだが、誰に何を言われても散々長らく文句を言っていた彼女が苦手分野を克服した経緯について、スペシャルウィークは気になった。
「ファル子さんに出会ってから、色んな所で色んなダンスやライブに参加にさせられて……最初はちょっと、心が死ぬかと思ったんですが。その死に際で掴んだんです……ライブの、核心ッ!」
「か、核心……?」
しかしその話題を出した瞬間、急にドロップスティアーのテンションのギアが跳ね上がった。雰囲気が変わった。調子が普通から絶好調へと変わったと表現すべき、そんな急変。
まさしく、
「……スペさん。自分が自由に感情を消せる事は知ってますよね?」
「えっ? まぁ、うん。アレ見た時はホント、怖かったもん」
スン。急に上がったギアがニュートラルに戻り、話題が全く別の方向へと逸れる。
ドロップスティアーの感情の消失。マイナスの思い出を想起する事により、あらゆる物事を機械の如くこなすという、最初に聞いた時は色々とリアクションに困った技術。
しかしアレは、あくまで振り付けを身体に学習させるだけの為に、無感情・無反応・無表情と変貌する、まさしく虚無を感じさせる物でしか無かった。あの笑顔とは真反対の技術が、今の状態と何の関係があるのか。
「自分は絶望によってあの状態になれます。しかし逆に言えば、自分は
ドロップスティアーの性格は基本的には明るい。しかしその性格の根本にはとんでもない絶望が眠っており、それを使う事で彼女は感情を一時切り離す事が出来る。
しかし、その明るさを一気に
「絶望と羞恥……自分の感情の
スマートファルコンによる、ウマドルのレッスンと実践。それは可愛い系の曲目を苦手とするドロップスティアーにとって、とてつもない羞恥感を強いる物だった。
極度の羞恥は抵抗感のラインを越え、マイナスへと転じる。出来る訳が無い、やってて辛い、自分には似合わない。最早ストレスに近い、強い忌避感と自己嫌悪の連続。
その過程でドロップスティアーは、新たな
「――自分は、ドロップスティアー! 逃げシスのウマドル、ですっ☆」
「ひぇっ」
要は、ただのヤケクソの極致であった。
「スペさんもウマドルになりませんか? 最高なんですよ、ウマドルは! ウマドルで、皆を笑顔にしましょうっ☆」
「ひぃぃっ! 完全にティアちゃんが別人になっちゃってる! 圧が、圧が違うッ!!」
一つ一つの動作にウインクを挟み、星が飛ぶ様な
有無を言わさず体を乗り出してグイグイ来るドロップスティアーに、スペシャルウィークはいっそ恐怖すら覚えた。元々明るい性格ではあったが、コレは違う。空気が、雰囲気が、有無を言わせぬ勢いが。何もかもが、完全に別人と化している。
なにこれこわい。レース中にドロップスティアーに迫られる時とは完全に別方向の恐怖に、スペシャルウィークは一気に追い詰められた。
「あ、ティアちゃん見つけたー! 実は今日、ライブハウスのステージが取れたんだけどねっ! スズカちゃんが逃げちゃったから、代わりに出てくれないかなっ☆」
「ファル子さん! 良いですよ、自分も今では一人のウマドルですからねっ! サイレンススズカさんの分までライブ、がんばりますっ☆」
「…………」
極限状態によって生まれてしまった悲しきモンスター。その生みの親たるスマートファルコンがやってきて、自分は完璧で究極なウマドルだと勘違いしている今のドロップスティアーは、突然の誘いにも二つ返事で了承した。
ドロップスティアーというウマ娘は、ともかく素直である。それは状況への適応力として基本プラスとして働くのだが、時としてそれは過剰となる。初対面のゴールドシップの影響を受け過ぎて、勝手に妹分を名乗り出した時と同様に。
プラス方面に行き過ぎてほぼ多重人格に成り果てた自分の友達のその姿を見せられ、スペシャルウィークもまた限りなく無に近い表情と感情を得た。
「よーっし! 逃げシス、ふぁいっ☆」
「おーっ☆」
「……あ、うん。いってらっしゃい」
夢に向かって一直線。そんな単語が思い浮かぶ空気を纏ったまま、スマートファルコンに続いてその場を去っていくナニカの背を、スペシャルウィークは見送った。
半ば思考放棄に陥らされたスペシャルウィークは、複雑な気分だった。彼女が苦手を一つ克服出来た事は事実であり、それは間違いなくプラスである。だが、自分の手の届かない明後日の境地にまで行ってしまった事は、どう受け取ればいいのか分からない。
どうしようアレ。ライブや練習の度に、アレになっちゃうのだろうか。いや、『出来る様になった』という事は、アレは一時的な状態と考えるべきだろう。というか、そうでなくては困る。付き合う側であるこちらが。
「まぁいっか」
考えても答えが出なかったので、その内スペシャルウィークは考えるのをやめた。
認識反転”バカ” (≒いつも通り)
”爆山脚”は決まると、”領域”を含む全てのスキルを強制終了させる技です。
ただし走ってない直立姿勢でしか撃てず、レースでは使用不可能の技です。