「――あ! グラスちゃん、キングちゃん、セイちゃん! 早く早く! そろそろだよ!」
”黄金世代”。クラシック期よりそう謳われた、ウマ娘達。
互いに競い合うレースその物が歴史として蹄跡を刻み続ける彼女達も、その外ではただの友達。食堂のワイドモニター前のテーブルに居座っていたスペシャルウィークは、その場にやってきたウマ娘達を手招いた。
「ふふっ。スペちゃん、そんなに今日が楽しみだったのですか~?」
「そりゃそうだよ!
「……その気持ちは分かるけれどもね、スペシャルウィークさん。その……それは、何?」
「え。何って……ご飯だよ?」
「キングがツッコんでるのはその異様なご飯の山についてなんだよスペちゃん」
一つのテーブルの端から端までを占有する、スペシャルウィークが築いた料理の山々を見て、グラスワンダー・キングヘイロー・セイウンスカイの三人は静かに恐怖した。
怪物。明らかにウマ娘の体積を遥かに超える食事を前に、”自分が全て食べ切る”と迷いなく断言するその自然体の彼女は、隔絶した別種の何かであると確信させるに十分だった。
いやおかしいわよ。もう大盛りも盛り盛りのヒマラヤ山脈なのよ。こんなものが”食事”であっていい訳無いでしょう。キングヘイローの
「しっかし、世界かー。いやはや、セイちゃんには無縁の話だねぇ。スペちゃん達とやり合うだけでもう手一杯だってのにさー」
「そんな弱気で良いのかしら? 私は最初からどんなレースであっても、誰にも負けるつもりは無いのだけれど?」
「キングちゃんのそういう姿勢は見習いたいですね~。……退く事など、考える必要もありません」
「あーやだやだ! みーんなどんどん強くなるんだもんなー! 毎回作戦考える身にもなりなよー!」
やってきた三人は、実質スペシャルウィークが占領している席に着いて、思い思いの丈を語る。
今回こうして集まっているのは、ある海外のレースを見る為だ。そこには日本の、しかも自分達の同期のウマ娘が出走する予定である。
海外のレースに出走するというのは、日本にとっての”挑戦”だ。単に出るだけなら誰でも出来る、しかしそれが
日本とは全く異なる環境に阻まれ、国内で活躍したウマ娘が力を出し切れず負ける。日本のレベルが上がってきた今、そのジンクスは崩れている。それでも尚、望んだ結果が得られない事の方が圧倒的に多い。
一般的に無謀とされるその壁へと、自分達の同期が向かった。その行方を”黄金世代”は強く注視していた。
「あれ? そういえば、皆で一緒に来なかったの?」
「あぁ。それでしたら先程、”ちょっと遅れる”と連絡が来ましたよ~?」
「ちょっと。こんな大事な時に、まさか遅刻なんてしないでしょうね」
「いやー流石に無いっしょー。気になってるのは皆同じなんだからさー」
スペシャルウィークは今回のレースを観戦する予定の、残り一人が来ていない事に遅れて気付く。それに関してはグラスワンダーが既に連絡を受けていた。
キングヘイローが多少の心配をするも、ここまで重要なレースに対して間に合わせないという事も有り得ないだろう。セイウンスカイはひとまずモニターへの視界を邪魔する料理を少しどかし、最後の一人の到着に備えておいた。
そう考えている中、本当に連絡通りちょっとだけ遅れてそのラスト一人はやってきた。
「お、噂をすれば来たよー?」
「あ! こっちだよ、こっちー!」
「んもう……ちょっとでも心配させるんじゃないわよ」
既に席に着いて出走を待つだけの姿勢の四人に対し、申し訳無さそうな顔を浮かべながら――
「はぁ、遅いですよ~……
「ご、ごめんなさいデース!」
◆ ◆ ◆
「――んじゃ、定例のレース前の確認すんぞー。良いか、大バカ?」
「待ったです。なんでいつもの流れに”大”を足したんです? こんな大勝負の前にちょっとでもモチベ下げようとしないでくれません?」
「この程度でモチベ下がる様な神経してんなら、最初から海外GⅠなんか出んなや。俺の情報網はほぼ国内限定なんだぞ、今回どんだけ苦労したと思ってんだよ」
「……むぐぅ」
ドロップスティアー、そしてそのトレーナーである名入。彼女達はレース前の控室にていつも通りの軽口を、いつもより不機嫌一割増量な名入と叩いていた。
海外GⅠ。海外GⅠである。GⅠというレース自体が歴史に残るモノであるにも関わらず、更に今回は挑んだ日本のウマ娘がほぼ失敗に終わってきた海外挑戦。無謀中の無謀と言えるそんな
『なんかコレ、いけません?』。ダービーにコンビニ感覚で出走する、そう決めた時と同等のノリでドロップスティアーが決めた今回のレースに、名入は今日までずっと頭を悩ませ続けた上でこの場に臨んだ。苦悩もさもありなんである。
「……ちゃんとこのレースの価値分かってんのかどうか、テストすんぞ。今回のレースの名前はなんだ?」
「一からっていうかゼロからの説明じゃないですか、バカにしすぎでしょ!
今回のレースは、プリンスオブウェールズステークス。ロンドンのアスコットレース場で行われるレースである。
別称、ロイヤルミーティング・ロイヤルアスコット。欧州の歴史あるレースイベントの一角であり、国際GⅠの一つ。国際レースである以上、国内外の上澄みたるウマ娘達が集うレースだ。
当然の事だが、このレースは『コレいけません?』の一言で出る物では断じて無い。ついでに言えば、名入というトレーナーは情報収集を得意としているが、同時に生粋の国内レース専門家であり、海外挑戦という挑戦に価値をまるで見出していない。
なので今回のレースに関して言えば、いつも偉そうにしている名入の自信の源たる事前情報は不十分であった。
「次、レースの距離と特徴」
「芝2000メートル、三角形みたいな変わったレース場。スタートからゴールするまでに回るコーナーは二つだけ。最初のコーナーまでは下り、あとはゴールまでずっと上り坂、です」
「10ハロンもあってコーナー二つとか、マジでイカれてんな
アスコットレース場で挙げられる特徴は、コーナーの少なさ・直線の長さ・そして何よりも坂の全高長である。直線の長い東京すら一周以上かかる2400メートル戦でも、ここではコーナーは二つ回るだけ。その分だけレースの大部分は直線を走る。
更に、最初のコーナーを曲がった後はゴールまでずっと上り。レースの後半1600メートルも上り坂が続き、その最大高低差は22メートル。これを他と比較すると、中山の急坂の四倍・凱旋門賞のロンシャンの二倍にあたる。
広大な丘をそっくりそのままレース場と決めた結果生まれたこの立地は、殆どのウマ娘が泣くレベルに単純かつ険しいコース構造をしていた。
「……で、だ。俺がこんなふざけたコースのレースの出走を許した理由はたった一つだ。分かってんな?」
「ふふーん。分かってますよ、分かってますとも! なーんせ、口酸っぱくなる程自分は言ってきましたからねー!」
日本では有り得ないレイアウトであるこのレースで勝利した日本のウマ娘は、一人も存在しない。海外特有の長く重い洋芝に加え、ゴールまでひたすら上り続けるこのレースは、直線の長い2000メートルでありながらコーナーが多い2400メートル以上の負担を強いてくる。
元々慣れない海外という地で、慣れようの無いアウェーなコース。それでもドロップスティアー本人がこのレースに出ると決めた理由の一つは、
「自分が、
「……俺、”
いつもの三割増しぐらいのドヤ顔を浮かべるドロップスティアーに比例して、名入はまるで信頼の無い薄目で溜息を吐いた。
散々っぱら言ってきた、いつもの台詞。”黄金世代”どころか”皇帝”相手にすら胸を張って言い切れる、ドロップスティアーの強み。それは、坂という立地への自信だ。
が、名入からすればたった一つだけの”絶対”など信じるに値しない。”絶対”が覆るからこそのレースであり、特に名入自身の
――とはいえ。
「……
「だから”大”は余計なんですよ、ばかトレーナーさん!」
◆ ◆ ◆
「……あの子が坂に強いのは知っているけれど。それだけでこのレース、勝てるのかしらね」
「ま、流石に”だけ”じゃムリでしょー。ティアちゃんさんはあのコース走るの初めてだし、日本で誰も勝った事無いレースなんだから、定石もなんにも無いし?」
「22メートルも上るレースって、私全然想像つかないよ……」
日本トレセン学園のテレビ前、ドロップスティアーが返しウマでコースを歩いて確かめている様子を見ながら、キングヘイローは当然の疑問を出す。
それをセイウンスカイは肯定し、スペシャルウィークは想像もつかないコースに難しい顔を浮かべる。そもそも海外GⅠの中でも、プリンスオブウェールズステークス――というか、アスコットレース場で勝った日本のウマ娘は存在しない。
海外という環境に加え、日本では有り得ない高低差とレイアウトのコース。そこに洋芝というバ場に足が取られ、距離以上の負荷と疲弊を招く。
ここまで悪条件が重なると、2000メートルという長さなど何の指標にもならない。そんなコースでどう走れば良いのか、この場にいる誰もがイメージすら出来なかった。
「んんぅ~、アタシもわかんないデース……グラスはどう思いますか?」
「そうですね~……ティアちゃんが勝てないのならば、どの日本のウマ娘も勝てないのでは。……とは、思っています」
エルコンドルパサーもまた頭を捻るが、自分が走る訳ではない以上やはり想像は及ばない。横にいるグラスワンダーに話を振れば、これまた難しい顔で返答が来た。
ドロップスティアーは色々な意味で常識に当て嵌まらないウマ娘である。異常と言える
そういった部分を見れば、ドロップスティアーは確かに日本で最もこのコースに向いているウマ娘だろう。だが、あくまで”向いている”というだけで、勝てるかどうかは別の問題である。
彼女の強みが活きるレースであっても、そもそもが
「ま、それもそうだねぇ。正直、あそこで走るのはやだなーってのがセイちゃんの本音かな」
「う、うぅん……やっぱり海外のレースって難しいんだね……」
「あぁスペちゃん、ちょっと勘違いしてるかも。私が走りたくないのは、向こうのレースが難しいからって理由じゃないよ」
「えっ?」
グラスワンダーの言葉を裏打ちする様なセイウンスカイの言葉に、スペシャルウィークの難しい顔が更に歪む。だがその反応に、セイウンスカイはひらひらと手を振った。
確かに向こうは敵地で不利な状況だ。自分で走るなど考えたくもない、厳しいレースである。しかし、そんな”状況”よりもセイウンスカイにとって『走りたくない』と言う理由は――
「
◆ ◆ ◆
「んっんー、中々良いコースじゃないですか。実家を思い出しますねぇ、このなっがい坂と感触。まぁ思ったより走りやすい辺り、
コースの下見で軽く芝と勾配の感触を確かめ終えたドロップスティアーは、自分がこれまで走ってきた坂道との差異を覚えながらも、特に不安は感じていなかった。
初めて走るレース場で、日本とは何もかもが違う。京都レース場の淀の坂よりも険しく、しかし実家の山道よりは緩くスピードが出る。ここは正真正銘、未知の立地だ。
それでも、負ける気はしない。負ける気など無い。自分はここに、勝ちに来たのだから。
『――そこのキミ、随分とリラックスしてるじゃあないか。緊張とかしていないのかい?』
「ん? へ、なんて?」
ゲート前でリラックスして風を感じている中、一人のウマ娘が声をかけてくる。
名入が想定する最大の脅威として、ドロップスティアーも顔を知ってはいる。が、英語が流暢すぎて言葉が分からない。ドロップスティアーは今回のレースにあたり、言語の壁を越える気が欠片も無かった。
『……参ったな、ここまで”分からない”とハッキリ顔に出る娘は初めて見た。何を言っても届かなさそうだ』
「???」
ほえーっと間抜け面を晒して困っているドロップスティアーの様子を見て、センダワールは苦笑いを浮かべる。逆に心配になるレベルで言葉が通じていない。
日本からわざわざやってきたウマ娘という事で、多少の警戒はしている。余程の自信が無ければ、このレースに挑む訳が無い。なのでどういう性格なのかと挨拶しに来たが、言葉が分からない事が一発で分かるぐらいに素直な事ぐらいしか伝わってこない。
緊張が無い。警戒が無い。完全な自然体なまま、声をかけられて普通に困っている。
『まぁ、いいさ。すまなかったね、いきなり声をかけて。良いレースにしようか、
「……あ、今”ごめん”って言ったのは分かりました! こっちこそすみませんね、言葉全然分かんなくって!」
とはいえ、流石のドロップスティアーも全く英語が分からないという訳ではない。簡単な単語や挨拶ぐらいは分かるし、逆にそれらの単語は聞き逃さない様にしていた。
ちょっと申し訳無さそうにしているセンダワールに、こちらから頭を下げる。言葉が分からないし伝わらない分、全力のジェスチャーで感情表現をする。ぶんぶんと頭を振り下ろすドロップスティアーを見て、センダワールは逆に更に困った。
なんなんだろうこの娘。悪い娘じゃないのは本当によく伝わってくるのだが、ここまで毒気が無いと本気で海外に挑戦しに来た風には思えない。挑戦者というのはもっとこう、ギラギラとした熱意や敵意を相手に抱いているものではないのか。
「あー……『待って下さい』、です。一応テイオー先輩から重要な言葉だけは教えて貰ったんで、それだけは言わせて下さい」
『……?』
唐突な辿々しい静止の声に、ゲートへと向かおうとしていたセンダワールの足が止まる。
センダワールも日本語は分からない。ただ、『待って』とわざわざこちらの言葉で言ってきたからには、何か伝えたい言葉があるのだろう。
ドロップスティアーに向き直る。素直で真っ直ぐな、何一つ背負う物が無さそうな表情。そんなウマ娘が、口を開く。
「えーと。『絶対は自分です』。……伝わりますかねぇ、コレ」
『……!!』
何の迫力も無い、凄味も込められていない、たった一言。しかしその内容は、何よりも雄弁で衝撃的な”挑戦”として叩き付けられた。
向こうも自分が、センダワールが四つの冠をもぎ取ったウマ娘である事は知っている筈だ。にも関わらず、言葉もろくに覚えていないウマ娘が、自分に対して伝わる様にとんでもない喧嘩を売ってきた。
”絶対は自分だ”。勝つのは自分であり、それは揺らぎのない事実なのだ、と。
『――面白い。その言葉が虚仮でないか、精々見せてみろ。日本のウマ娘』
「お、伝わったみたいですね。良かった良かった、これでテイオー先輩に怒られずに済みますー!」
言葉で伝わらない分だけ圧を込め、センダワールが低い声で返答する。それを受けてもドロップスティアーは、伝わったという喜びで顔を綻ばせるだけだった。
柳に風とはまさにこの事だろうか。何を言っても、どんな圧をかけても、彼女は動じない。吐いた言葉は極めて強者のモノだというのに、その本人からは何も感じられない。
不気味だ。今まで感じた事が無い異種の感覚を、センダワールは目の前のウマ娘に抱いた。
『……レースを楽しみにしている』
「ん……あっ、”楽しみ”ですか! あははっ、そんじゃ頑張りましょうねー!」
静かに圧力を纏ったままゲートへ向かうセンダワールを、ドロップスティアーは見送る。
今のやり取りで、強さは勘と肌でビリビリと感じられた。流石にGⅠを四つも獲っているだけはある、大した怖さを持つウマ娘だ。自分のヤマ勘が反応している以上、紛れもない格上である事実は確かだろう。
強く、怖い――が。
「……
スペシャルウィーク・セイウンスカイ・キングヘイロー・グラスワンダー・エルコンドルパサー。その五人と比べれば、感じる恐怖が薄い。
実績ではセンダワールの方が上なのだろう。自分が同期を贔屓目で見ている事は紛れもない事実だ。それを加味しても尚、ドロップスティアーにとって怖いのはあの五人の方である。
そして自分は曲がりなりにも、”黄金”とすら称される彼女達がライバルと呼んでくれている存在だ。彼女達がこのレースを見ていないなどという事は有り得ないだろう。
それならば。
「勝ちますかー」
自分が勝つと決めた、だから走る。”海外挑戦”などという、誰かが掲げた綺麗なお題目などどうでもいい。ただ単に、自分のエゴのみに従って往く。
負けない為ではない。ここにいる強く怖いウマ娘達を、全員倒して自分が勝つ。必要な力も策も心も、ちゃんと持ってきた。
――絶対は、自分だ。
「……あはっ」
胸が躍る。走る前から楽しみを感じる。恐怖を上回る、
”最も恐いウマ娘”が、無邪気な笑みと共にその牙を剥いた。
久々なので主人公っぽい事します
ちょっとした都合で一年ぶりに書きました。実は本編書いてる時に「菊花賞後も連載が続いたら」と構想していたレースの一つです。
ちなみに今回の話の元のレースにはセンダワール以外にもバケモノがいます。得意地形S程度で勝てると思うなよ。