レースではなく勝負、故にルール無用。そんなアスリートとしては有り得ない思想を走りでこれ以上無く証明したドロップスティアーに対し、トウカイテイオーは憔悴しきっていた。そしてようやく、シンボリルドルフから詳しい経緯を聞くことにした。
トレセン学園にすら通っていない苦学生。トゥインクル・シリーズも知らない非常識。実家が山の上にあり、その山道のみを走り込んでいる事。そして挑んだルール無用の山道勝負、そこからスカウトまでの一部始終。
ウマ娘としては異様な生立ちにトウカイテイオーは同情し、勝負で用いられた異常なショートカットの内容に百面相を浮かべ、スカウトからここに来るまでの理由に顔を引き攣らせ。
ワケわかんないゲージがオーバーフローを起こしたトウカイテイオーは、一言漏らす事しか出来なかった。
「……キミ、すごいね……」
「……? ありがとうございます、テイオー先輩!」
ここで言ったトウカイテイオーの『すごい』とは、当然褒め言葉ではない。
ドロップスティアーというウマ娘には、ウマ娘として持っている筈のモノが全く無い。レースの知識も、常識も、そして怪我に対する危機感も。誰よりも怪我とレースの狭間で苦しんできたという自負があるトウカイテイオーの受けた衝撃は、シンボリルドルフよりも上だった。
シンボリルドルフが負けた理由も、スカウトした理由もよく理解出来た。確かにこれは放ってはおけないだろう、色んな意味で。先程の勝負で受けた以上の理不尽を直接目の当たりにしたシンボリルドルフの心境は、今のトウカイテイオーにはわかりすぎる程にわかった。
「……おっほん! ティア、最初に走ったのがボクで良かったよ! これからはボクがちゃんとレースについて教えてあげるから、二度とあんな勝負――っていうか珍行動やんないでね!? お願いだから!」
「わぁ、やっぱりテイオー先輩は優しいです……! これからもお世話になります!」
なのでトウカイテイオーは、先帝の意志を継ぐ事にした。この可愛い後輩にして常識知らずのバカ娘に、まともなレースの常識を教える。
手がかかるのは目に見えているが、キラキラとした無邪気な視線を向けられれば悪意のある娘でない事はわかる。曲者揃いのトレセン学園の中では、素直な性格だとも感じていた。
ただただ常識が欠落しているだけ。それさえなんとかなれば、いい後輩になってくれるだろう。トウカイテイオーは中央でのドロップスティアー被害者第一号として、責任を持ってこの後輩を導く事を決めた。
それはそれとして、さっきの勝負の事は永遠に根に持つが。
「……まぁ、和解してくれたようで何よりだよ。それじゃあ走ったばかりの所で悪いが、ティア君はこのまま私と一緒に各種本人手続きだ。転校や学園に所属する関係の書類と服のサイズのチェックなど……まぁ、昼前までには普通に終わるだろう」
「あっ、はい。お世話になります、ルドルフさん」
「カイチョー、ボクは何か出来る事ある?」
「気持ちは嬉しいが、今は手伝える事は無いんだ。何かあったら声をかけるから、その時は宜しく頼むよ」
「……うん、まっかせといてよ!」
また後でねー! そう言ってトウカイテイオーは、その場を後にした。
彼女は元々次のレースが近い身だ。何度と無く怪我を経験してきた彼女は、レース前の調整を特に慎重に行わなければならないウマ娘と言える。
シンボリルドルフにとってウマ娘は等しく全員大事な存在であり、幸福を願っている。しかし
レースが近い大事な時期に彼女の手を煩わせたくはない。ドロップスティアーの存在は清涼剤にはなるだろうが、負担にはさせたくない。そんな気持ちがあった。
「ううむ……しっかし、ルドルフさんといいテイオー先輩といい、中央って本当にすっごい強い方がいっぱいいるんですねぇ……」
「まぁ……うん」
ドロップスティアーの目には先程の、1400メートルをツッコミの為に全力疾走してきたトウカイテイオーの姿が焼き付いていた。全く減速無く回ってくるコーナリング、ゴールへ向けての爆発的なスパート。
現在のドロップスティアーが知っている”中央”は、シンボリルドルフとトウカイテイオーの二人のみ。しかもその二人は、レースさながらの本気の走りと迫力をぶつけてきた。
中央はこんなウマ娘がごろごろいるのだろう。そんな限りなく誤解に近い認識を、シンボリルドルフはあえて見送った。
中央のウマ娘が速く強いのは確かにそうだが、”皇帝”と”帝王”はその上澄み中の上澄みだ。自分達を基準にしてはいけない、そう言いたいのは山々なのだが、中央が凄いという認識は変えないで欲しい。
そんな微妙な葛藤が、シンボリルドルフの返事を曖昧に濁した。
「――あはっ」
だが、その返答を受けたドロップスティアーは。
「……楽しい勝負になりそうですね」
実際に戦う時が待ち切れないとばかりに、極めて好戦的な笑みを浮かべていた。
◆ ◆ ◆
「――えー、という事で。今回この学園に転校して来ました、ドロップスティアーさんです。自己紹介どうぞ」
「ドロップスティアーです! 田舎から来たばっかで何もかもわかんない事だらけですっ、助けて下さいよろしくお願いしますっ!」
数日後、中等部のクラスにて。無事転校手続きを終えて制服に身を通したドロップスティアーは、これ以上無く情けなくも清々しい自己紹介をかましていた。
地方からの転校生というのはそれだけで注目度が高い。最初から中央を受験するのではなく、途中から中央へやってくる。その事実は様々な推測が考えられるだろうが、何らかの事情を持っている事は確かだ。
が、今の自己紹介で”事情”について考えるクラスメイトの思考は吹っ飛んだ。ここまで堂々とした救援要請をされては、何も言えない。思える事はただ一つ。
なんだこいつ。それだけだった。
「……まぁ、うん。元気なのも、何もわからない事も十分に伝わるね、うん。素直なのは良い事だと思うよ」
「ありがとうございますっ!」
ドロップスティアーはにぱっと笑って教師に頭を下げる。とりあえず、地方の脚自慢にありがちな高慢ちきではない事だけは確かだった。それだけで一応好印象ではある。
それにしたって、気が抜ける挨拶だった。地方からのスカウト生と聞いてどんなのが来るかと思えば、こんなのが来た。どういう走りをするかはわからないが、わざわざ無用な波風を立てる必要は無さそうだ。
転校生という一大変化に対してある程度緊張していたクラスの空気は、一発で完全に霧散しきっていた。
「では、席に付くように。急な事なのでひとまず窓際の一番後ろに用意させてもらいましたが、構いませんね」
「全く構いません、ありがとうございます!」
既に満員だった教室の一番端、急拵えの席。隣も何も無い、突出した形で置かれたそこがドロップスティアーの新たな居場所だった。
言われた通り、ドロップスティアーは自分の席へ向かう。クラスに馴染めるといいなー、楽しく過ごせるといいなー。そんな気持ちで教室の一番後ろへと歩を進めると。
「――よォ。お前がウワサの新入りか……」
窓際の一番後ろ、一個だけ置いてある机と席。
そこには、やたら体格の良い芦毛の美人が、机の上に両脚を乗せて待ち構えていた。
「どんなのが来るかと思やー……ヘッ、中々面白そうなヤツじゃねーか。だが、この席は既にゴルシちゃんの占拠下にある……欲しけりゃ自力で奪い取るんだな、新入りちゃんよぉっ!」
「せんせー、中央の椅子って物理的に奪い取る必要があるんですか?」
「何をしているのですか、ゴールドシップさんっ!」
ゴールドシップ。曲者揃いのトレセン学園の中においてもトップクラスに有名な、奇人の中の奇人。
用意した席を事前に奪うという形でドロップスティアーに立ちはだかった彼女は、まず最初に思いっきり教師に叱責された。
「……? 何言ってんだセンセー、授業前に席につくのは常識だろ?」
「そうですね常識ですね! ここが中等部のクラスで、貴女が高等部であるという事実を除けばね!?」
自分はただ授業を待っているだけなんだが? 当たり前の事を当たり前の様に抜かすゴールドシップだったが、残念な事に彼女は高等部の生徒でありここに席は用意されていない。
この場に居る全ての生徒は、ゴールドシップが当たり前の様にこの席を占拠している事に今初めて認識した。教師がドロップスティアーを連れて来るまで、
一体いつ、どうやって。聞きしに勝る
「っていうか何時やってきたんですか貴女! 周りの皆さん全員『ウソでしょ』って顔してるじゃないですか!」
「簡単な事だぜ。このゴルシちゃんはついさっきまで、ロッカーの中にいたのさ。後はセンセー達がやってきて、クラスの意識が集中した瞬間! ゆっくりバレない様に、匍匐前進でその席まで辿り着いた、ってワケさ……」
「全部おかしい事ですよね!? 自分のクラスほっぽって何やってるんですか!」
その手品の種は単純な意識誘導のトリックと、無意味に極められた無音移動技術にあった。
この静けさとは無縁のゴールドシップというウマ娘は、この瞬間まで己のアイデンティティーを自分ごと全てロッカーの中にしまい込んでいた。全ては今、転校生の席を奪う為だけに。
今、一時、この瞬間。たったそれだけの為に、今まで彼女は自分の全てに蓋をしていたのだ。ロッカーの中で。
「その問題もとっくにクリア済みよ。あっちには等身大ゴルシちゃん人形を置いてきてある……この先の
「あ゛ぁぁ話が通じない! 言葉は通じるのに話が通らない! ともかく出てって下さい! 今すぐ! ハリーアップ!」
「イヤだーッ! ゴルシちゃんはここで転校生と隣の席ポジションに付いて、”こいつ実質主人公じゃね?”ポジも確保するんだーいッ!」
「貴女が居るとそもそもドロップスティアーさんの席が無くなるんですよぉーーっ!」
離せー離せー! 完全に痺れを切らした先生は、暴れるゴールドシップの首根っこを掴み、力ずくで――先生もまたウマ娘なので、筋力的には問題無かった――このクラスから退場させていった。
そして残るは静寂のみ。開いたままのクラスの扉の外へと失せたウマ娘型局所的ハリケーンの跡に、クラスの全員は白い目を向けた。その後、同情的な視線をドロップスティアーへ向けた。
「……うん、えーと、ドロップスティアーだっけ? この学園は変わったウマも多いけどさ、皆が皆あんなんじゃないからね? その、初日から災難だけど、元気出しなよ……」
ドロップスティアーの前の席に座るウマ娘が、呆然と立ち尽くすドロップスティアーへクラスを代表して声をかける。
転校初日で
アレがゴールドシップ先輩かぁ……アレに目をつけられちゃったのかぁ……大変だね……。言葉にならないまでも、それが今のクラス内に漂う総意だった。今だけは間違いなくクラスが一つになっていた。
「……すごいですね、中央……」
「いやまぁ、凄いけど。アレは色んな意味で別格だから――」
「……負けてられません……!」
「――んっ?」
ただ唯一。ドロップスティアーだけは、開きっぱなしの扉の外へと強い視線を向けていた。
◆ ◆ ◆
「……はー、まったく。トレーナーはいっつも過保護なんだよねー。ボクだってもう無茶してたあの時とは違うってのにさー」
今日の分のトレーニングを終えたトウカイテイオーは現在、手持ち無沙汰に学園を散歩していた。
実の所、テイオーが課されている最近のトレーニングは極めて軽く短い。元々脚を怪我しやすい体な上、レースが近いという事情が更にそれを加速させている。
トウカイテイオーの身体は全盛期の出力は出せない、つまり現時点で完成に近い。故に現在出来る最善のトレーニングは、脚力以外の能力を底上げする事、次のレース運びについて思索する事の二つ。
軽く短く、しかし質は高める。今の自分はそういったトレーニングが理想であり、身体を虐める事とトレーニングは違う。だからなるべく無理はしないで欲しい、そう何度も口酸っぱく言われている。
「そんなの、流石にもうわかってるって。……はぁ、今日は何しよっかなー」
全くもって正論なのだが、厳しいリハビリを経験した身としてはどうしても暇を感じてしまう。
やる事・やりたい事自体は沢山ある。授業の予習を済ませておくなり、マックイーンやネイチャに声をかけるなり、生徒会室に顔を出すなり。最近はそこに一つ、新しい選択肢が加わったが。
(確かティアは今日クラスに転入だっけ。……大丈夫かなぁ)
ここ最近トウカイテイオーの交流の輪の中に食い込んできた後輩、ドロップスティアー。中央にも中々見ないタイプの強烈な個性を持つものの、無邪気に自分を慕ってくれるウマ娘。
トウカイテイオーは右も左も、というか上下左右分かっていない彼女に対し、ここ数日でえらい世話を焼いていた。学園の案内、設備の紹介、中央ならではの校則、そしてレースの常識。特にレースの常識。
え、最短でゴールすれば良いんじゃないんですか? そう言って外回りのレース映像で内回りのレーンを走らない事に不思議がった事を思い出し、つくづく放っておけないと思った。
(素直なのは助かるんだけどね……)
ドロップスティアーは本当にレースを知らない。レースの走り方以前に、最低限の知識が無い。
なのでトウカイテイオーは、突貫工事で彼女に最低限のレース知識を教え込んだ。レースの距離区分、芝とダートの二種コース、
というか、実際に一曲歌って踊ってみたら目をキラキラ輝かせて見入ってくれた。それまでの説明全部要る? ってぐらい心変わりが早かった。
「そういえば、ティアのクラス聞いてなかったなぁ。探すにも広いし……直接呼び出せばいっか」
手のかかる、しかし手をかけた分だけ何でも吸収してくれる後輩は、完全にトウカイテイオーに懐いていた。ここ数日だけでLANEのメッセージのやり取りより、直接会って話す方が多いという程度には懐き度マックスだった。
という事で、テイオーは今日もドロップスティアーを呼び出す事にした。最低限の知識は付けさせたとはいえ、まだまだ
クラスの雰囲気はどうだったか、仲良く出来そうか、あと問題起こさなかったか。主題はそこで、あとは流れのままに話していけばいいだろう。
良い意味で扱いが適当になってきた後輩に連絡を入れるべく、トウカイテイオーはスマートフォンを取り出し――
「オラー! いつまでも這いつくばってんじゃねーぞ、ドロップスティアー!」
「……く……うっ……!」
――余りにも聞き覚えのある声と、聞こうと思っていた声。その二つが同時に、通りがかった庭の方から聞こえた。
前者はゴールドシップ、後者はドロップスティアー。聞き間違えのある筈が無い二人の声に、トウカイテイオーの脚は完全に釘付けとなる。同時に、最大級の悪寒が走った。
可愛い問題児に、可愛くない問題児が絡んでいる。しまった、
地方からの転校生というネームバリュー、レースを知らない異端児。そんな目新しいモノを前に、ゴールドシップが飛びつかない訳が無い。少し考えればわかる事だった。
「……っ! ゴルシ、ボクの後輩に何してんのさっ!」
瞬発的にトウカイテイオーが庭へと飛び込む。百パーセント、あの後輩はゴールドシップの毒牙にかかっている。
ゴールドシップの行動の
今回の場合、間違いなく後者。ゴールドシップの叫んだ内容から言って、まずろくでもない事をやっている事だけは確かだ。後輩を守るのは先輩の仕事だ、責任を持って
そうトウカイテイオーは強く決意して。
「……もう一回……もう一回お願いします、ゴールドシップの
「おうよ! 見とけ、ゴルシちゃんの十二連でんぐり返し! おおおッ!!」
「おおおーっ!」
新品の制服を土と草に塗れさせたドロップスティアーが、高速で前転するゴールドシップに対して目を輝かせている光景を目の当たりにした。
「……ふぅ。ま、八割の力でこんなモンか。そら、やってみなティアー!」
「行きます! おぉーっ!」
「バカヤロウ気合が足りねえぞ! そんなんじゃ立派なロールパンになれねーぞー!」
「くうっ! ……お、おぉぉーっ!」
そして、それを追う形でドロップスティアーがゴールドシップと同じく前転する。
ドロップスティアーの前転距離と回転数はゴールドシップの足元にも及んでいなかった。三・四回転目で勢いを失い、斜めに体勢を崩れ落とす。
何度となく前転を受け続けたのであろう庭は、ぐちゃぐちゃになっていた。敷き詰められていただろう芝は漏れなくゴールドシップとドロップスティアーの全身に付着し、前転した場所は綺麗な土色が見えている。
しかしドロップスティアーはまるでめげる事無く、ゴールドシップの前転の後を追う。懸命に、必死に、しかし不出来な前転で。庭の中をひたすらごろごろ転がっていた。
「……ん? おー、どうしたテイオー。ゴルシちゃん焼きそば店は臨時休店してんぞー」
「どうしたはこっちのセリフなんだけど!? 何やったらこんな惨状が生まれるのさ!? 何やってんのティア!?」
「あ、テイオー先輩。今ちょうど、ゴールドシップ姐さんから前転のコツについて聞いてる所でして……」
「なんで!? 全てにおいてなんで!? どうやったらそんな状況になるの!?」
帝王の心の底からの咆哮が庭全体を震わせる。
ゴールドシップとドロップスティアーは、全く同時・同角度・同速で首を傾げた。
「なんでって……このゴルシちゃんにコイツが弟子入りを申し込んできてなー。見事なローリング土下座を決めたんだが、まだ伸び代があると思ってな……アタシも柄にも無く熱くなっちまって、久々に
「自分も頑張ってるんですが、全然姐さん程には上手く出来なくって……なのでこうして、つきっきりで教えてもらってるってだけなんですけど」
「”だけ”って何!? 情報量が多すぎてパンクしそうなんだけど!? まず知り合った状況から聞きたかったんだけど――やめてゴルシ! 『しょうがねーなー』って雰囲気で絵本を描き始めないで! ティアはやたら上手い絵に目を輝かせないで!」
可愛い問題児と、可愛くない問題児。素直と奇行、そして異端同士。
今日ここに、悪夢の化学反応が百二十パーセント具現してしまっていた。
因子相性:◎
報告を聞いたシンボリルドルフのやる気が下がった!