ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『逆算』 /①

「ティア、調子どう?」

「あっ、テイオー先輩! いつも通りですよ!」

 

 一月経って、選抜レース当日。トウカイテイオーはレース会場で、体側服姿のドロップスティアーに声をかけていた。

 テイオーが確認した限りでは、結局ドロップスティアーはこれまで全ての模擬レースにおいて最下位で負け続けていた。毎回逃げて、毎回コーナーで膨らみ、毎回スタミナが切れる。

 コーナーを曲がる姿勢は多少改善されたが、逸走癖が直るまでには至らなかった。走法その物に問題がある以上、小手先の努力でどうこう出来る訳が無い。外れて欲しかった予想は、覆される事が無かった。

 

(いつも通り、か)

 

 テイオーは努めて明るい表情を取り繕いながら、内心では苦い気持ちで一杯だった。

 返答が『絶好調です』とかであれば、まだ期待が持てた。だがこの素直な後輩が『いつも通り』と言うからには、本当に平常通りの調子なのだろう。

 いつも通り、これまで通り。一度も勝てていない”いつも”しか、彼女は今日この場に持ち込めなかったのだ。

 

「見てて下さいよね、テイオー先輩! 今日が勝負って事で、自分気合入れてきましたから!」

「うん、見てるよ」

 

 不安を与えてはいけない。そう思って、トウカイテイオーは言葉少なにドロップスティアーの下から離れた。

 全身を伸ばしてぴょんぴょんと飛び跳ねる様子には、この一ヶ月間大敗し続けてきたとは思えない程陰りが見えない。強がっている様にも見えない、本当にいつも通りの調子をキープしていた。

 正直な所、負け続けで絶望しているならどうしようかと思っていた。上手くいかない、また負けたらどうしよう、そういった気の遅れは脚にも現れる。根拠の無い自信、或いは単なる能天気だとしても、勝負の前から負けるよりはずっとマシだ。

 

「やぁテイオー。ティア君はどうだった?」

「あ、カイチョーも見に来たんだ? ……いつも通りだってさ」

 

 そんな事を考えながらトウカイテイオーが観客席に行けば、シンボリルドルフが待っていた。テイオーはその姿を見ただけで、多少は心の落ち着きを取り戻す。

 とはいえ、ルドルフの方も内心に然程の余裕は無い。テイオー程では無いが、ルドルフもこの一ヶ月のドロップスティアーのレースや走りの変化――それは無変に近いが――を気にして、余裕がある時は模擬レース場で眺めてきた。

 結果。今の彼女はいつも通り、最下位を取るだけの力しか無い。

 

「……私の責任だな。わざわざ困難な道を歩ませてしまった」

「そ、そんな言い方しないでよ! カイチョーは悪くないし、それじゃ……!」

 

 それじゃあ、始まる前から負けたと言っているのと同じだ。口は噤んだが、トウカイテイオーはそういった意図で声を上げた。

 シンボリルドルフ自身もあからさまな失言をしたと自覚し、口元を抑える。ドロップスティアー本人がいない場所で呟いた独り言であるだけマシだが、レース前に言うべき事では無い。

 しかし、そう呟いてしまう程までに状況が絶望的なのは確かだ。

 

「……いつも通り、か。テイオー、ティア君が出るレースはどれだ?」

「えーと……第七レースの、芝の中距離だね。いつもと同じ距離で、2000メートル」

「2000か……」

 

 長い。長過ぎる。2000メートルという距離に対してそう思う事は、中々無かった。

 ドロップスティアーはスプリンターという訳では無い。坂道をローペースで走ってきた弊害で、絶対的な速度ならスプリンターの切れ味に勝てない。

 だが、距離が長くなれば自然とコーナーを曲がらなければならない。コーナーその物が最初にして最大の難敵と言える彼女にとって、コーナーが長く・多くなればそれだけで不利な条件になる。

 全くもって難儀な話だ。スプリンターとしてはスピードが足りず、マイラーとなるにはスタミナとコーナーの問題が立ちはだかる。

 確かにスタミナが多い彼女は本来ミドルディスタンス向きだ。しかし現状、走法の悪燃費とコーナーへの不適正によって、中距離の中で一人だけ長距離を走らされる様なハンデを背負う形になってしまっている。

 

「ティア君は他に何か言ってたかい?」

「”今日が勝負って事で気合入れてきた”、って。ティア自身も不利は自覚してるだろうけど、変な気負いが無いだけマシ、かな……」

 

 気負いが無いだけマシ。心情的にはドロップスティアー寄りのトウカイテイオーですらそう言いたくなる程の悪条件が揃ってしまっている。

 トウカイテイオーはシンボリルドルフよりも長く、多くドロップスティアーの姿を見てきた。コーナーで膨らみ、苦しみながらも曲がれない姿。先頭を突っ切って、たった一つの直線で天下が終わる姿。滝の様に汗を流して完走すれば、大差負け。

 そんな状況でも笑顔を浮かべて、練習して、次のレースへ。負ければ悔しさはあるだろうに、それも見せずにひたすら走り込んで、それでも負けて。同情せずにはいられない、そんな様を見続けてきた。

 奇跡でも起きなければどうにもならない状況。トウカイテイオーに出来るのは、少しでも彼女が良い走りが出来る様に祈る事だけだった。

 

「そう、か……精神的にタフなのは良い事だ、レース前から不安は持ち込んではいけないからね」

「うん……ティア、すごいよね。地元じゃ負け知らずだった筈なのに、あんなに明るく振る舞えるんだから」

「……そうだな」

 

 無敗。その言葉は、シンボリルドルフとトウカイテイオーにとっては馴染み深く重い言葉だ。

 多くの人間の期待を背負って、二人はレースを走ってきた。負けてもいいレースなど一つも無い、しかし勝ちを積み重ねる度に次の勝ちは期待され、負けの重みが増していく。

 そして勝利は誇りとなり、同時に自尊心を増長させる。誇りは武器になり得るが、自尊心は傷に弱い。実際にシンボリルドルフとトウカイテイオーは無敗の記録が消えた時、自尊心は誇りによって少なからず傷付けられた。

 ドロップスティアーは背負う物も無いが、それでも負けていない事は己のアイデンティティの一つだった筈だ。勝負で必ず勝とうという意志を持つ者が、負けに何も思わない事は無い。

 

(――ん?)

 

 シンボリルドルフは、そこで妙な引っ掛かりを感じた。

 彼女は勝負に勝つ事に拘っていた。食らいついてきたシンボリルドルフ相手には、この先走れなくなる可能性もある程危ういショートカットも断行したし、トウカイテイオー相手にはルールを意図的に作り出してまで勝利した。

 そんな彼女が、負けが目に見えているこの状況を甘んじて受け入れるものか?

 

「……テイオー。さっきのティア君の言葉、もう一度聞かせてもらえるかい?」

「えっ? 『今日が勝負だって事で気合入れてきた』って……」

「……()()()勝負?」

 

 違和感が加速する。確かに選抜レースは一大事であり、大勝負だ。

 だが、彼女の言葉がそっくりそのままの意味であるなら、少し意味合いが異なる。それは裏返せば、()()()()()()()()()()()とも取れるからだ。

 ドロップスティアーは敗北を黙って受け入れるウマ娘ではない。今日までは勝負じゃない、今日は気合を入れてきた。()()()

 

「テイオー。ティア君のレースについて教えてくれ」

「え? だから、芝の2000って……」

「違う。()()()()()、だ」

 

 違和感のままに、直感のままにシンボリルドルフはトウカイテイオーに質問する。

 シンボリルドルフの受け取り方が邪推で無ければ、今日の勝負とこれまでの勝負には何らかの違いがある筈だ。

 

「……? 今日と同じだよ、一ヶ月間ずーっと芝の2000を走ってた」

「……本当に、ずっと同じなのか?」

「うん。多分、今日のこのレース一本に絞ってきたんだと思う」

「全部、逃げで?」

「うん」

 

 そう言うトウカイテイオーの顔に嘘は見られない。確かに本番のレースを想定して、走る条件を同じにするのは最も手っ取り早い対策であり予習と言える。

 ()()()()()()()。何度も同じ条件で、同じ様に負け続ける。それでは何も変化が無い、学習が無い、成長が無い。勝負に拘っている筈の彼女が、勝ちを目指していない。

 そうこう考えている内に、ドロップスティアーが走る第七レースがやってくる。芝2000、右回り。

 

「なぁテイオー、いくらなんでもおかしくはないか。彼女はどちらかと言えば勝ちに拘るタイプだ。一ヶ月間同じ戦法を続けて負けるだけ。選抜レースの事を思うなら、この一ヶ月のどこかで距離なり戦法なり変える筈だろう」

「そりゃまぁ、ボクも途中からおかしいとは思ったけど……カイチョーもわかるでしょ? ティアはスプリンター向きじゃないし、抜け出し方がわからない以上逃げしか出来ないって」

()()()()()()()?」

「えっ?」

 

 シンボリルドルフはその時、初めて自分達が至った結論を疑った。

 まだちゃんとした確信は持てていない。だが、シンボリルドルフの勘が単なる思い違いでなければ。

 

「あっ、カイチョー。スタートするよ!」

 

 ――彼女は、間違いなく()()()()

 

「スタートは――えっ、出遅れ!?」

「……やはりか」

 

 自分の想像通りに出遅れたドロップスティアーの姿を見て、初めてシンボリルドルフは彼女の考えを理解した。理解は出来たが、無謀だと感じた。

 しかし、確かに()()しか突破口は無い。乗るか反るか、まさに一発勝負だ。

 

「カ、カイチョー!? 『やはり』って何!? 逃げなきゃ、ティアは……!」

「落ち着け、テイオー。ティア君が焦っている様に見えるかい」

「……あれ? ……落ち着い、てる?」

 

 誰もが見える程の出遅れをしておきながら、ドロップスティアーは全く顔色を変えずに最後方に位置取り、後方集団に合わせたスローペースで走っている。

 トウカイテイオーの見てきた限り、ドロップスティアーはこの一ヶ月間の模擬レースでは必ず逃げでハナを奪っていた。それは彼女のピッチ走法が加速力だけは群を抜いているという証拠であり、出遅れた事が一度も無かった事を示している。

 最初に先頭を奪う加速力と集中力、それだけは一級品であったが故に、彼女は逃げという最後の勝ち筋があった。それを一ヶ月間磨き続けてきた。

 ()()()()()()

 

「彼女が山道で使っていたショートカットは、失敗すれば命に関わるレベルの物もあった。それを初対面の相手との勝負でもぶっつけで成功させる、そういった集中力――いや、精神力で言えば、彼女は誰よりも上だ。だから今まで彼女は、出遅れなんて初歩的なミスをしなかった」

「でも、今出遅れちゃったじゃん」

()()()()んだ。この土壇場で彼女は、自分の優位を捨ててスタミナを温存する作戦に出た」

 

 レースは続き、コーナーに入る。一番後ろに陣取るドロップスティアーは後方集団にぴったりとつけながら、前のウマ娘に合わせて速度を抑えて走っていく。抑えて走れば、跳ぶピッチ走法による膨らみは起こらない。

 前を行くウマ娘を空気に対する壁にしながら、同時にスピード抑制用のペースメーカーとする。確かにそうすれば、途中でスタミナが切れるという問題の一つはクリア出来る。

 意図的にスタートを遅らせる事で、彼女はスタミナの自由を得ていた。

 

「……スタミナを温存する為なのはわかるけど、無謀だよ。今まで逃げしかやってこなかったのに、土壇場でよりにもよって後方策なんて……後ろで走る事の難しさは、カイチョーだってよく知ってるでしょ?」

「あぁ」

 

 だが、それは別の問題をさらに際立たせる。

 後方策は自分の末脚を信じて、最後の最後に相手を差し切るスパートタイミングの感覚が必要だ。先頭集団とどれだけ差があるのか、それを見て終盤で追い上げるタイミングを決めなければならない。

 レース経験が乏しい彼女は、他のウマ娘を見て抜け出す・スパートをかけるタイミングがわからない。それにどれだけ強いウマ娘でも、差す為に後方に陣取っていたら前方が塞がれて沈む事などザラにある。後方策が難しいのは、勝敗がレース展開に極めて左右されやすいからだ。

 

「私の予想が正しければ、第三コーナー辺りから動きがある筈だ」

「……どういう事?」

「多分だが、()()()()()()()()()()

 

 ドロップスティアーは最後方で息を潜めたまま第二コーナーを抜け、直線を緩々と走っていく。抑えている以上当然だが、スタミナは切れていない。

 そして、ローペースのまま第三コーナーに入り。ドロップスティアーのラインは()()()()()()()()()

 

「な、なんで!? 今はスピード出してないのに、どんどん膨らんでいってる……!」

「……テイオー。彼女の走っていた山道は、直角よりも鋭いカーブなどというレースでは有り得ない厳しいコーナーもあった。それに対して、彼女は()()()()()切り込む事で、曲がる角度を緩めていたんだ」

「……外から、内?」

「普通のスピードでは()()()()()コーナーに対してのアプローチだ」

 

 ドロップスティアーはどんどんと後続のラインから横へ横へ、外へ外へと外れていく。

 最終コーナーに差し掛かるより前に一人だけ。自分だけが、大外へと回り。

 

「とんでもない思い違いをさせられていた。彼女が一ヶ月間やっていたのは、コーナーを曲がる練習じゃない」

 

 視線を鋭くし、前を見る。第四コーナーの始まり、誰も居ない大外で。

 

「自分が走り切れる距離と角度の、()()だ」

 

 ドロップスティアーは、超ロングスパートを仕掛けた。

 





  ◇  ◇  ◇

まけないで、といわれた。
だからわたしは、まけないことにした。

  ◇  ◇  ◇

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