ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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友情!交流編
『研究』


「えっほ、えっほ」

 

 暗い、暗い世界に居た。

 狭くて暗くて、息苦しい。記憶はあやふやで、意識は定まらない。

 夢か。そう思うには、自分の吐息がやたら近くに感じられる。すぐ近くに何かがあって、それが自分の存在を確かにしている。

 

「えっほ、えっほ」

 

 目覚めたくはない。この朦朧とした感覚の揺籠の中で、そのまま意識を沈ませてしまいたい。

 目覚めたい。狭くて苦しいこの場から逃げ出したい。だけれど、何故だか手足は上手く動いてくれない。

 せめぎ合う自分の意識同士が反発して、体が動かない。どうすればいいのか、わからない。

 だからせめて、腕だけでも動かしてみようとした。

 

「……む? 起きたかね」

 

 誰かの声がすぐ傍から聞こえてきた。自分はどうやら今起きているらしい。しかし、瞼も動かしても暗闇が明けてくれない。

 腕の感覚を取り戻す。脚の感覚も戻ってくる。体を圧す感触を自覚する。自分は誰かに触れられている。しかし、ここがどこで誰が傍にいるのか、それがわからない。

 体は動くのに、自由が利かない。矛盾で頭が混乱する。何もわからない。こんな時は、素直に声に出した方がいいと教わった。

 

「……あのー。自分、今どうなってます?」

「うむ、冷静だね。下手に暴れられては困る、物分りが良い子は好きだよ?」

 

 聞き覚えの無い声が自分の背中側から聞こえてきた。どうにも現状は妙だ。

 身動きが取れない、いや取りづらい。両腕と両脚が何かに包まれ、動かせる幅が無い。

 そして視界が暗い。確かに自分は目を見開いている筈なのに、光が殆ど感じられない。何より妙なのは、空気の匂いがおかしい。

 いや、もうよそう。もう気付いている筈だ。いくら察しが悪くてもわかる。わかってしまった。

 今、自分――ドロップスティアーは、何か大きな袋に包み込まれたまま、返答してきた誰かに担がれてどこかへと運ばれているのだ。

 

「えーと……どこへ向かっているんです?」

「私の部屋だよ」

「なんでです?」

「私が話をしたいからねぇ」

「どなたです?」

「ははっ、自己紹介は話を始める時でも構わないだろう?」

「ははぁ……そうですね?」

 

 てくてくてく。声の主は迷うこと無く、ドロップスティアーを拘束したままどこかへと歩いていく。

 大人びた声だが、トレセン学園の教師がこんな事をするとは思えない。となれば、学園のウマ娘が自分を拉致しているのだろう。起き抜けで鈍っていた頭の回転がようやく正常化して、ドロップスティアーは冷静に現状を分析していた。

 ドロップスティアーは”中央”の特別性を知らず、トレセン学園という物に通い始めたのも一ヶ月前からだ。故にトレセン学園の、或いは中央特有の何か知らない行事を行われている可能性が否定出来ない。

 なので彼女は、声の主に反抗する事無く冷静に現状を受け入れる事にした。まぁ中央トレセン学園ならきっとこういう事もあるのだろう、そんな諦念染みた無垢が抵抗という選択肢を奪っていた。

 

「あのー。息苦しいので袋から出してくれません? 別に部屋に行くだけなら、袋いらなくないです?」

「ん? ……確かにそうだね。うむ、納得して貰えているようだし、別に良いか」

 

 受容の意に満ちた言葉を受け、声の主がドロップスティアーを肩から下ろす。ようやく地に足をつけたドロップスティアーは、もぞもぞと自分を包む布袋から脱出を試み始めた。

 

「んっ、んんっ……むっ、ぐぬぅっ……」

「しかし、なんだな。こうして廊下でモゾモゾとしていては、不審人物にも程があるね君」

「自分からすれば、不審どころか現状が不明なんですけど……んぅっ」

「あーこらこら、強引に脱がない方がいい。服がめくれているよ」

「あっ、ありがとうございます。……あれ? 自分にコレ被せたの、貴女ですよね?」

「そうだが……どうしたんだい急に」

 

 布袋を脱ぐ手助けをしてくる謎の推定学生は、自分の行為を肯定しながら悪びれもしなかった。が、疑う能のないドロップスティアーは『やっぱり別に変な事じゃないのかなコレ』と確信を深めるだけに留まる。

 手助けを得て息苦しい布袋から脱出し、綺麗な視界と空気が取り戻される。ドロップスティアーは乱れた制服をちょいちょいと直し、傍の学生は小汚い布袋を畳む。そこでようやく、ドロップスティアーは自分を運んでいた下手人を見た。

 自分より少し背の低い、巻き癖のついた栗毛のショートヘア。何故かほんのりと薬品臭いが、同じ制服姿である以上同じく学園の生徒である事だけは確かだ。

 当然だが、ドロップスティアーとの面識は無い。転校直後から模擬レース漬けにされていたせいで交友関係が狭いのもあったが、目の前の生徒はクラスメイトですらない初対面のウマ娘だった。

 

「ふいー。んじゃ、行きましょうか……えーと……」

「アグネスタキオンだ。よろしく頼むよ、ドロップスティアー君」

 

 アグネスタキオンと名乗る彼女は、光の無い瞳で微笑みを返した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「まぁゆっくりしてくれたまえ。あ、そこ半分はカフェ……別の娘のスペースでね。痛い目に遭いたくなければ手を出さない方が良いよ」

「あ、はい……痛い目!? そんな危険な娘いるんですか!?」

「無害ではあるのだが、難儀な娘でねぇ。自分のスペースを荒らす者を許さないのだよ、あの娘の友達が」

「なるほど……随分過激な友達がいるんですね、その娘」

 

 理科室の隣、準備室にあたるスペース。アグネスタキオンが『私の部屋』と呼んだ、本来は学校のモノであるハズの部屋に二人はやってきていた。

 半分は毒々しい光を放つフラスコが目を引く、絵に描いた様なマッドサイエンティストの私室染みたスペース。半分はシックなソファーや机、絵画や証明スタンドなどで飾られた応接間の様なスペース。

 部屋を真ん中で分割した様な不可思議な空間。何も知らずに言える事は、ここは完全に個人の趣味によって彩られてしまったスペースだという事だけだ。

 

「まぁそっちの椅子に座りたまえ。折角だから紅茶も出そう」

「うえ、紅茶ですか……? すみません、ちょっと口に合わなそうなので……麦茶とかありません?」

「茶は茶でもまるで違うじゃあないか。それなら水道水しか出せないよ」

「じゃあそれで」

 

 薬品が置かれている机の傍に簡易的な丸椅子を差し出され、ドロップスティアーは着席する。

 もてなしとばかりに紅茶を提案されるも、生粋の庶民たるドロップスティアーが飲んだ事がある茶は出涸らしの麦茶のみ。完全に麦の味で慣らされている舌は、それ以外の茶を拒んでいた。

 と言うよりは、普通に飲まず嫌いなだけなのだが。

 

「……それで。ええと……そもそもなんで自分は運ばれてたんです?」

「なんだ、覚えてないのかね。君は練習用レース場の近くの庭で、思いっきり昼寝をしていたのだよ。それはもう、見事な熟睡だったとも」

 

 ドロップスティアーはそう言われて、布袋の中で目覚めるより前の事を思い出す。

 選抜レースが終わった翌日も、ドロップスティアーは模擬レース場の辺りで自主トレーニングをしていた。自分の走法が欠点だらけであろうと、中央の選抜で一位通過した事実は変わらない。トレーナーにスカウトされやすいように、トレーニングは人目に付く場所で行った方が良い。

 『全くスカウトされないかもしれないけど一番可能性があるのはその方法だ』という提案を、トウカイテイオーから精一杯気持ちのオブラートに包んで渡されたドロップスティアーは、特に言葉の裏を読む事無くまっさらな気持ちで受け取っていた。

 しかし今日もスカウトはゼロ。自分の走法を改善する切っ掛けも掴めぬまま、ドロップスティアーは脚の負担も考え軽めにトレーニングを上がり、その直後に睡眠欲が湧き上がってきた。

 まぁ別に学園内で昼寝してはいけないなんてルールは無い。そう思ってドロップスティアーは制服姿のまま、整えられた芝のベッドの上で仮眠をすやすや取ることにしたのだ。

 

「そこで私が君に声をかけたのだよ、『少し話があるのだが、ご同行願えるかね』と。そして君は『うぅん』と答えた。これは当然、肯定の『うん』である事は間違いない」

「……全く記憶に無いですけど」

「まぁ、私が軽く揺すった時の声だからね。とはいえ、口約束でも約束だ。記憶にあろうとなかろうと、当事者同士の間で交わされて受け取る側がそう認識した。それだけで十分な理由になると言えよう」

「そんなもんです?」

「そんなもんだよ」

 

 そんなもんかー。ドロップスティアーは恐るべき無垢さで、アグネスタキオンから齎された理不尽を流した。

 流石に何か変だとは思う程度の感性はあったが、昼寝から起こさないでくれた辺りには配慮を感じる。別に暴行された訳でも無いし、記憶には無いけど話に応じたのが自分なら仕方ないかな。おおらかと言うにはあまりにも大雑把過ぎる思考が、抗弁をさせなかった。

 

「それじゃあ、話ってなんです? 自分は貴女の事を知らないんですけれど……」

「うむ、話が早くて助かるよ。君の体、というか脚に興味があってね」

「脚、ですか?」

 

 体に興味がある。同性の生徒で無ければ完全に変態の物言いだったが、アグネスタキオンが同性の生徒なのでこれまたドロップスティアーはスルーした。

 しかし脚その物に興味があるとはなんなのか。そこには小首を傾げ、言葉をオウム返しする。

 

「選抜レース、見せてもらったよ。転校して間もないレースだというのに、見事な勝利だったねぇ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「見事なまでに、無様な走りだった」

「あれ、なんか前後の言葉がぶっ飛びませんでした?」

 

 ほめられたかと思えばけなされた。言葉の急制動を真正面からぶつけられ、これにはドロップスティアーも顔を顰めた。

 しかしそんな顔を向けられたアグネスタキオンは、愉快とばかりにくすくすと笑うだけだった。

 

「いやいや、貶している訳ではないさ。この場合の無様とは醜態という意味ではなく、言葉の通り整っていない様を言っただけだよ。君自身も気付いているんだろう? 上手く走れていない事に」

「むぅ……テイオー先輩以外から言われるのは、なんかムカつきますね」

「おや失礼。実に慕われているねぇ、テイオー君は」

 

 走行フォームが整っていない、お前は上手く走れていない。初対面のウマが明け透けにそんな指摘をしてくる事に対しては、ドロップスティアーにしても心外だった。

 尊敬すべき先輩であるトウカイテイオーの言い方はもっとやんわりとしていて、こちらを傷付けまいという配慮があった。だがアグネスタキオンの口振りにはそれが無い。ただただストレートに事実を突き付けてきている。

 自分にとって痛い所を指摘された時、それが正確かつ直接的である程反発心は煽られるモノだ。初対面のウマに有無を言わさず拉致され、お米様抱っこで知らない部屋まで運送されても別にドロップスティアーは何とも思わないが、絶賛悩み中の部分を刺激されては流石に気に障る。

 

「話は変わるのだが。私はこのトレセン学園で求めているモノがあってね、その為に、私は日常的に様々なデータを集めて研究しているのだよ」

「……データ、ですか?」

「ああ。君も興味は無いかね? ウマ娘は、どれだけ速くなれるのか……その、可能性を!」

 

 しかし話題を変えたアグネスタキオンの言葉が急に熱を帯びた物に変わる。

 演説染みた物言いには恍惚と狂気が混じっており、ドロップスティアーが抱いていた微弱な反発心を吹き飛ばす程の勢いを持っていた。というか普通にちょっと怖い。

 少しだけ身を引かせたドロップスティアーの様子を意にも介さず、アグネスタキオンは言葉を続けた。

 

「中央は全国選りすぐりのウマ娘達が集う、まさに現代ウマ娘のデータベースだ。なので私は可能性の追求の為に日々様々なレースに目を通している訳だが……そんな時、君という新しい未知数が来た」

「み、未知数?」

「ああ! 君の走り方は速くなる為の走りでは無い。あれだけ回転数を上げなければ速さを絞り出せない、歪んだ走りだった。ピッチ走法であるのに曲がれないなどと、そうそう思うまい!」

「やっぱり自分バカにされてますよね?」

 

 アグネスタキオンの言葉に悪意は感じられない。感じられないが、もう少し手心という物は無いのだろうか。生まれてからバカバカ言われ続けてきたドロップスティアーも、これだけズバズバと欠点に切り込まれるのは初めてだった。

 とはいえ、指摘自体は事実であり的を得ている。親身になってくれているトウカイテイオーやシンボリルドルフならともかく、ろくに交流も無い身でありながら自分の走法についてこれだけ見抜いている辺り、相当頭の切れるウマ娘なのだろう。

 あまり勝負したくない手合だなぁ。ドロップスティアーの内心には反抗心と同じぐらいの苦手意識が、既に芽生えていた。

 

「こほん。それでだ、ドロップスティアー君。そんな走り方でありながら、君は選抜レースで一着を取った。これは私にしても驚くべき結果だった、そこで興味が湧いたのだよ」

「はぁ……何がでしょう」

「勿論、君の脚についてだ。一着を取れた以上、君は強い。だが走り方に欠点がある以上、その強さは脚に秘められていると考えた。並のウマ娘であれば、走行フォームの欠陥など抱えて勝てる訳が無いのだからね」

 

 ここに来て、アグネスタキオンの話は原点へと戻ってきた。

 アグネスタキオンは速さを研究するウマ娘である。しかしアグネスタキオンの研究の中でも、速くなれないフォームのまま勝利をもぎ取ったウマ娘など前例が無かった。

 速いウマ娘は強い、強いウマ娘には理由がある。しかしドロップスティアーには、理由らしい理由が無い。懇意にしているトウカイテイオーの様な天禀も感じられず、策謀こそ感じられるレース運びをしていたが、それだけで勝てる程中央の選抜は甘くない。

 ならば、走行フォームの欠陥を補うだけの飛び抜けた何かが脚にある。アグネスタキオンの興味はそこにあった。

 

「……言い方は気に食いませんけど、言いたい事はわかりました。でも、それでどうするんです? 話って言っても、自分そんな脚の知識とか無いですよ?」

「確かにいくらか事情は聴きたいが、そんな七面倒な聴取をせずとも問題ないとも。脚の事は、脚に聞くに限る」

 

 そう言いながらアグネスタキオンは、自分の部屋の隅から何かを持ってきた。

 ぐちゃぐちゃになったケーブルの束と、その先で枝分かれとなって繋がれている無数の電極パッド。ケーブルの反対側は大型のコントローラーとパソコンに繋げられている。

 マッサージ用品としてはパッドの一つ一つは小さく、そしてバカみたいに大量にくっつけられていた。

 

「これは私が試作してみた、脚の筋肉を調べる機材でね。電気マッサージの要領で筋肉の反応を促し、それにより筋肉の分布を調べるというモノなんだが……」

「す、凄いハイテクですね……?」

「少々作り込みは甘い試作品だがね。本来は筋肉の消耗度合いをモニタリングしつつ、局部的に脚部疲労を治療する為に作ったつもりだったのだが……ウマ娘の筋肉を刺激するには出力が弱すぎてねぇ……」

 

 アグネスタキオンは不本意そうに溜息をついて、電極パッドに絡んだケーブルを解いていく。

 製作してみたは良いが、失敗作だった。機械についてはわからないまでも、そんな雰囲気が伝わってくる。ドロップスティアーはここに来て、実は凄いウマなんじゃないかとアグネスタキオンへの印象を上方修正した。

 流石は中央。ウマ娘達の専門機関だけあって、所属するウマ娘もレース内外問わず凄いウマが居るんだなぁ。非専門分野でありながら思いつきで機材を自作するアグネスタキオン本人の才覚に、ドロップスティアーは『中央だから』という雑な理由で納得していた。

 

「まぁ小難しい事は抜きにして。これを貼ってスイッチを入れれば、モニターで筋肉の状態が見れる。電流は微弱だから、少々擽ったいだけで済む。これで君の脚を調べさせて欲しい」

「うーん……痛くないですよね?」

「私も実際に試したから問題無いよ。まぁ気になるというなら、この薬を飲む事をオススメしよう」

「これは?」

「ウマ娘用の睡眠薬――というよりは仮眠薬だね。小時間、最大で三十分ほど熟睡出来る。アラームをかけるのが面倒な時手慰みに作ったのだが、中々重宝しているのだよ」

 

 アグネスタキオンはそう言ってドロップスティアーに真緑色の液体の入った試験管を渡す。耐毒性に優れた種族であるウマ娘に対して有効な睡眠薬を自作している辺り、こちらの方が余程問題だった。

 とはいえ、ドロップスティアーはウマ娘の強靭な生態についても然程詳しくない。へぇーそんなのもあるんだ。その程度の認識で、手の中で怪しく光る液体をちゃぽちゃぽ波立たせていた。

 

「君はこれを飲んでもう一眠りする。その間に私は脚の筋肉の調査を終える。その間君は痛みどころか擽ったさすら感じない。君に危害を加えないと誓っても良いよ」

「う、うーん……?」

「何なら調査結果を共有しても良い。脚の事が詳しくわかれば、君の走りにも活かせる可能性がある。どうだい、協力して貰えないかい? 君はただ、少し眠ってくれるだけで良いんだ」

「う、うぅん……眠るだけ、なら……?」

 

 まるきり詐欺師の様な口車を受け、ドロップスティアーは完全に受け入れる流れに乗せられてしまっていた。

 正直初対面のアグネスタキオンに対し、そこまでの信用は無い。むしろ滅茶苦茶に怪しい。

 ただ、どうにも悪人という雰囲気は感じない。やり口は強引だが、最終的には判断をこちらに委ねている。拉致に関しては眠りを妨げないような気遣いがあった。

 あと、どうせならもう一眠りぐらいしたい。本当に自由に仮眠出来るなら、物凄く助かる。どうせ死ぬ訳でも無いし、なんでもいっか。

 日常的に命懸けのショートカットを試みていたドロップスティアーは、死以外のあらゆる身の危険に対して極めて鈍かった。

 

「決まりだね。なら、この椅子に腰掛けるといい。背もたれにしっかり凭れかかれば、そう体勢も崩れはしないだろう」

「あっはい」

「薬を飲む時は一気に飲んでくれたまえ。なに、私も飲んだ事があるが味は悪くない。我ながらかなりまともな薬が出来たと自負しているよ」

 

 完全に流されたドロップスティアーは、言われるがままに従う。アグネスタキオンが誘導したパソコン近くの椅子に移り、試験管の上部に詰められていたキャップを取り外す。

 無臭。多少の警戒心が薬品に対し鼻を利かせるも、怪しい匂いは全くしない。こうして食べる物の味が全く予想がつかないのは、野山で道草――その名の通り、道に生える雑草――を食べてきた時以来だろうか。

 くぴり。ドロップスティアーは特に迷う事も無く、渡された薬を呷った。

 

「――わー……すご……たしかに……ねむく……くぁ……」

「無理せず瞼を下ろしたまえ。変に眠気に抵抗すると、効果が変に残るからね」

「……んー……ん……」

「……ここまで抵抗されないのも珍しいねぇ。ま、私としては大歓迎なのだが」

 

 薬を飲んで二十秒ほどで、あっさりとドロップスティアーは深い眠りについた。アグネスタキオンが顔の前で手を振っても、微動だにしない。

 タキオンにとっては好都合だったが、ここまで自分の実験に無警戒なのは新鮮だ。実際、今回はいつもの様に不確定要素も不安要素も何もない、やましい事ゼロの単純な調査ではある。

 何にせよ、手早く済ませるとするか。そう思い、アグネスタキオンは電極パッドを決められた順番通り床に並べていった。

 

「――あっ、忘れてた。ジャマだね、コレは」

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――……、――……」

(……ん……?)

 

 その日、マンハッタンカフェはいつも通り自分の部屋へと向かっていた。

 ここで言う自分の部屋という表現は少し正しくない。向かう先は与えられた寮の自室と異なり、校舎内の旧理科準備室。生徒会から特例として貸してもらっているスペースだ。

 その部屋の前にやってきた所で、内から物音が聞こえてくる。よく耳を澄ませば、何の巡り合せか同じスペースを共有する事になった同居人の物らしき声だった。

 また一人でぶつぶつ言いながら薬品でも作っているのであろうか。熱が入って独り言が大きくならないように、前もって注意を入れておくべきか。そう考えながら、マンハッタンカフェは扉を開けた。

 

「……タキオンさん。今日は何を――」

 

 何をしているのか。開扉一番、開口一番にマンハッタンカフェが声をかけようとして。

 

「あ、こらこら、動くんじゃあない」

「んっ……んぅっ……あっ……」

「全く、こんな事ならば薬など飲ませるんじゃなかったな……ほら、じっとしたまえよ」

 

 床に脱ぎ散らかされた靴とソックス。

 椅子で眠りながら悩ましい声を漏らしている、見知らぬウマ娘の生徒。

 その生徒の足元に跪き、スカートをめくって素脚をまさぐっている同居人。

 そんな光景に、マンハッタンカフェの脳は停止した。

 

「……タキオンさん。何をしているんですか」

「……ん。あぁカフェか。済まないね、今少し忙しくて……」

「何を。しているんですか」

「どうしたんだいカフェ、珍しく剣呑な声を上げ、て――」

 

 アグネスタキオンが身を引き、マンハッタンカフェの方に視線を向ける。射竦める様な瞳と強い声を受け、タキオンは何事かと思い――第三者(カフェ)が見ている景色を客観視した。

 

「――違うんだよカフェ。いや本当に違うんだ。誤解しないでくれたまえ」

「何が、どう違うんですか」

「別にやましい事をしている訳では無いんだよ。これはちゃんと合意の上でだね――」

「んぅ……く、うぅんっ……や、あっ……」

「――……」

「…………」

 

 氷点下にまで達したマンハッタンカフェの視線。明確に誤解を招いているだろう現状に対し、アグネスタキオンは脳の灰白質部をフル回転させて弁解をしようとする。

 が、弁解の途中で第三者視点から見た推定被害者――太腿から足の甲まで、脚全体に微電流を受けている真っ最中のドロップスティアーが、更に誤解を加速させる様な吐息(ねごと)を漏らした。

 沈黙が部屋を支配する。軽蔑と失望が色濃く浮かんだマンハッタンカフェの表情を見て、アグネスタキオンは自分の顔が引き攣るのを自覚する。つう、と冷や汗が顔の輪郭を撫ぜていった。

 

「……通報します」

「待ちたまえカフェ。いや待ってくれ、頼む、後生だから。三分、いや一分だけ話を聞いてくれ。友人だろう、私達は?」

「……私もそう思いたかったです」

「勝手に過去にしないでくれよカフェ! ちょ、ちょっと、目が笑っていないよ? いやそれはいつもの事だが……ああ待て、待ってくれカフェ! カフェーッ!」

 

 今こそ監視役として本懐を果たす時。友人として、せめて自分が引導を渡そう。

 静かながら強い決意を瞳に満たしたマンハッタンカフェに対し、アグネスタキオンはここ一年間で最大級の必死さを見せて縋り付いた。

 




第三部、青春の学園生活エンジョイ編です。
誤解を招く様な行動・言動は控えましょう。
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