「……んー……ふあ、あー……よく寝たぁ……」
三十分後。意識を取り戻したドロップスティアーは、両腕と背筋を伸ばす。
瞼を上げれば、見慣れない天井が見えた。
「あれ、ここどこ……あー、そういや怪しい人に連れ込まれて……変な薬飲まされて寝ちゃったんだっけ……?」
寝起きでぼんやりとした心地のまま、独り言で自分の状況を確認する。
レース場近くで自主トレーニングしていた事。庭で昼寝した事。気付いたら見知らぬ誰かに拉致されていた事。怪しげな機械で筋肉を調べる話になった事。薬飲んだ事。
それら全ての記憶が一緒くたに混線した結果、そんな呟きを漏らしてしまい。
「……タキオンさん。今の言葉に対し、何か弁解はありますか……」
「待ってくれカフェ、本当に待ってくれ。新たな誤解が生まれている。一方的な視点と断片的な情報のみで判断するのは、いささか性急だとは思わないかい」
「……加害者側の言い分で無ければ、一考の余地はありましたが……」
「待て待て待て。被害者など何処にも居ないんだよカフェ、今回ばかりは本当に誤解なんだ。使用した薬も極めてクリーンだ、三女神に誓ってもいい」
その近くで知らないウマ娘が、正座中のアグネスタキオンへの詰問を強くしていた。
◆ ◆ ◆
「……マンハッタンカフェです。この度は、タキオンさんが失礼しました……」
「はぁ。えーと、ドロップスティアーです」
知らないウマ娘――黒鹿毛の髪を腰にまで伸ばすマンハッタンカフェが頭を下げてくる。未だに状況を呑み込みきれないドロップスティアーは、とりあえず同様に礼を返す事にした。
改めて状況を見やる。目の前には眠る前には居なかったマンハッタンカフェが立ち、傍の床では頑張ってモニターをチェックししながらアグネスタキオンが正座しており、自分の脚全体にはヤケクソの様に電極パッドが貼り付けられている。
少し肌寒いなと思えば、寝る前は着けていた靴下と靴がいつの間にか脱がされていた。コレについて叱責されていたのだろうか。
「別に失礼とかは無いですけど……勝手に靴下とか脱がされてた程度ですよね?」
「……それだけ、ですか?」
「え? それだけじゃないんですか?」
「……いえ。無事ならばそれで良いんです」
「カーフェー。いい加減信じてくれよー。私は無実なんだよー」
脚を痺れさせてぶーたれるアグネスタキオンを見て、マンハッタンカフェは溜息をつく。
カフェの視点では、タキオンが知らないウマ娘を連れ込んで謎の新薬の実験をした挙げ句、眠らせて無抵抗にさせた挙げ句勝手に体をまさぐっていた。そういう風に見えた――というか、そういう風にしか見えなかった。
が、ドロップスティアーの反応を見るに無断で悪い事をされた訳では無いらしい。一瞬本気で超えてはならない倫理のラインを超えたかと思ったが、この友人も流石にそこまで堕ちてはいなかったらしい。
少なくともこの一件に限っては無罪だとわかり、マンハッタンカフェはホッとした。
「……良かったです。仮にもここで犠牲者が出ていては、私の責任でもありましたから」
「カフェー。少しぐらい信じてくれよー。神聖な学び舎でそんな問題など私が起こすわけが――」
「無いと断言出来ますか……? この先の未来を含め」
「――……未来など、誰の手の内にもありはしないさ」
「……口だけでも良いから、そこは断言して下さい……」
主に自分の責任問題として。次に犠牲者が居なかった事に対して。
アグネスタキオンの無罪に関しては次の次だった。正直、何をやらかしてもマンハッタンカフェとしては不思議では無いと思っている。
少なからず友人だとは思っている。悪人では無いと信じてもいる。しかしそれはそれとして、信用は欠片も無かった。ここで言葉の上ですら断言出来ない辺り、フォローの余地が無い。
「あのー。アグネスタキオンさん、それで結局脚の調査ってどうなったんです?」
「あぁ、そうだったね。安心したまえ、調査は終わった。電極は全て外してもらって構わないよ」
「わかりました。ふんす!」
「あー! 何するんだい、そんな乱暴に外さないでくれたまえよ! コードがちぎれちゃったらどうするんだい!」
「え、外していいって……」
「限度という物があるだろう、限度という物がー!」
許可をもらったドロップスティアーは、脚に取り付けられた電極パッドのコードを何本かまとめて掴み、強引に引っ張って取り外す。ぞんざい極まる取り扱いに、アグネスタキオンは悲鳴を上げた。
ドロップスティアーには精密機械の取り扱いがわからぬ。ドロップスティアーは田舎のヤマ娘である。けれどもアグネスタキオンは実験に対しては、人一倍敏感であった。
「むう……なんとかちぎれずに済んだか。全く、以後は気をつけたまえよ。失敗作と言えど、作り直すには手間がいるのだから」
「す、すみません……あれ? 以後? またやるんですこれ?」
「予定が無くとも、備えるに越した事は無いだろう?」
「……それもそうですね?」
事実上次回以降の口約束が取り付けられている事にも気付かず、ドロップスティアーは反省する。
アグネスタキオンの目的である脚の調査は達成出来ていた。しかし今回の調査の結果、
一人でくつくつと笑うアグネスタキオンに対し、ドロップスティアーとマンハッタンカフェは揃って怪訝な顔を向けた。
「……タキオンさん。脚の調査というのは……?」
「ああ、カフェには詳しく説明出来ていなかったね。こちらの彼女、ドロップスティアー君だが……私が研究してきた中でも、かなり珍しい部類のウマ娘でね。見たまえ、この図を」
そう言ってアグネスタキオンは、自分のパソコンのモニターを二人に見せる。
そこには脚のレントゲン写真において、骨の代わりに筋肉を映した様な透過写真があった。
「電流を受けて反応した筋肉を、便宜上レントゲン写真の様に映したモノだ。これは例として私の脚の筋肉を映した写真になる」
「……なるほど、全くわかりませんね!」
「まぁ、筋肉は骨と違い複数の集合体だからね。これだけではどれがどの筋肉か、どういった状態かは判別が出来ない。だが、わかる事もある」
ドロップスティアーは胸を張って無理解を自白する。しかし無言で横に立っているマンハッタンカフェにも、写真単体で理解出来る事は無かった。
アグネスタキオンが言う通り、筋肉は骨を包む集合体だ。故に白黒写真ではそれぞれが重なり合い、脚の殆どの部分が薄灰色に染まってしまっている。これでは何もわからない。
「私の写真は単なる比較対象に過ぎない。本題はドロップスティアー君の筋肉の付き方にある。これがそうだ」
「んー……んー?」
続けて、横に並べる形で別の写真が映される。脚の長さが僅かに違う以上、確かにそれは別人の、ドロップスティアーの脚を映したモノなのだろう事はわかった。
が、一見してそれ以外の変化がわからない。所々で濃淡が気持ち違う様に見えるが、それがどういう違いなのかわからない。筋肉は筋肉なのではないのか。
直感的で感覚的な事以外にはろくに働かないドロップスティアーの頭は、早々に思考を放棄したがっていた。
「……足先、ですか……?」
「そう! 流石はカフェだねえ、私の視点をよくわかってくれている!」
「……不本意ですが……」
「どういう意味だいカフェ?」
が、横から見ているマンハッタンカフェはいち早くアグネスタキオンの意図する事に気付いた。
マンハッタンカフェは別にウマ娘の体に知見がある訳では無い。だが、アグネスタキオンの考える事ならある程度は推測出来る。
アグネスタキオンは『筋肉の判別は出来ない』と言った。ならば、
「ここ、足首より下の筋肉の密度と量。これに関して、ドロップスティアー君の筋肉は明確に多い。そもそも脚力とは筋繊維の多い部分が膨らむ事で発達する物であり、こんな筋肉の少ない場所が発達するなど無駄でしか無い」
「なんか自分、貴女にバカにされてばかりな気がするんですが?」
「はっはっは、私は研究者としてあくまで事実を述べているだけだよ、他意は無いさ」
アグネスタキオンの写真と、ドロップスティアーの写真。比較して最も違う部分は、足先の筋肉量だった。
爪先から踵にかけて、透過部分が明確に白い。それはつまり、筋肉の付き方が足先だけ偏っているという事になる。これは当然、正常ではない。
脚の最も大きな筋肉は大腿部と下腿部であり、即ち走力もそこに依存する。そしてトレーニングの差によって発達の度合いは変わるが、逆に言えば脚の違いは基本的にその二つの筋肉の鍛え方にしか発生し得ない。
が、ドロップスティアーの場合は少し違う。走力にほぼ関わらない、爪先や踵を動かす部分に集中し、見てわかる程の発達がある。走る種族であるウマ娘でありながら、走らない力が強化されている。
「連動して脚の腱も発達しているが、こちらはまだ通常の誤差範囲だ。君の筋肉は、どういう訳か足首以下に鎧を付けた様な不可解な発達をしている。速さを追求する身としては、速さに繋がらない君の鍛え方は実に興味深い!」
「あの、マンハッタンカフェさん。そろそろ怒ってもいいんでしょうかこれ……」
「……良いと思います」
「良くないねぇ!? 本当に事実を羅列しているだけなんだよ私は!」
走り方から脚の鍛え方まで、一から十を否定されている張本人であるドロップスティアーは一周してリアクションに困っていた。
ただ聞いているだけの立場であるマンハッタンカフェにしても、よくぞ悪意も無いのにここまで他者を悪く言えるものだと感心している始末である。
しかしアグネスタキオン本人は本当にその気は無い。ただ科学者として、純粋に見たことが無いケースに興味が先行しているだけなのだ。
「それで、ドロップスティアー君。君はこれまでどういったトレーニングを積んできたのか、事情を聞かせてもらっていいかい? 君の走りの歪さがこの差異にある事はわかる、だがどうやったらこんな発達に繋がるのか私にも検討がつかない」
「まぁ、良いですけど……」
別に隠すような話でも無いし、困る事も無い。ドロップスティアーは自分のこれまでのトレーニング――子供の頃からずっと実家のある山を走り込んできた事を明かした。
狭い山道、異常な急坂、短いスパンで訪れる急コーナー。それらを完全に無視し、最短距離と速度を追求した近道。トレセン学園にも通わずに独特な地形を走り込んだから、普通のウマ娘と違いがあるのではないか。
途中で挟まれるアグネスタキオンの質問に逐一答えつつ、ドロップスティアーは一部始終を話し。
「あっはっはっは! なんだいそれは! まるでメチャクチャじゃあないか、サーカスでもやっているのかね! はっはっはっは!」
「いくらなんでもその反応は酷くないですか?」
思いっきり爆笑された。涙まで浮かべられていた。
シンボリルドルフやトウカイテイオーが同じ様に思ったように、アグネスタキオンから見てもそのトレーニングは異常としか言いようが無い。ろくに加速区間の無い急な山道をひたすら走り込み、ただ聞くだけでも自殺行為にしか聞こえない近道を追求する。
それによる走り込みの質はアスリートとしては劣悪で、筋肉も歪な発達を遂げた。しかし量だけは同年代では追随を許さない程に多いと言える。
ドロップスティアーが走法の欠陥を抱えたまま勝った理由の本質は、それを補う程に走り込んでいたというだけだった。だが。
「走り込んだおかげで鍛えられたが、走り込んだせいで歪んだフォームと化した。これでは本末転倒だよ。成程、中央で見ない訳だ」
中央の坂路トレーニングを遥かに超える負荷をかけ、スタミナとパワーは手に入れた。その結果、無駄にスタミナを浪費して過剰なパワーを発揮する走法と化した。
足先の異様な発達は、過酷な近道を走るべく脚を酷使した結果起きた、一代限りの適応進化だ。山のあちこちを縦横無尽に走る、ただそれだけの為に特化したイレギュラー。故に近道以外で発揮されない、むしろ余計な部分にパワーが付いた分ロスが発生する余剰な筋肉。
しかし、一応メリットはある。
「足先が尋常じゃなく頑丈な上に可動域が広いのが強いて言えばメリットか。余程の事が無い限り、君は足先に限っては怪我しないだろうねぇ。まぁウマ娘の故障は基本的に別の所で発生するのだが」
「それメリットって言えます?」
「少なくともガラスの脚よりは百倍マシさ」
脚の頑丈さ。飄々とした物言いは変えないまでも、その一点に関して言えばアグネスタキオンは心の底から羨ましがっていた。
基本的にウマ娘の脚は走力に反して細すぎる。骨・腱・筋肉。その全てが走る力や熱に耐え切れず、ふとした事であっさりと怪我をしてしまう。そういった脚部不安に関しての研究は、アグネスタキオンにとって終わらない命題の一つだ。
だが、このウマ娘は足先という極めてピンポイントな部分に限り極めて故障し辛いようになっている。幼少期より悪路を走破するべく足裏や爪先をひたすら使い込んだ結果起きた、変則的な成長。これその物はアグネスタキオンの役には立たないが、怪我に対する予防策の一ケースとして研究するだけの価値はある。
「本来は脆い筈の足先が上手くクッションとして機能する事で、君は自分のパワーで自滅する事は無い。いや、パワーがあったからこそこんな成長をしたのか……興味深いよ」
「……で、自分の走りにどう活かせばいいんです、それ」
「さぁ? 走りに関する筋肉の事ならわかるが、君の筋肉は走りに関係が無いからねぇ」
「意味無いじゃないですかこの調査」
「私には意味があったから問題無いとも」
しかし肝心のドロップスティアー側の要求、自分の走りへのフィードバックという点について今回の調査は全く役に立たなかった。
思わずじとっと睨むも、アグネスタキオン側はどこ吹く風。確かに事前に言った通り調査結果は共有したが、元々
詰まる所、この調査はアグネスタキオンだけが一方的に得をするだけで終わっていた。
「まぁ、それだけでは君も納得しないだろう。代わりと言ってはなんだが、何か相談があれば乗ろうじゃないか」
「じゃあ、走り方を改善するヒントとか」
「トレーナーを見つけたまえ」
「トレーナーを見つけるヒントとか」
「練習場で走りたまえ」
ですよねー。
無言でコーヒーをこぽこぽ入れるマンハッタンカフェを背景に、この日ドロップスティアーは結局何一つ進展を得られないままアグネスタキオンの研究室を後にした。
◆ ◆ ◆
「……トレーナー、かぁ……」
翌日の放課後。今日も今日とて、ドロップスティアーは練習場へと歩いていく。
トレーナーが居ないウマ娘には使える設備は限られている。選抜レースは年四回、次は三ヶ月後。このままトレーナーが見つからなかった場合、次の選抜で再び結果を出してスカウトを待つ必要がある。
最悪の場合も想定し、今出来る事は少しでも平地に慣れるべく自主トレーニングを繰り返す事だけだ。つまり、全く現状の打開策が無い。
「だからってなぁ……走り方直すって、どうすりゃいいのかなー……」
散々耳にタコが出来る程聞いた自分の欠点、走行フォーム。
コーナーでスピードを出せば大きくロスが出るこの走り方は、子供の頃から走り込んだ事により完全に身に定着してしまっている。この走法は現状デメリットしか生んでいない以上、直さない事には話にならない。
うーんうーん。どう考えても自分で解決出来ないだろう事に頭を悩ませながら、練習場に向かっていく。
その時だった。
「あ、あのっ! すみません、あなたも今から練習するんですかっ!?」
後ろから声がかけられ、振り向く。そこにいたのは初対面のウマ娘だったが、ドロップスティアーは彼女の顔だけは知っていた。
別の選抜レースに出ていたウマ娘の一人。真っ当に速いウマ娘の走りが何か参考にならないかと思い、ドロップスティアーは自分のレース終了後も他のレースは食い入る様に見ていた。
選抜レースに出たウマ娘全員を覚えている訳ではないが、流石に
「あ、はい。トレーナーも付かないので、自主練でもしよっかなーって……」
「なら、一緒に走りませんか! 一緒に練習する筈のセイちゃん――クラスの子がどっか行っちゃって……一人で走るのも寂しいですし、よかったら……!」
「そんなに畏まらないでも、別に良いですよ? 前の選抜に出てたって事は、同級生ですよね?」
「えっ、そうなんですか? す、すみません、私転入してきたばっかりで、まだ他のクラスの子までは覚えきれてなくって……!」
「あ、そっちもそうなんですね。自分もつい一ヶ月前に転校してきた所なんですよ」
最近の転入生。どうやら話を聞くに、自分と似たような境遇の子らしい。
改めて目の前のウマ娘の顔を見る。深い茶褐色のボブカットに、特徴的な白い前髪と編み込み。ころころと変わる表情と活発な印象。確か、名前は――
「スペシャルウィークです、今日はよろしくお願いしますっ!」
「ドロップスティアーです、ティアで良いですよ」
◆ ◆ ◆
三十分後。
「ひゅーっ……ひゅーっ……ぐへぇ……」
「わーっ! 大丈夫ですかティアちゃん!?」
レース場にはかつてドロップスティアーだったモノが転がっていた。
ラスボス(三人目)
俺がお前に! 勝てるワケねえだろうが!!