そもそも、ドロップスティアーには併走という経験が全く存在しない。
地元の山で一対一の勝負をする時は、並んで走る事は殆ど無かった。近道禁止ルールであったとしても、コースに特化したドロップスティアーは勝負所で仕掛けて、抜いた後は道の狭さを使いアタマを抑えたままゴールするだけ。
中央に来てからの模擬レースは、ラストを想定した全力スタートダッシュの練習のみ。選抜レースはその構図を逆にした、追込一気。
つまり、これまで一度も相手と競り合った事が無い。それがどういう事態を引き起こすかと言うと。
「……強すぎませんか、スペシャルウィークさん……おぅえ゛ぇえ……」
「スペでいいですよ……っていうか、ホントに大丈夫ですか……?」
「だいじょぶだいじょぶ……ちょっと脇腹痛いだけだから……深呼吸したらその内治るから……おごごご……」
脇腹を抱えながらターフに転がる、藍色のボロ雑巾。結果として残るのはそれだけだった。
こうなった経緯は至ってシンプル。ある程度のウォーミングアップを終えたスペシャルウィークは、実戦を想定しての併走トレーニングを提案した。
シンプルな一周勝負、1800メートル。ドロップスティアーはここで、選抜レース同様に四角からの大外追込を試みる。
が、まるでお話にならなかった。スペシャルウィークの後ろに付く形で追走すれば、コーナーを回る速度で差をつけられる。最終コーナー前にわざと膨らんで勝負を仕掛けるも、大外に膨らんだ分のロスをそのまま末脚でぶっちぎられた。
コーナーで負け、直線で負ける。見事なまでの完全上位互換を喰らったドロップスティアーは、惨めにもターフの上に自身の屍を晒す羽目となった。
「はぁー……自分もそこまで自惚れてたつもりは無いですけど、ここまで差付けられると凹みます……」
「いやいや、ティアちゃんも凄かったですよ! あんな所から一気にロングスパートなんて、初めて見ましたし!」
「直線入ってすぐ突き放されちゃいましたけどね……なんですかその脚……羽でも生えてるんですか……?」
何よりもドロップスティアーを打ちのめしたのは、スペシャルウィークが
走り切ったスペシャルウィークには余力が残っていた。無意識で自分の体にセーブをかけ、八割ほどの末脚で突き放した。それが地面に這い蹲っているドロップスティアーと、それを心配するスペシャルウィークという構図に表れている。
スペシャルウィークが相手を侮ったという訳ではない。ウマ娘は闘争心によって全力が引き出されるが、並んで競り合わない相手に闘争心は発揮されない。つまり、全力を出すまでもないと本能に判断されたが為だった。
「うぐぐ……ここまで差があるとは……やっぱり走り方直さないとダメなんですね……」
「そういえば、ティアちゃんの走りはちょっと変わった感じですよね。最終コーナー辺りに入った瞬間から、こう、どどどーんっ! って感じで!」
「これ、ダメな走りらしいんですよ……コーナーで曲がれないし……直せ直せーって言われてるんですよね……」
ようやく起き上がったドロップスティアーは、改めて自分の今の敗因を顧みる。
まず、根本的に一歩で進む距離が違う。一般的にストライド走法と呼ばれているそれは、走るにあたり一歩の距離を重視したものだ。
歩数を重視する走りはピッチ走法、歩幅を重視する走りはストライド走法。”今日のテイオー講座”で聞いた所、レースにおいては一般的にストライド走法の方が好まれるらしい。
ウマ娘の脚力は強く、物理法則的に脚の回転数には限界がある。走りの理想は歩幅と歩数を掛けた最大値だが、そうなると限界のある回転数より一歩で進む距離を意識した方が速くなる。
スパートをかける時には誰もが脚の回転数が上がる。しかしその時、無意識の内に歩幅が広い方が速度を得られる。そしてドロップスティアーには、歩幅を広げるという意識が無い。
「スペさんの走りは凄い伸びますよねぇ……走る歩幅ってどうやって広げました?」
「えっ!? いや私は、これまで普通に走ってきただけなんですけど……」
スペシャルウィークはこれまで聞かれた事も無い様な疑問をぶつけられ、困惑した。
普通のウマ娘は、当然だが平地を走る。平地を速く走ろうとすれば、我流ながらも走る為のフォーム、つまり歩幅は自分の背丈に合わせて最適化されていくものだ。
田舎出身でトレセン学園に通っていなかったという生い立ちに限り、スペシャルウィークはドロップスティアーと類似した境遇ではある。だが、幼い時より親のマンツーマンのトレーニングを受けつつ走ってきた事により、スペシャルウィークの走りは自分が意識しない内にレースに合った走りになっていた。
つまりスペシャルウィークは、ドロップスティアーが欲する物を自覚無しに体得している。そして体で覚えている以上、口で教えられる事が全く無かった。
「はぁ……皆普通に速く走れるんだもんなぁ……勝てる部分はあるんだけど……」
「勝てる部分、ですか?」
「一応スペさん相手でも負けない部分はあるんですよ、自分」
そう言って寝転がりつつ脚を空へ上げ、振り下ろす勢いで地面からドロップスティアーは跳ね起きる。
一息で勢い良く起き上がったドロップスティアーは、併走前にトラックの外へと置いた計測用のストップウォッチを拾って、スペシャルウィークへと投げ渡した。
「スタートダッシュなら絶対負けません。スペさん、好きな秒数に設定してみて下さい」
「え、じゃあ五秒ぐらい……?」
「
「……むっ」
毅然として言い放つドロップスティアーに対し、スペシャルウィークは表情を少し締める。
秒数の設定を任せ、カウント数を聞かない。それはつまり、スタートまでの秒数をスペシャルウィークだけが完全に把握しているというハンデを背負うという事だ。自分だけがタイミングを知っている、コンマ秒を争うスタートダッシュにおいてこのハンデは果てしなく重い。
スペシャルウィークは自分が逃げウマ程のスタート勘を持っているとは思っていないが、下手では無い。ゲートの圧迫感が無いなら、平均以上には出来るとは思っている。
――そんなに自信があるなら、ちょっとだけ意地悪してもいいかも。スペシャルウィークはストップウォッチに、悪戯心から本当に好きな秒数を入力した。
「ボタン押した後に後ろに投げて、音が鳴った瞬間がスタートってルールでどうです、スペさん?」
「……いいですよ。私だって、別にスタートがそんな苦手って訳じゃないんですからね……!」
スペシャルウィークが設定した時間は、二秒。ボタンを押して投げ捨てれば、地面に落ちたその時点でスタートする程の短時間。
向こうからすれば、構えたと思った瞬間に即座に音が鳴る様な短時間だ。根からの善人であるスペシャルウィークは、不公平でちょっと悪いかなという後ろめたさを抱いてはいたが、好きな秒数で決めていいと挑発してきたのは向こうの方である。
文句を言われたら素直に謝ろう。そんな気持ちでスペシャルウィークは構えつつ、後ろ手にストップウォッチを持ち。
「……んっ?」
ドロップスティアーが
「どんっ!!」
地面に落ちたと同時に鳴る音に対し、ドロップスティアーは綺麗な
「――うえぇぇッ!?」
どんなウマ娘だろうが使わない、暗黙の禁止技。
生まれて初めて見た反則技に驚愕させられたスペシャルウィークは、初めの一歩すら踏み出せないという完全なる敗北を受けた。
◆ ◆ ◆
「……まぁ、普通にやっても勝てますけど」
「ホ、ホントにスタート上手いんですね、ティアちゃん……」
その後。流石に公平性を考えてスタンディングスタートに戻したドロップスティアーは、秒数を変えて臨んだ五回のスタート練習で五回ともスペシャルウィークに先着してみせた。
正確に言えば、スタート時のタイミングその物は秒数を知っているスペシャルウィークの方が僅かに早かった。が、ドロップスティアーのピッチ走法は備わったパワーも相俟って、ゼロからトップスピードになるまでの速度が極めて短い。
僅かなタイミングの優位は、加速力の差によってスタートから50メートルの間にあっさりとひっくり返してしまう。ハナ争いに関して言えば、ドロップスティアーは同年代の中ではトップクラスの素養があった。
もっとも。
「羨ましいなぁ……スタートが得意って、凄いレースで有利じゃないですか」
「でも自分、前走るのヘタなんで最初に先頭取っても意味無いんですよねー……」
羨ましがるスペシャルウィークに対し、ドロップスティアーは忸怩たる思いを吐露する。
ドロップスティアーは
完全なる無用の長物。それがドロップスティアーの持つスタートダッシュの技術だった。
「ティアちゃん、スタートって何かコツとかあるんですか?」
「音を聴こえて体がビクッてなったら、それに合わせて足出してるだけですよ?」
「……だけ?」
感覚的が過ぎるコツに対し、スペシャルウィークは思いっきり疑問符を浮かべる。
ドロップスティアーのスタート技術は、一対一の勝負で音によるスタートを繰り返した事によって研ぎ澄まされた物だ。ピッチ走法を使い体の反射でそのまま自分を弾き飛ばすこの技術は、コツと言えるコツが存在しない。
何のことは無い。ドロップスティアーもまた、スペシャルウィークが欲する物を自覚無しに体得しているというだけの話だった。それが本人にとって使えない技術というだけであって。
「自分としては、こんなんよりちゃんと走るコツの方が知りたいです……」
「うーん……私じゃそういう難しい事わからないですけど、同じクラスの子とかなら上手く説明出来るかもしれませんよ?」
「えっ、ホントですか?」
「はい! 皆、私よりいっぱい色んな事考えて走ってますから!」
心底からぼやくドロップスティアーを見かね、スペシャルウィークは一つ閃く。自分でわからない事は、別の誰かに聞こう。それはある種の真理であった。
スペシャルウィークは自分が感覚派である自覚がある。だが自分の友達でありライバル達は、様々なレース知識や技術に対して精通している。
一度思いついたら、やる事は一つだった。
「どうせなら声をかけてみましょうか? どうせ走るなら、大勢で走った方が楽しいですし!」
「うう、お願いしていいです……? 自分、実はクラスに友達全然いなくって……」
「任せて下さい! ……って言っても、友達の予定が空いてるかはわからないんですけどね、えへへ……」
そう言って、スペシャルウィークは連絡を取るべく駆け足でその場から離れ、バッグのある更衣室へと向かった。
ドロップスティアーはクラス内で別に嫌われている訳ではないが、浮いている。地方からの転校生、よくわからない
最もクラスメイトとの好感度を上げられるタイミングを完全に逃したドロップスティアーは、絶賛ぼっちであった。心のぬくもりに飢えに飢えていた。
「ティアちゃーん! 連絡取れましたー! 二人来てくれるそうですー!」
「おお……コミュ力を感じる……同じ転入生で何故これ程の違いが付いてるんだろう……」
少しして、スペシャルウィークが腕を振って戻ってくる。太陽の様な満面の笑顔を見せ、友達を誘うという今の自分には出来ぬ所業をやってのけた相手に対し、ドロップスティアーは有り難さとそれ以上の敗北感を覚えていた。
絶対的にレース経験が足りていないドロップスティアーにとって、併走相手の存在は極めて重要だ。自分の弱さと相手の強さを同時に知る、これ程効果的なトレーニングは他に無いとすら思っている。
まぁ流石に先程のスペシャルウィークほど差は付けられないだろう。同級生なんだし。ここまで強いウマ娘がごろごろ居ては困る。
「あっ、見えましたよ! こっちこっち、こっちですー!」
ドロップスティアーが悶々と考えている内に、スペシャルウィークが呼んだらしき二人のウマ娘がやってくる。
見るからに大人しそうな子と、見るからに気の強そうな子。顔を一目見ただけでもスペシャルウィークと性格が全く違うと断言出来る二人。
「グラスワンダーです。スペちゃんがお世話になってます」
「キングヘイローよ! このキングと走れる事、光栄に思いなさい!」
◆ ◆ ◆
三十分後。
「――ごっ……ぷぇ……」
「あ、あら~……?」
「ちょ、ちょっと! しっかりしなさい!?」
コーナーで負け、直線で負け。再びドロップスティアーは地面と一体化した。
中央は強いウマ娘がごろごろいる。転校直後に想像した事を、ドロップスティアーは骨身の髄まで思い知らされる羽目となった。
(……どうやって勝とう、これ……)
「ス、スペちゃん。ぴくりともしなくなっちゃったのだけれど……」
「わーっ! し、死なないでくださいっ、ティアちゃーんっ!」
「じょ、冗談でしょう!? こら起きなさい、いや起きて! お願いだから!」
手も足も出せぬまま負けて、手足を動かす事すら出来なくなって。
ドロップスティアーはこの日、走るコツを聞く事も出来ず保健室へと運び込まれた。
◆ ◆ ◆
「ゴールドシップ姐さん……自分を、強くして下さい……!」
「あぁん? ……ヘッ、ちょっとはいい目するようになったじゃねえか……いいぜ、アタシの強さを教えてやるよ――アタシとの勝負で勝てたらなぁ!!」
「……望む所です!」
(なんで?)
後日。トレセン学園を見て回っている最中のシンボリルドルフは、開口一番唐突に開戦したゴールドシップとドロップスティアーの勝負を目撃した。
渡る世間はボスばかり
次回、裏ボス戦――!