「――ここが、あの娘達が言っていた山か……」
学園を一通り回り、生徒達と様々な交流――殆ど握手会やサイン会に近いものだったが――を終え、宿泊先の旅館でジャージ姿に着替え。シンボリルドルフは、グラウンドの四人のウマ娘から聞いた山の麓までやって来ていた。
絶対に負けない、車にすら勝つ、挙句の果てに
既に日暮れは近く、青空は赤く染まり始めている。グラウンドで走っていた四人曰く、この時間帯に必ずそのウマ娘は通る。
何故なら、この山にその娘の家があり、日暮れが門限と言われているらしいからだ。
(……成程。これだけの山を毎日登り下りしていれば、確かに鍛えられる)
麓の横断歩道、この山を登るならば必ず差し掛かる位置にシンボリルドルフは立ち、山の入り口に視線を向ける。
歩道を渡った先の山道は、お世辞にも状態が良くない。コンクリートで舗装こそされているが、あちこちに小さなひび割れが見え、センターラインの白線も薄れている。
目測する限りの道幅は普通自動車が二台すれ違えばほぼ余裕が無くなるだろう、公道としてギリギリを攻めた――それだけしか拓けなかったのだろう――モノ。中央トレセン学園の近くにも山道はあるが、ジョギングコースとして用いられる事もあるそれとはまるで違う。
ウマ娘用のレーンなど無い。舗装はされても補修はされず、車が通れればそれでいい。最低限のレベルにだけ整えられた、峠道。
「片道は二千メートルより少し長いほど、だったか……しかし、これは」
麓からその娘の家までの距離は、グラウンドの四人が教えてくれた。レースを走るウマ娘にとって、二千メートルとは極めて標準的な距離だ。
が、走るとなれば高さが異次元だ。坂を登るレースと言えば、シンボリルドルフ自身も制した菊花賞や春の天皇賞を思い出す。
しかしその”淀の坂”でも高低差は四メートル強。それも一ハロン、二百メートルに渡って。二百メートルの高さの二千メートルを登るなど、比べられる物では無い。
(……走り抜けるレースとは違う。どちらかと言えばジョギングの体になるだろうが……それにしても)
『車にすら勝つ』。速く走る種族であるウマ娘といえど、ただ速くジョギングをするだけで疲れ知らずの機械に登りで勝てる訳が無い。
ウマ娘のレースでもスタミナの使い方は重要だ。坂はゆっくり登り、最後のスパートに備えて温存する。
その差を覆し、その娘は勝ったという。嘘だろう、そう聞き直しても四人は言葉を直さなかった。それが事実なら、どんな怪物だと思った。
が、あの四人は揃って顔を引き攣らせてぼやいた。
『いやー、確かにスゴイんですけど……ねー?』
『……アホすぎて、ちょっと』
『バカ過ぎて真似出来ないし』
『確かに勝つには勝ったんですが……なんというか……』
”怪物”とは、恐れられるモノだ。傑出したウマ娘は、それだけで脅威と恐怖を抱かせる。
だが、あの四人の顔色にそれは無かった。どこまでも呆れ返るとばかりに、言葉を濁すのみ。シンボリルドルフがどう聞いても、目を逸らすだけで結局質問に答えてくれなかった。
最後まで真意は聞けなかったが、とにかくその娘はオグリキャップの様な強さとはまた異なる何かを持っている。それが、どうしても知りたい。
シンボリルドルフは携帯を見て、着信を確認するついでに時間を確認した。
その時だった。
「……あれ、どなたです?」
声をかけられ、携帯から目を切る。その先に、一人のウマ娘が居た。
ウマ娘としては珍しい、深い藍色の髪。肩まで伸びた藍色は、夕陽の光を背負って透いている。
シンボリルドルフとほぼ同じ背丈――中等部のウマ娘としては高身長のその娘は、見合わぬ童顔をきょとんとさせてこちらを見ていた。
「ああ、済まない。少し、この山に住んでいるというウマ娘を訪ねに来たんだが」
「自分に、ですか?」
「キミが、か」
シンボリルドルフに言われた彼女は、自分で自分を指差す。
彼女が、山を走る事にかけては車をも凌ぐとすら言われたウマ娘。確信したシンボリルドルフは、改めてそのウマ娘の出で立ちを頭頂から足元まで眺めた。
ランニング用と思われる無地の水色のシャツと、足首まで届く黒のスポーツスパッツ。スパッツ越しに浮かんでいるトモは、中等部とは思えない程に仕上がっている事が一目でわかる。
無言でじろじろとウマ娘としての力量を見定めようとするシンボリルドルフの視線を受け、彼女は自分の胸を隠しながら一歩引いた。
「ちょ、ちょっと、なんか目つきが怖いんですけど、お姉さん?」
「おっと、済まない。怖がらせるつもりは無かったんだ」
不躾な視線だった。学園でグラウンドの四人を眺めた時といい、無意識の内にウマ娘の力量を見ようとする悪癖が付いてしまっているとシンボリルドルフは改めて思う。
しかし、実際に目の当たりにすれば確かにわかる。このウマ娘は強い。車にすら勝つ”怪物”とまではわからないが、少なくともグラウンドで会話した四人よりは遥かに身体の仕上がりが違う。
凄く強く、一番の最強で、絶対に負けない。
――そして。”
「一緒に、走ってみないかい?」
「へ?」
生徒達の言葉を思い返したシンボリルドルフは、反射的にそんな提案を口にしていた。
興味があって話をしに来ただけだった。どんなウマ娘なのか、見てみたいとだけ思っていた。だがウマ娘として、走りに人生を賭してきたアスリートとして。彼女がどんな走りをするのか、興味が湧いた。
何より。”シンボリルドルフ”という存在に勝つかもしれない、そんな呟きを受けて。休もうとしていた闘争心が、僅かに火を灯してしまった。
「……あ、そっか! この辺りじゃ見ない顔ですけど、学園の娘達に言われて来たんです? あの生意気なヤツを倒せー、とか!」
「いや、確かに学園の娘達に君の事は聞いたが、そんな事は言っていなかったよ。私の個人的な興味だ」
「いやでも、あの娘達ヘンな事言ってたでしょ。やれバカだーとか、アホだーとか」
「…………」
シンボリルドルフは否定はしない。気遣いはしたいが、そういった嘘を吐くのは苦手だ。
というか、当人達同士で完全に意識が一致してしまっている。これでは下手に誤魔化した所ですぐにバレてしまうだろう。言葉でフォロー出来ない以上、沈黙こそが正答だ。
否。沈黙するより、話題その物を変えてしまえばいいのだ。
「閑話休題。それより、さっきの提案なのだが……どうだろう、走ってもらえないだろうか」
「えー、と。あの娘達に聞いたって事は……自分と
「……勝負という形として良いならば、願わくば」
なんら気負う事無く、目の前のウマ娘はシンボリルドルフに対して『勝負』という単語を出した。
レースに絶対は無い、しかしそのウマ娘には絶対がある。そう言われた事すらある自分に対し、こちらから申し出ている形ではあるが、ただ『一緒に走る』という一言を『勝負』に発展させている。
――しかし。気負いが、無さすぎはしないか。
「……ところで、だ。お互いに名乗っていなかったな」
「あ、そうでしたね。お姉さん、
彼女の言葉に、シンボリルドルフは久しく無かった衝撃を受けた。
言動や雰囲気から薄々感じていた事だが、このウマ娘は
そういえば、彼女はトレセン学園に通っていないと聞いた。しかし一般人だからと言って、国民的スポーツであるトゥインクル・シリーズを知らないのは限りなく少数派だ。
それでも、全く居ない訳では無い。彼女はその少数派というだけなのだろう。多少ショックを受けつつも、シンボリルドルフは――いっその事、本気で自分の身の上を隠してみる事にした。
「私の名前は、ルナだ。君は?」
「わー、覚えやすくて可愛い名前ですね! 自分はドロップスティアーです、ティアって呼ばれてます」
咄嗟に幼い頃の渾名を出す。応じて目の前の彼女――ドロップスティアーも名乗った。
騙すようで少々気が引けるのだが、何も完全な偽名という訳でも無い。親族以外には知られていないというだけだ。
ドロップスティアーはそれを完全に信じてくれた。子供の頃の名前をそのまま真っ直ぐ褒められるというのは擽ったいものがあったが、”シンボリルドルフ”を完全に知らない人間というのは、恐らく学園生活よりも以前にしか居なかった。
この娘の前では、自分は本当にただ一人のウマ娘でしかない。悠々閑々、肩の荷が降りるとはまさにこの事か。長らく無かった感覚に、シンボリルドルフは思った以上の気楽さを覚えた。
「あっ。そういえばルナさんはこの山の勝負のルール、あの娘達に聞いてますか?」
「ルール?」
「いやまぁ、大した事じゃあないんですけど。ここで勝負する時、自分が決めたルールが三つだけあるんですよ」
そんな事を考えていると、思わぬ単語が飛んでくる。目の前の彼女が考えた、勝負のルール。
確かに競争をするに辺り、明確なルールは付き物だ。だが、一人が取り決めたルールなど公平性がある訳も無い。
或いはその辺りに車に勝つとすら言われた秘密があるのかもしれない。シンボリルドルフは、ドロップスティアーの告げる
「ひとつ、スタートについて。ここで待ってたならわかると思いますけど、そこの横断歩道の信号が青になった時に特徴的な音が鳴り始めるんで。最初に鳴った、その瞬間がスタートです」
「……確かに、特徴的だな」
そう言った瞬間、タイミング良く歩行者信号が青に切り替わる。ぱっぽーん、ぱっぽーん。ドロップスティアーの言う、スタートの笛としては気の抜ける様な音が後ろの横断歩道付近で鳴りだした。
特に問題は無い。ゲートや合図する人間が居ないならば、公共の装置を用いるというのは間違いの起こりようが無い公平なスタートだと言える。
シンボリルドルフは思った以上に普通だった一つ目のルールを首肯し、無言で続きを待った。
「ふたつ、勝ち負け。この山の上にある自分の家……オヤジがやってる駄菓子屋があるんですけど、そこの駐車場に先に着いた方が勝ちです。シンプルなゴールでしょ?」
「シンプル過ぎる程だな。……駄菓子屋なのか、キミの家は?」
「ええ、まぁ。こんな山の上にあるんで、寂れまくっちゃってますけど」
ならなんでこんな山に店を構えているのだろう。その疑問を失礼だと感じたシンボリルドルフは、二つ目のルールにも問題は無い事を確認する。
いっそゴール板の前を通るよりもわかりやすいとすら言えた。駐車場と言うからには、それなりのスペースがあるだろう。この狭い山道から広い場所に出る、それでゴール。これもまた、文句の付け所が無いルールだ。
「みっつ、スタート位置。
「……位置、とは?」
「ほら、ここの山道って狭いでしょ。最初のコーナーで並んだりしたら危ないじゃないですか」
そして、三つ目のルール。”後行”という、聞き慣れない単語がシンボリルドルフの興味を一気に引き寄せた。
道幅が狭い、確かにシンボリルドルフもこの場所で同様の事を思った。車二台がすれ違えるだけの最低限の道は、ウマ娘達が走りを競い合うレース場とは比べ物にならない。
直球に言えば、勝負が出来る”コース”では無いのだ。走る幅が制限されるという事は、自由なライン取りが出来ない・先行する方はブロックしやすい・コーナーを抜け出る遠心力でスピードを乗せられない。ざっと考えられるだけでもこれだけの支障が生じる。
「だから安全性を考えて、最初に前と後ろを決めるんです。後ろの人は三人分ぐらいの幅を取ってスタートする、こうすれば最初にぶつかり合う事はそうそう無くなるので」
ウマ娘は、平地ならば時速七十キロメートル以上に到達出来る脚力を持つ。同様に、それを支える
レースで斜行したウマ娘にペナルティが課せられるのは、そんな危険からくる事故を避ける為。その危険を無くすべく、二バ身以上のセーフティリードを保ってコーナーを回るのは、レースの前方を走るウマ娘のセオリーの一つだ。
確かに、問題は無い。勝負する相手に配慮した、良いルールだと思う。
――だが。
「……二つ目について聞き直したい。たとえハナ差でも、先にゴールに着いた方が勝ちなんだな?」
「ハナ差? ……えーと、レース用語はわかりませんけど。一センチでも早く駐車場に入る線を超えた方が勝ちなのは合ってます」
シンボリルドルフは改めて、勝敗の決め方を尋ねる。三つ目のルール、最初の位置を決めるというモノ。これは今までのルールとは全く異なる、圧倒的と言って良い程に不公平なモノだったからだ。
三バ身とは、レースにおいてはそうそう覆せない大差だ。レースを終えた時に前後で三バ身の差が付いていたならば、紛れの余地も無い完敗と言ってもいい。
そんな差を走りにくく自由度の低い――先行する側が完全に有利なこの山道で、譲ろうとしている。これは、異常なハンデだ。
「どう考えても、前に立つ側が有利だと思うのだが……加減はするから、せめてスタートラインは同じにしないか?」
そう思ったシンボリルドルフは、完全な善意から三つ目のルールの変更を求めた。
確かに目の前の彼女は強いのだろう。この山のみをホームコースとする、完全なスペシャリスト。しかしそれでも、自分の方が速い事をシンボリルドルフの瞳は看破していた。
長距離レースのスタミナ配分、坂路を含むコースを走る事の経験、絶対的な肉体の完成度。
どれだけの不確定要素があろうと、高等部にも進学していないウマ娘と自分では、こと競走という面ではどうにもならない彼我の差が聳えている。
そう思ったシンボリルドルフが放った一言を――
「――あはっ」
聞いたドロップスティアーは穏やかに、しかし吊り上げた笑顔で歯を剥いて。
「ルナさん。それじゃあ、貴女は勝てませんよ。
それまでの明るい応対からは考えられない、見下すような冷え切った声色で断言してみせた。
ドロップスティアー:
誕生日 …… 1月2日
身長 ……… 164cm
体重 ……… 稍重
スリーサイズ…B83・W60・H87