「……ここまでやるとは……」
全てが終わり、シンボリルドルフは素直に感嘆していた。
このレースは、最初から最後まで完全にコントロールされた物だった。コースの特性を分析し、他のウマ娘を強制的に戦術の中へ引きずり込み、コーナーで追い抜きながら揺さぶり、最終直線より前に実質的な決着を付けた。
だが、最大の勝因である最後のコーナリングは、間違いなく無茶な技術だった。今見る限り疲労の色こそ濃いが、ドロップスティアーは何事も無く笑顔を浮かべている。
それでも、自覚無く脚を痛めている可能性は大いにある。怪我をしている事を自覚していないままウイニングライブをやるウマ娘だっていたのだ。そう考えると、シンボリルドルフは心配を拭い切れない。
「いやー、読みが全部通って良かった良かった。思ったよか上手くいったわー」
一方、名入は単純にホッとした表情だった。そこに心配の色は無い。
名入にとっての懸念事項は、ドロップスティアーが最終コーナーでミスをする事だけだった。大外からのライン潰しは極めて強力な手だが、誰もが出来る技術では無い。
被せる為の位置取り、ステップと加速のタイミング、後方から対象への距離感覚。一つでもボタンの掛け違いがあれば出来ない、自分の脳内にしか無かった空想の技術。
それを成功させる為に二ヶ月、特別な練習をさせ続けた。ドロップスティアーは迷わずそれをやり続けた。壁走りなどという曲芸が出来ると言い切った脚を信じた。
念の為、
「本当に、彼女の脚は大丈夫なのかい?」
「サッカーで覚えさせたって言ったろ? 流石にボール蹴りながらあの速度は出せない。スローペースから徐々に速度出せる様に鍛えさせたんだ、多分問題無いだろ」
「……多分、か」
このトレーナーのトレーニングは普通では無い。理屈は通っている、しかし前例が無い。”多分”では、シンボリルドルフは心配を抑え切れないのだ。
絶対は、無い。どれだけ言われようが、レースではほんの少しの事で何かの紛れが起こる。彼女の脚と走りは、全てが未知数で予測が付かない。
本当に何事も無くて欲しい。今のシンボリルドルフにあるのは、その一心だけだった。
「そんじゃ、俺は行くわー。……最後の
「……え?」
ウマ娘の聴力で無ければ聞き逃してしまっていただろう。そんな小さな呟きを残し、名入はその場から離れた。
レースは終わった。ドロップスティアーは笑顔を浮かべており、見る限り脚に違和感は無い。問題はどこにも見当たらない。
なら、今更何が必要だというのか。
(……わからないな……本当に)
レースに絶対は無い。今回、シンボリルドルフの予想は殆ど外されてしまった。
レース勘という物は、殆どが実戦で磨かれる。多数のウマ娘がひしめく中での位置の取り合い、加減速のタイミングとペース配分、距離感の把握。少人数での練習や模擬レースで出来た事も、高速で競い合う実戦のプレッシャーの中ではあっけなくミスをしてしまう。
故にデビュー戦というのは、どれだけ事前に実力を底上げ出来るかという単純な速度勝負になりがちなのだ。彼女は、その常識より戦術を優先した。
(泰然自若、か)
スタートダッシュでのコーナー仕掛けは、逃げウマの技術として珍しくは無い。しかし相手に合わせてローペースで意図的に膨らませるのは、後方から迫られる多数の足音に掛かってタイミングを間違えれば、内側を楽に抜かれて無駄に終わる。
ハイペースで向正面を取られてコーナーの内側を締められるのは、前に広い壁が立ち塞がるのと同じだ。本来は脚を溜める為に抑える最終コーナーで追い抜きを狙う時、少しでも掛かれば直線終わりまで保たなくなる。
つまり、どこまで行っても追込という脚質は掛かり――自分の集中力の勝負になる。最後の最後までミスが許されず、レース展開に大きく左右される。そこに恐れを抱かず、やり遂げなければならない。だからこそ追込は、脚質に関わらずやるウマ娘が少ない。
逆転勝利の栄光の傍には、完全な敗北の恐怖。好走すら出来ずに、大敗する事。それに耐え得る、或いはその不利を闘争心に変えられる精神のウマ娘だけが出来る事なのだ。
「……逆に、
ドロップスティアーは勝利に拘る。どんな過程や手段を使ってでも勝つ執念がある。
だが、
それはレースを走るウマ娘には珍しい性質。正しく勝利だけを見て、
ウマ娘同士で覇を競うトゥインクル・シリーズの世界に疎いが故に、こうすべきという固定観念も拘りも無い。だから、常識から外れた滅茶苦茶な行為を迷わず実行出来る。
どんな事にも動じない精神力と、勝敗に対する目的意識の乖離。それが彼女の本質だった。
「…………」
シンボリルドルフは難しい顔で黙り込んだ。頭の中で、選抜レース直後に抱いた不安が再び再燃している。
彼女をレースの世界に導いた事は、間違いでは無いと思っている。彼女の持つ特異な才能は、確かに活かされた。中央で一度でも勝利出来るウマ娘は、条件戦を含む未勝利戦を含めれば約二割しか居ない。
間違いでは無かった、しかし正しかったとも断言出来ない。彼女が勝つ為にやった技術は、前例が無い。この先も恐らく、何らかの無茶をする。限界へ挑むレースの世界で無茶をしないウマ娘は居ないが、彼女はその比では無い。
あの鋭角なコーナリングは、本当に危険なのだ。石壁を駆け登る程の無茶では無いが、それでも一度のミスが大怪我に直結する。しかしそれをしなければ、彼女は勝てなかった。
勝利だけ見て手段を選ばない、過程も問わない。
(――過猶不及。考え過ぎても仕方が無い、今は素直に祝福しよう)
しかし、彼女が他に見ない不断の努力で勝利した事は事実だ。
中央での勝利の価値は大きい。この後は、勝者の特権としてウイニングライブがある。それを見届けるまでがレースだ。
「……んっ?」
しかし、シンボリルドルフは一つの事実を思い出す。
彼女はトゥインクル・シリーズをろくに知らない。いい加減シンボリルドルフですら飽きる程に何度も何度も思っている事ではあるが、そのレベルで知ってない。
ウイニングライブの存在について、トウカイテイオーは直々に教えたと言っていた。全然なんにも知らなくて呆れちゃったよー、なんて愚痴っていた。実際に踊ってあげたらコロッと態度変えて拍子抜けしたとも言っていた。
そんな彼女が、まともにライブで歌いながら踊れるモノなのだろうか。いや、身体能力は間違いなく高いのだが、どうにも不安が拭い切れない。
「……大丈夫なんだろうか……」
さっきまで抱いていたのとは、全く別種の不安。この栄光の場所で、土壇場でゴールドシップみたいなよくわからない真似をされれば、たまったモノではない。
本当に何事も無くて欲しい。先程と同じ事を、しかし完全に違う心持ちでシンボリルドルフは思った。
◆ ◆ ◆
「初勝利おめでとさん。正直、予想以上の出来だったぞ」
「ふふん、どんなモンですか。自分はやる時はやるオンナなんですよーだ」
控室に名入が戻り、先にいたドロップスティアーがスポーツドリンク片手に出迎えつつドヤ顔をする。
確かに練習通り・指示通り・戦術通りの走りだった。自分のオーダーを完璧にこなしたのは間違いないのだが、こうもドヤドヤされるとなんかちょっと腹立つな。名入というトレーナーは、勝利した事実を素直に喜ぶよりもそちらに意識が行く程度にはへそ曲がりな人間だった。
それでも、自分の初めて担当したウマ娘がレースを終えたのだ。得意げになっている目の前のウマ娘への微妙な感情は一旦置いとくとして、まずやる事はある。
「よし。んじゃあドロップスティアー」
「なんです?」
「脱げ。今すぐ」
「は?」
さらりと爆弾発言が投下される。熱も無く、空気が止まる。
「…………なんて?」
「脱げっつってんだよ。早くしろだあほ」
「え、ちょ……本気じゃないですよね? え? ウソでしょトレーナーさん? 貴方一応いい大人ですよね? いや良い人って思った事あんま無いですけ――」
「だー、まだるっこしい。さっさとやるぞ」
「え゛っ、ちょ、うそ、やっ――やーーーっ!!」
爆弾に対するバックドラフトとも言うべき甲高い悲鳴が、控室に響き渡った。
◆ ◆ ◆
「――最初からクールダウンするって言ってくださいよぉ……ここまで男の人に怯えたの生まれて初めてですよぉ……」
「……だあほ……レース後にする事なんざそれ以外あるかよ……」
数分後。ドロップスティアーは現在、靴と靴下を脱いだ素足で入念なアイシングと触診を受けていた。
真顔で迫ってくる名入に対し、本気でセクハラかと思ったドロップスティアーは自慢のヤマ娘パワーゲージを解放した超必・震脚――全力で床を踏むだけ――を放ち、名入を強制的に静止。その後、ちゃんと説明を要求した。
身の危険は感じたが、いくらなんでも話の流れがおかしい。なので脅すだけに留めた。ただし控室全体が轟音と共に揺れたし、名入は本気で死の恐怖を感じた。
レース中にこのパワーで鋭角に向かってくるんだから、そりゃウマ娘だってビビってヨレるわ。名入は自分が考えた戦術と理論が、いかに恐怖心を煽る物かを自らの身で思い知った。
最初からコレの対象に狙わせた二人にもゴメンって思った。これからもやるけど。
「……脚。違和感は無いか?」
「二回しか使ってないんですから、余裕ですって」
「そうか。まぁ……そうじゃないと困るわ。……俺が」
「そこはこっちの心配をしてくださいよぉー」
「だあほ」
足首より先を触診し、氷水に付け、もう一度触診し、最後にサポーターを取り付ける。名入のクールダウンは、八割以上が脚の消耗の確認に使われていた。
シンボリルドルフの前で名入は心配する様子を見せなかった。このウマ娘の脚の異常性を信じ、この二ヶ月で段階的に鋭角コーナリングの角度と速度を上げさせてきた。だが、レースという真剣勝負での実戦投入はこれが初めてな以上、何があるかはわからない。
この脚の強度と現在の練度を考えた、安全マージン。それがステップ二回という制限。この二ヶ月の練習で取ってきたデータ的には大丈夫なのだが、数字など最後にはアテにならない。
弱味を見せたがらないだけで、なんだかんだ名入はドロップスティアーの脚を心配していた。
「自分的には一レースで四回ぐらいイケると思うんですけど……」
「お前、絶対俺の言った回数制限守れよ。守らなかったらガチで契約解除してレース出られなくしてやるからな」
「……ぐ、ぬぬ」
最高で直角近くまで軌道を捻じ曲げる、理論上最高速のコーナリング。距離のロスこそあれど、やればやるだけドロップスティアーの弱点であるコーナーの弱さはカバーされる。だが、脚を高速で回すレースという短時間の間で連発すれば、このウマ娘の異常性でも保たない可能性が高い。
そう考察される一方で、ドロップスティアーは名入より自身の脚の事を信じている。壁走りの負担と難易度に比べれば、この鋭角コーナリングはまだ簡単だなーとか呑気に思っている。思ってしまっていた。
(……なまじ出来ちまったのがタチ悪ぃんだよ)
しかし、それは盲信だ。何年も地元で反復した技術と、二ヶ月の突貫工事で会得した技術。前例の無い技術を問題無く成功させる、それに必要な経験は本来不十分――の、筈だった。
正直、名入はメイクデビューまでこのステップが出来るのは一回が限度だと思っていた。角度ももっと緩くなるだろうと計算していた。だがこのウマ娘は、自分の予想以上にこの技術を習得出来てしまった。
嬉しい誤算だが、誤算は誤算だ。自信を抱くのは良い事だが、そこに過信が入ってはいけない。
「で、だ。次は肝心のウイニングライブになるワケ、なんだが……」
「……トレーナーさん。
「……マジでこれ一回きりだからな、お前……はぁー……」
ちょっとだけ視線を逸らすドロップスティアー。顔を覆って天を仰ぐ名入。
ドロップスティアーが直々に考案した
◆ ◆ ◆
ウイニングライブ。それは一日のレースが全て終わった後、各レースの出走者が観戦者への感謝を伝える為に行う、トゥインクル・シリーズにおける華の一つである。
ステージの中央に立つのは、レースの上に立つ者。選ばれしウマ娘達の、栄誉の場でもある。
このライブは重要な催物だ。レースは走りを見せる場で、ライブは夢を魅せる場。この両側面があるからこそトゥインクル・シリーズは多くの国民に支えられる興行として成り立っている。
――なの、だが。
「ふ、不安だ……」
結局、ライブが始まるまでシンボリルドルフはレース場に留まった。
シンボリルドルフはトレセン学園の生徒会長である。実際の立場的には生徒の一人であり、責任者では無いが、学園の規範となるという意識から責任感が強い。よって、学園の生徒が何かしらをやらかせば自分の責任でもあるとすら考えてしまう。
そんな彼女をよく知る生徒会メンバー・学園の大人達・実際の責任者達からは、『考え過ぎ』『背負い込みすぎ』『お節介すぎ』『頼むから休んで下さい会長』などとちょくちょく言われるし、想われている。が、どうにも根っこからそういうオカン気質が染み付いてしまっている。
トレセン学園は、どういう訳だかレースで強い者ほど気性難と曲者の傾向が強い。それを思い出すと、不安は膨れ上がるばかりだった。
(頼むテイオー……君だけが頼りだ……)
不安の余り、何故かこの場にいないテイオーにすら縋る有様である。
トウカイテイオーはウイニングライブが抜群に上手い。教えるのも上手い。そんなウマ娘がウイニングライブについて教えたのだ、その重要性については間違いなく知らされている筈。
それでもテイオーなら、テイオーならきっとなんとかしてくれる。本人がこの場に居たならば、頼られる喜びと『なんで!?』という驚愕が混じっただろう。そんな信頼を、シンボリルドルフは抱いていた。
そして、メイクデビューのウイニングライブの時刻。ステージがライトアップされ、三人のウマ娘が現れる。
――だが。
「……ドロップスティアー?」
ドロップスティアーの脚には、
さらに、ステージに上がる時の足取りが露骨に重い。引き摺るかの様に、重心がおかしい。
「――ッ!!」
やってしまった。”多分”が起きたのだ。
彼女の顔に痛みの色は見せていない。だが、歩きにくそうにしている。そんな中で、ライブが始まる。
彼女は、踊らなかった。ただ、センターで懸命に歌っていた。
「く……!」
シンボリルドルフは顔を歪める。前例の無いトレーニングを課した名入トレーナーの事や、ドロップスティアーが明確な無茶に挑んだ事など、他の思考は一瞬で吹き飛んだ。
どれだけの怪我かはわからない。普通に歩いて退場していった以上、軽症だと思いたい。だが、骨折しながらウイニングライブを完遂したトウカイテイオーという前例がある。
「――♪ ――♪」
彼女の歌は、思ったより上手かった。流石に中央の”上手い”レベルとは行かないまでも、歌詞も間違えず音程も外さず、抑揚もしっかり付けている。素人の初ライブとしては、十分に立派である。
だがそんな事はどうでもいい。すぐにでも終わってほしい。包帯は両足に巻かれているが、シンボリルドルフの目にはわかる。ステージに上がった時の違和感、気持ちだけのステップ。そこで微妙に、左足の重心にズレとブレがある。
左回りのレース場において、最終コーナーで仕掛けた軸足。恐らくそこに負担がかかってしまった。
(……早く、早く終われ……!)
二着・三着のウマ娘、両脇で踊る二人が時折不審がった顔を見せつつも、それでも三人は笑顔は保った――取り繕ったまま。
センターが全く踊らないライブは、終わった。
◆ ◆ ◆
「――ドロップスティアー! 大丈夫か!」
「あ、ルドルフさん。見に来てくれてたんですねー」
ライブ終了後、シンボリルドルフは急いでドロップスティアーの帰路である通路に先回りしてやってきていた。
名入トレーナーの姿は無い。担当のウマ娘が怪我をした可能性がある場合、トレーナーは真っ先に病院に連絡するか車などを用意している可能性がある。そこに疑問は無い。
シンボリルドルフは彼女の足取りを見やる。やはり、歩いている時の左足に違和感が見えた。
「脚を痛めたのか! あんな無茶を――いや、それは良い! 違和感は……脚の重さはどれ位感じている!」
湧き上がる疑問を勢い任せにぶつけていく。単なる炎症か、捻挫か、軽度の
包帯――テーピングが成されている以上、既にそれは十分に成されている可能性はある。しかし、見える程に重心がズレているのはどうしても心配が先走る。
「あー……えー……そのー……」
「……? どうした、ドロップスティアー」
「テイオー先輩にはよーく言われたんですけど……ライブって、大事ですよねー……?」
「確かにそうだが、怪我の悪化のリスクを押してまでやる事は――」
「――いやホントに……申し訳無くは思ってるんですよ……?」
そう言って、ドロップスティアーは左足を上げながら靴に手をかけて外す。
ライブ衣装のロングブーツが地に落ちる。
「……んん?」
「……」
ライブ衣装に使われるブーツは、レースで用いられる物より圧倒的に軽い。軽快なステップを求められるダンスを想定し、レース後の脚の負担を少しでも軽減すべくグリップやバランスを重視して造られている。
軽いのだ。軽いブーツの筈なのだ。低い位置から落とした程度で音が鳴るなど有り得ない。それこそ、絶対に。
「君……もしかして……」
「
ぴしり。全力で顔を明後日の方向に向けるドロップスティアーを見て、動揺が強制終了したシンボリルドルフはその一言で全ての事態を悟った。
怪我などしていない。テーピングは見せかけ、重心のズレは外付け。当然そのままでは普通に踊れない、だから歌う事だけに集中した。元々踊れないから。
踊る事が困難な怪我をした可能性がある。だからそうせざるを得ないと、シンボリルドルフの目すら欺ける様に。このウマ娘は観衆の目の前で、堂々と不正をかましていた。
「――……」
「違うんですルドルフさん! 自分がんばったんです! レース練習の合間に精一杯振り付け覚えようとはしたんです! でもやっぱ踊りながら歌うってキツいですって! 歌詞覚えるので一杯一杯だったんですってぇ!」
「…………そうか。そうだろうな」
「ひ、ひぃぃぃ……!!」
このウマ娘は、手段も過程も選ばない。やると決めたらやる。自分の狙いを隠し、相手を自分の思考に落とし込む知恵がある。その方向性は、基本的に悪知恵だ。
シンボリルドルフは、静かだった。真顔だった。何一つとして表情を変えず、声色は平坦。
故に、ドロップスティアーは恐怖していた。トウカイテイオーより、ウイニングライブの重要性は聞かされた。テイオーが敬愛するシンボリルドルフが、ライブについてどう考えているかも聞いていた。
シンボリルドルフに無用な心配を抱かせ、ライブを意図的に半分放棄した。それが何を意味するのか、そして”皇帝”と呼ばれし目の前の上位者がどういう感情を抱いているのか。どんなに静かでも、いや静かだからこそドロップスティアーは感じていた。
生存本能にすら訴えかける、圧倒的な恐怖を。
「――私には、言いたい事がある」
「ハイ」
「君には、山程説教する事がある」
「ハヒィ」
ドロップスティアーの声が裏返る。山で育った自分は、普通のウマ娘より危機に対して野性的に働く直感があると思っている。
その勘が言ってる。自分はここで、死ぬ。
「本当に、脚は大丈夫なんだろうな?」
「はい! 超絶健康です! なんならあと一レース走れますハイ!」
「走るな」
「ハイィ!」
怖い。怖すぎる。ここまで怖いと思った事は、人生の中でもトップクラスだ。
怖くて泣いた事はあんまり無い自分でも泣きそうだ。汗が吹き出て、今にも逃げ出したい。ラインが膨らんでロスっても逃げたい。
『ウイニングライブを疎かにする者は学園の恥』。トウカイテイオーより又聞きした言葉の真意が、ここまで恐ろしいとは思わなかった。おもいたくなかった。
「…………」
「る、るどるふ、さん……?」
「――無事で良かった」
圧が霧散する。一言だけ残し、シンボリルドルフは身を翻してゆっくりと通路を去っていった。
吹き出し始めた冷や汗が、蓋を外した様にさらに吹き出る。なんならレース直後より出てる様な錯覚すら覚えている。
ヤバかった。本気でヤバかった。恐らく後日、キッチリと改めて説教をされるだろう。いかに
――だが。
「……すみませんでした。ありがとうございます、ルドルフさん」
自分の様なウマ娘一人の身を、本気で案じてくれた。その深い想いは伝わった。
誰も居なくなった通路の先へ、ドロップスティアーは頭を下げた。
◆ ◆ ◆
「――反省会ぐらい、しようと思ったんだがなぁ……」
時が過ぎ、トレセン学園・夜のトレーナー室。名入は今回のレースについての分析をするべく、ドロップスティアーを連れて戻ってきていた。
帰ってからも念入りに確認したが、脚に異常は無かった。どんだけ頑丈なんだコイツ。自分が教えた技術ではあるが、本気で名入は自分のウマ娘が普通ではない事を思い知らされた。
しかし。今に限って、ドロップスティアーは極めて普通のウマ娘、普通の学生だった。
「……すー……すー……」
名入のトレーナー室で唯一、グレードの高い調度品。名入の一番のお気に入りであるふっかふかのソファーで、ドロップスティアーは横になって爆睡していた。制服姿なのに、片足を床に降ろして両脚を開いたダラけた状態で。
ブランケットはかけてあるが、床に伸ばした脚は隠せていない。年頃の女学生としてどうなんだその格好は。溜息を一つ吐いて、名入は自分一人で映像を見直す事にした。
今回のレースの勝率は三割。今回はその三割の上振れを、完璧に引いた。ドロップスティアーがそれだけ作戦を迷わず、狂いなくやり遂げたのは間違い無い。だがこの戦術には、
(……どうすっかなぁ)
作戦とは対策されるモノであり、その対策をして、また対策される。どれだけ奇策や奇術を用いようが、戦術とはイタチごっことジャンケンの繰り返しだ。
ドロップスティアーの特異性は、戦術ありきだ。一つのミスで、あっけなく負ける。トレーナーかウマ娘か、レース展開か。その全てが噛み合わなければ、戦術は正しく機能しない。
名入は偉そうに振る舞える程度には自信満々な人間だが、所詮は自分が経験薄の新人トレーナーでしかないという自覚もある。なので、対策も警戒もされていないメイクデビューでも負ける目は大きいと思っていた。
ここから、一勝クラス。これからは実力と戦術のぶつけ合いだ。自分達は思考を止めた瞬間に負ける。だから、これからずっと考え続けなければならない。
「んー……んぅー……」
そんな名入の思考を
だあほ。起こさない様に心の中で呟きながら、呑気に寝ている問題児に近寄り、ブランケットを拾い上げる。
レースで深く疲労してるのは解るし起こしたくは無かったが、さっさと寮に返すべきか。少しだけ人間性のある優しさを名入が抱いた所で。
「……ほめてー……おかーさーん……」
「……なんだかんだで、ガキだな」
ブランケットをかけ直す前に、ドロップスティアーが寝言を言った。
悪知恵が働き生意気で、しかしブレない不動の精神を持つウマ娘。それでも、子供は子供だ。地方からやってきた事もあって、ホームシックとは言えずとも望郷の念はあるのだろう。
名入はそう思い――ブランケットを、床に落とした。
「――……」
沈黙する。トレーナーは、担当するウマ娘の保護者に近い役割も与えられている。
当然、ドロップスティアーのプロフィールには名入も目を通していた。しかし。
「……
――ドロップスティアーに。
この後滅茶苦茶説教された(スペシャルウィーク<棒立ちのすがた>と一緒に)
第三部終わりです。次からジュニア級編に入りますが、別にシリアスにはなりきりません。
ちなみに作者は第一部でこの小説を書き逃げするつもりでしたが、大雑把な構想と設定だけは第六部ぐらいまで考えてました。今の所、既定路線通りに書いてます。