ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『狂暇』

「がっ……! ぐっわ……!」

 

 ばたーん。トレーナー室で、ドロップスティアーは後ろに倒れた。そしてソファーに受け止めてもらい、そのまま沈み込んだ。

 別にドロップスティアーが怪我をしたとか、体調不良を起こしたとかそんな事は無い。バカは風邪を引かないし、アホは怪我にも強い。

 そんなドロップスティアーが奇声を上げながら、ソファーで白目を剥いた理由とは。

 

「どうした急に。何でお前はいきなりぶっ倒れてんだよ」

「いや……あの……コレ、なんです?」

「レースの獲得賞金だろ。……そういや、お前レース知らなかったんだったか」

 

 ドロップスティアーの手元にあって、読まれて、そして手放して床に落ちた一枚の紙切れ。そこに書かれた内容が与える衝撃は、彼女をワンターンキルするには十分なダメージだった。

 トゥインクル・シリーズは、国内最高の興行だ。観客数も、関係する人数も、並行される企画数も。何もかもが一般のエンターテインメントとしての格が違う。

 そして、当然。その中心にいるアスリート達に与えられる栄誉と賞金は、一般的な職業とはワケが違う。

 

「…………あのー。コレ、何万円って書いてあります? 六十万、ですよね?」

「六百だ、だあほ」

「ぐっわ……!!」

 

 ばたーん。一瞬立ち上がって、再びドロップスティアーの体はソファーへと転がる様に堕ちた。起き上がりこぼしのダルマの如き無様さであった。

 ドロップスティアーは一般家庭の、しがない駄菓子屋の出である。単価百円オーバーの駄菓子ですらちょっとした贅沢品というレベルで生きてきた。

 月のお小遣い、店や家事の手伝い込で平均二千円。別に貧しているという訳では無い、しかし極めて一般的な金銭感覚。

 そこへブチ込まれた中央での一勝が齎す数字は、ドロップスティアーの脳をいとも容易く破壊した。

 

「何も全額こっちに入るってワケじゃねーよ。流石に一着程じゃねーが、掲示板入りした連中にも全員金は入るシステムなんだ、運営にも限界がある。ついでに学生にポンと渡すにゃイカれた金だからな、使える額にも制限はあんぞ」

 

 とはいえ、その大金は現在の所ただ大きい数字に近い。走者本人であるドロップスティアーの取り分は確かに大きいし、学生としては有り得ない金額も与えられる。

 だが、ドロップスティアーは奨学生だ。将来に学園へと返済する義務がある以上、普通のウマ娘よりもその獲得金額は相対的に目減りしていると言っていい。

 更に、立場が普通のウマ娘であったとして。勝利時の賞金はトレーナーとどう折半してもイカれた大金だが、それを本人の自由に出来るのは倫理を考えてトゥインクル・シリーズに参加して勝利してから数年後となる。いわば分割的な年収の様な物で、紙に書かれた金額を即金で得たワケでは無いのだ。

 

「……なんか自分、異世界に来た気分です……」

「ったく。そんなんで大丈夫かよ、マジで。お前、奨学生だろ? 返し切るにはまだ全然足りてねーぞ」

「えっ? ……六百万ですよ? まだダメなんです?」

「中央ナメてんのか。国内最先端のプロ養成施設だぞ、たかが一勝で終わるワケねーじゃん」

「ほ、ほげぇ……」

 

 桁が違う、次元が違う、世界が違う。ドロップスティアーはまたその事を思い知らされてぶっ倒された。学園の門前で、土地を相手に負けた時よりはマシだが。

 確かに一勝するだけでも、中央では上位に含まれる存在である。しかし、この圧倒的な問題児は上辺の素性だけ見れば、奨学金制度によって入学した鳴り物入りのスカウト生だ。それが背負っている、将来支払わなければならない金額は莫大である。

 六百万でも不足。この世界は、ドロップスティアーの金銭感覚が一ミリも通じない次元にある。というか、出自からの過程を考えれば、ぶっちゃけドロップスティアーが場違いなのだ。

 

「さて、次のレースの話をしたいトコだが……お前、ちょっと休め」

「へっ? なんでです?」

 

 場違いで実力不足。一勝しようがその認識を全く変えていないドロップスティアーは、名入が急に言いだした言葉を呑み込めなかった。

 実力不足を補う戦術を成立させる為に、ドロップスティアーは二ヶ月間を名入の特殊なトレーニングに費やしてきた。脳も体もフル稼働させ、意味不明なサッカーで自分から答え(アイデア)を閃き、異質のコーナリングを想定以上に習得した。

 努力する事なら誰でも出来る、しかし継続は難しい。しかしドロップスティアーは、勝利の為に奇抜で濃密な鍛錬を一切の迷い無く続けてきた。全ては、格上の中央(あいて)を覆す為に。

 なのにここで休めとはどういう意味か。というか、先日はなんだかんだカラオケで友人達と結構遊んじゃったのだが。

 

「お前は下手に頑丈だから気付かねーんだろーがな。レースっつーのは本来、トレーニングよりずっと体に負担がかかる。加えて、レース当日には当然全力出せる様にせにゃならねーが、この調整は様子見も含めて時間がかかる」

 

 しかし、ウマ娘は我武者羅に練習し続けた所で最強になれる訳では無い。”サイボーグ”だとか”坂路の申し子”だとか、そう呼ばれる程の頑丈さと練習の化身であるミホノブルボンですら必要な休息は適宜取っていたし、菊花賞での敗北後には怪我をした。

 ドロップスティアーは体力もあり頑丈だが、流石にミホノブルボンの総合耐久値には及んでいない。足先付近と坂路に対する頑丈さだけは異次元なのだが、それ以外は及ばない。

 なので、レース後には普通に休養が要る。デビューまでの二ヶ月間は大分無理をさせたが、流石の名入もこれ以上は不味いと考えていた。

 

「つーワケで、とりあえず勝手に走るとかの自主トレも無し、禁止。俺から連絡するまではフツーに遊んで休んでろ」

「ふむん。まぁ確かに、うちのクソオヤジも”筋肉の事考えろバカ娘”ってしばしば説教してましたし、当然っちゃ当然ですね」

 

 ドロップスティアーは素直にそれを受け入れる。その話は、耳にタコが出来る程既に聞いていた事だからだ。

 超回復。消耗した筋繊維はトレーニング後に休める事で徐々に治るが、十分に休ませた後は筋肉の組織はトレーニング前より太く強固な物となる。これは全てのトレーニングの基本知識である。

 そしてドロップスティアーの父親は、無茶苦茶をやらかす己のバカ娘に対して制裁を加えつつ、その知識を文字通り叩き込んだ。前日に無理をさせた筋肉は暫く休ませ、体にかかる負担は日々分割させる。

 ――それを教えられた結果。ドロップスティアーは、()()()()()()()近道を新たに考案・開拓してやらかしたりしたのだが、それはまた別の話である。そしてやっぱり父親に怒られた。

 

「ま、軽い運動ぐらいなら良いがね。またサッカーに混じるとかでも良いぞ、なんか案外あっちのウケ良いし、お前」

「ふふん。ま、自分あのチームじゃ紅一点でしたからね。人気も出るってもんです」

「『最初の頃、相手チームの腹に強烈なパスかまして一人ワンツーしてきた』とか文句もあったんだが?」

「……別に敵にパスしちゃいけないルール、無いですよね?」

 

 名入が白んだ目でドロップスティアーへ過去の行いを掘り返せば、すいっと視線を逸らされる。

 ドロップスティアーはドリブル突破を思いつくまで、サッカーにおけるギリギリ合法行為を調べてひたすら繰り返してきた。

 敵の体を利用して自分だけでパスを繋ぐ。クリアボールと言い張り、後方の守備位置からボールを高くシュートして自分で追い付く。ウマ娘の脚力やバランス感覚を活かし、太腿でボールを抱えたまま片足だけで動く。

 人間で不可能な様々な行為を悪知恵によって追求した結果、『流石にコレ違うな?』となって、それからはクロスオーバーステップの練習に落ち着いた。そしてドロップスティアーのやったそれらの行為は、社会人チームを大いに困惑・撹乱させてきた。

 ”シュート禁止”のルールが設定されていなければ、間違いなくサッカー練習は十一人をノックアウトさせるまで終わらない格闘技と化していただろう。そう思わせる程に、やらかしてきた。

 

「あと”テイオーさんまた連れて来てくれる可能性もあるし”って言ってたから、そっちが本命なんじゃねーの?」

「がぁぁぁ! 否定出来ない! レジェンドアスリートだったテイオー先輩!」

 

 そんなドロップスティアーを受け入れる大きな理由には、一度だけ練習に混ざってくれたトウカイテイオーの存在の影があった。星が大きすぎて、ドロップスティアー本体が影だった。

 様々な偉業と奇跡を成してきたトウカイテイオーが、プロでもないサッカーチームの元に訪れる。これはSNSで凄まじい反響を呼び、テイオーのシュート動画――ちなみにハットトリックを獲った三発目は”フェニックス・テイオーショット”と自称した進化版だった――は、大層バズっていた。

 

「まぁそれはどうでもいいや。とにかくちょっとの間休み、俺の指示は以上。使っていい金もカードに入れといた、後はテキトーに過ごせ」

「……はい……」

 

 獲得賞金の分配・管理に関してはURAの規則で大まかに決まっており、その上でトレーナーの良識により学生の口座に渡される。そして名入の手により、普通に遊ぶ分の金額は既に電子的に渡されていた。

 ドロップスティアーにとって、初めて自由に使える金。この時点では知る由も無かったが、実の所プロである中央ウマ娘に与えられる金は、制限されていても凄まじい大金だった。

 が、そんな事は今のドロップスティアーの頭に無い。無趣味では無いのだが、大金を使う趣味も無い。今あるのは、ただただトウカイテイオーという尊敬する超一番星(スーパースター)の前では自分など死兆星でしかない。そのショックだけだった。

 まぁ、数々の問題を水面下でぽこじゃか起こしているので、凶星である事に疑いは無いのだが。

 

(でもなー。テイオー先輩を誘うのも気が引けるし、スペさん達とも遊んだばっかだし……今日は一人で過ごそっか)

 

 突然訪れた休暇と金。それらを問題無く使えて、一人で過ごせる場所。

 ドロップスティアーも一応、年頃の学生である。なので、行きたい場所もちゃんとあった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「ほへぇー。ショッピングモールのデカさも、全然違うなー……」

 

 スマホのマップを頼りにやってきた、大型ショッピングモール。先日のカラオケ店といい、いちいち田舎とはスケールが違う。そんな場所にドロップスティアーはやってきていた。

 ドロップスティアーとて、種族分類的にはウマの子だ。娯楽への興味も、購買欲もある。現地のATMで確認した自分の口座内の金額に再び白目を剥きかけたものの、食いしばりで九死に一生を得る。そして、人生で生まれて初めて好きなだけショッピング出来るだろう喜びを知った。

 と言っても、無意味な散財をするつもりも無い。駄菓子屋にて父親に叩き込まれた倹約癖は、無用な買物をしようとした瞬間にグリグリアタックの幻覚を想起させる。心に刻まれた幻より前へと走って逃れる術は無い。

 

「……あはっ。案内板がまるで迷路の地図です……まるで案内になってねーです……」

 

 具体的なプラン無し。なのでウィンドウショッピング――とりあえず此処にある店を見て回ろうとする。が、ドロップスティアーはその初手で詰みになりつつあった。

 広いのだ。ビル並の階層に、縦横無尽の広大な領地。最早別次元の”領域”である。ここで言う領域とは以下省略。

 これは、不味い。流石に出口がわからず脱出不能になるとまでは行かないが、アテもなく彷徨える様な広さをしていない。単なるウィンドウショッピングのつもりが、甘かった。ショッピングモールを無礼(なめ)ていた。

 案内に誰か連れてきていれば話は別だったろうが、こんな個人的な暇潰しに誰かを呼ぶのは気が引ける。レースの常識が無くとも、そういう良識はある。

 ――いや、違う! 山中の道無き道を探して踏破するのに比べれば、遥かにマシだ。滑落の危険性が無い人工物であれば、死にもしない!

 つまりいくら広かろうが、ここはデッド・オア・アライブを問われる土地では無い……ならば、行ける。いや――行く!

 

「――あ、あのっ! なにか、お困り、ですかっ!?」

「え?」

 

 案内板の前で人知れずショッピングと生死の境界を比べ、汗をかいていたドロップスティアー。トンチキ極まりない覚悟を決めて顔を引き締めていた彼女へ、横から声がかけられる。

 そちらに顔を向ければ、頭一つ分小さな圧倒的小柄のウマ娘がいた。大きな外ハネをしている黒鹿毛の長髪に、白いワンピースとリボン付きカチューシャが対照的に映えているウマ娘。

 

「お困りというか……ここに初めて来て、何すればいいのか、何があるのか、何処に行けばいいのか……歩く前から迷子になってるって有様、ですね……」

「そっ、それならっ! 私がっ、案内しましょうかっ……!?」

「えっ」

 

 いきなり子供のウマ娘から凄い親切にされてる。ドロップスティアーから見ればそういう状況だった。

 いかにも人見知りしてそうな、そわそわとした様子。どう考えても自然体では無い。勇気を出して不審者に声をかけてみました、そんな感じのレベルで彼女はおどおどしている。

 それだけ見れば、物凄く親切に頑張ろうとしている子供。だがドロップスティアーは、何か産毛が逆立つ様な感覚を微かにだが覚えていた。

 この感覚は。中央トレセン学園に来て、よく感じる様になった、この――僅かな、違和感は。

 

「……あ、あのぉ。もしかしてですけど、中央のウマ娘さんだったり、します?」

「えっ。な、なんでわかったんです……? ファンの方――なら、名前を知ってます、よね?」

 

 ドロップスティアーは現在制服姿だ。誰がどう見ても中央所属である事がわかる。

 だが、そのおどおど系ウマ娘は完全な私服だ。自分の子供らしい見た目を活かしている、お洒落で可愛らしいファッション。それだけであれば、トレセン学園の生徒とはわからない。

 だが。ドロップスティアーには、野性的な勘がある。山の麓では初対面だったシンボリルドルフや、本気をチラつかせたトウカイテイオー、そしてマジでよくわかんなかったゴールドシップ。そういった相手の潜在的な実力を感じ取る――つまり、自分より圧倒的に強い存在に対して『こいつはヤバい』と察する、脅威に対して働く第六感がある。

 自分より強くても、その勘はスペシャルウィークを始めとする同期には働かなかった。それは、()()()()だったからだ。しかし、目の前の小さなウマ娘は、()()()

 

「いや、ただの勘ですけど……えーと、お名前、聞いていいです?」

「えとっ、ライスシャワー、ですっ!」

 

 菊と春季最強の冠を小さな身体に隠し持つ、中央屈指のステイヤー。

 小柄な体躯に合わぬジャイアントキリングにより”黒い刺客”とすら称された、正真正銘雲の上を住処とする存在の一人は、初対面の相手に対して頑張って大きな声を上げて自己紹介した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「あはぁー……やばー……めっちゃ買い物しちゃったー……金銭感覚こわれるぅー……」

「だ、大丈夫、ティアちゃん……? なんだか、人に見せちゃいけない感じの顔になっちゃってるよ……?」

「……あー、やば。すみませんライスさん、自分こんなの初めてで……」

 

 あはぁ。いつもの攻撃的な笑みではなく、ふにゃふにゃになった笑いを抑え切れないドロップスティアーを、モール案内人となったライスシャワーが控えめに留める。

 尽きぬ水瓶をガブ飲みしているかの様な、完全なる金銭的自由。別に高額商品を大人買いしているという訳では無いのだが、自分の欲しい物を一度の買物で大量に手にするという初めての体験に、彼女の脳は別方向に破壊されかかっていた。

 そして、横で親切に案内してくれるライスシャワーの存在が歯止めになってくれていた。

 

「ライスさんは、自分に付き合ってくれて良いんですか? ライスさんも買物したいからここに来たんじゃ……?」

「ライスの用事は、もう終わってるから。それに、困ってる娘がいたら助けてあげたいんだ。……ライスも今まで、いっぱいの人に助けてもらったから……その分だけ、他の人にも幸せになって欲しくて……」

「えっ、天使か何かですか?」

 

 両手に買い物袋を抱えるドロップスティアーが、ただ一方的に世話(あんない)をしてくれているライスシャワーを心配すれば、微笑みながら聖人極まりない返答をされた。

 なんだこれは。本当にこんな性格の良いウマ娘が居ていいのか。シンボリルドルフを始め、中央のウマ娘は基本的に善人ばかりである。だが、ライスシャワーはその中でも更にランクが上だ。人格が完全に上の次元(ネクストフェーズ)に達している。

 ドロップスティアーは知らない事だが、数々の悲しみと逆風を超えて来た現在のライスシャワーは、元来の性格から陰りが殆ど消えている。名を体現した祝福者(ライスシャワー)は自分の受けてきた恩を、知らない誰かにも与えていこうという考えを持っていた。

 

(――あれ? じゃあ、自分は何です?)

 

 はにかむライスシャワーを見て、改めてドロップスティアーは自身について考える。他人は自分を映す鏡、人の振り見て我が振りを直せ。その言葉の通り、彼女は自分の今までの行為を思い出してみた。

 自覚ぐらいはある無謀な山走りばっかやってた。シンボリルドルフとトウカイテイオーを、騙し討ち的にルール外で倒した。普通に走れず、同期にボコボコにされた。大事とされるライブから意図的に逃げた。

 ろくな事やってない。他者に胸を張れる行為が全く無い。なんだこれは。誰の事だ。自分だ。

 

「……すごいですね、ライスさんは……すごいです……」

「そ、そんな事ないよ……? ライスは、当たり前の事をしてるだけだから……」

「がぁぁっ……!!」

「ど、どうしたの!? 胸、痛いの!?」

 

 ドロップスティアーは(こころ)を抑えて悲鳴を上げた。良心(パワー)が、良心(パワー)が違いすぎる。

 山から離れ、中央に来て、この世界を知って。ようやく自分がいかに変なウマ娘だったかを散々思い知った。だが、まだ認識が甘かったのだ。あまりにも心根が汚れていたのだ。

 あかん。ちょっと、ちょっとぐらいはまともなウマ娘になろう。脳のネジが外れて恥という概念がどっか行っちゃってたドロップスティアーは、今更そんな事を思った。思わせる程に、ライスシャワーというウマ娘は優しさを振り撒いていた。

 ――まぁ。必要になったら、必要な事はやるんだけど。

 

「大丈夫、大丈夫です……なんともないんで……はぁ……」

「そ、そうには見えないけど……えと、どこか、休める場所……!」

 

 ドロップスティアーが自業自得の自問自答で勝手に自傷ダメージを受ける様を心配したライスシャワーは、せめてベンチか何か落ち着ける場所を探そうと、通路の真ん中へと移動して周囲を見渡した。

 今二人が居る場所は二階である。一階には休息用の広場など座る場所が多いが、二階となるとそういった明確なスペースは少ない。なので、中央から階層全体を眺めようとしたライスシャワーの判断は正しい。

 正しい故に、それは起こった。

 

「わっ!」

「きゃっ!?」

 

 早歩きで通路の真ん中へ出て、顔を左右に振るライスシャワー。その死角から、周りも見ずにはしゃいで走ってきた男児がぶつかる。

 その手にあったのは、男児が手に入れて喜んでいた大きな風船。しかしライスシャワーと軽く接触した事で、ヘリウム入りで浮かぶ風船は紐が手の中から抜け、勢いのままに通路の外――ショッピングモールの上方、吹き抜け方向へと飛んで行こうとしていた。

 しまった。ライスシャワーは、()()自分がやってしまったという意識が湧いた。

 ライスシャワーは、致命的に巡り合せが悪い。『自分が関われば不幸を呼ぶ』とすら思っている――今はその加害意識はかなり改善されているが――その妙な運は、かなりの割合で間の悪い事態を引き起こす。

 自分の不注意で、子供の大事な風船が飛んでいってしまう。なんとかしようにも、崩れた体勢を戻し切れずに風船は通路外へと向かっていく。子供をちらりと見れば、呆然と眉をハの字に歪めていた。

 

「そうはいかーん!」

 

 が。風船が吹き抜けから上へと行こうとした瞬間、ドロップスティアーは動いた。

 困っている人を助ける。ライスシャワーが見せた信念、それに感化されていたドロップスティアーは、風船が飛んでいこうとしたのを見た瞬間に動き出し、唯一自慢と言える瞬発力により助走を付けてジャンプした。

 ドロップスティアーのジャンプの最高到達点・手が届く高さは約四メートル弱。『石壁一発で登れないかなチャレンジ』で鍛えたそれは、中央でも類を見ない高度を叩き出す。

 流石に完全な助走も無しではそんな高さは出ないのだが、風船の上昇速度になど負けん。誰かを助けるのに理由は要らない、ライスシャワーから受け継いだ意志。それにより買い物袋を神速で捨てたドロップスティアーは、見事風船の紐を掴んだ。

 ――そう。()()()()に差し掛かった風船の紐を、掴んだのだ。

 

「あ、危なッ――!!」

 

 まるで迷いも無く、風船へ向けて加速してジャンプした。しかし、その先に()()()()()

 助走を付けてジャンプをしている以上、ドロップスティアーの体は宙を前へと進む。その姿が、ライスシャワーにはスローモーションに見えた。

 ()()()。風船に追い付く為に、余計な勢いが付き過ぎている。いかに強靭なウマ娘の体と言えど、二階の吹き抜けから落ちては只では済まない。着地の体勢が悪ければ、怪我で済まない可能性もある。

 数々の重賞レースで培った高速思考。しかしライスシャワーの肉体は、その思考の回転に付いていかない。コンマ秒にも満たない時間の中、ただ瞳が状況を分析するだけで、手を伸ばす事も出来ない。

 ()()()()()()。思考の最後に訪れたのは、長らく無かった自分への自己嫌悪だった。

 

  ◇  ◇  ◇

 

 ――話は変わるが。ドロップスティアーというウマ娘は、シンボリルドルフに勝利した事がある。

 山道という知り尽くされた異常地帯(ホームコース)と、ルールの抜け穴による初見殺しでしか無かったのだが、ともかく勝利は勝利だった。壁走りを代表とする、特化した異常性ならではの近道を使い、ドロップスティアーは勝った。

 それも、途中から本気を出したシンボリルドルフを相手に()()()()()()()()()()()を付けて。

 

 当たり前だが、シンボリルドルフは強い。圧倒的に強い。

 かの皇帝にガチギレされる程の近道を使っても、圧倒的な実力差があった。近道の一つである急階段で差を付けられず、壁走りなどという曲芸を使う事でようやく差を付ける事が出来た。

 だが、それだけで全力を出したシンボリルドルフに十六バ身などという、とんでもない大差を付けられる訳が無い。シンボリルドルフはドロップスティアーの手法を『彼女専用の道』とすら称し、ロスの出る山道で圧倒的な優位を取られた。

 

 シンボリルドルフは壁走りの後、ドロップスティアーの姿を見失った。そしてその後、ようやく姿が見えたのは最終直線の時に大差を付けられた状態だった。

 本気で走ったシンボリルドルフが、()()()()()()()()()()()()。シンボリルドルフは、ドロップスティアーが()()()()()()()()()、見る事が出来なかった。

 ――故に。彼女が()()()近道を()()()使ったか、それらを目撃していない。

 そして。ドロップスティアーが得意とし、他のウマ娘から特異とされる一つの技術があった。

 

  ◇  ◇  ◇

 

「よいしょぉーっ!」

 

 ドロップスティアーは、落ちなかった。

 ()()()()()()

 

「――へっ?」

 

 自分の抱いた思考が吹き飛ぶ。ライスシャワーは、今自分が何を見ているのかわからなかった。

 ドロップスティアーは吹き抜けから外に出た瞬間、階の手摺りに()()()を引っ掛けて、その力だけで踏ん張って自分の落下を防いでいた。

 

「……えっ……えええっ!?」

 

 有り得ない。風船を手に持ち、現在進行系で手摺りに足先を引っ掛けてぶら下がっている最中のドロップスティアーを見ても、ライスシャワーは自分の目を疑うだけだった。

 彼女は間違いなく、全力で加速してジャンプした。そのまま吹き抜けへと向かい、落下コースに入っていた。その勢いを、()()()()()()で強引に留めていた。

 ウマ娘の出す脚の力は人間の比では無いが、しかし頑丈さは比例的に近しい。自分の全力で跳び上がる途中にどこかに足を引っ掛けなどすれば、最悪骨に関わる怪我となりえる。

 

「……あ、やっば。これ、どうやって戻ろ……ライスさーん、ちょっと引き上げてくれませーん?」

 

 が、そんな無茶をやらかした当の本人は手摺りに足だけを引っ掛けた状態のまま、呑気にライスシャワーへ助けを求めた。何一つとして痛みを感じさせない、ただ自力で戻るのが難しいから助けて欲しい。たったそれだけの声色で。

 結果だけ見れば、飛んでいく風船を手に取って、無事だっただけ。しかしライスシャワーは本当に何が起こったのか呑み込めていなかった。下手すれば骨にヒビが入るレベルの衝撃の加速で、ドロップスティアーは手摺りに実質ぶつかった様なモノなのだから。

 

「いやー、これもなんか久々にやった気がしますねー。懐かしいなー」

 

 ドロップスティアーは逆さにぶら下がりながら、やっぱり全くノーダメージで昔を思い出す余裕すらあった。

 ヤマ娘式山道奥義(ショートカット)の一つ。高所にある太い木の枝をジャンプして掴み、逆上がりして付けた勢いのまま()()()()()()()()()()()、足先で加速してさらに次の木の上へ進む技。

 最初は逆上がりして木に登り、そこから別の木へジャンプする近道だったのだが、()()()()()()()()()過程を省略。”ダブル逆上がり”・或いは”足掛け上がり”と命名したその技は、まさしく曲芸でしか無かった。

 当然だが、これも失敗すれば木から落ちて致命傷を負う。シンボリルドルフが見ていれば、神威(いかり)ゲージが更に上昇していただろう。しかし、見られていなかったのでセーフである。

 

「あれ。ライスさーん、聞こえてますー? ホント申し訳ないんですけど、風船持ったままだと自力で戻るのキツくって……すみません、また助けてくれませんかー?」

「……う、うん……」

 

 未だに現実が理解し切れず引き攣った顔で、ライスシャワーが足先しか見えないドロップスティアー――というか、手摺りへと近付く。

 ライスシャワーは確かに運が悪い。しかし、ドロップスティアーは()()()()()。常識的な不運は、非常識な悪運の前には通じない。こんな事を何度もやっておいて、ドロップスティアーが大怪我もせず今でも元気で中央で暴れちゃっているのがその証拠だった。

 

「――わっ! ティ、ティアちゃん! み、見えちゃってるっ! スカート、捲れちゃってるよっ……!?」

「へっ? ……きゃあぁっ!? わーあー、制服なの忘れてたぁー! たすけてっ! ライスさんはやくたすけてぇーっ!」

「う、うん……!」

 

 二階から落下しようとした事より、自分が制服であった事に焦るドロップスティアー。

 ライスシャワーはそれまで抱いていた状況の意味不明っぷりも忘れ、手に持った風船が邪魔でスカートを抑え切れないドロップスティアーを、見事その場から救出した。

 男児の風船を護る代償は、そこそこデカかった。

 




祝福者・完聖体(ライスシャワー・フォルシュテンディッヒ)

完全に無関係な話ですが、作者は田舎に住んでいた小学生時代、木々が生えていた高度20メートルオーバーの崖を、全く意味も無く時々暇潰しで登っていました。
そして作者は骨折をした経験はありません。つまり、そういう事です。
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