「お前……お前ーっ! よりにもよって! よりにもよって、
「これ自分全然悪くないでしょ! 運でしょ運! 登録したのトレーナーさんですよね! じゃあトレーナーさんのタイミングの問題でしょ、はい論破ぁー!」
「知るか、だあほぉーーー!」
やいのやいの。控室全体に響く名入とドロップスティアーの怒号合戦は、最早収拾が付かないレベルまでヒートアップしてしまっている。
理由は、ドロップスティアーのゲート位置。八人が出走するこのレースで、ドロップスティアーは見事最も最も外の八番という最悪の位置を引き当てた。
この瞬間、
「くそっ、なんて運の悪ぃヤツだ信じらんねぇ……! せめて四番以下ならまだコーナー取れたっつーのに……! つか、内側に逃げウマ二人いんだぞ! マジ終わってんぞコレ!」
「知ーりーまーせーんー! ホントに知りません! 神サマにでも言って下さいよ、自分神サマなんて信じてないんでー!」
「だぁぁ! どうせその内やらかす問題とは思っちゃいたがよ、最悪中の最悪のパターンじゃねーかぁーっ!」
通常、出走前のウマ娘は緊張する。本当に自分がレースで一着を取れるのか、練習の成果を出しきれるか、今度こそ勝てるのか。誰もが抱く不安な思考を、トレーナー側が支える。
しかし名入は頭を抱え、ウマ娘よりも悲鳴を上げていた。そして挙句の果てに、枠という運でしか無いモノの責任を自分の担当に押し付けていた。普通に最低である。
尚、ドロップスティアーに普通のウマ娘が陥る不安は無い。代わりに目の前のトレーナーから来るイチャモンへ、全力で憤慨していた。
「あーくそ、負け確だぞマジ……お前の戦術、
「それ位とっくの昔に気付いてますぅー! トレーナーさんは考えてなかったんですかー? はい自分の勝ちー! あーっはっはっ! ざまーみろですー!」
「がぁぁっ! ぶん殴りてぇこのウマ娘! 俺の良識に感謝しやがれ!」
ドロップスティアーの戦術。それは、初手で誰よりも速くスタートダッシュを決めて、最初のコーナーの内を取って相手のコーナリングを外す所から始まる。
だが、これは
加えて言えば、スタートの上手い逃げウマが自分より内側にいた場合もこれは難しくなる。逃げウマは最初から最後まで、レースの前方を取り続ける事に集中する。よって、減速を前提としたドロップスティアーは精々並ぶのが限界で、最内を取り切れない。
この時点で、序盤のドロップスティアーの優位が死に、そして中盤のウマ娘達の動きも予測不能に陥ってしまっていた。
「大体、
「うっせー! こんな
そしてドロップスティアーの戦術で最も肝心な所は、最終コーナーでマーク相手を
なので、仮想される最も強い相手に対してマークを絞り、そこに鋭角コーナリングを被せる事で倒す。だが、レースにおける有力バが複数居て、その
今回のレースは、前寄りの先行バと後ろ寄りの差しウマが一着候補で、それをマークしたい。しかし片方を潰せば、もう片方が自由となる。つまり、マークした相手と
上手く行けば好走は出来るし、掲示板入りも狙える。しかし、勝利は有り得ない。それが今ドロップスティアー達を取り巻く状況であり、そしてこの戦術の最大の弱点だった。
「どっちも同レベルに強いせいで予想がつかねぇ! 先手取れりゃ先行の方はある程度消耗させられたってのに、今回は内側取れてねぇ! 底知れねぇ絶望の淵に沈んでこいお前!」
「なんでトレーナーさんが自分のウマ娘を絶望に落とそうとしてんですか! ちょっとは頭働かせて下さいよ、自称クレバーでデータキャラの有能トレーナーさん・カッコ笑い!」
「しゃぁぁ! いい度胸だ表出ろ! ぶっ倒してやる! 今日走るウマ娘達が!」
「だぁぁぁ! 現実パンチはやめて下さいよ! 自分だって好きで負けに行くんじゃないんですからぁ!」
そうしてこの控室内の混乱、というか騒乱は起こった。いずれ起こり得る問題だったが、まさか二戦目で完璧なまでに引き当てるとは思わなかった。最悪中の最悪の事態だった。
名入は”絶対が無い”という信念でドロップスティアーを育てているが、それは逆に言えば”絶対には勝てない”という矛盾染みた表裏一体の戦いでもある。絶対に勝てない勝負も、絶対に負けない勝負も無い。レースという場で起こり得るイレギュラーを追求するのが、名入の方針だ。
そして。今回は、見事なまでに悪い方向のイレギュラーを全て引き当てた。走る前からもう負けるとしか思えない、そんな悪条件。ある種レースの醍醐味であり、どうにもならない現実だった。
「……はー。よし、スッキリした。腹決めんぞ、だあほ」
「自分悪くない時に罵倒しないでくれません? ……で、どうするんです?」
「どうもこうもない。全力で負けてきやがれ」
「はいはい」
そして、息を揃えて二人は落ち着く。ハッキリ言ってこんな判り易い弱点など、メイクデビューの以前より二人とも最初から自前で理解していたのだ。
今回は最悪だ。もう最悪も最悪であり、レースに潜む”絶対”が自分達に牙を向けてきた。しかし最初の枠が決まった時点で不利を背負うなど、この世界では日常茶飯事。いちいち気にしても仕方無い。
それでも二人が荒れ狂っていたのは、負けが確定したレースという憤懣やる方ない状況に落ち着くべくストレスをぶつけあって解消していただけである。つまり、緊張を解消する他のレース出走者と然程変わりは無い。交わす内容が最低なだけで。
「ま、でもなんかあるんでしょ? 注文」
「わかってんじゃねーか。当たり前だ、元々ココには経験積みに来てんだから」
「トーゼンです。自分はどっかの誰かと違って、超クレバーなウマ娘なんでー?」
「腹立つコイツゥー!」
「鏡見て下さいよ! ショッピングモールで手鏡買ったんでいくらでも貸しますよ!?」
見事なまでに喧嘩し合いながら、二人の意見は合致している。考えるべきは、このレースの
一桁パーセントぐらいの紛れが無い限り、ドロップスティアーは負ける。そしてそんな物に頼る程、二人はロマンチストでは無い。大敗を一ヶ月も受け入れられる程の割り切りが、ドロップスティアーの長所の一つなのだから。
負けるのはもう仕方無い。なら、
「プランBがあるだろ。
「……ははぁ、なるほど。オーケーです」
その短い暗号の様なやり取りだけで、ドロップスティアーは名入の考えている真意を理解した。
実の所、大外を回らされた時の対処法――別のプランは既に考えてある。だが、今回は使えない。今使った所で意味が無い、そんな戦法だからだ。
ドロップスティアーには名入の狙いが大体わかる。それは、両者共に悪知恵で動くからだ。
「他は?」
「マーク相手は……まぁ、七番にしとくか。後方寄りの差しウマだ、一番人気だし強いぞ」
「へぇ。じゃあ、
自分と一緒に負けてもらう。まるでスポーツマンシップを感じられない、とんでもない言葉をドロップスティアーは言ってのける。別に恨みも無い、ただ
海外レースにはチームプレイ――つまり、複数のウマ娘達が結託し、勝たせたいウマ娘一人の為に他が犠牲となる、ラビットと呼ばれる玉砕覚悟の戦法が横行している。
日本レースでは”勝つ気の無い走りのウマ娘は違法”と見做され、反則となる。つまり、意図的に邪魔をして負ける事は禁止だ。だが、ドロップスティアーの戦法はこれに当たらない。
別に誰かを勝たせたい訳でも、最初から負ける走りをする訳でも無い。マーク相手を間違えて負けるなど、レースではよくある事だ。それが
全力で走り、全力で負ける。そこに、反則は無い。
「はーあーぁー。ライスさんのおかげでちょっとは善行積もうとか思ってた矢先コレですよ。ライスさんに顔向け出来ませんねホント。トレーナーさん謝って下さいね、ライスさんに」
「なんなんマジで? 口を開けばテイオーの話ばっかしてたお前どこ行ったの?」
「テイオー先輩は尊敬すべき最高の先輩です。ライスさんは崇拝すべき最高の天使です。何がおかしいんですか言ってみて下さい」
「極端過ぎんだよお前の対人感情」
ドデカい溜息を吐いて、ドロップスティアーは心中でも微笑んでいるライスシャワーに謝った。心の中で笑顔の世界を構築してくれていた天使に詫びる事しか出来なかった。
ショッピングモールで助けてくれたライスシャワーという存在はそれ程に大きかった。クソデカだった。だが、それはそれとしてレースはレースだ。やる事はやる。
それに、恐らくだが。この一番人気の差しウマを選んだ理由は、
「つーワケで、自由にやれ。つまらんレースとは思うなよ」
「あっはっは、何言ってるんですか。むしろ助かりますよ」
レースには絶対が無いからこそ面白い。故に、名入はドロップスティアーにもその楽しみを共有させたい。そういった思想を積み重ねる度に、ドロップスティアーというウマ娘の特性――存在するだけでレースを狂わせるという、類を見ない能力が尖っていく。
敗色濃厚な
「知ってますか、トレーナーさん。自分は地元じゃ”ヤマ娘”って呼ばれてましてね」
ドロップスティアー。かつて”絶対”をその地で破ったウマ娘は。
「……
――牙を剥いた。
◆ ◆ ◆
中京ジュニアステークス。そのレースで、八番であるドロップスティアーは三番人気だった。
メイクデビューで類を見ない特異な走法を見せつけた点がプラス。しかしレースのタイムは極端で、泥沼の消耗戦であった事から地力を疑われている点がマイナス。
しかし、何かをやる。追込という安定性の無い戦法で、破滅的な走りをしながらピンピンしている異色のウマ娘。そういった所で、ドロップスティアーは評価されていた。
――だが。
(……おかしい)
七番のウマ娘。彼女は後方に控え、自身の脚を溜めて最終直線で差し切る事のみに集中する事にした。
自分の傍のゲートに収まったドロップスティアーというよくわからない不確定要素が、レースを荒らす事を想定していた。そういった動きをしていたのは、メイクデビューを見ればトレーナーには分かる。
最初のコーナーで仕掛け、最終コーナーでも仕掛けられる。それに対し、自分は差しウマとしての末脚を信じて最後まで崩れない事だけを覚悟して走り出した。
だが。
(全く、レースが動かない……)
隣に居たドロップスティアーは極めて普通のスタートを切った。コーナーは内側の逃げウマが普通に取り、先行バがそれに追走する。
差しウマである自分は、先行の背を自分のペースで追う。逃げウマが前を取り、そこから縦長にバ群が伸びている。何の紛れも波乱も無く普通に、楽に向正面が終わろうとしている。
楽だ。このまま行けば、自分が最も得意な直線勝負まで十分に脚を温存出来る。大外に回されて露骨に不利を背負った、そんな隣のウマ娘を警戒する必要は無かったかもしれない。そう思う程に、ドロップスティアーの存在感は希薄だった。
(よし、三コーナー。とにかく、綺麗に曲がろう)
何の波乱も無く、全員が第三コーナーへ入る。向正面の中間から第四コーナー終わりまで下り続ける、緩めのコーナー。
中京レース場の直線は長い。東京・阪神に次いで長い――新潟レース場の659メートルという長さはもう異次元なので除外する――最終直線と、そこにある急坂。そこで全てを出し切り、前方を差し切る。差しウマの王道戦術。
その為に、この下りコーナーでスピードは出し切らない。あくまで最後まで温存し、坂を強く登り切って速く駆け抜ける。それだけを考える。それだけを――
(……う……!?)
――考えていると。
一バ身よりも近くの場所で、完全に張り付かれている。自分が少しでもペースを落とせばその足音の主に当たるのではないか。そう思われる程近い所から、大きな足音が鳴り聞こえてくる。
最終直線に備えて後方に控える自分の、更に後方に張り付くウマ娘。該当するのは、たった一人。
(ドロップスティアー……! マークは、私か……!)
恐ろしく大きな足音で、ぴったりと張り付いて来る。まるで存在感を隠さず、自分を風除けとしている。
追込である彼女の狙いも、最終的には直線勝負だ。彼女はコーナーからのロングスパートを得意としている、それは知っている。だから自分の後ろについて、スタミナを温存しているのだろう。それはわかる。
マークされたのは自分だ。有り難い事に一番人気を貰ったのだから、それもわかる。
――しかし。
(……ち、近いっ……近すぎるっ……!)
足音が、少しずつ近付く。半バ身あるかないかの互いの距離が、
もしも少しでも自分がペースを落とせば、その瞬間彼女は自分に追突する。いや、それ以前にここまで張り付いていては、自分が蹴り上げる芝と土が邪魔で、風除けにするとかそれ以前の所で消耗してしまう筈だ。
風の盾とするだけなら、そこまで近寄る必要は無い。なのに、なんでそこまで真後ろに付く必要があるのか。足音の大きさも相俟って、七番のウマ娘は僅かに焦る。
――そっちがその気なら。彼女は、ほんの半歩だけストライドを変えた。
(これならどう……!?)
歩幅を広げるのではなく、狭めた。足の回転数はそのままに、本当に僅かだけ速度を緩めた。
完全に真後ろに張り付いている彼女にとって、これは恐怖でしか無い。プレッシャーを与えるべく覚悟して後ろに張り付いたが、相手が急にリズムを変える。自分から仕掛けた
張り付きすぎて良い事など無い。相手との安全マージンを保つべく、少しだけ斜め後ろに付く。それが本来のマークだ。
――
(――ぜんぜん、かわってない)
足音が、そこにいる。居続けている。
ドロップスティアーは、ピッチ走法を極めている。山道という極限までピッチを求められる場所で習得し、曲芸染みたコーナリングを得る為にその走法はさらに細やかになっている。
つまり、ストライド走法よりも圧倒的に歩幅の調整が早くて上手い。何をやろうが、
少しでも自分が失速したら、追突するのに。踏み込みを深くして少しでも大きく後ろに振れば、脚が当たるのに。それらの事態が推測される寸前、
――
「うっ……うううっ!!」
自分が相手を傷付けるのが怖い。自分を執拗に追いかける相手が怖い。何を考えているかわからない相手が怖い。
全ての恐怖が、そのウマ娘を掛からせた。掛からざるを得なかった。掛からなければ、どんな悲劇が起こるかわからなかったから。自分が関わって、事故が起こり得たから。
自分は差しウマだ。最後の直線で仕掛けるつもりなんだ。この下りのコーナーで少し無理をして、速度を出して、なんとか振り切ろうとしている。気付けば先行集団との距離が近付いている。
(危ないでしょ……!? 早く、早く離れてよぉっ……!)
速度を上げて最終コーナーに差し掛かっても、狂ったマークが終わらない。
こちらの速度に完璧に合わせた、芸術的とも言える完璧なマーク。しかし、それは一歩間違えれば前方のウマ娘の脚に接触して、蹴り飛ばされてしまう差。シニア級の差しウマですら――どんなウマ娘だって出来ないだろう、自殺行為に等しい張り付き方。
怖い。怖い、怖い。なんで、なんでこんな事が出来るんだ。どうあっても聞こえてくる、大きすぎる足音に迷いは無い。ずっと自分はお前の後ろにいると、存在を強く主張している。
――
それは、自分の本能だったのか。それとも、後ろの彼女の心なのか。
「――あっ、あぁぁぁッ!!」
最終コーナーが終わる前に、七番のウマ娘は仕掛けた。仕掛けられ続け、掛かった。
ずっとずっと、後ろで大きな足音を立てられ。歩幅を狭めても広めても、全く同じ差を保たれ。どうあっても、影よりも近くに張り付かれ続け。限界まで追い詰められた彼女が、速度を上げ――
「さよならです」
「あ」
コーナーには、遠心力がある。このコースは最終コーナーが終わるまで、終わった後も微妙に続く、下り勾配が付けられている。
集中力を散々に奪われて掛かった七番のウマ娘は、当然外へ膨れた。ほんのちょっと、一歩か二歩あれば修正出来るだけの、それだけのライン。
――だが。誰よりも
(そんな速度で、曲がり切れる、わけが、ない)
自分の完全な真後ろから、最終コーナー終わりを真っ直ぐにぶち抜いた。
ドロップスティアー。脅迫とすら言ってもいい、狂気の張り付きを続けた彼女の加速は、信じられない程に速かった。ストライド走法では出来ない、凄まじい瞬発力を持った加速だった。
だが、このコーナーはずっと下っている。直線に差し掛かっても下る。その速度で突っ込めば、大外に行くしか無い。そうなれば、自分の末脚でまだ差せる。
それが、普通。しかしこのウマ娘は。
「だっしゃぁぁい!!」
そのまま彼女は加速する。ずっとずっと、自分が追突する寸前の
そんな事など無関係に。自分の
「く、う、うううっ……!」
中京レース場の直線は、長い。ハイペースの下りコーナー終わりから少しして、急角度の坂がある。
この直線の事だけを考えていた。脚を溜めていた。坂を登れるだけの余力を残して、末脚を出し切って、バテている全員を追い抜いて勝つ。差しウマの、王道戦術、が。
(――あしが……のこって、ない……)
坂に差し掛かる。脚が重い。
登る事は出来る。走り切る事も出来る。だけど、いつもの速度が出せない。出し切れない。
コーナー途中から掛かった。外へ膨らんだ。瞬間、まっすぐに抜かれた。散々脅してきた足音を、至近距離から聴かされて。
こんな早仕掛けの脚と、消耗させ続けられた頭と、振り回された外のラインからじゃ。絶対、前まで届かない。少しずつ鈍りながら過る、絶望的な思考。
そんなの、ずっと後ろに居た彼女だって同じ筈なのに。ドロップスティアーだって似た様なラインで、先頭には届かないぐらいの位置と速度の筈なのに。
「――あはぁっ」
彼女は、笑っていた。笑いながら、急坂を一気に加速して登っていった。
付いていけない。坂に限り、彼女は圧倒的に速かった。自信を持っていた上がり三ハロン、圧倒的に彼女より速い筈の自分の末脚が、スローに思える程に。
レースは真っ当に続く。既に坂を登り切った先頭集団が前で、残り二百メートルも無い場所で競い合っている。坂を登り切った後の根性勝負に入っている。
自分は末脚を出している。少しずつ先頭に近付けている。だけど、
同じく先頭集団に届かない速度のドロップスティアーに、少しずつ近付いている。坂を上手く登り切れず沈んだ数人のウマ娘を躱して、自分を執拗に追い詰めた彼女の背に少しずつ近付いて――
《ハートリーレター! 一着、ハートリーレター! 二着にはクラヴァット、惜しくも届かず!》
ドロップスティアー、四着。自分は、六着。
一番人気として推された自分は、掲示板にすら入れずに負けてしまった。
そして。自分よりも明確に疲弊している事がわかる程に、とんでもなく大量の汗を流して芝を濡らしている、ドロップスティアーは。
「はぁっ……あは、あははぁっ……」
――
◆ ◆ ◆
「……四着か。まぁ、上出来だったな」
「あはぁ……づっがれだぁ……
本気で疲れ果てて、ぼけーっと控室の椅子で座るドロップスティアー。完全に脱力しきった彼女の脚を、名入はアイシングしては触診していく。異常は無い。
だが、このウマ娘のやった事は異常極まりなかった。名入は、
だが、ドロップスティアーはその技術を
「……久々ってどういう事だ?」
「自分は山道のタイマンで負けた事は無いって言いましたよね? で、近道禁止されて走ってる時に気付いたんですよ。
ドロップスティアーは、山道勝負では無敗だった。地方トレセン学園の生徒に挑まれ、近道を使って圧勝して、『ノーカン』『おかしい』『反則』『アホ』『バカ』と言われて、色んな条件を付けて何度も勝負する事になった。
近道無しの純粋な走力勝負。前方三バ身を譲る、そんな余裕を見せつけるドロップスティアーに対してトレセン生徒達は挑み――
ずっとずっと、真後ろに張り付き続ける。ペースアップもペースダウンも完全に見切り、ずーっと同じ差を保って追い立てる。生死の境目に関わらない近道を使わないので、折角だから
最初は二バ身を。そこから二分の一バ身だけ縮め。そこからさらに縮めて、もっともっと縮め続け。走りに自慢を持っていたトレセン生相手に、背後霊の如くひたすら張り付き続ける。
「鼻歌歌いながら後ろから追い立てると、めっちゃ怒られましたねー。まぁ、それでも自分のがスタミナ残ってましたけど。うーん、今はもう懐かしい思い出です」
「……お前……本当に、トンデモねーな……」
そして、長い急坂という限定条件下においてのみ、ドロップスティアーは圧倒的にスタミナを発揮出来る。鼻歌混じりに、走り抜けられる。
トレセン学園の生徒ですら苦心する、トレーニング施設が生温く思えるレベルの山道を。そこで、
余裕を見せて追い続ける。どんなにスタミナに自慢があろうと、スピードに自信があろうと、パワーを養おうと。その全てを後ろから見てから、
ちなみに不幸中の幸いとして、そんなモノに挑んだ生徒達は勝負所での競り合いに強くなった。シンボリルドルフが地方学園のグラウンドで見た、学園トップクラスのウマ娘達。彼女達は、ドロップスティアーという災厄によって仕掛けに動揺し辛いメンタルを養えていた。
(一応、戦法の幅が出来たと考えとくか)
被害に遭った七番のウマ娘は本当に災難だったなぁと他人事の様に思いながら、名入は冷静にこのウマ娘の持つ能力――というか、異能を一つ理解する。
山道を走る事と、山道で勝負する事。これらは傍から見れば同じ事だったが、その過程で全く別の技術を習得させている。今回の徹底的なマーク技術は、名入にとっても想定外の能力だった。
このウマ娘はろくに恐怖心を抱かない。脚に関わる行為・怪我に関わる行為・命に関わる行為。それら全ての恐怖を無視し、反則でなければ何でも出来る。出来てしまう。
流石に今回ほど危険な
こういった悪知恵に関しては、名入もどっこいどっこいだった。
「四着だからライブのステージにも上がれんな。敗戦の気分はどうだ」
「いや、別に? って感じですけど……」
だろうな。クールダウンを終えた名入は、スポーツドリンクを追加でドロップスティアーに渡しながら自分のココアシガレットを取り出して口に咥える。
ドロップスティアーはウイニングライブを完全に覚えた。一着・二着・三着。このレースに至るよりずっと前に、しっかりとレッスンをこなして全部覚えてここに来た。
だが、ライブをやりたいという気持ちがある訳では無い。本人曰く『出来たら楽しいですよね』と言ってる辺り、別に嫌いでも無ければ避けたい訳でも無かった。しかし、
出来ないなら出来なかった、はい終わり。他のウマ娘達が聞けば――キングヘイロー辺りが特に――、本気で理解不能とされるだろう程の切り替えと諦めの良さを持っていた。
「お前の
「平地でコレやったの初めてだったんで、流石に明日にして欲しいんですけど……このスピードで張り付くのって、こんな疲れるんですねぇー……はぁー……」
「……ま、仕方無ぇか。こっちで映像とデータはまとめとく、お前は寮に直帰で良いぞ」
やったぁーはぁー。めっちゃくちゃ力無き声で、ドロップスティアーはだらけきった姿勢で感情がろくに篭ってない喜びの声を上げる。それだけ、今回の徹底マークは疲弊する物だった。
そもそも高速で走るレースでは、前のウマ娘の真後ろに付き続けるだけでも神経を使うのだ。マーク技術を得意とする差しウマだって、相手がスタミナ切れを起こしてペースダウンした時に躱せる様に一定の距離を取る。
しかし、ドロップスティアーの場合その必要が無い。ピッチ走法と優れた観察眼によって、集中さえすれば相手の加減速に完璧に速度を合わせられる。そして仮に転倒などのイレギュラーがあったとして、
名入が仕込んだ、鋭角コーナリング。あれは
(……ふーむ)
名入の予想外の所から、使える手が増えた。大外追込と徹底マークは、今の所両立出来ない。この二つの技は、どちらかに絞って集中しなければ使えるモノではない。
だが。名入はその時、このアイデアは
~地元・山道勝負にて~
ティア「がんばれっ、がんばれっ」(真後ろからささやき)
トレセン生「うるっさぁぁいっ!」(ガチギレして掛かり)
ウマ娘を運転する際は道徳倫理を順守し、安全な運転を心がけましょう。
そして、人の嫌がることは進んでしましょう。