ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『風来』

「フゥーッ! 聞いたかよドロップスティアー! 大型台風、明日辺り直撃コースらしいぜ! イヤでもテンション上がっちゃうよなぁーオイ!?」

「ふーっ! さっすがゴールドシップ姐さん! 理解(わか)ります、理解(わか)りますよ自分も! いやー、ヤバいですよねーマジでー! あはー!」

「ヤバいのはキミらの会話だよ! もうとっくに警報出てるんだよ!? ボク何回『早く寮に入ろう』って言ったと思ってるの!」

 

 その日、トレセン学園は荒れていた。文字通り、強風が荒らしていた。

 大型台風の接近。それに伴う強風・暴風警報。数日前よりそれらが理事長とシンボリルドルフより知らされており、台風の通過まではトレーニング施設も一時使用禁止となった。

 寮から校舎までの移動すら危ないと判断された場合、寮内でリモート授業をする事すら視野に入っている。

 絶対に逆らう事が出来ない自然の脅威が間近に迫る中、ゴールドシップとドロップスティアーは嵐の中で輝く様に小躍りをかましていた。そしてトウカイテイオーはそれにツッコミを懸命に入れ続けていた。

 

「テイオー……わかっちゃいねえよお前。台風サンはよ、次いつ来るかもわかんねえのに、このトレセン学園にやってきてくれるんだぜ……? アタシらに出来るのは、せめてもの敬意を持って歓迎してやる事じゃないのかよ……?」

「台風直撃なんて久々ですー! いやー、自分も山の帰り道で葉っぱカッター喰らいまくった事を思い出しますよ! 終わってみればいい思い出ですよねー!」

「なんにも終わってないよ今始まってるトコだよ! たった今、現在進行系で、そこかしらから葉っぱ飛んできてるじゃん! 危ないじゃん! 戻ろうよ、ゴルシはともかくティアだけでも!」

 

 寮前で台風から避難するどころか、大歓迎ムードで熱狂する問題児ーズ。ゴールドシップがこういった突発的な事にテンションを上げ、奇行に走るのはまぁ仕方無い。嵐が無ければ、自分自身が嵐となる様なウマ娘だし。

 しかしドロップスティアーはジュニア級の、デビュー直後のウマ娘である。常識からズレた所ばかりで少々手に負えないウマ娘ではあるが、絶対に体を大事にするべき時期なのだ。

 しかし、今は完全にゴールドシップの謎テンションとフルシンクロしてしまっている。いつもはトウカイテイオーの言葉は無条件で聞き入れてくれるのに、今回はゴールドシップ側に寄ってしまっている。即ち、暴走状態だ。

 

「ったく、テイオーは心配し過ぎなんだよー。たかだか風とか葉っぱ如きでこのアタシらがやられるワケが――ぐわあああーッ!!」

「姐さぁーーーんッ!」

「言わんこっちゃなーいっ!」

 

 吹き荒れる横風が木々より葉を飛ばし、調子に乗り切ったゴールドシップの左目に直撃させた。

 ゴールドシップで無ければ致命傷だったが、ゴールドシップなので問題は無い。何故かこのウマ娘は左目にダメージを受けやすいし、それもなんか異常に回復する。数々のメジロマックイーンがそれを証明してきた。

 が、普通に危険なのだ。トウカイテイオーは風上に向けて背を向ける形で対策しているが、それでも巻かれる様に動く風の動きを読み切る事は出来ない。今の所はただ強風で葉っぱが飛び交うだけだが、すぐにでもここに豪雨が追加されるだろう。

 

「姐さんっ、大丈夫ですか姐さんっ!」

「――へっ、すまないティアー……しくじっちまったぜ……どうやら、ゴルシちゃん動力炉(リアクター)をやられちまったみたいだ……」

「いや当たったの目じゃん。っていうかなんで傷一つ付いてないの? なんで胸抑えてるの?」

「くっ……よくも姐さんをっ! 待ってて下さい、自分が必ず仇を討ちます!」

「仇ってどれ!? 葉っぱ!? 木!? 風!? 全部討ちようが無いよ!?」

「どいて下さいテイオー先輩! ウマ娘には、不可能だとわかっていても戦わなきゃいけない時があるんですっ!」

「あ゛ぁぁ! 最近はやっとレース始めて大人しくなったと思ったらコレだよー! カイチョー! カイチョー助けてぇー!」

 

 収拾不能。徐々に強まる風の様に、ゴールドシップ達のテンションも負けじと強まっていく。トウカイテイオーはこの打開不能の事態に対し、何とか出来るだろう絶対の”皇帝”の存在を求めるしか出来なかった。

 しかし皇帝はこの場に不在。台風が完全にやってくる前に、出来る喫緊・緊急の仕事をこなすべく生徒会役員一丸でフル稼働。余りに余裕の無い様子に『しょうがないな』とナリタブライアンも自発的に仕事に参加する程に、シンボリルドルフは頑張っている最中だった。

 この二人だけの恐慌地帯を治める事が出来るのは、突発事態をカバーすべく寮内で様々な雑務に励んでいるフジキセキ・ヒシアマゾンの二大寮長ではなく、皇帝の後継者――”帝王”・トウカイテイオーただ一人しかいない。

 彼女こそ最後の希望。そして最後の希望は、普通にメンタルが折れかかっていた。もうやってられなかった。ワケわかんなかった。

 

「でも勿体無いですって、テイオー先輩。こんな良い日に寮の部屋の中に篭るなんて、正気じゃないですって」

「あれぇ、おっかしいなぁ。ボクの耳壊れちゃったのかな、こんなスカートまでぶっ飛びそうな風吹いてるのが良い日とか、そんな風に聞こえたんだけど」

「全く問題ありませんよ、テイオー先輩! ちょっと前に無様を晒したんで、こういうスカート危ない日にはちゃんとスパッツ履く事にしましたから! ほら!」

「そうじゃなぁーいっ! ボクが言いたいのはそんな事じゃないって言ってるのーっ! 大荒れじゃん! 空も見えないじゃん! 良いって概念カケラも存在しないよこの天候!」

 

 ほらほらとスカートの端だけ摘んで太腿の上、スパッツの裾先だけを見せるドロップスティアー。しかしトウカイテイオーはそんな女子的ディフェンスの話をしている訳では断じて無い。

 ごろごろと鳴り始める暗闇の空は既に雷雨の気配を漂わせている。吹き荒れる風がしきりに風上から襲いかかり、スカートどころか制服全体が波打たされている。

 さっさとこの場から離れて部屋に帰りたい、そんな状況のどこが良い日なのか。誰か説明して欲しい。この後輩の主義主張には、今現在何一つとして響くものを感じられないし。

 

「行くぜ、ティアー……! アタシらが、台風サン歓迎会を真っ先に準備すんだよ……! スリップストリームでついてこい……!」

「無茶です姐さん、そんな体じゃ! せめて、回復を待ってから……!」

「ハッ、知らねえのかよ。シチューにトンカツあり、だぜ? ゴルシちゃんは、こっからが強いんだ――ぐわあああーッ!」

「姐さぁーーーんッ!」

「トンカツどころか天丼だよ! よくそんなピンポイントで同じ事起こるね!?」

 

 リーフブレードが再びゴールドシップの左目という急所に直撃し、ゴールドシップは跪く。ちなみにやはり左目にダメージは無かった。

 風は強まるばかり、雨もすぐに降りそう、飛び交う砂利や葉は普通にそれだけで脅威。人間はウマ娘に勝てない、しかしウマ娘も自然現象には勝てない。幸運にも不運(ハードラック)がゴールドシップに被害が集中している間に、さっさと避難しなければならない。

 ――仕方無い。

 

「くそぉっ、姐さんをここまで傷付けるとは……! 許せません、こうなったら自分が――」

「――ティア」

 

 瞬間。風と風に合間が挟まり、僅かに勢いが弱まる。

 警報すら出ている風の中、囁く様な声掛けはその隙を縫ってドロップスティアーの耳に届いた。

 

「ボク、言ってるよね? 『早く寮に入ろう』、って」

 

 荒れる風が、その小さな背に全て打ち付けられる。しかし、その背は身動ぎもしない。

 嵐を背負って、彼女の一纏めの長い鹿毛は靡く。ドロップスティアーが尊敬する先輩、トウカイテイオー。

 しかし。彼女という存在を語るに辺り一つ、欠かせないエピソードがある。

 

「ボク、結構キミの事心配してるんだよ? 理由、わかるよね?」

 

 レースに絶対は無い。誰もがそう言い続ける。しかし、そこに手をかけたウマ娘は二人居た。

 『そのウマ娘には絶対がある』、皇帝シンボリルドルフ。数々のGⅠレースという大舞台を教科書の様に勝ち続け、走る伝説と化した七冠ウマ娘。

 しかし、もう一人。『絶対に勝てない』とすら言われたレースに――”絶対”に挑んだウマ娘がいた。

 

「ボクの言ってる事、間違ってる? キミとボク、どっちが正しい?」

「……て、ていおー、せんぱい……?」

「決まってるよね」

 

 三度の骨折。一度惨敗した有記念に、一年を空けて出走。

 誰もが不可能、”絶対”に勝てないと思ったレース。そこに彼女は出て、走って――勝った。

 それ故に、彼女は言われた。『帝王は皇帝(ぜったい)を超えたか』、と。

 それ故に。彼女は言った。

 

「――()()()()()()()

 

 雷雲すら黙り、風すら寄せ付けない、烈火の闘気。

 瞬間。ドロップスティアーは、死の恐怖を感じた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 三分後。大暴れしていたゴールドシップとドロップスティアーは、本当の本気を出した”帝王”にしばかれ、気絶した所を思いっきり寮に力ずくでぶち込まれた。

 寮の入口で立った大音に、何事かとやってきた寮長フジキセキは、表情を失くし自ら手をかけた二人を見下すトウカイテイオーの姿に恐怖した。そしてテイオーは、フジキセキの姿を見るや『ごめんねー、あとよろしく!』と、いつもの明るい笑顔で自分の部屋へと戻っていった。

 後にフジキセキはこう語る。『間違いなくあの時、帝王は皇帝を超えていたと思うよ』と。

 

「う、ごぉっ……テイオー先輩怖い……マジでルドルフさんと同レベルだった……ひぐぅ……」

 

 未だに学園に引っ越してきた時と同じ、自分一人が専有している部屋のベッドの上で、精神的にボロボロにされたドロップスティアーはクッションを抱いてガタガタ震えていた。

 山道の最終直線、十六バ身という異次元の差を縮めてきた、皇帝モードのシンボリルドルフ。アレに匹敵する程の圧倒的なプレッシャーを受けたドロップスティアーは、身を竦ませ一歩引いた。その瞬間、胸に掌底が突き刺さった。

 刹那の当身。不思議と全く痛みは無かった。だが、()()()()()()()()()()。どういう理屈か、トウカイテイオーの放った掌は心を文字通り掴んだ様な一撃であり、後遺症は欠片も残していない。

 ただし、()()()が済んだ。魂レベルで理解(わか)らされた。いつも敬愛して慕っている先輩は、本物の上位者だった。凄いウマ娘だとはずっと思っていたが、初めて見せられた本当の”帝王”は、想像の更に上に座している。

 

「……さて、と。部屋の中には戻ったし、()()()()()

 

 トウカイテイオーは確かに『早く寮の中に入れ』と言った。ドロップスティアーはそれに従った――というか強制的に叩き込まれた。

 だが、『()()()』とまでは聞いていない。いかに裏にそういった真意があろうと、言葉にしなければ届かない事はある。そして自分は、そういう抜け穴を突く事に対して何の抵抗も無い。

 とはいえ、唯一ゴネていた生徒である二人(じぶんたち)は既に寮内に戻らされた。生徒会役員達も仕事を終えて戻っており、寮の玄関はしっかりと鍵をかけてある。内から開ける事は出来ても、寮から出るまでに寮長などの目を掻い潜る事は事実上不可能だ。

 しかし、いちいち探偵漫画の様なトリックを考えて抜ける必要は無い。扉がダメなら、()()()から出ればいいだけの話なのだから。

 

「えーと……お、あったあった。いやー、こんなの初めて見ましたよね」

 

 ドロップスティアーはショッピングモールで、主に普段使いする私服・スポーツウェアを買ってきた。流石都会だ、いっぱい店があってどんな服でもある。そう感心しながら、かわいい服から動きやすい服まで色々買ってきた。

 しかし金銭的に余裕があった為、『せっかくだから』と修学旅行のお土産気分で少し変わったモノを買ってみたりもした。その内の一つが、()()()()()()()の用品である。

 輓曳(ばんえい)レースは、重りとなる装具を付けつつ、ソリに人間を乗せた状態で走る特殊レースだ。直線の超短距離のみだが、重りを引き摺りながら二つの急坂を乗り越える必要があり、必要なパワーは普通のレースの比較にならない。

 当然、ドロップスティアーは輓曳レースには出る気が無い。脚のパワーが足りても、中等部の未熟な身では上体が保たず壊れる。だが、二つだけ気になって買った物があった。

 

「コレと、コレを」

 

 一つ目は輓曳バ用の巨大蹄鉄。普通のウマ娘より大柄になりやすく、かつ普通のシューズでは踏ん張りが利かない輓曳レースで使われる、二回りは大きい異常な蹄鉄である。

 二つ目はソリに乗った人間が使う手綱(ロープ)。休息などのタイミングを知らせるべく、ソリに乗った後ろの人間が合図代わりに使う頑丈なロープである。

 この二つだけでは何にもならない。だが、二つを組み合わせれば。

 

「じゃじゃーん! スーパーフックのかんせーいっ!」

 

 ロープの先に、巨大で強固な蹄鉄。組み合わさって出来た物は、()()()()()為のクライミング道具――即席の鉤縄だった。

 実の所、コレは()()()()()()()()()()である。シンボリルドルフに対し使った近道の一つには、壁走りではなく()()も含まれていた。

 道すら無い森へと突っ込み、その先にある開けた崖の空間。完全に何も無い山肌と、その上部にある道脇のガードレール。そこで、()()()()()()()()()()()()を登る。

 コーナーだらけで遠回りしなければならない山道の道路はそれだけでロスになる。だからこそドロップスティアーは横道を使う訳だが、()()()()()()()()()()()()()()()。なので、とんでもない大回りのコーナーを無視するべく勝負前から事前にロープを張った地点が存在した。

 

「強度、長さ、ヨシ。うーん、蔦や石ころで作ったアレがお遊びみたいに思えますね……実際即席のお遊びで作ったヤツでしたけど」

 

 脚を使わない、云わば空中のショートカット。腕の力をメインに、何も無い崖をロープ伝いに登る。これも当然シンボリルドルフに知られれば怒られる危険行為であり、レースの世界では有り得ない発想の一つである。

 子供の頃から蔦と石を使ったロープ遊びは好きだった。そしてちょっと高めの木々に上手く引っ掛け、そこへ登る楽しみを知った。途中で何回か落ちたが、その当時はそこまで高い木々にチャレンジはしてなかったので、怪我は最小限で済んでいる。

 が、少しずつその規模は()()していった。もっと上へ、もっと高みへ、もっと速く。それを目指した結果、ドロップスティアーはロープクライミング技術もある程度習得した。

 そして、この状況で鉤縄モドキを使う理由など、最早一つしか無い。

 

「よーし。ドロップスティアー、出まーす」

 

 窓を少し開く。強風が吹き込む。いい風だ、冬の吹き下ろし風を思い出す。

 ジャージに着替え、その上からショッピングモールで買った雨合羽を着て、準備完了。窓の幅を一人分開き、フックと化した巨大蹄鉄を縁に引っ掛ける。全くグラつかない、見事なまでのフィット感だった。

 ドロップスティアーの部屋は寮の三階の隅にある。大体十メートルぐらいの高さだろうか、()()()()だ。山暮らしで高低感覚がバグっているドロップスティアーは、その程度の高さで一切怯まない。

 なので当然の様に、寮の外壁をロープで伝って降りていった。その後容疑者は、『凄くしっかりとした壁で、降りやすかったです』と供述したという。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「~♪ ~♪」

 

 ドロップスティアーは、グラウンドを鼻歌を歌いながらのんびり走っていた。トレーニング施設は全て閉鎖されている、しかし屋外にポンと広がっているグラウンドを閉鎖する事は不可能だ。

 しっかりと雨合羽を被り、雨風の中を走る。ぐちゃぐちゃになった芝やダートの上を走り、風に向かってみたり、逆に風を背に受けて加速してみたり。

 残念な事に、ドロップスティアーのピッチ走法にはパワーがある。有り余っている。よって、路面コンディションの影響を受け辛く、風の影響で吹き飛ばされる事も無い。これもまた、天候が荒れた時に走りにくくなる山道で体得された能力の一つである。

 なのでドロップスティアーは、なんら問題無く雨・風・雷の中を遊ぶ様に走れていた。ともかくこのウマ娘モドキは、レースで速く走る以外の何かについては中央でも突出した能力を持っているのである。

 

「――へぇー? こんな所に先客なんて、ホントに珍しいねぇ」

「んっ?」

 

 ズザーズザー。ついに走るどころか、ぬかるんだダートの最内をスライディングして遊んだりしている中で、別のウマ娘がやってくる。

 ドロップスティアーと同じく、丈長の雨合羽をフードまで被っている。ただ、フードの膨らみや尻尾穴から出た濃い目の鹿毛から、ウマ娘である事は確かだ。だが、妙だ。

 

「ええと……どなたです? 学園の門は閉まってますし、寮も外出禁止なのに、なんでここに?」

「ははっ。それはお互い様じゃない、名も知らぬウマ娘さん?」

「ドロップスティアーです。ティアって呼んで下さい」

「……名乗っちゃっていいの? これ、後で申告されたら怒られない? ルドルフ辺りに」

「――あ゛ッ」

 

 とんでもないミスだ。ドロップスティアーは指摘を受けて最悪の可能性に気付く。

 風雨の中で、遠目には自分の姿がバレない様に雨合羽とフードを被っている。『グラウンドに誰かいた』と何かの間違いで報告されても、この風体では特定は出来ない。だが、目の前のウマ娘にはわざわざご丁寧に自己紹介してしまった。

 どういう経緯でこのウマ娘がこの悪天候・悪状況・完全封鎖された学園内にいるのかはわからない。自分は全力でジャンプして門を乗り越えた――最高到達点四メートル弱は伊達ではない――が、トレセン学園に入れるのは基本ここの生徒のみなのは確かだ。

 ヤバい、チクられる。またルドルフさんに殺され――はされないが、絞られる。塵寸前になるまで、ボロボロにされてしまう。それは困る、メチャクチャに困る。

 

「……そっ、そちらも名乗りませんか!? 同じ状況で、見つかったら困るのは同じでしょ!?」

「あはは、君面白いねー。名乗ったら困るのがわかってて名乗るなんて、そんな事しないでしょ」

「いいや! 名乗らなくても、既にある程度貴女は困った状況になってます!」

「……ん?」

 

 深めのフードを被っている以上、顔はちゃんとは見えていない。

 しかし、緑の雨合羽を着て、背丈は自分と近い。尻尾の色は基本的に髪色と同色な以上、このウマ娘の地毛は同様に鹿毛から黒鹿毛の辺りである事は推測される。

 何より、このウマ娘は()()を既にしている。

 

「貴女はさっき、”ルドルフ辺りに怒られないか”って言いましたよね!」

「ん、そうだけど……それがどうしたの?」

「この学園内で、ルドルフさんを()()()()()()()()ウマ娘はごく少数ですっ!」

「……あっ。あー、確かに? そういえば、そうだね」

 

 シンボリルドルフ、生徒会長、絶対の皇帝。彼女には、()()()()()()が少ない。

 慕われてはいるが、純粋に普通のウマ娘から見て上に居る存在なのだ。それに対し、呼び捨てに出来るウマ娘は極めて稀有だ。考えられるのは、シンボリルドルフの同期や近しい関係者のみ。

 上下関係を一切気にせず話せる強者という可能性もあるが、それもやはりごく一部に限られる。何せ相手は、”絶対”の七冠ウマ娘なのだから。呼び捨てに出来るのは、()()()()()()()だけだ。

 

「ふふん、自分の頭脳を甘く見ましたね! 例え貴女がどんなに凄いウマ娘だろうと、本気になったルドルフさん相手に説教されたらたまったもんじゃないです! しなしなになるまで説教された自分にはわかります、あの人に逆らえる生徒は居ませんっ!」

「うーん。確かにアタシもルドルフに怒られるのは怖いなー。しょーがない、お互いに今日は見なかった事にしよっか」

「なら、名乗ってもいいでしょう! お願いします名乗って下さい! 自分一人でルドルフさんの圧に潰される可能性が残る限り、地獄の道連れが欲しいんです!」

「あははっ、ホント面白いね君。気に入ったよ」

 

 人であれば簡単に吹き飛ばされそうな雨風の中、けらけらと笑うウマ娘。命乞いの様に吠えるウマ娘。封鎖されて誰も入れない筈の場所で、おかしなウマ娘達は対照的な態度を取り合っていた。

 ドロップスティアーにはわかる。()()()。このウマ娘は、間違いなく中央の有名人だ。”帝王”の圧力を受けたばかりで、さらに鋭敏となっている強者センサーがビンビンに働いている。

 掴み所の無い言動と態度をしていようが、嫌でもわかる。目の前のウマ娘は()()だ。

 

「そうだねー。じゃ、謎のウマ娘C、って事で」

「……Aとかじゃなくて、ですか?」

「Bでもいいけど」

「え、なんでです?」

「そっちのが好きだから、じゃダメかな?」

「そっかー。じゃあ宜しくです、共犯者Cさん」

 

 まるで紹介になっていない自己紹介とやり取り。しかしそれで十分だ。

 目の前の謎のウマ娘・自称Cさん。”好きだから”というからには、そのアルファベットに何らかの思い入れがある筈だ。ここまで得た情報を全てシンボリルドルフに伝えれば、このウマ娘の正体など一発で割れるだろう。

 まぁ、今回はお互いに見つかったらアウトな身だ。このウマ娘と自分は今日出会わなかった、今の所はそういう秘密を共有する”共犯者”でしか無い。

 だが、なんだか不思議とウマが合う様な気がしていた。何せ、こんな異常な場所に、お互い一人でやってきているのだから。

 

「雨風とか、好きなんですか?」

「うーん。好きとかというよりは、そういう気分だったから来たって感じかな。凄い台風って、どのぐらい凄いかとかって自分の体で確かめたくならない?」

「わかります、わかります! わー、中央にも同じ様な事思う方って居るんですね! 姐さんぐらいだと思ってました、この感覚!」

「うんうん、君の気持ちもわかるよ。なんで自分の事なのに自由にしちゃいけないんだ、ってね」

「ええ、ええ!」

 

 あ、このウマ娘すごくいい人だ。少なくとも自分にとっては物凄くいい人だ。ドロップスティアーは、この短いやり取りの中でCさんに対する好感度をぐぐぐーんと上げていた。

 心配してくれる気持ちはわかるし、温かい物だ。それはわかるが、それでも禁忌と自由というのは心を惹き付けてやまない。だから自分は”ヤマ娘”なんて呼ばれる程になってしまったのだし。

 だが、目の前のウマ娘Cは自分と近い感覚を持っている。周囲に囚われず、自分の尺度によってこの場に居る。こんな滅茶苦茶な台風の前にして、『来たいから来た』と言える意志がある。

 

「よーし、どうせだし走ろっか。風の中で走るの、面白い?」

「最高ですよ! 足はぐっちゃぐっちゃに取られますし、芝のコーナーはずるずる滑りますし、風でぶわって体勢崩れそうになりますし! オススメです!」

「おー、それは楽しみだね。よっし、併走と行こっか?」

 

 他のウマ娘達が聞けば頭がおかしくなりそうなやり取り。自由を貫き通す二人の言葉の中に、常識という物は一欠片も存在していなかった。

 芝は水を吸い切れず、重バ場どころか水で滑る。ダートは沼の様になっており、一歩踏む毎に自分の足から全身に泥が飛ぶ――これはドロップスティアーのパワーがありすぎるだけだが――。

 風向きも全く予想が付かない。向かい風、追い風、横風。唐突に変わるそれらは、ウマ娘が走るスピードの影響を考えれば既に嵐とすら言える最悪の状況である。

 だからこそ、楽しいのだ。

 

「併走? はっはっは、甘いですね。”風の向くまま”ってのはどうです?」

「……というと?」

「風が向いた方向に走るんですよ。向かい風になったらターンして、横になったら柵まで行くんです」

「それじゃ、柵越えちゃうんじゃない?」

「内枠なら飛び越えていけるでしょ? 大外になったら……グラウンドを出過ぎるのも良くないですし、一時休憩とか」

「あっはっは! 良いね良いね! 息も入れられるし、それ採用!」

 

 完全なる自由。今この二人とグラウンドに、全てのルールは無かった。

 ただ、自由に走る。速いも遅いも、芝もダートも、内も外も、何もかも。この最悪の嵐を凌ごうともせず、むしろ自分達の物として走る。何もかもが破綻した世界。

 しかし、二人は笑っていた。深めに被ったフードのせいで、お互いに完全に顔が見えてはいない。だけれど、その口元の笑みは確かに本物だった。心の底から湧き上がる笑いだった。

 

「よーし、風レース――いや、嵐レース場かな? どっちがヘバるか、勝負と行こうよ、ティア」

「ふふーん。こういう悪天候の中、速さ勝負じゃなきゃ自分は早々負けませんよー? Cさんが凄いのはなんとなくわかりますけど、こういうレースは普通しないでしょ?」

「うん、した事ないね。だけど」

 

 嵐の中で、ゲートも無く、合図も無く。ただなんとなく、二人は呼吸を合わせてスタートの姿勢を取る。

 スタートの合図は無い。だが、二人共考える事は同じ。背中に風が来たら――追い風が吹いたら、それが自分達のスタートなのだ。そんな思考を、二人は言うまでも無く同調させていた。

 

「アタシ、結構強いんだよ?」

 

 追い風が二人の背を押す。

 そして、それを超えるもう一つの風がターフを駆け抜けた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「ぜぇーっ、はぁーっ、ぜぇーっ……こ、この状況下で、ここまで走れるなんて……」

「いやー、面白いねーこのルール。柵越えて走るなんてやった事無かったから、そこで詰められちゃったのは痛かったなー」

「詰めるも何も、ゴールなんて最初から無いじゃないですか……」

「でも、勝ち負けはあったでしょ? アタシ達の中にはさ」

「……はい。負けました」

 

 グラウンド中を滅茶苦茶に走り回って。柵を超え、ゴールを逆走し、大外で座っては再スタートの追い風を受け、油断したら風に振り回されて。

 体中を泥だらけにした状態で、二人はようやく時間無制限・意味不明・理解不能の嵐レースを終え、グラウンド外の階段に腰を下ろしていた。

 この勝負(レース)にゴールは無いが、勝敗はある。先にへばったのは、山道で散々走って悪路に強かった筈のドロップスティアーで。勝ったのは、ただただ純粋に速く強かったウマ娘Cの方だった。

 

「んー、楽しかったぁー。こんな所まで来た甲斐あったよ、外に出てもつまんなかったら意味無いし」

「自分は最初っからここで遊ぶ気マンマンでしたけどねー。Cさんはそうじゃないんです?」

「んー? まぁ、適当に雨の中で散歩するのも良いでしょ。前は制服のまま散歩してたんだけど、ルドルフに『せめて体は濡らさないようにしたまえ』って言われてから、仕方なくこんなカッコしててねぇ」

「あー。まぁ、Cさんそれだけ強いんなら、体大事にした方が良いですよねー」

「ははっ、じゃあ君はどうなのさ?」

「大事にしてるじゃないですか。自分の心を」

「あはははっ!」

 

 心の底から、ウマ娘Cは腹を抱えて大声で笑い上げる。まさか、()()()()()()()()()とは思わなかった。それが心の中に満ちる、一番の感情だった。

 横紙破りの特異・特殊なウマ娘、ドロップスティアー。中央において類を見ない、前例が存在しない性質のウマ娘。別の形で会いたかったが、この形で出会えて良かった。彼女は素直にそう思っていた。

 

「君、まだまだ走りが出来上がってないよね。レースは始めたばかり?」

「デビューしたてです。メイクデビューは勝ちましたが、つい最近ボロ負けしました。楽しかったです」

「あっはっは、良いね。楽しい事はいい事だよ」

 

 ボロ負けと言えど、ドロップスティアーは掲示板入りもしているし、中京ジュニアステークスで一番人気だけを徹底的に落とすという目的は達成している。

 負けてはいるが、自分のレースをしている。だから楽しい。相手に自分の走りをさせず、自分が自分の走りを押し通す。競走では無く、()()こそが自分の走りなのだから。

 

「……うん。それ、忘れちゃダメだよ?」

「え?」

「『楽しい』ってコト。それが無くなったら、走ってても意味が無い」

 

 階段からウマ娘Cが立ち上がる。満足した、だから帰る。言うまでもなく、そのウマ娘の気持ちがわかった。

 身勝手とすら言える程の自由。一緒に風の中へやってきて、共に嵐の中を駆け抜けて。

 『話すより走る方が伝わる事がある』。ウマ娘の真髄に近いコミュニケーションは既に済んでいるのだから。

 

「今度は、別の所で会えるといいね。”謎のウマ娘C”じゃなくて、さ」

「えー。ここまで来たら、本名教えてくれてもいいじゃないですかー」

「君、アタシの事知らないんでしょ?」

「初対面ですよね? 知るワケないじゃないですか」

()()()()()

 

 身を翻し、階段を登っていく。そして一度だけ顔を振り向け。

 

「アタシの事をなんにも知らないまま、一緒に走ってくれる。それが楽しかったから、だから言わないんだ」

「……そんな有名人さんなんです?」

「あはは。らしいよ?」

「そうですかー。大変ですね」

 

 間違い無く強いウマ娘だった。明確にドロップスティアーが有利――というか、得意分野の無制限・無秩序戦を受けて文句一つ言わず、その上で負けを認めさせる程に強いウマ娘。

 その強さは、シンボリルドルフやトウカイテイオーなどの強さとは全く違っていた。だからこそ、彼女はきっと有名で偉大なウマ娘なのだろう。シンボリルドルフを呼び捨てに出来る程なのだし。

 ドロップスティアーはトゥインクル・シリーズに疎いので彼女の正体に見当が付かない。()()()()()()()()()

 

「また走ろうね。いつでもどこでも、どんな形でも。自由に走って、遊んで、楽しもう。それがアタシ達、ウマ娘なんだから」

 

 その言葉を最後に、ウマ娘Cはその場から早足で離れる。まだ走れる脚が残っている辺り、どうやらさっきまでも本気は出していなかったらしい。

 完敗だ。ぐうの音も出ない、清々しい負け。一応は平地のコースで、走る前からわかる程の格上だったとはいえ、自分から言い出した勝負で負けたのは初めてだ。

 だけど、全然悔しくない。ただただ楽しくて楽しくて、勝ち負けなんてどうでも良かった。本当に何もかもを忘れて解放された様な、自由な一時だった。

 

「……雲みたいなウマ娘だったなー」

 

 自分よりも自由に、嵐の中でも笑って楽しく走っていた。

 誰も自分を繋ぎ止められない。そう言わんばかりに常識破りの走りを見せつけた謎のウマ娘。

 また会えたらいいなぁ。そんな風に思って、散々遊んで疲れ切ったドロップスティアーも大人しく寮に帰ることにした。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「う゛ぉあぁぁ! 隠滅! 証拠隠滅せねばぁー!」

 

 壁をよじ登り、帰還を果たしたドロップスティアー。

 窓を開けっぱにした事で不良バ場と化した自分の部屋で、彼女は器用にも小声で悲鳴を上げた。

 




ウマ娘・ニュー・スーパーフックガール

ドロップスティアーに対し「勝負での負け」を認めさせられるウマ娘は、本当にごく少数です。「敗北」という物は結果でしかありませんが、「負け」は心の問題なので。
そしていつか必ず、この謎のウマ娘CさんBさんでボコボコに負かしてやろうと作者はずっと思っていました。謎のウマ娘……一体何者なんだ……。
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