「――負け……た……?」
ゴールを抜けたキングヘイローは、ゆっくりと歩を緩めながら掲示板を見る。
一着・九番。二着・八番。その傍には、”アタマ”と点灯している。
自分のゼッケンは当然、九番では無い。自分よりも先に、頭一つ分先にゴールしたウマ娘を、確かに自分は目撃した。
それを、消化し切れない。絶好調だった筈の自分が、全力を出せた筈の自分が、誰かの背を見た。ゴールして失速した時に、一人の背中を見てしまっていた。
あと五十メートル、いやもっと短くてもいい。それだけ、もうほんの少しだけあれば、きっと差し切れただろう。そんな、紙一重でしかない差。だけれど、既に掲示板は点灯し終わっている。
自分は――キングヘイローは、負けたのだ。
「……あ……」
急激に、脚と肩が重くなる。雨を吸った服も重い。全身が重くて、仕方無い。
全力を出し切った証拠だった。残り五十メートルなど、走れる訳も無い。そんな風に感じる程、全てが重く感じてしまう。自然と脚は止まった。
――終わったんだ。全部。
(……っ)
『レースの世界は甘くない、諦めて帰ってきなさい』。自分の母から散々に聞かされた幻聴がやってくる。
自分はその幻聴を振り切って、トゥインクル・シリーズへ乗り込んだ。十分なトレーニングを積み、末脚という自分の武器を磨き、そして二連勝という成果も出した。
ほら見ろ。私は出来るんだ。次も勝てる。そう思っていた矢先の、惜敗。
首が下がる。『キングは首を下げないもの』、その信念ごと折れたかの様に。それを考える余裕も無く、自然と項垂れてしまっていた。
(何がっ……何が、”惜敗”よっ……!)
中央のレース、それも重賞ともなると価値は大きい。数多のオープンウマ娘が集う中、二着は十分な好成績だ。
だが、自分は一着だけを求めていた。一番でなければ、”
悔しい。悔しくて仕方無い。自分が惨めに思える。自分より速くゴールした彼女が悪い訳では無い、ただ自分の力が彼女に及ばなかっただけ。自分が、弱かったのだ。
そう思い、一着で通過した勝者を見る。
「……んんっ?」
いや、それはおかしい。確かに自分と彼女――ドロップスティアーは、並んでゴールインしたのだ。
レース中に受けた完全背後のマークでも、最終コーナーでやられた視界への死角への切り込みもされていない。ゴールしたウマ娘の姿が消える事など、有り得ないのだ。
もう一度、辺りを見回し直す。すると自分の後方、最内の
「ッ!? ちょ、ちょっと! ドロップスティアーさん、どうしたの!」
自分の事など忘れて、ドロップスティアーの元へと駆け寄る。彼女は、不良バ場となった最内で自分の腕を枕にする様にして倒れていた。
その姿は、当時キングヘイローに大差負けした時に類似している。しかし、場所が悪い。こんな所でうつ伏せになっていては、レース直後で荒れた呼吸により泥を吸ってしまいかねない。
もしや、故障でもしたのか。自分を相手に限界まで力を振り絞っていた、それはわかる。何せ、こちらも全力だったのだから。
「しっかりしなさい!? こら、起きなさい、起きて!」
意識もせずに、彼女と初対面で走った時と殆ど同じ言葉が口から出る。
肩で息をして、脚が痙攣している。満身創痍、そうとしか言いようの無い有様。キングヘイローは慌てて、彼女の上体を起こした。
「――……あ、はっ……」
何故だか、その姿が自分に重なる。いつも自信たっぷりに――根底に眠る自信の無さを覆い隠す様に、大きく高笑いを上げている自分。
だけれど。彼女の笑いは、自然だった。
「キングさん」
「な、何よ」
「えい」
「きゃあーっ!?」
そして、彼女を起こした腕を取られ。思いっきり自分まで、最内のバ場に倒れ込んだ。
「ぺっ、ぺっ……! ちょ、何するのっ……!」
「あははっ。お揃いですね、キングさん。これでどっちも、泥まみれです……げほっ、ごほっ!」
ドロップスティアーは脚から頭まで、全身に泥を浴びていた。途中までキングヘイローの真後ろに付き、蹴り上げた土を浴び続けた。その上で、誰もが避ける、誰よりも汚れる最内のラインを突いて走った。
キングヘイローは然程汚れていなかった。後ろで控えて、泥を嫌い、最終直線も十分に外へと寄ってから末脚を出した。だから、汚れていなかった。
けれど、決着が付いて。この”いつも通り”の彼女に引きずり込まれ、自分は泥に沈んだ。
「んもう! 息するのもやっとなら、悪戯なんてしてないで素直に休んでなさい! というか、私を巻き込まないの! あなたは、いつもいつも、いっつも!」
自分は、負けた。敗北という泥を経歴に浴びせられた。
だが、今はそれを忘れていた。あまりにもいつも通りに、この友人の悪戯によって物理的に泥にまみれさせられ。その怒りに、全てが持っていかれた。
この後はライブがあるのに、一着も二着も泥まみれなんて許されないのに、雨で濡れてるんだから早くシャワーを浴びないといけないのに。全部全部全部、この目の前のおばかのせいでやるべき事が増えてしまった。
「……自分。勝てましたか?」
「……おばか。貴方が一番わかってるでしょ」
「ずっとずっと、この時を。キングさんに勝つ事だけ、考えて走ってたんで。わかんないです」
あはっ。そう言って、彼女は再び笑ってみせる。
そして、思い出した。彼女はゲートインした時から、ずっと自分だけを見つめていた。このレースの他の出走者も全く見ず、最初から最後まで。自分に勝つ事が、このレースの勝ちだと愚直に信じ切っていたのだ。
対する自分はどうだったろうか。確かに絶好調で、絶対に勝つ気でいた。だけれど、これ程泥にまみれる程、このレースに――彼女程、死に物狂いで集中出来ていただろうか。
「その感じなら、自分の勝ち、ですね……あはは、やったー……」
「……なんかもう、どうでも良くなってきちゃったわ……」
自分は、負けた。どれだけ泥を浴びても耐え続け、ただ勝利だけを考えて走り抜けた、”一流”とは程遠いこの友人に負けたのだ。
ほんの少し。ほんの少しだけでも、この友人と同じ様に。自分が泥を受け入れられる程の――汚れ切った今みたいになれていたなら、勝てたのだろうか。
終わった今では、もうわからない。だけれど、さっきまで聞こえていた幻聴の嫌味は、完全にバ場の泥と共に沈んでしまった。
「……ほら、さっさと立ちなさい。この後、あなたが宣言した通り、あなたがセンターでライブするんだから。急がないと、支度間に合わないわよ」
「立てないんでおぶってください」
「ムリに決まってるでしょう!? 言っておくけれど私もギリギリなのよ!?」
動けない、動きたくない。そう言わんばかりにドロップスティアーは、泥まみれの体でキングヘイローに抱き着いてきた。腕に付いた泥が首裏にまで回り、べたべたの体が押し付けられる。
泥の感触が不愉快だ。勝ったくせに、まるで勝者ぶらない彼女の態度が不愉快だ。満身創痍の身で、いつも通りに笑う姿が不愉快だ。
――だけれど。母親から送りつけられる嫌味の連絡に比べれば、余程マシだ。
「あー、んもう! 肩ぐらいは貸してあげるから、自力で立ちなさい、この……おばか!」
「うへぇい……いやホント、キングさんが強すぎたんですって……」
泥でぐちゃぐちゃになった服で、負けた自分が勝った相手を立ち上げ、二人して肩を組む。
自分より重い彼女を引き摺るように、コースを退場する。だけれど不思議と、先程まで纏わり付いていた様な身体の重さは失くなっていた。
◆ ◆ ◆
「……はー。ガチでヤバかったなぁ、オイ」
「”十回やって十回負ける”、確かにその通りでしたね……読み、全部通したのにコレですよ……」
ある程度キングヘイローの肩を借りて、控室まで戻ってきたドロップスティアーは、椅子に背を預けて四肢を垂れさせてピクリとも動かずにいた。仕方なく頭や脚など、最低限の汚れだけ名入がタオルで拭う始末だった。
実力・技術・作戦・展開・天候。その全ての条件が揃って、なおアタマ差の辛勝。もう二度とやりたくない、心底二人はそう思っていた。
だが、しかし。十回中十回勝てない――
「なんであの差をアタマ差まで詰められるんですか……ああもう、怖い怖い……」
「そう言う割には、動揺してなかったな」
普通、大きくリードを取った状態から一気に詰められれば、ウマ娘というのはそちらを見るなり耳を向けるなり、注意が向く。それによって動揺したり、掛かったり、或いは闘争心を燃やしたり。音に過敏なウマ娘は、そういった事態に陥りやすい。
だが、ドロップスティアーは最後まで前に、ゴールだけに集中して真っ直ぐ走り抜けた。キングヘイローの末脚に対し、動揺どころか反応一つ見せずに自分の走りに徹していた。
「まぁキングさんの足音は集中しないでも聞こえてましたし……アレより怖いモノ、自分知ってるんで……」
「怖いモノ?」
「”皇帝”とか、”帝王”ですかね……」
「…………そりゃ、怖ぇわ」
ドロップスティアーが他のウマ娘に動揺した最初の経験は、山道の最後にシンボリルドルフの怒気を込めた末脚を受けた時。その後にも初勝利後と生徒会室で、二度全力の圧をかけられた。
そして少し前、台風が来た時にはトウカイテイオーに全力で脅された。明るい人付き合いを是とするトウカイテイオーが、本気で圧をかけてこちらを黙らせた。
その経験もあって、現在のドロップスティアーは二人と同じレベルの圧力でなければ動揺しないようになっていた。身から出た錆であり、不幸中の幸いである。
「いい加減歩ける程度にゃ回復したろ、さっさとシャワー浴びてこい。俺はトレーナーであって、介護サービスやってんじゃねーんだよ」
「うひぃ……わかりましたよ、あー、体、重いぃ……」
ドロップスティアーがぐだぐだとしている間に、名入はキッチリと触診とクールダウンは済ませていた。口調こそどうしても悪くなるが、死闘の後で消耗し切っている事は素直に心配だった。
ライブをするまで、どこまで回復出来るか。最悪、少し言辞を弄して遅延を頼み出る必要があるかもしれない。『痙攣を起こした脚が不安だから、少しだけ様子を見させて下さい』辺りが無難か。ちなみに痙攣は既に収まっている。
とはいえ、重賞は後半に行われたレースだ。つまり、ライブも後回しにされる。流石にそこまでには回復しているだろう。
(……重賞勝利、か)
ドロップスティアーがよろよろとシャワー室へ向かい、控室に残った名入は考え込む。
重賞勝利、つまりオープンクラス。この時点で、ドロップスティアーは
中央で一度でも勝てるウマ娘は二割。そして本来二勝・三勝と経験を積んでオープンクラスまで勝ち上がる訳だが、そのレベルまで達するウマ娘は
このウマ娘は発展途上もいい所だ。前例の無い走りで、前例の無い戦略を立てて、針の穴を通す様な勝ちだけを狙っている。正直、重賞に勝ったと言っても、一度格上挑戦を成功させただけであり、他のオープンクラスのウマ娘に比べれば見劣りもいい所だ。
だが、今回の勝ち方はほぼ理想的だ。何せ、世代の注目株であるキングヘイローを、
『もしかしたら、コーナーの弱点を克服したのかもしれない』。そう誤解を招く勝ち方が出来たのだ。もしかしたら、これで少し対戦相手の計算を狂わせられるかもしれない。
「まぁ、ともかく
キングヘイローに勝つ事は理想だった。だが、
あくまでドロップスティアーの予定は
「……こっから、さらにキツい戦いになんだよなぁ……」
そう言いつつ、名入は自分のメモ帳に視線を落とす。
オープンクラス、中央の上位数パーセントのみが跋扈する地獄。これからどこまで仕上げていけるか、どこまで対抗していけるか。重賞で勝利を収めたにも関わらず、余裕は欠片も持てない。
――厄介なウマ娘を担当してしまった物だ。重賞を獲った直後に喜べず頭を悩ますなど、担当一人目の新人トレーナーが抱く感情では無い。だが、選んだのは自分だ。
あのウマ娘も
「――トレーナーさーん! コンディショナー! コンディショナーとか無いですかぁー!?」
「シャンプーあるならそれで良いだろ、だあほぉー!」
そう深く思案している中で、シャワー室からこちらまで届く程のバカの大声に、名入はキレた。
◆ ◆ ◆
「……あのねぇ、ドロップスティアーさん。女性がはしたなくシャワー室から大声を上げる物じゃあ無いわよ。どれだけ響いたと思ってるの」
「いやだって、キングさんだってコンディショナー足りなかったらモヤるでしょ。出来れば髪サラサラにしたいでしょ」
「そう思うんなら普段からしっかり自前のを持ち合わせておきなさい。このキングの様にね」
シャワー室から響いてきた大声に対し、反応したのは結局キングヘイローだった。
同様にタオルで汚れを拭いクールダウンをしていた最中、『あのおばか』と即時行動。もう面倒なので、レース後の反省会より問題児と一緒にシャワーを浴びる事を優先した。
当然一流を志すキングヘイローにとって、身の回りの物は常に持ち込む事としている。雨で髪が痛む事は最初から想定済み、だから共有される事で不足を起こす可能性のあるシャワー室の常備品になど頼らず、自前で持ち込んでいた。
コンディショナーを共有し、シャワーで汚れを念入りに落とし、着替えのジャージに袖を通し。二人は通路で再び顔を見合わせていた。
「……少し、謝罪するわ」
「へ?」
「”このキングを甘く見た事を後悔させてあげる”。……甘く見てたのは、私の方だったわ」
シャワー室前、更衣室に脱ぎ散らかされた体操服。籠に乱雑に叩き込まれたドロップスティアーの服は、泥で汚れるどころでは無く、乾いた芝と泥の塊がどこからも零れ落ちている程だった。
誰よりも泥に塗れ、勝利に執着していた。服の汚れた跡を見ただけで、この一戦・この一時にどれだけ彼女が勝利に拘っていたか、よくわかった。
地力では勝っていた以上、見事な作戦負けだったと言える。だがそのさらに根底、勝負に対する意識の差こそが今回の勝敗を分けていたのだ。
「……ごめんなさい。正直、無意識に下に見てたの。レース前、あなたの事を心配すらしていた」
「え、そんなん有り難いだけじゃないですか。なんだかんだで、キングさんは優しいですよねー」
油断はしていない、しかし無意識の侮りがあった。勝つのは自分だという絶対の自信を持つ反面で、その影ではかつて完全な大差勝ちをして、逐一面倒を見ていたこの友人の実態を、正しく認識出来ていなかった。キングヘイローはそれに恥じた。
が、ドロップスティアーはなんで謝られてるかわからなかった。心配してくれるのは、有り難い事だ。ついでに自分がキングヘイローより強かったなどとは微塵の量子程も思っていない。
はぁ。どうにも自分の信じる”勝者”からかけ離れた彼女に、キングヘイローは溜息を吐いた。
「……良いわ。今日は、今日だけは! このキングのセンターの座を譲ってあげる」
「いや譲るも何も、一着取ったから自分がセンターになるのは当たり前では」
「おだまり。言い方という物があるでしょう、おばか」
認めよう。今日の
自分が教え込んだダンスを、思う存分踊らせてやろう。彼女は、それに相応しい事を今日成し遂げたのだから。
「朝日杯。出るの?」
「ムリムリムリムリ絶対ムリです。百パーグラスさん来るじゃないですか。キングさんを倒す作戦でこっちは手一杯だったし、もう休みますよ。誰がなんと言おうと休みます、もうやです」
「…………あなたねぇ」
東スポ杯はステップレースだ。一・二着には、朝日杯フューチュリティステークスへの優先出走権が与えられる。つまりドロップスティアーとキングヘイローは、GⅠの大舞台に出る資格を得ていた。
しかしだからと言って、出る義務は無い。やる前から引け腰極まりないドロップスティアーはともかく、GⅢのこの場で躓いたキングヘイローもまた、出走を蹴るつもりでいた。
世代最高峰、GⅠに相応しい自分。それはやはり、同様に重賞を勝ち取った自分でなければならない。
それに実際、グラスワンダーは強敵だ。一週間前彼女は、自分達より先に重賞に出た。アイビーステークスを勝ち上がり、そのまま
「やれやれ。私も一度、出直すわ。出直して、今度こそ勝って。……本当の勝負は、クラシックからにするわよ」
「ん、年明けまでお休みです?」
「誰もそんな事言ってないわよ。私は必ず、年内に重賞を獲るわ。あなたに奪われた栄誉を、今度こそ自分の物とするの」
今回の負けは、重く痛かった。だけれど、足踏みはしていられない。
必ず取り戻す。キングとしての誇りも、栄誉も、勝利も。その為に、年内に必ず重賞を獲る。
黄菊賞からの負担もある以上、しっかりと調整は要る。だが、年内までには必ず間に合わせる。
「……次は、負けないわよ?」
「上等です。ボロ負けしますよ」
「いやそこは胸を張っておきなさいよ! あなた一応私に勝ったのよ!? 『受けて立つ』くらい言いなさいよ!」
「いやだって、正直キングさんとやるの疲れますし……出来ればもう避けたいと言いますか……」
「あぁぁもう! あなたって人はぁぁぁ!!」
見事
◆ ◆ ◆
《続いてのライブは、東京スポーツ杯ジュニアステークスの出走ウマ娘達! センターは、脅威の走りを見せつけたドロップスティアーです!》
ウイニングライブは全レースが終わった後、順々に行われる。つまり自然と夜の開催となる。
しかし、レースが終わりそのまま帰る者は少ない。観客達はそのままライブ会場へと向かい、夜の帳に包まれた舞台の前でサイリウムを持って、その瞬間を待ち続ける。
当然GⅠ程の人数は居ないものの、東スポ杯は重賞レースの一角だ。そのレースで健闘したウマ娘達を応援し、祝福しようとするレース・ウマ娘ファンは自然と多く集まる。
暗闇の中、キングヘイローの緊張は無かった。初めての二番手でのライブと考えると悔しさこそあるが、己の敗北についてはもう既に完全に呑み込んだ。というか、いつも通りのやり取りを強制させられたせいで、平静にならざるを得なかった。
――だが。
「……キングさん。なんか……人、多くないですか……?」
「……? それはそうでしょう、重賞レースなのだから」
ライブ前、ドロップスティアーの様子が落ち着いている。落ち着きすぎている。
緊張というか、口調から気が抜けている。まぁ彼女はレースの世界に疎かったのだ、重賞に集うファンの数がデビュー戦・プレオープン戦とは比にならない事も知らなかったのだろう。
「……踊るんですよね、この前で」
「ちょっと。緊張して振り付け間違えたりとかしたら、今度こそ本気で怒るわよ」
「いえ、それは絶対しないですけど……なんだか、不思議な気分です」
ライブのステージの中央へと向かう。ライトアップ前のステージの薄暗闇の中を、事前に教えられたガイドランプを目印に歩いていく。
どうにもいつもの気力が無い。なるべく小声で、キングヘイローはドロップスティアーに注意する。だが、観客に困惑すらしていても、上の空になっている訳では無い。ただ、微妙に何か雰囲気が違う様な感じがする。
「……頑張りますね、キングさん。しっかり、やります」
「当たり前でしょう。私から獲ったセンターで無様を晒せば、レッスン室に幽閉するわよ」
「あはっ。それは、いやです」
会話をする内に、少しずついつものドロップスティアーが戻ってくる。いつもの、日常通りの彼女だ。
「――届きますかね」
「え?」
《それでは、ウイニングライブを始めます! 観客の皆様は、お静かに!》
位置に付いてから、何かが聞こえた気がした。だが、聞き逃した。
そして、ウイニングライブが始まる。ライトアップ直後にキングヘイローは自分の長所たる優れた視野により、一瞬でドロップスティアーの横顔を確認した。
空を向いて、とても澄んだ笑顔を浮かべていた。
《それではどうぞ、”Make debut!”》
――その日。彼女はしっかりと、教えられた通りに。教えられた以上に、軽々と踊ってみせた。
キングヘイローの不安など途中から吹き飛ぶ、完璧な出来。伸びやかに歌い、誰よりも楽しそうに踊る。緩急のあるダンスでワンテンポのズレも見せず、自慢の歌声はどこまでも響いていった。
間違いなく、今日の
「……あははっ」
踊り終えた後のステージの上で。彼女はいつも通り――いつも以上に優しく、微笑んでいた。
◇ ◇ ◇
響け、響け、どこまでも。この歌が届くように。
もっと強く、歌うから。だから、聴いて欲しい。
◇ ◇ ◇
キングヘイロー戦決着。あとキングヘイローにちょっと強化パッチが当たりました。なんで?
あと、この世界時空ではGⅠ・ホープフルステークスと、GⅢ・ラジオたんぱ杯が同時に存在しています。話の大筋には関係ありませんが。
とりあえずこの小説の一つのヤマを越えて作者はホッとしてます。そしてこれからもっと酷いヤマが待っているので泣きそうです。