モーションキャプチャースーツ。あまりに高額過ぎて、名入が泣く泣くローンで購入し、『お前コレで成果出さなかったらマジでお前一部負担しろよお前』と、全力でドロップスティアーに詰め寄る事で手に入った代物。
センサーによって動きを検知するこのスーツを渡されたアグネスタキオン・本気モードは、超ハイテンションで改造を開始。巻き込まれたエアシャカールも、生粋の
慣性・磁気によって発生し重なっていくデータ精度のズレ、速度やフォームを正確に測定し続けるソフトウェア、長時間のランニングに耐えうる排熱性・発汗対策・強度と靭性。トレセン学園屈指の天才達は様々な課題に対し、ここぞとばかりにウキウキでトライアンドエラーを繰り返して、魔改造を受けたスーツは爆速で原型を失くして変貌していった。
そして、形振り構わず突き進んでいった結果。
「――で。実用レベルで仕上がったってのが、
「……ええ……まぁ、はい……」
アグネスタキオン・エアシャカールの全力全開の悪ノリ、もとい全知全能を注ぎ込んで仮完成に至った、モーションキャプチャースーツ。
――が。この高性能スーツにはたった一つだけ、構造上とんでもない問題があった。
「……
「うっさいですよぉぉぉっ! 年頃の女の子に言う言葉じゃ無いでしょ、ばかばかばかぁー!!」
ドロップスティアーの今の服装は、全身に青い線が伸びている全身黒タイツ。その上に大きめのスポーツブラと、体操服よりも薄いショートパンツを着ている
離れたグラウンド全体にすら響く程吼える怒声の通り、これは彼女本人の意向や趣味では無い。出来上がったスーツは極めて高性能ではあったが、
「仕方ないでしょうがーっ! 服着ると
『あぁ、これを使う時は服は脱ぎたまえ。出来れば裸の上から着るだけなのが好ましいが、流石にそれは君の尊厳にも関わるだろうし、最小限なら許すよ』。渡された時にさらっとアグネスタキオンに言われた爆弾発言は、このスーツを使うにあたり避けられない最大の問題だった。
完成したにも関わらず”試作一号”と銘打たれているのは、年頃の少女が使うには余りにも羞恥心をかなぐり捨てなければいけないという理由からである。製作の片翼であり、ドロップスティアーと近い体格であるエアシャカールですら、着用テストを全力で嫌がる程だった。
「言っとくが、今更『恥ずかしいからやめます』は通用しねーぞ。それはお前が始めた
「こんなひっどい事になるとは思ってませんでしたよぉぉぉ! こっち見てニヤけないでくださいよ変態変態、ヘンタイッ!」
「安心しろ、これは純粋にお前をバカにしてる笑いだ」
「最低ですよぉぉぉ!!」
頭を抱えたいが、抱えれば身体を隠せない。二律背反に陥ったドロップスティアーは、体を横にして上半身を両腕でガードするぐらいしか出来なかった。
とんでもないローンを組んで、トレーニングの合間にスーツのデータを取り、積極的に改造に協力して。その結果生まれたのが、この全自動ウマ娘尊厳破壊スーツである。
当然だが、アグネスタキオンに彼女を辱める意図は無い。データの為に服は邪魔になる。だから脱ぐ必要がある。なので脱げ。極めてシンプルな、しかし無情の理屈三連単である。
開発の際にいくらか交流したエアシャカールは、『……まァ、なンだ。強く生きろよ』とドロップスティアーへ優しく肩ポンした。つまりこの問題は、現状どう足掻いても不可避の悲劇であったのだ。
「さっさと走ってきます! いいですか、こっちの事ヘンな目で見ないで下さいよ! 絶対ですよ!?」
「どんな目だよ」
「言わせないでくださいッ! 行ってきますッ!!」
逃げ出す様に、しかしなるべくフォームは崩さない事を意識しつつドロップスティアーはコースを走り始めた。
足や姿勢を意識し、ローペースで走らなければならない以上、何度となくドロップスティアーは一周する度に名入にこの格好をゆっくり見られる羽目になる。更に言えば、エアシャカールが作った専用ソフトが高性能過ぎて、骨格どころかスーツ着用者の3Dモデルすらリアルタイムで名入のパソコンに送られていた。
つまり今のドロップスティアーは、まさしく丸裸に近い状態で走っているのだ。それも何万・何十万・何百万メートルという果てなき永遠の旅路を。
(しっかしまぁ、思った以上にスゲーわこりゃ)
心の底から天の上まで湧き上がる羞恥心を殺しながら走り続けるドロップスティアーに対し、名入は別になんとも思う所も無く、ノートパソコンにリアルタイムで送られてくるデータを眺める。
これ本当に学生が作ったのか? と言いたくなる様な、圧倒的な完成度。正直完成するまで待っている間は――と言っても、本気を出したアグネスタキオン達は、凄まじい速度でこのスーツを改良・完成させたのだが――、この提案を呑んだ事に少し後悔していた。
だが今は、明らかにカメラなどを用意するより間違いなく獲得出来るデータの量と質、その両方の効率が全く違う。名入はこのトレセン学園に棲まう別方面への俊英達の才覚に舌を巻き、有り難く思っていた。
まぁそれを使ってやっている事は、自分の担当の身体と尊厳の破壊に近い事なのだが。
「……まだ踵寄りだな。『おい、踵使ってんぞ』」
『うぐっ……はーい』
名入は小型マイクを使い、事前に
このトレーニングは、どれだけいっても足裏の使い方の改善だ。ジョギングペースで出来ない事が、本番の走りで出来る訳が無い。なので少しでもフォームが崩れれば、逐一名入が指摘する必要がある。
これ程に手間をかけた高性能のスーツを使っている以上、妥協は許されない。”かける時間の質”とは、こういう事なのだ。形振り構わず、あらゆる手段を尽くす。一分一秒でも時間を有効に使う。常識的なトレーニングで足りないならば、非常識に、徹底的に。出来る事と考えられうる全てを注ぎ込み、出来る限界を目指す。
「『体傾けんな。こっちは
『一言余計なんですよいちいち! すみませんねぇホント!』
その上で、名入は別のノートパソコンを並行して動かし、同期である他のウマ娘達のデータ収集も欠かさず続けていた。
そもそも名入の本分は、情報収集と動向の予測である。自分のウマ娘を強くする
レース本番のどこで何をするかではなく、レース本番までどこまで何が用意出来るか。極端に言えば、最初からゴールに近い場所から走れば誰にも負けない。今やっている事の本質とは、擬似的にそういう事である。
強くなる道は一つでは無く、勝つ為のやり方は一個では無い。勝者こそが正義。どれだけ無茶で愚かに見える道筋だとしても、通った先に勝利があるならばそれは全て正道と成るのだ。
「ま、逆に勝てなきゃただの徒労だがな」
そんな愚かな道筋を与えている張本人たる名入は、『負ければ無意味』の一言で済ませたが。
◆ ◆ ◆
「――ペース落ちてきたか。『手ぇ抜くな。ジョギングで遅くなってどうする』」
『はぁっ、はぁっ……く、くぅっ……』
「……こりゃ流石にキツそうだな。『あと二周でクールダウンだ』」
『この状態で二周です!?』
「よし、まだ喋れるな」
そんな事を名入が考える中、一時間以上。ずっと同じコースを走らせている内に、ドロップスティアーのペースとフォームが目に見えて崩れてきていた。
そもそもこのウマ娘は、我流の走りによって体力・筋力の負担を抑えて走っていた。そこを意識的に変えれば、スタミナ効率は格段に悪化する。
つまり今のドロップスティアーはいつも以上に遅く、疲れやすく、そして弱い。かつて名入が『フォームを変えた先に道は無い』と言った、今はまさにその状態である。だが、今こそそれが必要だった。
守破離。最初に我流の走法での勝ち方を叩き込み、次に定着したそこにある問題点を見直し、そこから最終的に完成させる。今は丁度その中間期であり、そして中間にある文字の通り、
「しっかし、こりゃ……不味いな。確かに時間が無いと思っちゃあいたが、よ……」
片方のノートパソコンに映るドロップスティアーの走行フォームから一時目を切り、二台目のパソコンをちらりと見やり、これからのレース予定を考える。
どれだけジョギングを繰り返しても、それを実戦で出来なければ意味が無い。故に、この無理無茶無謀のイカれたトレーニングの合間に、それを試すレースに出なければならない。
ならない――の、だが。
「……ダメだな。このまま行きゃ、
名入の顔が歪む。咥えるココアシガレットの薄ら甘い風味が、いつも以上に鼻奥を突く。
ドロップスティアーはレース勘を保つ為とトレーニングの成果を試す為に、どうしても近い内にレースに出る必要がある。
そして様々な情報や
「ここで来るだろうな……
ドロップスティアーの次のレースは、GⅢ・共同通信杯。
名入の集めた情報と推測が正しければ、”絶対に勝てないシリーズ”の一角であるエルコンドルパサーが、芝レースに対する本格的な調整を済ませてここにやってくるだろう。
その時、キングヘイローと戦った時の様に、不良バ場にでもならなければ――
「――負けだな」
レースに絶対は無い。しかし、
約一ヶ月後に訪れるだろう、濃厚に過ぎる敗北の気配。今も尚、足と姿勢を意識して走る事に苦心している――絶賛弱体化中のドロップスティアーの3Dモデルを画面越しに見て、
しかし、
「……あー、くそ。『コーナーでの姿勢が悪ぃ。そんなザマなら、クールダウンん時にコート没収すんぞ』」
『やめてくれません!? めっちゃさむいんですよこのスーツ!? っていうか、こんな格好なんですから休憩時間ぐらい身体隠させてくださいよヘンタイ!!』
「……はぁー。マージめんどくせぇーなーコイツ」
『マイク繋がりっぱなしですからね!?』
「やべ」
名入は一旦情報収集用のパソコンを閉じ、少ししたらこちらへと戻ってくるだろう反逆寸前ウマ娘の怒りを鎮めるべくクールダウン用品と、ドロップスティアー本人が用意したファーコートを用意し始める。
負けが濃厚なレースは、別に今に始まった事では無い。無いのだが、ここでただ負けるだけなのは
どうしたものか。名入はある意味、
(……結果次第だが、菊花の走りだけじゃ足りねーな。もういくつか、手が欲しい)
あれこれ考え、あれこれ用意し、あれこれ恥を晒させ。出来る範囲の事はやっている。
しかしそれでも、エルコンドルパサーには勝てないだろう。先の結果次第によるが、グラスワンダーにも、再起したキングヘイローにも、他二人にも。こちらの戦術の
最強を問われる効率的な姿勢と足取り。このウマ娘にしか出来ない技術。そして最後に、
「――はぁっ、はぁっ、はぁっ……! さむひぃ……! コート、はよコートくださいぃ……!」
「だっはっは。ヤベー、そのカッコで顔真っ赤にしてると余計にウケるわ、そのスーツ」
「いい加減本気で蹴っ飛ばしますよぉ!?」
そうして頭を悩ませる中、ピッチリスーツを着て顔真っ赤の汗だくウマ娘が戻ってくる。
その姿は名入的にはギャグにしか見えなかったのだが、当の本人は羞恥心で冬空の寒気すら吹っ飛ばしかねない熱気と怒気を全身から発していた。
●ウマ娘専用走行解析用スーツ・試作一号機『U.M.A.』
『ウマ娘・モーション・アクションスーツ』。ぶっちゃけ名称はどうでも良かった三人が適当にこじつけた。めんどくさいので全員『ユーマ』『ユーマスーツ』と呼んでいる。
慣性式モーションキャプチャースーツをベースに、走行時の邪魔にならない様にセンサーをスーツその物に小型内蔵し、原材料すら別繊維に変更して魔改造。走行時の熱を一部光に変換して排熱する
ノリにノったエアシャカールが開発した専用プログラム『
問題点はセンサー精度を重視した結果、形状が薄手の全身タイツな上に服装に著しく制限がかかるせいで、見た目的に誰も着たがらない事。開発者であるタキオンとシャカールは実用テスト全てをドロップスティアーに押し付けた。着たくなかったから。
いつか作るだろう正式版ではこの問題を解決する予定だが、ドロップスティアーに渡す気は無い。理由は試作版の段階で限界までデータを取る為。それを聞かされた彼女は静かに絶望した。
暇と手間と伊達と酔狂を持て余した天才達の遊び。
物凄く手間かけて死ぬ気で努力しただけで勝てる程、黄金世代は甘くないと作者は信じています。