「……と、いう事で。次のレース、GⅢの共同通信杯。最悪な事に、ここでエルコンドルパサーと当たる事になった」
「――……」
ぐっちゃり。二月の入、今日も今日とで地獄マラソンをなんとか生き残ったドロップスティアーは、机に突っ伏しながら名入の話を聞いていた。
もう完全に死に体という有様ではあったが、名入の声に対して片耳を立てているので
「知っての通り、エルコンドルパサーは強い。ジュニア最強の一角、不完全なままホープフルステークス取った真の化物。歴史上最強状態のグラスワンダーに現状で唯一対抗出来るだろう、まぁトップタイのウマ娘と言ってもいい」
「……ぁー……」
ゾンビの様なうめき声を上げる自分の担当をよそに、名入は走る張本人に対して絶望極まりない事実を淡々と述べていく。
現状、”絶対に勝てないシリーズ”の中でもトップクラスの完成度にあるグラスワンダー。これに匹敵する実力と実績があるのが、エルコンドルパサーである。
スペシャルウィークはまだ進化途上。セイウンスカイはゆったりと実力を上げている最中。キングヘイローは波が激しすぎて予測が付かない。
まぁハッキリ言って誰と当たっても勝率が数パーセントぐらいしか無い程ヤバいのだが、純粋な実力差を考えると今のグラスワンダー・エルコンドルパサーの二人は手に負えないレベルである。
ジュニア期は成長期であり、ここでGⅠを取れる程の力を発揮出来るのは早熟なウマ娘か、それ以上の才能の持ち主だけである。そしてエルコンドルパサーは当然後者だ。
「……『今年にジャパンカップ取る』か。出来るかどうか、正直無理があるだろマジで言ってんのか、とは思うが……まぁ、言うだけあって今の時点でもクッソ強ぇ事に変わりは無い」
「……ぅー……」
『そんな事わかってますよ、年始で直々にボコられたんで』。ドロップスティアーはそう言いたいのだが、別に言っても言わなくても変わらないので呻くだけに留めた。
ジュニア期GⅠトップの一角。九割ぐらい奇策でGⅢを取っただけのドロップスティアーではまともに歯が立たない。歯が欠けて差し歯を用意しなければならないぐらいの差がある。
ついでに言えば、ここ一ヶ月の地獄マラソンで多少改善されたとはいえ、それでもまだフォームが不完全で不安定なドロップスティアーの今の実力は極めて微妙だ。つまり、ただでさえ低い勝率が更に下がってしまっている。
「一つだけ朗報があるとするなら、レース当日は確実に重バ場以上になる。近場で大雨が降る事が予報されてるから、力量差はちょびっとだけ埋まる」
一応、ドロップスティアーに有利な点もある。共同通信杯の付近の天気予報は、ほぼ雨で確定。当日に雨が上がるかどうかと言った具合であり、これは彼女の数少ない長所――重バ場の影響を受けないという能力が発揮出来る。
しかし、二人は既に気付いている。
「東スポ杯ん時のキングヘイローは、ラストで差しで来る事がほぼ読めてたからイン突きと同時の揺さぶりが効いた。だが本来、お前の最内突きは
ドロップスティアーの基本戦術にして最大の武器、鋭角コーナリング。これが本領を発揮するのは、どこまで行っても最終コーナー付近での外からの捲りである。
確かに彼女はバ場が重ければ、正気を疑うレベルの完璧なコーナリングが出来る。だがインを走る時、
共同通信杯は、東京1800メートル。何度と無く走ってきたこのコースは、ゴール前の最終直線が525メートルある。最終直線の長さは、それだけ最後の末脚勝負に繋がる。
そう、
「エルコンドルパサーはデビュー時は差し気味の走りだったが、二戦目とホープフルでは前目に走る様になっていた。つまり、先行も出来る。そうなると、イン突きの意味が無くなる」
キングヘイローは視野が広い差しウマだったが故に、ドロップスティアーの手口――死角を突かれた上で先行バの壁にハマるトリックに引っかかってしまった。
だが、先行好位の位置を取り続け、最後に抜け出して直線勝負するだけの王道戦法を取られると、イン突き最大のメリットである壁作り――差しウマへの妨害の意味が全く無い。
エルコンドルパサーは先行の外側に付き、ドロップスティアーは最内を回れる。確かにそこで数十メートル単位の差を付ける事が出来る。だが、
「となると、やっぱ外から鋭角コーナリングで被せるしか無くなるが……いい加減、
「……ふえー……やーっとちょっと息整いました。まぁ、あんな
「おいコラ人が必死こいて考案した必殺技を否定すんなだあほ」
「その技を上手い事
だるだるー、っと言いながらようやくドロップスティアーは喋る元気を取り戻して体を机から起こした。
内がダメなら外から、つまりドロップスティアーのもう一つの武器・鋭角コーナリングによるライン潰しを使いたい訳だが、この技には
この技は、マークした相手が最終コーナーから抜け出す瞬間にブチ当てる事で、内側にヨレさせて加速を鈍らせ、先行集団の中に抑え込んで変則的に進路をブロックする技だ。だが実は、この技には単純明快な
「こっちがライン潰そうと構えている中、タイミングを遅らせてコーナーじゃなく直線に入ってからポジションを取る。こう動かれると、お前のライン潰しは
「ロングスパートを仕掛けられないまま、直線勝負。こっちは末脚のタイミングが遅れて、あっちは伸び伸び走る。あっはっは、ダメダメじゃないですかこの技」
「うるせー! ジュニアクラスの優等生どもには効いただろうがー!」
この技が今まで効いた理由は、前例の無い技術であった事と、
それを放棄し、直線になってから上手く横に動く。後続の追い上げ次第では斜行になる危険性はあるが、走るのが上手いウマ娘ならこれが出来る。優秀なトレーナーなら、それを看破出来る。
「……つー訳で。お前のライン潰しは、攻略法に気付いてない一部の連中にしか効かねえと見ていい。内を突いても負け、外から行っても負け。勝てんぜ、お前は……」
「いや勝つ方法を考えるのがトレーナーさんの仕事でしょうに」
「契約時に『鍛えてはやるけど、走って勝てるかどうかはお前の仕事』っつったろーが! 悔しけりゃ強くなりやがれ、だあほー!」
「やってんですよ必死に! その結果がコレでしょうが! これ以上何しろってんですか、ばーかばーか! ばーか!」
「息整った瞬間急に生意気抜かしてんじゃねーよめんどくせえ! また走らせんぞ!」
「いーやーでーすー! 今日もう何万メートル走ったと思ってんですかー!」
ぎゃーすかぎゃーすか。今日も今日とで、トレーナー室が騒乱に満ちる。
という事で、例によって名入は頭を抱えていた。折角空いているインを走れるレースなのに、インを走ったら妨害出来ずに直線で負ける。外から切り込んで妨害を狙っても、見破られてたらやっぱり負ける。っていうか、万が一ライン潰しが決まったとしても負けるかもしれない様な純粋たる実力差がある。
こっちが必死でレベルアップしながら歩いている中、魔王が隣の町でスタンバイしている様な、ゲーム的に言えばその位の凄まじい絶望感。デスデスデースといつも明るく振る舞って楽しそうにしているエルコンドルパサーには悪いが、こっちからすれば
この圧倒的な実力と才能の差こそ、名入が”絶対に勝てないシリーズ”と冠した所以である。
「……で、だ。ハッキリ言おう。俺にはもう手が浮かばん」
「あーっはっはっは! 手品師がタネ切れ起こしちゃってますよ! 看板下ろしますぅー!?」
「うるせぇぇぇ! 手品のタネその物が不良品だっつってんだ、だあほぉー!」
二人のいつもの口プロレスが始まるも、明るいやり取りに反して内容その物は終末的だ。
何せ、勝つ為の道が存在しない。内も外もダメなら、どこを走れば良いのか。それこそこのウマ娘がやらかす、ルール外の近道でも使いたくもなる。当然反則なのでやらないが。
なので散々偉そうにしてきた名入は、ついに作戦を放棄した。そして、その代わりに。
「俺に手が浮かばない以上、お前がなんか考えろ。勝てなくても良い。だが何でもいい、一つでも良いからこれからの為になる技術を
名入はどこまで行っても、中央のトレーナーだ。奇抜な思考を持っていようが、それはレースの世界で完結してしまっている。つまり、レースという常識の範囲内でしか発想出来ない。
なので、非常識に頼る。中京ジュニアステークスの時の様に、どう勝つかではなく
あの負けが確定していたレースでは自由にやらせた結果、ドロップスティアーの持つ異常なマーク技術が発覚した。つまり今回やりたい事は、折角エルコンドルパサーというトップクラスのウマ娘が出てくれる良い機会だから、
何せこのウマ娘は、練習より本番で出来る事の方が多いという、異質のウマ娘なのだから。
「……うーん……最近走ってる間に、いくつか思い付いた事自体はあるんですけど……」
「やっぱあんのか、お前流の悪知恵が」
「言い方考えて下さいよ。……とはいえ、なー……
「スゲエ怖い事言うなお前。一瞬俺でもゾッとしたぞ」
名入は恐怖した。確かにこのウマ娘は、自分では思いつかない考えを持っている。
だが、『どこまで』と言われると不安感が凄まじい。恐らく何個か、これまでのレースで使われてこなかった技術が存在するのだ。それも、速さなどの純粋な勝利に繋がらない技が。
それが他者を害するレベルの危険な行為だった場合、流石に処罰が下りかねない。名入に出来るのは、この存在その物が不安要素みたいなウマ娘が考えた発想を根掘り葉掘り聞き出し、問題点を確かめるぐらいである。
「……『どこまで』ってんなら、いくつかアイデアあんだな? さっさと話せ、日本の至宝になりかねないエルコンドルパサーを失っちまう前に」
「トレーナーさんは自分の事なんだと思ってるんです? エルさんは自分の友達ですよ、そんな酷い事する訳無いじゃないですか」
名入は不安のあまり、ついに自分の担当ではなくエルコンドルパサーの方を心配し始めた。だがドロップスティアーにしても、別にエルコンドルパサーを傷付ける様な手段を取る気は無い。
実の所、クラスは違えどドロップスティアーとエルコンドルパサーはかなり仲が良い。陽気でニコニコしててノリが合うので、休みの日は一緒に遊ぶ機会もそこそこにある。
ただ。ただちょっとだけ、
「そんじゃあ、まぁ……わかりやすい
◆ ◆ ◆
「――って感じですかねぇ、今の所思いつくのは」
「お前ホント敵に回したくねーわ。味方に回したくも無かったが」
ドロップスティアーが考え付いた、幾つかの手口。確かにこれは、直接的に勝ちに繋がる物が少なかった。というか、
まともなスポーツマンシップの外、レースの常識外にある所から湧いて出た、一応はルールの範囲内に存在するアイデアの数々。
「…………」
名入は熟考する。確かにこれは、どこまでやるか悩む。
ドロップスティアーの考えたアイデアでは、エルコンドルパサーには勝てない。というか、
しかし、手の内を明かしすぎると後々困る。負けが決まってる戦いで、武器を全て使い果たすなど愚の骨頂だ。いくつかは試したい、いくつかは隠しておきたい。
「……最後に言った技は
「うえー。いいアイデアだと思ったんですけどねぇ」
そしてその中に、
試すとか隠すとか、そういう次元ですら無い技。少なくともこれから暫くは禁止し続ける。どれだけ勝ちたいレースがあろうが、それでも名入は使わせないと決めた。
使うべき時は、
「……
ドロップスティアーが思い付いた
しかもその内一つは、
しかし。
「三つ目と四つ目は、切るのが惜しい。五つ目は絶対禁止だ。その二つだけでなんとかしろ」
「うーん……まぁ、仕方ないですねー」
折角思い付いた武器の内、大半を没収されたドロップスティアーは目に見えてしょんぼりした。だが、『惜しい』と言われた理由もわかる。
上手く行けば刺さる、そういう武器。そういった物には、必ず使うべきタイミングがある。それは少なくとも、負けが見えている今では無い。
「……思い付き次第、これからもなんか言え。こっちもお前の発想からなんか考える。東スポ杯ん時みたいに、状況次第で上手く組み合わせられる可能性がある」
「あいあいさー、です」
「共同通信杯まで時間が無い。お前の痴女マラソンは負担がデカすぎるから一旦止めて、芝とプール中心に行くぞ」
「ちょっと待って下さい何不名誉極まりないトレーニング名つけてんですかトレーナーさんが指示したトレーニングでしょっていうかやりたくてあんな格好してるんじゃないって言ってんでしょ変な目で見ないで下さいって言ったのにヘンタイばかばかばかばか」
「早口過ぎて聞き取れねえよ」
顔を真っ赤にして語彙力を失い全力で罵倒してくるドロップスティアーを無視し、自分のパソコンに今回出た
どれだけパソコンと睨めっこした所で、未来が見える訳では無い。だが、向こうが強いウマ娘であればある程、どういう戦法を取ってくるかというのは逆にわかりやすい。
こうして勝ちたい。だからこう対策してくる。エルコンドルパサーというウマ娘を自分が走らせるならどうするか、そういう事を考えた上で武器を刺す。名入に出来るのは、その流れを予想する事だ。
(……勝つも負けるもわからなくなる、か)
予測をして、走らせる。しかしその先、このウマ娘が何をやらかし、結果として何が起こるかはまるでわからない。聞かされた名入にすら想像出来ない。
不安と期待。ただ走ってぶっちぎられて負けるだけの筈のレースが、まるで予想出来ない。
作者は必死で編み出した必殺技が打ち破られる展開が好きです。
なので、主人公の技も自分から事前に攻略しておきました。