――”三強”。特定のウマ娘達を指すそんな言葉が、今年生まれた。
三月、GⅡ・弥生賞。三着までのウマ娘にはクラシック三冠の一つ、GⅠ・皐月賞への優先出走権が与えられる登竜門のレース。そのレースで、”三強”は生まれた。
ダートから芝への転向直後にGⅠを勝ったエルコンドルパサーは強い。だがしかし、彼女は弥生賞に出なかった。彼女はそのレースよりも以前に、NHKマイルカップを目指すとメディアに宣言していたからである。
当然、GⅠであり世代のマイル最強を決めるレースが劣る訳では無い。だがトゥインクル・シリーズのクラシックと言えば三冠レース――つまり、皐月賞・日本ダービー・菊花賞。この三つが代表という認識が世間的には強い。
ミドルディスタンス以上のレースである三冠への道を選ばなかった。それにより、エルコンドルパサーは”三強”に含まれなかった。
そうして選ばれた、三人のウマ娘。今世代最高峰と呼ばれし、彼女達の名は――
「――
キングヘイロー。ラスト一ハロンにおいて凄まじい切れ味の脚を発揮するウマ娘。”一流”を掲げる彼女は、その
「そりゃねー? ま、逃げウマとしちゃさー……
セイウンスカイ。逃げという沈みやすい作戦で、最後まで冷静にレースを運ぶウマ娘。常に飄々と振る舞いながら、レースではそれを感じさせない粘り強さも見せて来た。
「凄いいっぱいファンの人達も来てるし、勝負服もこう、ビシッ! って感じだし……やっぱり、GⅠってこれまでとは全然違うレースなんだね……!」
スペシャルウィーク。遥か北から唐突にやって来た超新星。天真爛漫ながら弥生賞の勝者であり、今日のレース――
他にもジュニア覇者であるグラスワンダー、ダートと芝で負け無しのエルコンドルパサー。近年稀に見る傑物が集うこのクラシック世代は、誰が言ったか”黄金世代”と呼ばれ始めていた。
その中の”三強”と呼ばれた彼女達は、弥生賞の一着から三着を独占。そこに至るまでの成績も、ほぼ一着。まさしく当世代の最高峰である事は疑いようが無い。
「……そして……」
「……まぁ……来たねぇ……」
「……う、うん……」
そして、その三人は視線を揃えて一人のウマ娘を見ていた。
まぐれで一度重賞に勝っただけ。曲芸の様な走りは面白いが、成績自体は平凡。
しかし、”黄金世代”の全員が知っている。強くも速くも無いが、しかし最も怖いとされる、世代の伏兵。波乱の象徴・台風の目・黄金の光の裏に潜む影。
どう走るか分からない、何をするか分からない、考えている事が読めない。よって、最も敵に回したくない存在。そう共通認識を抱かせる異端のウマ娘――ドロップスティアー。”三強”は全員、そのウマ娘に視線を寄せていた。
「キングさーん、セイちゃんさーん、スペさーん。がんばってくださいねー」
「――な、ん、でっ! なんで、あなたは、出走しなかったのよぉぉぉ!」
「え、いや……なんでって言われましても……キングさん達三人相手とか、自分に勝ち目あると思います……? っていうか自分、GⅠとか出れるレベルじゃないですし……?」
「あっはっはっ。逃げウマとしちゃ、こりゃー敵わないや。絶対に負けない、ある意味最強の逃げだよねー」
「あ、あはは……」
クラシック三冠、その一歩目。全ウマ娘・レースファンが注目する最初のGⅠ、皐月賞。それをドロップスティアーは、
彼女は一度とはいえ重賞を獲ったウマ娘だ。それだけで中央の上位数パーセントに含まれ、そしてGⅠの舞台に上がる権利を持つ。
だが、持つだけである。別に出る必要は無い。
「あなたねぇ! クラシックレースは一生に一度なのよ!? 出れるのになんで申込すらしてないのよ! 出走表見てビックリしたわよ!」
「一生に一度のキングさん達のレースを観客席の絶好の位置でドリンク片手に観戦する――そんな絶好の機会も、たった一度だけでしょう……!?」
「あははは! 確かに! その発想は無かったや、さっすがティアちゃんさん!」
「え、えぇー……本当にそれで良いの、ティアちゃん……?」
弥生賞は回避したが、流石に三冠レースには来るだろう。そう思っていた伏兵は、最後まで伏したまま蜂蜜ドリンク片手に観客席までやって来ていた。キングヘイローはキレた。
共同通信杯のレース後、名入は確かに『皐月賞に行く』とは言った。だが、『皐月賞に
”絶対に勝てないシリーズ”改め”三強”。そんな彼女達が集う事が分かりきっていたレースでの勝ち目は、限り無く薄い。この中で勝利を盗むなど、小数点以下の確率で存在するかも怪しい。
だからこそ行くと決めた。
「ホントに良かったの、ティアちゃん? 皐月賞、出なくって……あんなに一杯練習してたのに……」
「フッ、スペさん……自分は確かにこれまで、勝つ為に地獄みたいに練習してきました……そして練習の成果によって、『あっコレ勝てませんね』という、”先の先”を見出したのですよ……!」
「いやー、だからって最初から蹴るかなー。”レースに絶対は無い”でしょ?」
「セイちゃんさん達が自分から負けてくれる位に”絶対”手加減してくれるんだったら、出走を考えましたけど?」
「……うん。それは確かに、”絶対”無いねー……」
レースに絶対は無い。その言葉は真理ではあるが、正しい訳でも無い。
ドロップスティアーはグラスワンダーの骨折からも、ひたすら走り込んできた。レースも出ず、一層トレーニングに励み、そして地獄を見て来た。精神への総累積ダメージ的には既に五回は死んでいるレベルである。
しかし、どれだけ努力した所で匹敵し得る実力を持っていなければレースでは勝てない。『絶対は無い』と言うステージには、相応の実力が無いと上がれないのである。
「……はぁぁ……あれだけ必死に走り込んでたし、あなたの事だから、ぶっつけ本番ででも皐月賞に挑んでくるモノだと思っていたのに……」
「あはっ、キングさんの読み負けですねー。自分の勝ちでーす、いえーい!」
「そっちは
弥生賞でキングヘイローは三着だった。一番人気を貰いながら、スペシャルウィークとセイウンスカイには届かず敗れてしまった。
それは、キングヘイローの二度目の敗北。絶対に皐月賞では借りを返す、そう思って此処に来た。一度目の敗北を味わわせた彼女ごと、まとめて倒すという気概で。
だが肝心の”一度目”であるドロップスティアーは、呑気にドリンクをずぞぞーっと音を立てて呑んでいた。欠片も走る気が無い。完全なる観客であった。
「自分は誇らしいですよ……自分の友達が三人も、こんな大舞台で走る所を見られるなんて……! 終わったらサイン下さいね、色紙持ってきたんで……!」
「そんな物突き出してきたらブーメランにしてぶつけるわよおばか! あぁぁもう! あなたは本っ当にー!」
「キ、キングちゃん、落ち着いて落ち着いて! レース前! レース前だから!」
「いいぞいいぞー、もっと煽っちゃってー。掛かってくれるだけセイちゃんが勝つ確率上がるからさー」
キングヘイロー、心からの咆哮。クラシックを代表するGⅠレースというこの大舞台において、ある意味ドロップスティアーはこの場の支配権を得ていた。観客席で。
キングヘイローはやり場のない怒りに震え、スペシャルウィークはそれを窘め、セイウンスカイはさらにけしかけようとする。この伏兵は、最早立ってるだけで厄介さを発揮していた。
しかしキングヘイローは目の前の伏兵へその脚を届かせられない。観客席なので。
「ほら、他の皆もゲートの方行ってますよー? なるべく早く返しウマ済ませた方が良いんじゃないです? 下見は大事ですよー?」
「く、このっ、こんな時に限り正論を振り翳してっ……! 良いわ、とくと見るが良いわよ! このキングが、クラシック最初の冠を得る所を、指を咥えて!」
「すみません、ストローしか咥える物しか無いんですけど……」
「あ゛ぁぁぁ!」
「あっ、キングちゃん! ……え、ええと……また、レース終わった後でね、ティアちゃん!」
一度舌戦でペースを握られてしまえば、ドロップスティアーの右に出るウマ娘はほぼ存在しない。なのでキングヘイローは、叫びながら戦線離脱した。そもそもレースが本戦だし。
そんなキングヘイローを見て、スペシャルウィークも苦笑いしながらその背を追った。
「いやー、GⅠとは思えないぐらい雰囲気が緩んじゃったねぇ。……ま、その程度で簡単に勝たせては貰えないだろうけど、さ」
そんな二人を見送って、セイウンスカイはその場に少し留まる。
初のGⅠ、それも”三冠”の一つを賭けた一生に一度きりのレース。そんなレースで、たかだか口車一つで調子が崩れるなどとセイウンスカイは全く楽観していない。
セイウンスカイが先頭を常に走り続けていた弥生賞では、最後まで大きくリードを作っていたにも関わらず、最後の最後でスペシャルウィークに差された。キングヘイローにもあと少しの所にまで迫られていた。”三強”と言われる通り、あのライバル二人が多少の緩みでどうにかなるなどと楽観出来る訳が無い。
「……ティアちゃんさんはホントに良かったの、出なくて。まぁ正直、セイちゃんとしてはティアちゃんさんに来られる方が怖いから助かるけどさー」
「かなり前にもグラスさんに似た事言われたんですけど。ちょっと傷付くからやめませんそれ? そんなに自分悪い事してます? ……してますかね……やっぱ……」
以前にグラスワンダーに言われた言葉が、今日再びセイウンスカイの口からフラッシュバックされる。ドロップスティアーは本気で落ち込んだ。
だが、セイウンスカイは本当にこの伏兵が皐月賞に出なかった事を有難がっていた。セイウンスカイの武器は、逃げによって自らペースを握るレース運び。スペシャルウィークやキングヘイローなど、そういった強敵に対抗するべくある程度ペースの目処を立て、最後の最後まで内側を走り脚を残す。それが基幹戦術だ。
だが、そもそもドロップスティアーの様にレース盤面の何処かを唐突に破壊する、そんなウマ娘は中央に存在しない。彼女が存在するだけで、計算が狂う。故にセイウンスカイは、ありとあらゆる誰よりもドロップスティアーを警戒しているのだ。
「皆は『一生に一度』とか言ってますけど……正直なところ、自分には良くわかんないんですよ、そういうの」
「……どゆ事?」
「例えば、なんですけど。セイちゃんさんは、”昨日”がまた戻ってくると思います? ”明日”がもう一回あると思います?」
「……?」
ドロップスティアーの話す内容が、何時ものふざけておどけた物では無くなった。それを察したセイウンスカイは、少し耳を傾ける事にした。
「『一生に一度』なんて、毎日そうでしょ? それがたまたまレースの日だったり、そうじゃなかったりする
セイウンスカイはその言葉に、目を見張った。
彼女は確かにレースの世界に疎い所があるが、今では重賞も走る立派な中央のウマ娘である。故に、クラシック三冠の重みを知らぬ訳が無い。知った上で、彼女はGⅠレースを
昨日は二度とやって来ない。明日は”明日”にしか無い。そして今日は、”今日”である。それはある種、ドロップスティアーの思考の根源に等しい信念と哲学。
いつも”今日”。一生に一度しか無いレースがあったとしても、”今日”もまた一度だけ。だからGⅠだろうが、平気で放棄出来る。割り切った、割り切りすぎている刹那主義。
「……ちょーっとだけ、スゴいって思っちゃったじゃん。私には出来ないや、その考え」
セイウンスカイには、夢がある。自分の祖父から『レースで勝つ所を見たい』と期待され、それを原点として走り出した。
それが『勝ちたい』という自分の
だがドロップスティアーの割り切りは違う。彼女が勝ちたいと願うのは、
「『毎日がそう』、か。……それじゃ、私も”今日”悔いが無いように……いっちょ、やってあげますかねー」
「三人とも応援してますよー。頑張って下さいねー」
「うん。……後から、後悔させてあげるよ」
「え?」
だからこそセイウンスカイは、この彼女に”今日”を見せつけてやる事にした。
いつか”今日”という過去を、後悔させる程の。自分の夢を乗せた、全力のレースを見せて。彼女の刹那すら奪う様な、そんなレースにしてやろうと思った。
それは、自分の為でもある。自分の”今日”の全てを、此処にぶつける。彼女程の割り切りは出来ずとも、今日全力を尽くすというだけなら出来るから。
「『
それだけを言って、セイウンスカイは去った。
彼女の思想を聞いて、気合はむしろ入った。この”今日”しか見ていない彼女すらびっくりする様な、そんなレースにしてやろうと。いつも通りの――いつも以上の想いを抱いた。
「……あの時、かぁ」
セイウンスカイが去り、一人残され。セイウンスカイの本気の言葉をぶつけられたドロップスティアーは、再び蜂蜜ドリンクに口を付ける。
セイウンスカイの言葉の意味が分からない程、頭は悪くないつもりだ。自分と相性が悪いと理解しながらも、ドロップスティアーと競い合いたかった。そう言いたかったのだろう。
だが、それでもドロップスティアーの意志は揺るがない。きっとこの先も、そうは思わないだろう。過去を振り返る事を自分はしない。未来になっても、決断を悔やむ事はしない。
それは、”今日の自分”に対する裏切りなのだから。
「――おいコラ。人をパシリにしといて、何ボーっとしてやがる」
「ジャンケンで負けたトレーナーさんが悪いんでしょ。やーいやーい」
「うるせえよ知るかよアメリカ式ジャンケンとか! んだよ”Fire”って!」
そんな事を考えていると、焼きそばが詰め込まれた透明パックを両手に持った名入がドロップスティアーの横へとやってくる。『どっちがパシリになるかジャンケン』で、見事名入は自分の知らない技を食らって敗北していた。
アメリカ式じゃんけん。七種の手が存在し、二十一通りにまで勝敗の組み合わせが増えるこのじゃんけんには、通常のジャンケンから三分の二の確率で勝利出来る手が複数存在する。
グーとチョキに勝てる”Water”。チョキとパーに勝てる”Fire”。この二つのどちらかを使うだけで、高確率で勝てる。名入は実際にスマホで調べ、その存在を知って仕方無く敗北を認めてパシらされた。
「……で。どうだ?」
「まぁ、それなりですかね」
そう言って、ドロップスティアーはウマ娘ボリュームの焼きそばを受け取り食べ始める。
ドロップスティアーは何も、友人の応援の為だけに来た訳では無い。いやまぁ半分ぐらいはそういう気持ちはあるのだが、別の目的もある。それは当然、敵情視察だ。
名入が皐月賞に来た理由は、実際のレースを生で見る為。”黄金世代”・”三強”と呼ばれた彼女達は、当初名入が想像していた通りに世代のトップに立ち、三冠街道を突っ走っている。
共同通信杯で当たったエルコンドルパサーの様に、実際に走らせて実力を確かめる事はしない。
「トレーナーさんは誰が一着になると考えてます?」
「……普通に考えりゃ、同条件の弥生賞で勝ったスペシャルウィークなんだろうが……正直サッパリだ。元々皐月賞は差しが強い傾向があるからな」
皐月賞――中山レース場・2000メートル。少し小さめのこのレース場は、ホームストレッチの入りから始まりホームストレッチで終わるレースである。
全レースの中でも最高勾配の名物・中山の急坂と最終直線の短さで有名なこのコースだが、実の所それ以外にも走るウマ娘を苦しめる要素は盛り沢山である。
スタートの短い直線と急坂の後、角度のキツい第一コーナーの終わりまで更に上り坂。第二コーナーから向正面のほぼ真ん中まで、ずっと下り坂が続く。ここまでの高低差は、約四メートル以上もある。
有名な最終直線の短さと急坂に目が行きがちだが、この序盤から中盤にかかる負担こそが皐月賞の真の厳しさである。故に序盤をスローペースで凌ぎ、最終コーナーで飛び出て、ラストの急坂に耐えられる差しウマの方が強いとされているのだ。
「坂ぁ上り続けて四メートルオーバーの下り。ペースがぐっちゃぐちゃになった挙げ句、最後はGⅠ最短の直線。トドメはゴール手前の180メートルから70メートルまで最強の急坂。”最もはやいウマ娘”を決めるレースっつーのは、このヤベー構造に耐えられる体の完成度も含んだ意味合いもあんだよ」
「まるで有能なデータキャラみたいですね、トレーナーさん」
「元々俺は超有能なデータキャラだろうが。数字と情報が俺の友達なんだよ」
「かわいそうに……そんなに友達少ないんですね……」
「それだけが友達って意味じゃねーんだよ、だあほ」
名入は普通では無い発想こそ持つが、基本的には数字と情報の信者である。何はともあれ、まず数字。それから情報を付け加える事で、中身や本質を把握していく。
”はやいウマ娘”を決めると言いつつも、皐月賞で最も求められるのはスピードでは無く、
「……弥生賞はスペシャルウィークが後方からの差しで勝ってる。だが、二着は最終コーナー終わりまで逃げたセイウンスカイだ。どうなってんだアイツマジで。なんでキングヘイローから逃げ切れるんだよ」
差し有利なこのコースで、スペシャルウィークとキングヘイローはどちらも差しで走った。だがセイウンスカイは、終わりまでずっと逃げを貫いた。貫き、半バ身差
後ろからキングヘイローも迫り、あと少しあれば届いていた。この三人の後ろ、四着との差はおよそ四バ身以上。”三強”と呼ばれたのは、本当にこの三人が突出して強かったから。その中でも、セイウンスカイは異様とも言える好走で二着を取ったのだ。
これは名入を恐怖させた。最初から中盤まで続くアップダウンによりスタミナを削り、最後に急坂が待つこの2000メートルは、逃げ・先行殺しとすら言って良いレースだ。そんな弥生賞においてセイウンスカイは、惜敗だったのだ。
「アイツ、たまに『自分は強くないから策を練る』とか言ってるらしいが、んなモン自分が言ってるだけの嘘っぱちだ。純粋な強さが無きゃ、アイツの逃げは成立してねえ。アイツ、デビュー時から出たレースの殆ど、
「えぇ……どうなってんですそれ……」
セイウンスカイの驚異は、逃げという前にひたすら位置するレース運びをしながら、上がり三ハロンも純粋に速いという所だ。弥生賞ですら、スペシャルウィーク・キングヘイロー以外の殆どのウマ娘より上がりは速かったのである。
”三強”、及び”黄金世代”の中では最後の伸びは確かに一歩劣る。しかしこれまでのレース成績を見れば、彼女は
当然それを成立させる為に、道中で”策”を使っている。だが名入から見ればそんなモノは、オマケのプラスアルファだ。彼女はただ純粋に強く速く、その上で頭が良い。
「だから今回は予測が出来ねえ。逃げがキッツいこのコースで、アイツはキッチリ二着を取ってみせた。年末から強くなったキングヘイローからもギリ逃げ切った。その上で、どこまで行ってもここは差し有利のコース。どうなるかなんぞ、わかるわきゃねーだろ」
「データキャラが『バカな、こんなモノは俺のデータには無かった……!』って言うヤツですよねコレ。実物で見るとは思いませんでしたよ、あはっ、中々面白いギャグじゃないですか」
「ギャグになってねーんだよマジで。……そろそろ始まるか」
冗談を言い合っている間に、フルゲート・十八人全てのウマ娘達がゲートへと近付いていく。
GⅠ最初の冠を取り合う、”最速”のレース。特徴的なファンファーレが鳴り渡り、一部のウマ娘は大舞台に落ち着きを抑え切れていない。名入はその時点で、それら一部のウマ娘が
普通のレースであれば、レース直前の動揺は走っている内に集中状態に入って落ち着きを取り戻す。だがこのレースはGⅠであり、しかも対戦相手には”三強”が居る。
元々このレースの勝者は、”三強”の誰かだろう。そう名入は当然の様に思っているが、一応それ以外のウマ娘も視察しに来ている。だが、今日この場だけを見れば驚異には成り得ない。なら
ドロップスティアー達は、ゴール板前の絶好の観客席に居座っている。離れた所で、少しずつゲートインが済んでいくのを眺めていき。
《全ウマ娘、ゲートイン完了。皐月賞、今――スタートしました!》
この日、この瞬間。”三冠”が始まった。
◆ ◆ ◆
(くっ……キッツ……!)
最終局面、第四コーナー。セイウンスカイは序盤の上りを逃げ、下りも逃げ。先頭こそ別のウマ娘に譲ってはいたが、厳しい中盤を二番手で超え、そして今先頭に立った。
アップダウンの激しさによって前を走るのも辛い。最終直線の短さで追込も厳しい。そう言われているこのコースだが、一つだけセイウンスカイに味方する要素があった。
バ場状態。後半開催特有のレースによって荒れたバ場の中、最もマシな内側をセイウンスカイは走り続けた。弥生賞を走った事で中山レース場の特性を知り、コーナーの厳しさを知り。その上でコーナーワークを鍛え、苦しみながらも良いラインを取り続けたのである。
そして。その重要度を理解していたのはセイウンスカイだけではなかった。
(やっぱわかってるよねぇ、キングもさぁ……!)
キングヘイローは今回、先行策を取っていた。第一コーナーからずっと前寄りに、そしてこの最終コーナーではセイウンスカイのすぐ斜め後ろにまで迫って来ている。
データ的には確かにこのレースは差しが有利で、スタミナを損耗し易い逃げ・先行は不利だ。だが、それを差し引いても短い最終直線で好位を取る事の重要性は高い。
だからセイウンスカイは、最初は先頭を譲った。逃げという作戦はただ先頭を突っ走って勝つのではなく、自分のペースを先頭付近で保つ為にやるモノ。だから最終コーナーまで後続まで呑み込まれないギリギリのペースを保ち、脚を保たせた。
そしてキングヘイローも、それと近い策を取ったのだ。
「――勝負よ、スカイさんッ!」
最終直線。キングヘイローが、一段と気迫を増した。
内を完璧に曲がったセイウンスカイとほぼ同角度の鋭さでコーナーを曲がり切り、キングヘイローも二番目に最終直線へと入る。本領が差しウマとは思えない、完璧な先行バの動きだった。
これだから”才能”は怖いんだ。名入が聞いたら『お前が言うな』とキレるだろう思いで、セイウンスカイは前を見据える。
スタート時に通った、310メートルの短いホームストレッチ。しかしその実質的な長さは、レース序盤とはまるで違う。弥生賞で逃げて走った時に、その数字と見かけだけの短さに秘められた辛さを散々思い知った。
先頭を走り続け、坂を超え、ゴールまで残り一秒。その瞬間後方から
「――やああぁぁーーーっ!」
大外・十八番。それでも尚、一番人気とされた弥生賞の勝者、スペシャルウィーク。彼女は弥生賞同様に差しの位置を取って、そして最後の最後まで脚を溜めた結果、先行集団を避けるべく最終コーナーも大外で回らされる羽目になった。
それでも尚、真っ直ぐに声が届いてきた。それはつまり、
「負ける、かぁぁぁーっ!」
残り一ハロンに迫り、先頭は”三強”の三人のみとなった。少しずつ、少しずつスタミナと末脚が足りない後続が突き放されていく。
セイウンスカイは最終コーナーまでギリギリまで抑え、残している自分の全力で走った。
キングヘイローは厳しく不慣れな先行を取ったとは思えない程、その末脚で伸びてきた。
スペシャルウィークは最悪の大外から一気に来て、後続全員を置き去りにして迫り来た。
まさしく”三強”。最早誰が見ても、このレースは三人の物でしか無かった。
(私は……私はっ……!)
負けている。迫られている。セイウンスカイは、後ろから近付いてくる二人の足音を耳で感じ取っていた。
終盤まで二番手に控え、末脚を残して、それでも劣る。そんな事はとうの昔に知っている。
――だけど。それでも、今”一番”を走っているのは、自分なんだ。
(踏ん張れ、踏ん張れ踏ん張れッ! もうそれしか無い! 策なんてもう、それしか無いでしょーが、”セイウンスカイ”ッ!)
自分を鼓舞する。弥生賞で抜かれたあの瞬間、迫られたあの恐怖を、二度と味わうものか。
セイウンスカイの持つ手札は既にこの
逃げる。逃げ切る。あの才能の塊の様な二人に立ち向かう為の、根性の逃げ。
(負けない、負けてやらないッ! あなた達は知らないでしょう! あの時の――あの時の、泥の重さをッ!)
想像以上に詰められない差を見ながらも、それでもキングヘイローはセイウンスカイの末脚が僅かに鈍り出しているのを見て、自分の方が速い事を理解した。
一度目の負けと同じ。自分の方が速かったのに負けた、あの泥と雨に塗れた最悪のレース。あの時同様に、差は僅かにしか詰まらない。だが、届くかもしれない――
届かせる。あの日抱いた『届かないかもしれない』なんて弱音は、二度と思わない。
(は、速いッ……! 二人とも、二人ともっ、弥生賞の時と全然違うッ……!)
大外の後ろから抜け、キングヘイローのすぐ近くまで詰めたスペシャルウィーク。しかし、弥生賞では届いた筈の自慢の脚が、何故か届かない。
離されているのではないか。そう錯覚する程、先行だった筈のキングヘイローにこれ以上近付けない。セイウンスカイが落ちてこない。自分は全力を出しているのに、
負けたくない。託された”日本一”の夢の、その第一歩で。躓く訳には行かないのに。
「――ぁぁ、あああッ!!」
坂を上り終える寸前、キングヘイローが更に伸びた。同時、スペシャルウィークは
スペシャルウィークの脚は残っている。だが、
残り70メートル、数秒で終わる最終局面。セイウンスカイもまた、キングヘイローの叫びを聞いた。
「――
『後悔させてやる』などと啖呵を切って、想定通りにレースを運んで、リードも取って。その上で差されるなどと、それ以上にみっともない事は無い。そんなみっともない真似など、認められる訳が無い。
先頭は私だ。
「「――――ッ!!」」
二人が声を枯らし、息だけで叫ぶ。キングヘイローの脚が、セイウンスカイの脚に届く。
スペシャルウィークはそれを眺めるしか出来ない。気持ちも脚も死んでいない、しかし追いつけない。想いだけでは届かない、そんな物理的な
ゴール板前、最後の数歩。ほぼセイウンスカイとキングヘイローが真横でもつれ合って――
「――
誰もがまばたきを忘れるゴール寸前。観客席前で、一人のウマ娘が呟いた。
《ゴール! ゴールです! 一着は……セイウンスカイ、セイウンスカイ! ハナ差、ハナ差! 皐月を制し、クラシック最初の冠を手にしたのは、セイウンスカイだーッ!!》
ほぼ同着だったのではないか。誰もがそう思った程の、僅か一歩の差。
だが、それでも。そんな限り無く近く、そして遠い差で。セイウンスカイは、キングヘイローより逃げ切ってみせた。
「――ッ、く、うううっ……!」
ゴール板を過ぎてからのウイニングランで、キングヘイローが残った脚の勢いのままセイウンスカイを抜かす。
仕掛けが遅れた訳でも無い。あと数十メートルあれば、そんな事は思っていない。全力中の全力を尽くし、本気を振り絞った。その上で負けた。再び、負けたのだ。
偶然は無い、キングヘイローは誰よりもそれを理解していた。勝負に『たられば』は無い。セイウンスカイは見事、自分の全力を越える程のリードと根性によって、冠を手にしたのだ。
「……はーっ、はーっ、はーっ……や、やった、やったぁ……」
セイウンスカイはゆっくりと脚を緩め、ゆっくり止まる。そして膝に手を当て、掲示板を見て。それから、右手を強く握り締めた。
終わっていた。本当にあと一歩、一歩の差で負けていた。だけれど、その一歩の差で勝った。自分は、”三冠”の一つをついに手に入れたのだ。
「……あ……あぁ……」
コンマ秒だけ遅れて、しかし三着で抜けたスペシャルウィークは、目の前の現実を受け入れ切れていなかった。
弥生賞と同じだと思った。後ろから追い上げて、余力もあった。あの時と同じく、追い抜けるという自信があった。最終直線でも、自分の心は『行ける』『届く』と言ってくれていた。
にも関わらず、最後の最後でその心は急に止まった。動いてくれる脚とは裏腹に、想いが反転した。あのキングヘイローの伸びに、ついて行けないと確信した。
脚も、想いも、何もかも。全て出していたにも関わらず、自分は負けた。
「……へ、へへっ……セイちゃんの、勝ちぃっ……」
「……認めるわ、スカイさん。あなたの、勝ちよ」
「……う、くぅぅっ……」
”三強”が並ぶ。この世代、この日、この皐月賞の主役達。
逃げという厳しい作戦を遂行しきり、見事根性の粘り勝ちをしたセイウンスカイ。
差しウマという印象と戦術を自ら捨てて、”あと一歩”まで迫ったキングヘイロー。
不利な大外に回されても、後続に影すら踏ませずやって来たスペシャルウィーク。
間違いなく、今年は彼女達の年だ。その光景を見る誰もが確信した。
「――マジかー、マジで逃げ切ったかー。キングヘイロー届くと思ったんだがなぁ……」
「…………」
「おい、もう終わったぞ」
「あ、そうです? すみません、まだちょっと
だがこの場で唯一、
ドロップスティアーは、最終直線に入るより前に
しかし彼女は意味も無く、この絶好の席で何も見ないという勿体無い事をした訳では無い。
「つーか、マジでわかるんだなお前の
「しゃーないでしょ、わかったんですから。……ちょっと、この勘はもっと強く、強く。更に研ぎ澄ませなきゃいけないって思ったんです、自分は」
”ヤマ勘”。彼女が観客席の最前線に立ったのは、
視覚も聴覚も無くし、レース展開も見ないまま、
そして勘が命じる通りに、目も耳も塞いだ状態で。彼女はレースの結果をゴールするより前に、言い当ててみせた。
「これで
「こえーよマジで。目がガン開きになってんぞ」
この観客席の中、健闘を称え合っている”三強”をたった一人、全く別の瞳の色でドロップスティアーは見つめていた。
観戦には来た。だが、生で見る必要は無い。今回のレースの最終局面は名入が撮影し、全体のレース展開についてはURAの公式映像を見ればわかる事だ。だからドロップスティアーは、”今日”を
「もったいねーなー。この絶好の場所で今の見なかったとか、他のレースファンに怒られても知らねーぞー?」
「見ない方が分かる事もあります。……いや。自分は見ない方が、もっと分かるんですよ。だから今日、自分はここで
「……? どうした、なんか――」
「自分は見なくても分かりましたよ。見る必要なんてありません、感じましたから。ここに居る誰よりも、自分が。自分だけが、今のレースを感じた筈です。なら、
「…………」
ドロップスティアーはマイペースであり、トレーニングでも勝負でも”いつも”を貫く。つまりそれは、あまり調子の変化が無い事を指す。だが、今の雰囲気は明らかに違う。
全くの無表情で、コースを離れていく”三強”を見ている。いつもの減らず口も叩かず、静かに。勝負所との平静さとも異なる、何らかの感情を秘めて。
「……ま、コレでお前の勘が使いモンになったならなんだって良いや。んじゃ、準備するか」
「ええ」
名入は茶化す事はしなかった。今のドロップスティアーに対し、いつもの冗談や口喧嘩が交わせるとは思えない。それに、自分達には別に考えるべき事もあった。
名入達は皐月賞を蹴り観戦しに行くという事は早々に決めていた。それは走っても勝てないのもあったが、一番の目的は”ヤマ勘”で”三強”を覚える為。様子を見る限り、それは思った以上に作用してくれたらしい。
だが、皐月賞に行くと言う前。名入はこうも言った。『
そして皐月賞を除いた四月の”勝負所”など、一つしか無い。
「
「はい」
共同通信杯の直後から早々に出走を決めていた、勝負所。
ドロップスティアーが出走するレースは、GⅡ・青葉賞。
――
「出走」と「行く」という叙述トリック
正直今回は主人公のレース書くより楽しかったです。それで良いのか作者。