ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『青葉賞/咆吼』

  ◇  ◇  ◇

 

「――で。自分が『興味持つ』走りってなんですか?」

「お前、トウカイテイオーは好きか?」

「何愚問言ってんですか。テイオー先輩は偉大なる大先輩ですよ。テイオー先輩に敵うウマ娘などいる訳が――」

「今日はそいつが負けたレースの話をする」

「帰りまーす」

「待てやだあほぉぉぉ!」

 

 共同通信杯の後、トレーニング前。名入が考案した『もうちょい速くなれる方法』の話の入りで、早速ドロップスティアーは席を立ってトレーナー室を後にしようとした。

 

「何が悲しくてそんな嫌な話聞かにゃならんのですか! 自分が一番尊敬してるテイオー先輩の負けとか聞きたくも見たくもないですよ!」

「うるせー黙って聞けや! ……今回は、そのトウカイテイオーを負かした走りをお前に教える」

「帰りまーす」

「待てやぁぁぁ!」

 

 ドロップスティアーは一旦席に付き、そしてもう一度トレーナー室を後にしようとした。

 

「テイオー先輩の走りならともかく、何が悲しくてそんな走りを練習せにゃならんのですか! 自分が一番尊敬してるテイオー先輩を負かした走りとか聞きたくも見たくもないですよ!」

「同じ駄々こねてんじゃねー! お前とトウカイテイオーの走りは()()だってわかってんだろ! 現実を受け入れて身の程を知りやがれーっ!」

 

 ぎゃーぎゃー。今日も今日とで、トレーナー室はどったんばったん大騒ぎだった。

 ドロップスティアーにとって、トウカイテイオーは一番尊敬している大先輩である。それも、彼女のレースや成し遂げた奇跡を全く知らない状態のまま慕い始めた、純粋な人柄だけで尊敬を寄せているウマ娘だ。

 そして余裕があって一人で暇な時は、トウカイテイオーの過去のレースを部屋でごろごろ眺めていた事もあった。特に三度目の骨折明けから復活した有記念など、何度リピートしたかわからない。シンボリルドルフの方が実績的には上なのだろうが、ドロップスティアーにとってはトウカイテイオーこそが最高のウマ娘と信じている。ぶっちゃけテイオー信者である。

 だが、見れば見る程()()()()()()()()()()事も理解していた。

 

「トウカイテイオーの走りは、全身の柔軟性を使い脚のバネを乗せて吹っ飛ぶ、歴史でも類を見ないストライド走法の進化系だ。他にも速いヤツはいるが、トウカイテイオーの走りを真似出来るヤツは存在しない」

 

 トウカイテイオーの柔軟性とは、他のウマ娘の持つ”柔軟性”とは意味合いが少し違う。

 天性のバネを持つ脚で、限界まで踏み込む。そこからパワーを上体の天辺まで、まるでたわんだバネを真っ直ぐに伸ばし切るような、そういう瞬発的な加速を()()()()。そんなスパートの為に、彼女の脚と全身の柔軟性はある。

 そしてこれはドロップスティアーには習得が不可能だ。どれだけジャンプ力があっても、その脚力はレースで鍛えたバネでは無い。バネによる力を余さず伝達する全身の柔軟性も無い。ピッチ走法が極まっている以上、大きくぶっ飛んで伸びるストライド走法も使えない。

 ストライド走法を使う他のウマ娘も、憧れでトウカイテイオーの真似事はする。しかしトウカイテイオー程の速度は出し切れない。彼女の走りは天与の肉体と天性のセンス、全てが”天才”としか言いようが無い故だ。

 

「……中央はスタミナ温存・直線で有利を取る為に、原則ストライド走法を教えられる。その歩幅は体格次第で変わるが、ともかくストライドこそ正義だ。ピッチ走法は坂を上る為のサブウエポンって感じだな」

 

 ストライド走法はレースの基本中の基本だ。何も考えず必死で犬かきとバタ足して泳いでも速くない様に、雑に脚を一杯回すだけでは強くなれない。

 故に歩幅を意識的に広げて歩数を減らし、その幅をコントロールしてペースとコーナーワークを調節する。レースで最もバランスの良い走り、それ故にストライド走法は好まれる。ピッチ走法を最初から最後まで貫くウマ娘は、限りなく少数だ。

 だが。そんな中央でも、()()()()()走り方は存在した。

 

「トウカイテイオー含むレース全体のペースを狂わせる程の大逃げかまして、一回は派手に沈んだ。だが有ではそのリードを保ち切り、完璧に逃げ切った。トウカイテイオーのある種因縁の相手、それがこのメジロパーマーってウマ娘だ」

 

 やだやだ見たくないですやだやだ。そう駄々こねまくるドロップスティアーを無視して、名入はメジロパーマーがトウカイテイオーに勝利した有記念のレース映像を再生し始めた。

 しかし散々嫌がっていても、あのトウカイテイオーが負け、そして勝ってみせたウマ娘。それに対する興味の方が上回ったドロップスティアーは、素直に前を向き、そして驚いた。

 

「なんか……めっちゃキレッキレのフォームしてますね、メジロパーマーさん」

「あぁ。正統派で優等生の多いメジロ家の中でも、コイツの走り方は極めて異様だ。他に真似するウマ娘も居ない」

 

 スタートダッシュを決めた後、誰もがレースの道中で体を起こしてスタミナを温存する。そしてラストスパートでは姿勢を前傾させ、残ったスタミナを使う様に加速して走り抜ける。

 だがメジロパーマーの走りは()()()()()。姿勢は頭から足まで常に真っ直ぐ、振る肘は直角近くをキープ。最初(スタート)最後(スパート)でも、他のウマ娘達に見られる様な体の傾きをほぼ見せない。

 最初に大きくリードを取ってそのままの勢いで逃げ切る、要は最初にスパートをかけるスタイルこそが大逃げだが、彼女は最初からスピードを全開にしているにも関わらず()()()()()()走り抜けているのだ。

 

「フツー、こんな空気抵抗のある走りで全速前進してりゃ最後まで保たん。だがコイツの強みは、このフォームのまま()()()()()()()()()()という点だ」

 

 大逃げは海外ではラビットが取る戦法として有名であり、その最大の効用はレースのペースを握るのではなく、困惑させる所にある。

 最初からゴール手前で走り出せば、負ける事は無い。それと同様に、大逃げはとんでもないリードを最初に生み出し、『このまま負けるのではないか』『あれに付き合っては行けない』と焦らせ、共に走るウマ娘達をハイペースかローペースのどちらかに陥らせる――つまり、相手のペースを崩す為の作戦である。

 この戦法の致命的な欠点は、スタミナ消費の激しさ。最初から最後まで速いウマ娘はいる、しかし最後までスパートを維持出来るウマ娘は存在しない。

 故に大逃げは必ず最後に失速して崩れる。走る距離が長くなればなる程、大逃げは負ける可能性が高くなる。だが、メジロパーマーは例外だった。

 彼女はGⅡ・阪神大賞典――()()()()()()()()も勝った事がある、稀有な大逃げが可能なウマ娘なのだ。

 

「その理由は、このフォームに通常には無い別の効率があるからだ」

 

 そう言って、名入はメジロパーマーのスタート直後からの映像を拡大する。

 特徴的な上体と腕の振り方では無く、()()()()をクローズアップする形で。

 

「抵抗があるにも関わらず逃げ切れる。それは菊花の走り同様、コイツの上体が真っ直ぐでブレが無くロスが無い事に加え、()()()()()()()()()()事が大きい」

「……膝ぁ?」

 

 そう言われて、ドロップスティアーはメジロパーマーの快調に過ぎる大逃げをしている脚を見る。

 ドロップスティアーが集中モードに入ったのを見計らい、名入がメジロパーマーのフォームをスロー再生し始めた。

 

「――()()()()()()()()

 

  ◇  ◇  ◇

 

 ドロップスティアーはメジロパーマーに極めて酷似した、しかしペースは到底及ばない追込のローペースで後方から三番手の辺りに控えて第一コーナーに入る。

 トウカイテイオーから見れば、それは異様な光景であった。何せそのフォームは、中央でもメジロパーマーぐらいしかやらない特徴的が過ぎる走行フォーム。そして肝心のメジロパーマーは大逃げの印象が強く、よって彼女の走りは最初っからすっ飛ばすイメージが強い。

 その走り方で後方策というのは、対戦した当事者としては違和感が激しかった。

 

「お前も分かり切ってるとは思ってるが、メジロパーマーは強い。そしてお前のフォーム同様、特殊なフォームにはそれ特有の強みが存在する」

「……どんなの?」

 

 名入の説明を横耳で聞きながら、ドロップスティアーの様子を見る。大外スタートではあったが、スタート時のリードもあって比較的内寄りの位置を走れていた。

 トウカイテイオーはスポーツIQが高く、直観力は優れている。だが、それを理論に結び付けるにはシンボリルドルフの様な高い分析力が求められる。故にメジロパーマーの走りの”強み”と言われても、見るだけでは解らなかった。

 

「あのフォームは、膝をなるべく伸ばさず走り続ける。それはつまり、()()()()()に膝を位置させ続ける、という事でもある。お前らウマ娘は脚力が強いし、特にお前を代表として膝を曲げて脚を伸ばす力で前方へ跳ぶストライド走法が基本だが……その分、()()()()()()がある」

 

 ストライド走法は、一度に大きく横に跳ぶ。その分歩数が減り、直線の最高速も出る。良い事尽くめに見えるこの走法だが、一切の弱点が無い訳では無い。

 ゴールまでの歩数を減らしながら速度を上げる事で、確かに必要とするスタミナは減る。だが、脚を伸ばせばそれを再び前に戻す必要がある。その脚を戻す距離、それこそがウマ娘の概ねがハマっているストライド走法のロスだ。

 メジロパーマーも中央の例に漏れず、ストライド走法ではある。だがそれは、膝を曲げ続ける――振り抜いた脚を戻すロスを減らしたストライドだ。故に彼女は、空気抵抗を差し引いても3000メートルという長距離を大逃げ出来る程のスタミナ効率を持っている。

 

「そして俺が年始からアイツを壊すレベルで体にぶち込んでやったミッドフットの使い方。これはあの走りと()()()()()だ」

「ミッドフット?」

「お前ら中央のウマ娘が当然の様に、無意識レベルでやってる”足裏をなるべく一杯使う”走り方だよ。アイツの走りの歪みは、異常なパワーと偏った足の使い方で発生してた。なんだ、帝王サンはそんなんも分かんなかったのかよ?」

「本当に信じられないぐらいメチャクチャ失礼だねキミ……ボクだって選抜レースより前に、ティアの走りの歪みぐらいは見抜いてたよ」

 

 トウカイテイオーは初対面でありながら、よくぞまぁここまで他人を口撃出来るものだなと、名入に対して苛立ちを一周させて感心すらする有様だった。

 中央のウマ娘達にとって、足裏をなるべく使うなど常識ですら無い。それが上手く出来ないウマ娘は速く走れず、そもそも中央に入学すら出来ない事の方が多い。

 だが裏口入学みたいな形で入ってきた山育ちのドロップスティアーは、それが出来ていなかった。その効率の悪さを抱えながらも、山で鍛えまくったバカげたパワーとスタミナを死ぬ程注ぎ込む事でなんとかやってきていたのである。

 

「なるべく綺麗に膝を曲げて走る事を意識すりゃ、着地時に足裏は自然と全て使われる事になる。基礎トレの中で、ミニハードル走とかあるだろ? アレを狭めた形として考えりゃ分かりやすいハズだ」

「あー……確かに」

 

 ミニハードル走。低いハードルを狭い間隔で用意し、脚の回転数を鍛える基礎トレーニングである。

 トウカイテイオーも当然そのトレーニングは良くやっている。回転数の向上のみならず、等間隔で走るペース練習や、姿勢を維持しながら足を切り返す体幹トレーニングにも自然と繋がる。

 それを狭めれば、素早く足踏みをする様な――つまり膝を小刻みに上下させ、足裏全体で地面を捉える形になる。そうすれば速度こそ伸びないが、足裏を使う効率としては最高の形となる。

 そしてこれは、()()()()()()()()()()()()

 

「ストライド走法でそんなんやったら歩幅が減ってトロくなる。だがピッチ走法は回転数を重視して元々小刻みに足を回してる。だから無理なく、ミニハードル走みたいな走りをしてもペースを維持出来る、っつー寸法だ」

「膝と足裏……なるほどねー、それでパーマーはあんな長い距離でも走り切れてたのかー……」

 

 菊花賞の道中を見ればわかる通り、スタミナを最も使わない体勢は上体を起こす形である。

 そして脚を回す効率だけなら、メジロパーマーの膝を曲げ続ける走法はトップクラスだ。全力疾走によって受ける空気抵抗を無視した場合、彼女の走りは上体から脚の使い方まで、極めてロスが少ない。だからこそ、彼女は有記念というGⅠ最高峰の大舞台でも見事、大逃げというハイリスク戦法で勝つ程の力を見せたのだ。

 そしてピッチ走法は、彼女の走り方を転用出来る。ミニハードル走の様に狭めた歩幅で足裏をフル活用しながら、回転数で強引に速度を上げる。このフォームを取り入れた事で、ドロップスティアーの走行効率は格段に向上した。

 

「……でも、それでも逸走癖は無くなってないよね、アレ?」

「それは言うな……アイツのパワーがおかしすぎんだよ……」

 

 第二コーナーに入る。初めて経験する2400メートルという距離を考え、誰もがスローペース。縦長の展開となっているが、相変わらずドロップスティアーは後方に控えている。

 ペースを上げればコーナーを曲がり切れない彼女の大弱点。どれだけ足裏の効率やフォームを直しても、それが克服出来ていない事をトウカイテイオーは一発で看破した。克服出来ているなら、素直に先行策を取ればいいのだから。

 ドロップスティアーの悪い方向の代名詞・跳ねるピッチ走法。足裏の使い方をどれだけ改善しても、彼女は結局有り余るパワーの加減を覚え切れなかった。だから、前半はローペースで控えるしか無いのだ。

 

「ま、それはともかくとして。メジロパーマーの走り方を取り入れた事で、アイツのピッチ走法の効率はマシになった。作戦込みで2000メートルをギリ走り切るのが限界だったあのバカは、2400メートルぐらいなら耐えられる様になったのさ」

「ふうん……でも、このままじゃシンドいでしょ?」

「まぁな」

 

 トウカイテイオーはこの東京レース場の2400メートルの特徴を良く知っている。この場所・この距離は、ダービーだけではなく()()()()()()()でも走った状況だからだ。

 普通に走る分には、長い最終直線をブチ抜ける差し有利。フルゲート時、多人数がポジションを取り合うGⅠでは先行有利。トウカイテイオーはデータではなく、実感と経験からそれを理解している。

 実の所、トウカイテイオーはジャパンカップのゲート位置も一番の大外スタートだった。その年のジャパンカップはダービーよりも出走者が少なかったとはいえ、不利は不利。それでもジャパンカップで勝ったのは、第一コーナーから先行策を取ったからである。

 どれだけ最後が長かろうが、走るスペースが無ければ終わり。それを早々に察したトウカイテイオーは王道の先行戦法を取り、強豪揃いのジャパンカップですら大外を回されながらも勝利した。つまりこのレースは、本当に先行が強いのである。

 

「だから()()んだよ」

「えっ」

 

 レースとは全く無関係の、危険な単語。それに一瞬耳を疑いながらもトウカイテイオーは、向正面に入りつつあるドロップスティアーの位置を見る。

 ()()()()()()所を走る、彼女を。

 

「ち、()()! あれ当たってないの!? 大丈夫なの!?」

 

 ()()()()()。本来は自身の警戒するマーク対象一人を損耗させる、大きな足音を立てながら超至近距離へ迫り続ける最恐のマーク戦法。

 それをドロップスティアーは、第二コーナー終わりから自分の前を走るウマ娘へ仕掛けていた。当然これを仕掛けられているウマ娘はドロップスティアー同様、全体の後方を走っている最中であり、名入の本命であり先行を走るタヤスアゲインとは違う。

 

「なんだ、アイツのアレは見た事無かったのか。アイツそれ聞いたら落ち込むだろうな、アレは鋭角コーナリングの次ぐらいによくやる得意技だってのに」

「いやいやいや! あんなの風除けのマークですら無いじゃん! 危ないよ、一瞬でも減速したらどうするのさ!?」

「ああ。だから()()()()()()ならねーな」

「……え」

 

 ドロップスティアーの脅迫マークは、実はハイリスクにしてローリターンである。対象のウマ娘一人に張り付き続けるというこの技は、ずっと進路を妨害するヤマ勘ブロック程では無いにせよ、自分では無く相手の走りのペースに依存する技術だ。

 極端な話、ドロップスティアーがエルコンドルパサーにやったブロックの様に、マークされた相手は軽い減速を挟めば対抗出来る。だが、今回()()()()()()だ。

 

「……()()()()()()()ね、あの子」

「良く見えるなー。流石帝王サンだ、百戦錬磨なだけはある」

 

 ドロップスティアーに張り付かれたウマ娘は、()()()()()()()()。それも、僅かだがペースを上げながら。

 その理由は、()()()()()()()()()()()からだ。

 

「縦長の隊列で、アイツの後ろにもウマ娘は数人だが居る。その状態であのマークを乱そうと減速すりゃ、()()()()()()だ。だからアイツのマークに対し減速は出来ない、だが()()()()でそのままじゃ加速も出来ない。なんで、マークをかわそうと掛かって外に出る」

「……()()()()()()()()ね、あの子のライン」

「ああ。あのデカい足音で脅され続けりゃ、一流のウマ娘じゃなきゃ大袈裟に外に逃げちまうモンだ」

 

 脅迫マークの驚異は、自分と相手の身の安全を考えてしまう事である。そのまま張り付かれ続ければ、相手の脚に接触するのでは無いか。そう考えれば、前に出なければいけない。

 だが縦長の展開で、前方にはまだ多くのウマ娘も居る。減速するのは以ての外だ。故に、このマークの脅しに耐え切れなくなったウマ娘は、()()()()()()()()()()

 大舞台である事も相俟って、この脅迫マークに耐え切れるのは集中力と実力を備える選ばれしウマ娘のみ。それこそ”三強”――東スポ杯の絶好調だったキングヘイローぐらいしか、この心理的・物理的圧迫には耐えられなかった。

 そしてドロップスティアーは内に空いたラインを奪い、向正面で一つ順位を上げる。

 

()()()()()()()。ダービーがかかった大舞台で、一歩間違えれば大怪我確定。そう思わせる()()()()によって、アイツは向正面でじゃんじゃんポジション上げ放題ってワケだ。だっはっは、オラオラ掛かれ掛かれー。そうしねーと怪我すんぞー? ダービー前によー?」

「……ひ、ひっどい……」

 

 ”最も怖いウマ娘”。この世代のトレーナー達が囁いているその所感を、リアルタイムで見せつけられているトウカイテイオーも抱いた。

 ドロップスティアーは掛からない。勝たなければならない大一番のレースではあるが、同時にこのレースも”今日”でしか無い。なので、自分と相手のどちらかが一歩ミスしただけで大怪我確定のこのマークを平然と連続して使える。

 ウマ娘一人一人、体格が異なる。歩幅が異なる。ペースや呼吸が異なる。()()()()()()()()()()()()する。世代一の圧倒的な精神力で、相手の集中力を削り取る。

 これによりドロップスティアーは向正面で、中団に控えていたウマ娘達の半分近くを()()()()()()いた。

 

「さぁて、と。コレで()()()()だ。覚悟しろよ、ダービー予備軍ども……」

「え、まだなんか企んでんのキミ達……?」

「当たり前だろ。まだこの位置じゃ差し気味だ、先行集団が横に広がりゃ前に届かねえ」

 

 誰もが掛かる恐怖の向正面をしれっと走り抜け、ドロップスティアーは中団にまで上がった。だが、それだけではこのレースでは勝てない。

 最終直線で先行集団が広がるブロック状態が生まれれば、差し・追込は直線勝負が出来ずに沈む。差しウマの最大の対処法は、最終コーナーで大きく外に飛び出し、内側の先行集団以上の末脚を発揮する事。

 だがしかし、ドロップスティアーはそんな豪脚と言える末脚を持つウマ娘ではない。だから、()()()()の対処法を取る必要がある。

 

「長距離レースは、どんだけ団子になっても最後に至るまでは縦長の展開になりがちだ。現時点最長のこの2400メートルのレース、先行取ってようが最終直線に備えて、誰もが少しでも内側を取りたがるからな」

 

 クラシック期における2400メートルとは、シニア混合レースを除外した場合、その走行距離は上から二番目である。そしてこの時期で最も早期に訪れる2400メートルの青葉賞は、ウマ娘達にとっては実質的な長距離レースと言える程厳しい距離と言える。

 実際、先行集団は第三コーナーに差し掛かったこの時点でせいぜいラチから三人分ぐらいのスペースで固まっており、無理に前へ行こうとしていない。第三・第四コーナーで先頭を譲っていても、好位さえ取って最終コーナーを抜け出しさえすれば有利が取れるのだから。

 ならば、()()()()()

 

《先頭が第三コーナーを過ぎて……おっと十七番ドロップスティアー、()()()()()()()行きます。少々仕掛けが早いですね、掛かってしまったのでしょうか》

「……そんなワケないよねー?」

「あたりめーだ。アイツが掛かるワケねーだろ」

 

 第三コーナーに差し掛かった辺りで、ドロップスティアーは外側からペースを上げ始めていた。第三コーナーからゴールまで、およそ1000メートル。スパートこそかけてないが、この距離で位置を押し上げ始めるのはスタミナ的に無謀としか言いようが無い。

 だがトウカイテイオーは、どんな滅茶苦茶な事でも『じぶんがやりました』とフリップを掲げるかの様にやらかすあの後輩が掛かったなど、微塵も思わない。実際これは、直前に考えていた通りの展開である。

 このコースで後方策が勝つ対処法は大きく分けて二つ。一つは先程も言った通り、最終コーナーで大外に出て、不利を覆す程の切れ味を持つ末脚で全員を差し切る事。

 そして今回ドロップスティアーが取ったもう一つの方法は、縦長の隊列が横広がりとなる前に早仕掛けで位置を押し上げる、緩めのロングスパートを仕掛ける様なやり方である。

 

「アイツはパワーによる瞬発力があっても、その速度を維持出来ない。だからいつも小細工込みでロングスパートを仕掛け、スタミナを垂れ流しながら押し切ってきた。パーマー式走法で効率が上がったから、その有効距離はかなり伸びてる」

「……でも、いくらなんでも早すぎない? 別に先行の子達もバテてる感じしないし、速度上げた時の逸走も直ってないなら、結局外回りのロスが大きすぎると思うんだけど」

「マジでお前ちっこい見た目に合わねえぐらいレースの読みは鋭いな……ガキみたいな見た目のくせしてビビるぜ……」

「な、なんだとーっ!? だ、誰がガキだって言うのさーっ!」

 

 自分の小柄さにより、尊敬するシンボリルドルフ程の威厳が無いと思っているトウカイテイオーは、シンプルに身長のコンプレックスを刺激してきた名入の言葉に憤慨する。

 だが実際問題、ドロップスティアーの早仕掛けからのロングスパートには、逸走という最悪の欠点が残っている。足の使い方が習熟された分、出会った頃よりも数段早い今の早仕掛けの速度でも、彼女はギリギリ逸走してはいない。

 だが、これ以上ペースを上げれば逸走する。数々の経験と優れた直観により、トウカイテイオーはほぼ思考を挟む事もせずそれを確信していた。そして実際、今のドロップスティアーは逸走ギリギリのペースアップをしている。

 早めにペースを上げた分、順位は上がっていく。だが逸走しないそのギリギリのペースでは、団子状態の先行集団にはまだ追いつけない。そして最終コーナーで横に広がられ、彼女は前まで届かない。そういう未来を、トウカイテイオーは直観だけで読んでいた。

 

「まぁその通り、このペースじゃ位置は押し上げ切れねえ。こっから勝つぐらいのロングスパートすんなら、せいぜい第四コーナー中間。その辺りから逸走するぐらいの速度が実際に要る」

「……って事は、例のあのコーナリング使うの?」

「使わざるを得ない、が……アレはスパートと同時にマーク相手を先行集団に押し込むのがメインの技だ。つまり、()()()()に効かねぇんだよ」

 

 逸走という致命的弱点に対して覚えた曲芸・ドロップスティアーの代名詞である鋭角コーナリング。その滅茶苦茶な軌道については流石にトウカイテイオーも知っている。

 エルコンドルパサーの仕掛けを封じて苦しめた強制斜行・もとい直線潰しのブロックスパートの驚異が知られた以上、『アレよりはマシ』として各布陣は今回教科書通りの走り――最終コーナーを外に飛び出す戦法で行く事にした。名入も『まぁそりゃそうだ』と、その思考を読んでいる。

 

「今走ってる先行連中の上がりはまぁ速い。ロングスパートと坂の有利で一時的に先頭取られても、残り300メートルもありゃひっくり返せる。そう考えてるだろうし、同じ立場なら俺もそう思う」

「いや思っちゃダメでしょ」

「現実は受け入れるモンだ」

 

 鋭角コーナリングの弱点にはもう一つ、()()()()()()()()点がある。最終直線前にロングスパートを仕掛けなければならないという性質上、彼女の末脚は相対的に鈍い。

 ここはダービーの出走を競う場であり、坂の後にも中山レース場の最終直線並の距離がある平地直線が残っている。そこで末脚を出せば、上位クラスのウマ娘ならドロップスティアーより速く走れる。つまりこのままでは、射程内の相手を落とすだけ落として負ける。

 しかも、肝心のマーク対象であるタヤスアゲインは現在三番手。殆ど先頭に近い前方に位置を取っている相手に対し、鋭角コーナリングを掠めさせる事は出来ない。

 だが、名入達は青葉賞で好走しに来たのでは無い。()()()()()のだ。

 

「つー事で、このままじゃ先行集団に届いた後に差し返される。だから、最終コーナーで()()()()を使う必要があるんだよ」

「……と、飛び道具……?」

 

 トウカイテイオーの長い経験の中でも、レースの世界でも聞いた事が無い単語。さっきのマークといい、どうもこのトレーナーの言う事は初出の言葉が多い。

 マークで揺さぶりをかける事自体は多い。メジロマックイーンを倒したライスシャワーの様に、相手のペースに付いていきながら心理的に優位を取る戦法。『脅し』とまでは行かないまでも、マーク戦術を使うウマ娘にはそういった強みがある。

 だが、『飛び道具』は本当に意味が分からない。石でも投げるワケじゃ無かろうに、何を『飛ばす』と言うのか。そうこう考えている間に、先頭集団は第四コーナーに入る。

 ドロップスティアーは少しずつペースを上げ――少しずつ、逸走を始める。スピードその物は先頭集団にも追いつける程出ている、しかし大外側へと膨らんでいく以上、集団からは離れていく。

 

「――っすぅー……」

 

 このままでは届かない。だからドロップスティアーは、()()()を使う。

 スピードを上げて外へと走りながら、一息吸い込み――

 

  ◇  ◇  ◇

 

「お前のアイデア、ろくなモンじゃねーのばっかなんだけど……残り三つもそんなエグいのばっかなのかよ。マジで勘弁してくれよ、俺の脳が破壊されるわ」

「しっつれいですねー。少なくとも三つ目と四つ目は我ながらナイスアイデアだと思ってるんですよ?」

 

 いつぞや行われたドロップスティアー・五つの武器発表会。

 ヤマ勘ブロック・強制斜行。常識外れの、狂気の沙汰。それらを聞かされた名入は、既にお腹いっぱいであった。こんなトンデモ技がまだ三つも残ってるのかと思うと、げんなりすらしていた。仮にも担当ウマ娘の事なのに。

 だが考案者たるドロップスティアーからすれば、相手を自動的に敗北へと追いやる強制斜行(じばくわざ)に比べれば、残り三つの武器は遥かにクリーンでスマートな技だと思っていた。

 

「三つ目なんですけど。皆って最終直線で『たああー』とか『やああー』とか、すっごい叫ぶじゃないですか」

「まぁ、そりゃな。お前はバカ笑いしてっけど」

 

 最終直線。末脚を出しているウマ娘達は、追いつかれまい・追いつこうという気迫から、いつもは出さないだろう闘志溢れる叫び声を上げて走り抜ける。

 これは声で己を鼓舞しながらも、同時に息を大きく吐く事によって腹の底から力を振り絞るという作用がある。故に最後の最後、『絶対に勝つ』というウマ娘は全力で叫んで駆け抜ける。本能レベルで、そうする方が強くなれるとわかっているから。

 まぁ、叫ぶ代わりに狂った高笑いをしながら走る例外がここに居るのだが。

 

「つまり、レース中は()()()()()()()なんですよね?」

「……? 何同じ事言ってんだ、そりゃ出すだろ。力を限界まで振り絞る為なんだから」

 

 ほぼ同義の言葉を、ドロップスティアーは名入に確認する。名入は疑問に思った。

 大声を出すから全力を出せる。だからレースは大声を出して走る。歯を食いしばり声も上げずに走るウマ娘も居るが、大半のウマ娘達は最後の勝負所で声を上げる。

 レース中は、大声を出す。大声を出すから、レースは盛り上がる。

 

()()()()()()()んですよね?」

「何回同じ事言う気だよ――……んっ?」

 

 少しずつ。少しずつだが、ドロップスティアーの確認の仕方が変わってきている。

 何か嫌な予感がする。名入はドロップスティアーの言葉に対し、注意を向けた。

 

「レースの中の()()()()、声出して良いんですよね?」

「……なーんか、ちょっとだけ予想出来ちまった気がすんだが……」

 

 どんどん、ドロップスティアーの確認が露骨に、限定的になっていく。

 名入はなんとなく、なんとなくだが。このウマ娘の三つ目の武器を、察しつつあった。

 

「トレーナーさん。鋭角コーナリングで外から被せた時に相手がヨレるのは、自分の足音にビビるから、でしたよね」

「……元々はそういう所にも目を付けた技だからな」

 

 ドロップスティアーの立てる足音。これは選抜レースでの大外捲りから片鱗があった通り、近くを走るウマ娘の足取りを僅かに乱す効果がある程に大きい。

 それに名入は角度を付け、野球のクロスファイヤー投法の様にマーク対象へ軌道を向ける、という改造を施した。脅迫マークにしても、これは彼女の足音の大きさによって相手の動揺を誘発させる。

 それ程までにウマ娘が彼女の足音に影響を受けてしまうのは、()()()()()()()()からである。

 

「だけど結局、近くに迫らないと足音が届かない……このトレーナーさんの考えた致命的欠陥に対し、自分はある解法を導き出したのです!」

「……言ってみろ」

 

 もうこの時点で、名入はこのウマ娘が何を言いたいのか、どういう武器を考えついたのか、九割がた予測が付いていた。

 だが、一応。本当に一応、聞いてみた。

 

「名付けて! ”()()()”、です!」

「すげえバカっぽいな」

 

  ◇  ◇  ◇

 

「――どけェッッッ!!!」

 

 大外から大内まで、そして()()()()()()()届く程の大声。

 ドロップスティアーは、()()()()を先頭集団へ向け放った。

 




新たなるヤマスキル・その1

ちなみにメジロパーマー(アニメ版)の真っ直ぐなフォームは、真面目に陸上選手的には短・長距離の両方で扱われる効率的なフォームとされています。
ストライドで前傾しながら脚を伸ばす事は「後ろに脚が流れている」と言われており、「体の下で車輪を回す様に膝を曲げて走る」事がピッチの回転数と効率の両方に繋がります。
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