「な、何今の大声!?」
ドロップスティアーが出した大声は、観戦していたトウカイテイオーにも、そしてそれ以外の観客にとっても意味の分からない物だった。
何せ、彼女は逸走中――バ群から外側に流れている最中である。『どけ』と乱暴に叫んでも、彼女の進路を邪魔する者は誰もいない。そんな場所で、何故叫んだのか。
その言葉に意味は無い。だが、
「……よし、
「え?」
名入の呟きを聞きながら、トウカイテイオーは最終コーナー付近の動きを見る。
先頭集団達は、顔を歪めながら外側へ顔を向けた。当然それは、外側で上がった大声の主に何があったか、一瞬確認する為。
そして、
「……うわぁ、本当にあの速度で曲がれるんだ、アレ……」
スパートしながら急角度で曲がり、バ群へ向けて突撃する。
ドロップスティアー最大の武器・鋭角コーナリング。第四コーナー中間から先頭集団を一気に抜くべく、直線状のコーナーワークという矛盾の鋭さが発揮される。
しかし今回の場合、その
「「――……!?」」
先頭集団は、
本来、迫られるマーク対象一人が恐怖するその走りを、
「ウマ娘の耳はレース中にはセンサーとして使われる。特に自分の視界に映らない後続の足音、そういうのを聞いて後ろに迫られてるかどうか判断する訳だが……
ドロップスティアーは本来有り得ない直線軌道で、外側から一気に詰め寄っていく。その速度と軌道は、先頭集団の外側ギリギリを斜め後ろから刻むラインを描いている。
彼女達は今回、それを
「アイツは2000メートルある山を、歌いながら走り切れるなんて芸当が可能だ。それは同時に、
「……あの声の大きさだったら、
◇ ◇ ◇
「バカっぽいとはなんですかバカっぽいとはー!」
「いやバカだろ。なんだよ、”山彦
「んなワケ無いでしょ。バカですかトレーナーさん?」
「バカにバカって返される程腹立つ事無ぇぜ……」
三つ目の武器、”山彦砲”。それは単純にして、普通武器に成り得ないアイデアだった。
確かにウマ娘という種族は生態的に音に対して敏感であり、レース中は集中力に比例して聴覚も引き上げられる。だからこそ鋭角コーナリング・脅迫マークは、持ち前の大きな足音によって作用してきた。
遠くだとその足音が届かない。
思考その物は子供騙し。しかしこの小技には
「言っときますけど。自分がフルパワーで今大声上げたらトレーナーさん耳しばらく使い物にならなくなると思いますよ。歌いながら山を上り切れる位には、歌と声量に自信あんですからねこちとら」
「こえーよ。もうそれ攻撃じゃねえか。俺の耳を破壊する気か」
「ええ。だから”砲”になると思います」
ドロップスティアーの最大声量は大きい。キツい山道を歌いながら走り切れる、たったそれだけの理由で彼女は歌が上手いし、全力ならマイク無しで会場全体に届く声が出せる。いつもは音程重視でセーブしているだけなのだ。
それを裏付ける形として、彼女は
「別にデッカい声出しちゃダメ、なんてルール無いでしょう? だから最終コーナーで仕掛けようって集中してる相手にコレぶつけたら、遠くからでも動揺しちゃうんじゃないです?」
「お前の言う声のデカさが事実であれば、という注意書きが付くがな」
レース中に大声を上げるのは、自分の力を振り絞る為。それはウマ娘達の昂る闘争心を考えれば自然な事であり、当然ルールには『レース内では静かにしましょう』などという、学校の張り紙の如きしょうもない一文は存在しない。
故に、相手がどこで仕掛けるべきか、どう飛び出すべきか、算段を立て始めて前方への集中を高めている時。集中力と同時に鋭敏になっている聴覚に対し、大声をかけるだけ。これは全く違反にならない行為である。
たとえそれが、
「ついでに言えば、これ。
「あん?」
「よくわかんないタイミングで、めっちゃデッカい声が外側から聞こえたら。
「――……」
それを聞いて、名入はこの技の
鋭角コーナリングは元来、マークした相手に加速力を使って急接近し、相手を内側に押し込む技術だ。だがしかし、これは外から被せる瞬間――急速で近寄ってくるドロップスティアーの足音と姿を見せる事で、初めて作用する。
そしてレース中、
その一瞬だけ、大声を聴かされた前方全てのウマ娘がこちらを見る。
「音でビビらせて、こっち見た相手を鋭角コーナリングで更にビビらせる。コレでトレーナーさんが考えた弱点も一挙解決! いやぁ、自分の頭の良さに感謝して下さいよー?」
「発想その物は頭悪すぎるがな……中央のアスリートは基本、競り合う時に近くで大声を出し合ってんだ。レース中に声だけでビビらせようなんざ、普通ムリだぞ」
「なら今からプール来て下さいよ、今なら誰も使ってないでしょうし。自分のフルパワーの美声でトレーナーさんをぶっ飛ばしてあげます」
「『美声でぶっ飛ばす』ってどんなパワーワードだよ」
五つの武器の説明が終わった後、実際に名入はドロップスティアーの大法螺を確かめるべく、プール施設まで付いていった。
そして、
あまりの大声は外にまで響き、何事かと心配した通りすがりのシンボリルドルフが駆け付けた程だった。ドロップスティアーは『ちょっとトレーナーさんに怒っただけです』と弁解し、ギリギリ事無きを得た。名入の人柄の悪さは、シンボリルドルフも知る所だった為に。
文字通り耳が痛くなった名入は、日頃の行いという物を思い知らされた。
◇ ◇ ◇
ドロップスティアーはコーナーを直進する。先頭集団を掠める様な軌道の大外捲りの速度は、持ち前の加速力に加え、習得したミッドフットとパーマー式走法によって格段に向上していた。
故に、最終コーナーから抜け出そうと算段を立てていたウマ娘達は、耳が痺れると同時に鋭角コーナリングの恐怖で内にヨレて、脚が鈍る。それも、先頭集団の殆どが。
ストライド走法の最大の弱点は、一瞬脚が鈍ると速度と次の加速が損なわれる事。故に”山彦砲”と鋭角コーナリングの驚異を同時に受けた全員は、ドロップスティアーのロングスパートに追いつかれる。
これに耐えられたのは、既に最終コーナーを抜ける寸前の前方に居た三人――タヤスアゲインを含む逃げ・先行バだけであった。
「だっはっは、効いた効いた。さぁ、とっととブチ抜けバカ娘ー」
「うわぁ、ホントに前の子達凄い顔しちゃってるじゃん……」
山彦砲と共に使った鋭角コーナリングの一度目で先頭集団を怯えさせながら、直進する速度で強引に大外から追いつく。そしてコーナー終わり際、スパートを維持しながら二度目の鋭角コーナリングを使い、外側から強引に曲がりラインを取る。
この時点で、ドロップスティアーは四番手にまで上がってきていた。
「初の2400メートルだ、あの感じじゃ逃げウマはもう保たん。実質残りの相手はタヤスアゲインと……メジロランバートか。意外だな、アイツここまで粘れるヤツだったのか」
常に先頭を走っていた逃げウマ娘は既に最終直線の坂の中腹まで上っていたが、既にその表情は一杯一杯だった。彼女はペース配分を然程間違えた訳では無かったが、やはりこの大舞台・長距離で逃げ切るにはスタミナが一歩足りなかった。
ドロップスティアーの直線速度は、持ち前の加速力によってトップスピードに到達している。その速度のまま、200メートルの坂へと入った。
「……あの速度で最後まで保つの? どんだけ鍛えても、あれだけ早仕掛けした上にティアの脚の回転数じゃキツいんじゃない?」
「ココの最終直線は坂有りでクソ長い。アイツのロングスパートは普通にやってちゃ前に届かないからやってるだけで、ピッチ走法で走り切るにはこのホームストレッチは長過ぎる」
「……あれ、つまりそれって――」
「あのペースじゃ保たん」
「ダメじゃん!?」
先頭には逃げウマ一人、内側にはメジロランバートと名入の本命であるタヤスアゲイン。その三人は坂で僅かに脚を鈍らせており、このペースなら坂の終わりまでに余裕で追い抜ける。
だがそれは、ドロップスティアーがピッチ走法の全速を出しているからだ。本来スパートとは、ラスト一・二ハロンで仕掛ける物。故にこの長い直線で、逃げウマ以外の内側二人はまだ脚を残している。
坂での速さによって追いつけるが、今回は仕掛けが早過ぎた事によって、ドロップスティアーはこのままではゴール前にスタミナ切れを起こしてしまう。
なので。ドロップスティアーは、名入が以前から教えていた
「ところで帝王サンよ。プールで最速の泳ぎ方ってなんだと思う?」
「へっ? ……クロールじゃないの?」
「ブー、ハッズレー。もっと速い泳ぎ方を忘れてんぜ」
目の前のレースとは全く無関係な雑談を唐突に振られ、トウカイテイオーは誰もが正解と言うだろう答えを咄嗟に返す。
プールトレーニングは体の動かし方を学ぶべく、様々な泳法を試す。しかし一番速く泳げと言われれば、誰もがクロールをするだろう。しかし名入はその正答を否定した。
クロールは確かに総合的に最速の泳法である。しかし、実は
「アイツは坂に強い。坂路施設を『ちょっと斜めった道』とか抜かすレベルで坂に強い。2400メートルの終盤のこの坂だろうが、まるで物ともしねえ」
「え、答えは? ねぇ答えは?」
名入はそこでトウカイテイオーを無視し、ドロップスティアーの走りを見据える。
200メートルある坂を全速で抜け、内側の二人を抜く。それは当然、内側の二人がまだ脚を溜めているから。ドロップスティアーがスタミナをゴール前に燃やし尽くす様な、そんな破滅的な脚の回転数で走っているからである。
このままでは保たない。トウカイテイオーはそう睨んでいたし、名入もそれを肯定した。
しかし。坂を登りきった時に、ドロップスティアーは――
「――にっ、
二段階スパート。スパートをかけながら、そこから更に加速するという異常な末脚。かのオグリキャップが得意とした、天性の技術である。それを、ドロップスティアーは――
「そんなモン、アイツが
「え、えっ!? いや実際、坂終わってから速度上がってるよ!?」
「さっきの答えだ。俺はアイツに、クロールより速い泳ぎを教えてやった。それがあの二段階スパート
「クロールより速い泳ぎ方って、何なのさ……?」
「決まってんだろ」
名入は手に持っていたココアシガレットを食べ切り、もう一本を箱から取り出し。
”クロールが一番速い”という常識に縛られた者を小馬鹿にする様に、言い放った。
「
◇ ◇ ◇
「――せ、潜水……?」
「んだよ、そんな難しい事言ったか俺?」
名入がドロップスティアーのトレーナーに付き、ドロップスティアーのプールトレーニングが始まって少しした頃。クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライ。一通りの泳ぎ方を教えられた後、名入はドロップスティアーに
「わかんねーなら教えてやるよ。難しい事じゃねえ、スタート台から飛び込んで潜り続けて泳ぐ。全身真っ直ぐ伸ばして、なるべく脚の力だけで進む。ラクだろ」
「まぁ、そりゃわかりますけど……」
潜水泳法。それはある種、プールで泳ぐ誰もが知る最速の泳法である。
スタート時に水中へ潜り、そのまま体を真っ直ぐにして初速をなるべく落とさず泳ぐ。体が限り無く真っ直ぐに近い為、水中での抵抗は限り無く少ない。抵抗が少ない、つまり速い。これは誰もが分かる、当然の帰結である。
しかし、プールトレーニングでこれを鍛える者は殆どいない。それもまた、誰もが分かる理由があるから。
「ともかくやってみろ。飛び込みはナシ、スタートから潜って泳ぎ続けろよ」
「まぁいいですけど……そんなんラクショーですし」
言われたドロップスティアーは、スタート台からプールの壁際に降りる。そして息を吸ってからその場で潜り、壁を蹴って潜水泳法を始めた。
体を真っ直ぐにして、脚を波打たせるドルフィンキック。山でのショートカットによって体を思う様に動かすセンスは人一倍にあるドロップスティアーは、それなりに泳ぐのも上手い。言われた通りに潜りながら、真っ直ぐ体を伸ばしつつ途中でバタ足に変え、脚の力だけで前へと進む。
そして、息の限界まで泳ぎ進んだ所で浮上した。
「何ミスってんだ、だあほ」
「へっ?」
限界まで潜水で進んで止まった。そこに名入はダメ出しをしてきた。
別にそこまで間違ったやり方はしてなかったと思うんですけど。そうドロップスティアーが思った所で。
「潜って泳ぎ続けろっつったろ。ちゃんと
「――はぁっ!?」
それはとんでもない無茶振りであった。何せ、トレセン学園のプールの距離は五十メートルあるのだ。
クロールで泳ぎ切るにもそれなりの時間を要するこの距離を、
「い、いやいやいや! 距離ありすぎでしょ! ムリじゃないですか!?」
「
「え、えぇぇ……」
潜水泳法は最速の泳法である。何せ、”泳ぐ”というプロセスで発生する水中での抵抗が無いのだから、それは速いに決まっている。
だが、使うのはスタート直後のみ。水泳のタイムを競う際も、潜水して良いのはスタートから十五メートルまでという制限がある。潜りながら泳ぎ続けるのは体力も必要とする為、速いと分かっていてもターン時では良い所十メートルぐらいしかやらない泳ぎ方である。
「お前は結局ロングスパートで勝負せざるを得ない。だからどっかしら、
「……え、えーと……マジで五十メートル、息継ぎナシで泳ぐんです……?」
「ウマ娘の脚力と肺活量なら別にそこまで難しくねーだろ」
名入はしれっと言うが、難しいに決まっていた。
ウマ娘の脚力は高く、スタート時の初速はある。そこで潜水の距離も稼げる。だが、最初の勢いが失われた後は脚を動かす力でしか進めなくなる。しかも”潜水泳法”で五十メートルを泳ぎ切るなら、浮力に逆らい水中に沈み続けなければならないのだ。
なのに息継ぎもせずに最後まで泳ぎ続けるなど、どんなプールトレーニングでもやらない。しかし、名入はドロップスティアーの指導開始から早期の段階でそれを求めていた。
「別に今日明日出来る様になれとは言わん。だが、そん位の呼吸量が無きゃ、お前のピッチ走法でのロングスパートは最後まで保たん。元々燃費が最悪なんだ、なら息の入れ方で差ぁ付けろ」
「マジですか……」
「大マジだ。オラ、もっかいやれ」
譲る気全くナシ。そんな名入の態度に、渋々ドロップスティアーはスタート地点へ普通に泳いで戻る。
”プールのヤツ”。名入がこれまでちょくちょく口にして教えていたのは、潜水だけで泳ぎ切れる程の息の入れ方。最速の泳法にして、
「まだ二十メートルぐらいしか届いてねーぞ! 戻って来いやぁー!」
「ムチャですってこれぇぇぇ! 勝手に体浮くし息めっちゃ苦しいんですよぉ!」
「だから『息めっちゃ吸え』つってんだろーがー!」
「まずトレーナーさんがやってみて下さいよぉ! こんなん絶対ムリですからぁ!」
「走るのはお前なんだから、お前がやれやぁー!」
「あんまムチャ言ってるとプールに引きずり落としますよぉ!?」
そしてプールトレーニングの度に、こんな会話が繰り返され続け。
「――っしゃあああ! 五十! 五十メートル! やりましたよ、やってやりましたよトレーナーさん! あははっ、どんなモンですかざまーみろですぅー!」
「オーケー。じゃあ
「出来るわきゃねーでしょうがぁぁぁっ!」
「だから『息めっちゃ吸え』っつってんだろーがー!」
「プールに引きずり落としますよぉぉぉ!?」
やっと出来たと思ったら、更なる無茶振りが飛んできて。
プールの日々が来る度に、ドロップスティアーはひたすら一杯息を吸い、
無理無理無理。出来る訳が無い。何度もそう思う度に理不尽な叱咤と指示を受け続け。
――そして。
「――ッ、ハァーッ、ハァーッ……! うぇっ、けほっ、けほぉ……! うぉぇえぁあぁ……」
「……出来たじゃねーか」
その無茶振りは。つい最近、
◇ ◇ ◇
「――あははははっ!!」
ロングスパートから、更にスパート。誰もが目を疑う再加速、
坂だろうが平地とろくに変わらないドロップスティアーは、
それにより、ドロップスティアーは早仕掛けとピッチ走法で消耗している筈のペースを、笑いながら維持して走り続けていた。
「せ、潜水で往復って、ムチャクチャすぎだよ……」
「無茶だろうが出来りゃ正義だ。パーマー式走法の効率と、あの
スパートをしながら坂に突っ込み、一瞬で息を入れ直しながら先頭の三人をブチ抜いた。しかし、レースは元々ここからが本番である。
「逃っ、がすかぁーーーっ!!」
タヤスアゲイン。ドロップスティアーに並ばれ、坂を上がり切る前に抜かされた、二番人気の先行バ。
皐月賞で入着出来なかった彼女は、それでもGⅠの大舞台――ダービーに出る事を諦めていなかった。だから短い間隔で無理にでも調整し、この青葉賞で勝ちに来た。
彼女の脚は先行の位置を取り続けた事で限界に近い。しかし『絶対に諦められない』という勝負根性によって掛かった彼女は、ドロップスティアーより僅かに速い、限界を超えたスパートを引き出していた。
「……大分、微妙だね。あのスパートが保つんなら、最後辺りで競り合って並ばれる」
「マジでよくわかんなー。まぁ俺も届くんじゃね? とは思ってるけど」
「大丈夫なの? まぁ二着でもダービーには出れるけど――」
「はぁ? 何言ってんだ、
トウカイテイオーの洞察は正しい。タヤスアゲインは皐月賞での悔しさ――『あの三強以外今年のダービーウマ娘は有り得ない』とすら言われた、その時の悔しさをバネに限界まで力を振り絞っている。
最後の最後、掛かる事――本能による根性の伸びというのは、バカにならない。事実トウカイテイオーが三度の骨折明けから復活した有馬記念は、『絶対に勝つ』という強い想いを貫いたからこそ勝てた。しかもその時、彼女の上がり三ハロンは過去最速を記録していたのである。
このまま行けばもつれ合い、勝敗は分からない。だがしかし、名入は『勝つ』と確信を持って断言した。
「競り合って速くなる、か。うちのバカにも聞かせてやりてえぜ。アイツ競り合っても速くも遅くもなんねーし……まぁ、俺はそんな不確かな根性論は嫌いなんだがな」
少しずつ、少しずつ。末脚を維持して出しているドロップスティアーに対し、タヤスアゲインは自らの走りの限界を超えて近寄っていく。負けない、勝つ、絶対に。そういう根性で、競り勝とうとしている。
一方でドロップスティアーはそういう事が出来ない。彼女の頭にあるのは、考えた事を仕掛けてゴールする事のみ。レース中には他者に介在しても、彼女の走りの中には他者は存在しない。故に、限界を超えた力を出せない。
「最後には競り合って勝つ。良い根性だと思うが――
残り100メートル強。タヤスアゲインはついにドロップスティアーの背後、約一バ身弱の所にまで迫って来た。このまま走り切れれば、差し返せるかもしれない。そういうペースと距離。
――そういう。
◇ ◇ ◇
「まぁその山彦砲とかいうしょーもねぇ技の検証は後回しにするとして。残り二つはなんだよ」
「ふふん。トレーナーさん、山彦砲を聞いて思いませんでしたか? この技、遠距離攻撃技みたいだなー、って」
「そもそもレースは誰かを攻撃する場じゃねーんだよ、だあほ。……まぁ、遠くから作用させる技なのは間違い無いな。お前の大法螺が正しければ」
名入達が”山彦砲”の検証に向かったのは、五つの武器を聞き終えてから。故にこの時点で、名入は山彦砲については『そんなモン効くワケねーだろアホくさ』って感じの印象を抱いていた。
強制斜行のえげつなさから一転して、子供騙しの技が来た。山彦砲にしても、本当にこのウマ娘が言う様な大声であれば相当な作用ではあるだろう。そして名入はこの後犠牲者第一号となったのだが。
鋭角コーナリングにしても脅迫マークにしても、ドロップスティアーが使う技は基本的に中央では類を見ない”攻撃”的な技能だ。なので当然、四つ目も
「そんじゃ、いきますよー」
「は? 何を――」
そしてドロップスティアーは、いきなりその場で震脚を撃った。
「だあああ!? 何すんだテメー! 床割れたらどーすんだ――っつーかヒビマジで入ってんぞオイィ!? お前、加減ナシでやりやがったな!?」
「これが
「あぁ!?」
ドロップスティアーの震脚、もとい超パワーによるただの足踏み。数々の名入の身を脅かすだけ脅かしてきた、名入以外に使った事が無い技。
「ストライド走法って、『一歩でどれだけ跳ぶか』みたいなトコあるじゃないですか。自分はぶんぶん脚ブン回してますけど、皆は一歩でどれだけ前に進みつつ脚回すかとか、そういう事考えてんでしょ?」
「そりゃそうだが……うげえ……これ修繕費どんぐらいかかんだ……?」
「で。スパートかける時って、脚の回し方にはめっちゃ気を付けますよね?」
「そりゃそうだろう――が……」
ドロップスティアーは地頭は悪くない。故にピッチ走法の短所や、ストライド走法の長所を良く知っている。
ストライド走法は”質”、ピッチ走法は”数”で勝負する。強制斜行により、一歩の出遅れでスパートが鈍ったエルコンドルパサーの様に、一歩でもストライドがズレれば脚は鈍る。それ故に、鋭角コーナリングによる揺さぶりは相手の末脚を遅くしてきた。
だが。もしもこの揺さぶりが、
「これまでのレース映像で、皆がラストで競り合った時に速くなるのは見てきました。つまり、ラストで速くなるのは
「……え、お前……マジでやんの……?」
最終局面で競り合い、掛かり、自分の限界を引き出す。それはウマ娘の本能的な一面だ。
当然その時、そのウマ娘の走りはいつも以上に磨きがかかっている。しかし速度が更に上がっているという反面として、
その考えから、競り合いでは相対的に他より弱いと言えるドロップスティアーは、
「近くで競り合ってる時に、
競り合いの中で速度が乗り切った相手の近くで、強く足踏みをする。
当然それは、本来何の効力も発揮しない踏ん張りでしか無い。だが、接近するだけで相手をヨレさせる程の足音を――
「これぞ近距離専用必殺技! 名付けて”
「シンザンの名誉毀損で訴えられやがれ」
ダートすら割れるのでは無いか。そう思われた彼女の脚は、実際に
それは競り合いの中でのみ使える、
◇ ◇ ◇
「うッ――!?」
刹那、轟音。もう少しで届くと思ったその時、
必死で脚を回していたタヤスアゲインは、目の前のウマ娘がとんでも無い踏み込みをしたのを見た。それと共に、
生い茂る芝により、踏み足の力はコンクリートの様に伝達されない。しかし、
結果。競り合う寸前でタヤスアゲインは、
「いやー、アレいつも喰らってる身としちゃ、あの近場で喰らいたくねーわ……なんせ、
「ス、スゴいねアレ……ズドォンって、ここまでホントに聴こえたよ……」
ドロップスティアーの震脚は本来、ただの力任せの足踏みでしか無かった。名入を脅す為、本当にその為だけに使われてきた力技であり、ターフを揺らす程の力は無かった。
だが、彼女は
その上、彼女はその場で足踏みをするという大ロスをしていながら、
ストライド走法は質を問う。故にその揺れに弱い。ピッチ走法は数を問う。故にその揺れに強い。震山脚とはある種、二つの走法の特徴の極致によって”技”として成立してしまったのだ。
《タヤスアゲイン失速――いや持ち直した! しかしこの差は大きいぞ! メジロランバートが来た、しかし依然先頭はドロップスティアー!》
一歩のロスで速度を損ない、体勢を立て直す。しかしその間に、タヤスアゲインは内のメジロランバートに並ばれてしまった。
最後の競り合い・追い比べを
必死で縋り付くも、内から来たメジロランバートに差される。限界を振り絞るべく集中していた彼女は、集中していたが故にその一歩の地震によって致命的な失速をしてしまった。
タヤスアゲインはロスを挽回出来ない。残るは、ドロップスティアーの技の影響を殆ど受けていないメジロランバートのみ。
――しかし。
「……なぁ、帝王サンよ。メジロパーマーは、強いウマ娘だよな?」
「よりにもよってボクに聞く? ……当たり前じゃん。そりゃ大逃げだから浮き沈みは激しいけどさ、有馬でも勝ったんだよ? 誰も『弱い』なんて言うワケ無いでしょ」
「そう、メジロパーマーの走りは大逃げだ。最初にリード取って、失速するより前にゴールする走り――そんな作戦を
「逆転――」
懸命に前を目指すメジロランバート。失速から立ち直るタヤスアゲイン。彼女達は、一人の背を追う。そんな中、トウカイテイオーは一つの謎掛けを受けた。
大逃げは、ある種最強の作戦だ。最初から最後までリードする――
最初にリードを取り、最後に失速する。そんな作戦の
《伸びる伸びるドロップスティアー! 全く落ちない! メジロランバート届かない、タヤスアゲインと三番手争いか!》
本来、”彼女”の走りは苦肉の策から始まった。模擬レースでは全敗、選抜レースでも”絶対”勝てないとすら言われた、歪み切った走り。始まりは”黄金世代”の足元にも及ばず、変則的な能力と戦術を駆使する事でなんとか戦ってきた。
しかし、今。この世代の誰よりも質と量、そして奇抜なトレーニングを
《ドロップスティアー、ドロップスティアー! 今、一着でゴールイン!》
メジロランバートよりも先に、ドロップスティアーがゴールする。
彼女は中央の重賞という舞台で。ついに、
「――あはっ……」
「――くくっ……」
ターフの上。ウイニングランの最中で、一つの笑いが溢れる。
観客席の前。”速度”という武器を見て、一つの笑みが浮かぶ。
「あはっ、あははっ……あははははっ!!」
「くくっ、くくくっ……だーっはっは!!」
ダービートライアル、青葉賞の勝者・ドロップスティアー。そのトレーナー・名入。
彼女と彼は、この世代の首に届き得る”武器”を得て。全く同時・同質の高笑いを空へ上げた。
どんだけ技と駆け引きがあろうが、この世の理は即ち速さです。
こんだけ伏線使って、ようやく主人公としてのスタートラインに立てました。
ちなみにプールで本当に最速を出すなら潜水ドルフィンにクロールを取り入れるのが一番速いハズです。こっちはガチで死ぬ程体力を消耗しますが。
あと潜水泳法の距離を競うフリーダイビング大会では、道具無し・息継ぎも無しで100メートル以上を泳ぐ記録が実在します。