ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『決戦前』

 ――NHKマイルカップ。今世代のマイル最強ウマ娘を決める、クラシックGⅠの一つ。

 かつては日本ダービーの前哨戦として行われていた経緯から、その立地は東京レース場・1600メートル。このレースには、実の所多くの波乱が起こり得る要素がある。

 東京レース場の特筆すべき特徴は、直線の長さ。ホーム・バックストレッチ、両方が極めて長いこのコースでの1600メートルには、コーナーが二つしか存在しない。

 元来、最終直線が長いこのコース場は末脚の鋭い差し・追込がハマりやすい。だがしかし、この直線二つ・コーナー二つというシンプル極まりない構造は、前残り――逃げウマにも有利な展開となりやすい。

 シンプルな構造故に、速度や瞬発力を重視したスプリンターのウマ娘も好走出来る。しかもここには、()()()からのウマ娘も流れ込みやすい。

 2000メートルが限界と悟った、距離短縮を図ってやって来る皐月賞の出走者。同じく距離の理由で、トリプルティアラを捨ててやってくる桜花賞の出走者。

 そういった、日本ダービーとはまた異なる強者達が一同に集うレース。それこそが、NHKマイルカップなのである。

 ――だが。

 

「――……」

 

 東京レース場・パドック。九番・エルコンドルパサーが姿を顕す。

 ダートから芝へと転向し、そして芝でも負け無し。マイルカップのトライアルレースであるニュージーランドトロフィーでも、二バ身差で文句無しの完勝を遂げてこちらへやってきた、無敗のウマ娘。

 ダート上がりのウマ娘などと侮る人間は最早誰も居ない、”黄金世代”を司る一角。これまでの戦績から見ても、そしてトライアルの結果から見ても、当然の一番人気を与えられた彼女は。

 ()()()()()()

 

「……」

 

 腰に手を当て、ふんぞり返って自信のある姿を見せつける。そして無邪気に笑ってみせるのが、彼女の平常のルーティーンである。

 しかし、今回彼女は()()()()()()()()。ただ勝負服を纏った自身を見せ、肩の力を抜いて立つのみ。その顔に笑みは無く、力みも無い。完全なる自然体。それが恐ろしかった。

 自他共に認める強者、”怪鳥”。そんな彼女は、このマイルカップを前にして()()()()()()()()()()()のまま、無言でパドックを後にした。

 何も語る事は無い。ただ、走るのみ。ファンサービスを是とする彼女らしからぬ、しかし緊張も何も無い姿。そんな彼女を見て、観客は思った。

 ()()()()。共に走るウマ娘だけでなく、観客にすらそう思わせる様な、静かな迫力。

 レースを良く知るファンは、()()を一度見た事がある。静かながらも、闘志を極限まで押し込めた様な威圧感。

 

「……()()()()()()()()()()だったな……」

 

 衝撃の朝日杯フューチュリティステークス。彼女がパドックで見せた微笑みは無かった。だが、()()()()()()だった。

 静かに佇まい、ただ走りを見せつけ、そして勝つ。そういった雰囲気。

 スプリンター組・皐月賞組・桜花賞組。数々の強者が集い、コースの単純さ故に逃げ・先行・差し・追込、どんなウマ娘も力を発揮しやすいこのレースで――

 

  ◆  ◆  ◆

 

《――先頭はエルコンドルパサー! エルコンドルパサー! エルコンドルパサーが先頭だ!》

 

 王道の先行戦法。最初から好位を取って保ち、そのまま最終直線。彼女は、何一つ崩れる事無く。

 

《堂々と先頭だ! まだ伸びる、まだ伸びる! エルコンドルパサー、エルコンドルパサーだ!》

 

 ()()()()()。一度先頭に立った後、彼女はただ走り抜ける。残り一ハロンで、必死で追い縋ろうとする後続を更に突き放し。

 

《エルコンドルパサー、ゴールイン! やはり強かった、強かったエルコンドルパサー! マイルの頂点を、”怪鳥”が悠々と飛び越えて行ったーっ!!》

 

 影すら踏ませぬ、”絶対”の強さ。彼女は、NHKマイルカップを三バ身差という形で示し。

 マイルの頂点に()()()()()()。まるで余所見をしないまま、『世界最強』という自分の目標へ向け。彼女は、飛翔した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「なぁ……”絶対に勝てない”って思ってたヤツが、なんでまだ強くなってんの? こんなモン俺のデータには無かったんだけど……?」

「ヤッバいですねぇ……テレビ越しでもちょっとピリッてキたんですけど、今のエルさん……」

「それ多分単なる鳥肌だと思うぞ。……俺もキてるし」

 

 NHKマイルカップを三バ身差で圧勝するエルコンドルパサーをライブ映像で見て、名入とドロップスティアーは心底恐怖していた。

 今日のエルコンドルパサーは、紛れもなく自分の”最強”を引き出していた。ドロップスティアーとの対戦とグラスワンダーの怪我。二つのイレギュラーが短期間で重なった結果、彼女の精神は飛躍的に成長していた。

 精神が強くなろうと、脚が速くなる訳では無い。だが、()()()()()()()()。レースという絶対が無い場において、自身の全力を出し尽くせるというのはそれだけで強さに直結する。

 ドロップスティアーが歪んだ走りでもなんだかんだ入着出来てきたのは、相手の全力を抑制しながら自分の全力を引き出す、そういう二重の戦術的優位があったからだった。エルコンドルパサーは()()()()()したのである。

 即ち、()()()()()()。相手のあらゆる戦術を、真っ向から叩き伏せる。それこそが”絶対”の勝ち筋であり、今日のエルコンドルパサーはそれをやってのけたのである。

 

「……”黄金世代”、か……とんでもねえ奴らと同じ時代に生まれちまったもんだぜ……」

「エルさん達が『最初から既に選ばれてる』なんて大層な言い方してたの、トレーナーさんじゃないですか」

「いやマジでおかしい。最強じゃねえのかマジで。マイルカップで三バ身差付けるとか、敵居ねぇぞこんなん。類友とは言うが、グラスワンダーとどっちが上かマジ分っかんねぇ」

 

 『グラスワンダーがいれば』、このレース前に一部の人間はそう囁いていた。それは両者の上下を確かめたい気持ちよりも、”最強”と謳われていたグラスワンダーが居ない中でマイルの頂点を決める事への疑念が強かったからだ。

 だが、終わった今ではそんな一方的な感情など吹き飛ばす程の力をエルコンドルパサーは示してみせた。『世界最強』、彼女の口癖はこのレースの完勝によって少しずつ現実味を帯びてきている。

 朝日杯をレコード勝ちしたグラスワンダーが世間の目を一身に集めた様に、今度はエルコンドルパサーがその座に付いた。『もしも』などと、誰も言う気になれなかったのである。

 

「……ダービーは……まぁ出ねぇか。流石にあんだけの走りしてりゃ、脚の負担もバカになんねーだろうしな」

「そんなモンです?」

「お前のバカ耐久力とバカ回復力と比べんな。間違いなく今日のエルコンドルパサーは限界まで力出しやがった。そういうダメージは見えねえだけで取れねえモンなんだよ」

 

 勝利者インタビューに入り、エルコンドルパサーはマイルカップを制した事への喜びを発した後、暫くはレースに出ない旨を示した。これは当然の事ではあったが、名入を心底安心させた。

 『本当に”最強”を示すならば、日本ダービーも出るべきだ』。そういう世間の声はあるが、実際問題ウマ娘の脚は瞬間的な出力が高い以上、極めて傷付きやすい。

 ハードな負担で筋肉が傷付くだけであれば、超回復による成長が見込める。だが、骨や腱へのダメージはそうはいかない。強すぎる力は、そういった診察ですら届かない深い位置にすら影響を及ぼしてしまう。

 入念に気をつけても骨折を繰り返してしまったトウカイテイオーの様に、自覚出来ない傷という物は実在するのだ。現に”最強”のグラスワンダーも今、トレーニング中の骨折により半年の療養を余儀なくされているのだから。

 

「次走は未定、ね。……どうだか」

「? どうだか、って?」

「アイツの目標はジャパンカップなんだろ? 普通に考えりゃ、マイル寄りのエルコンドルパサーは距離延長の為にこっから調整挟むだろうが……こんだけの力があるんだ、十二月まで何もしないって事ぁ無ぇだろ」

 

 エルコンドルパサーのトレーナーが『マイルカップに勝利した事で頭が一杯なので、まだ次のレースは決めていない』とインタビュアーに答えているのを見て、名入は嘘臭いと思った。

 これだけの力を見せつけておいて、のんびり距離延長に専念するなどとは思えない。ジャパンカップを目指す以上慎重な調整はするだろうが、間にいくつかレースを挟むだろう。問題は、それが何処になるかというだけで。

 名入は強いウマ娘には強いトレーナーが付いていると考えている。その理由は『楽観的よりも悲観的に考える方が作戦立てやすい』という単純な物だが、今回の場合は規格外過ぎてどう考えるべきかわからない。

 共同通信杯の時の様に、衝突事故(ランダムエンカ)しなきゃいいんだが。そう思うしか出来なかった。

 

「……ま、ヤベーヤツがさらにヤベーヤツになっただけだ。遭遇したらちょっと負けを覚悟すりゃいいだけだ、つまりいつも通りだな」

「ですねー」

 

 とはいえ、最初から”絶対に勝てないシリーズ”と名付けていた相手なのだ。想定以上の成長曲線を描かれるのも、ある意味想定内ではある。

 出走するレースが決まれば、名入の運営する情報網(サーバー)が確実にキャッチするだろう。最初の芝レースにホープフルステークスを選ぶ様な規格外の相手に、常識を求めてはならない。

 『向こうはすごいなー』、そういう隣の青い芝を見るレベルで見ておけばいい。ぶっちゃけ現実逃避甚だしい考えではあったが、こちらには向こうの将来を考える余裕など無い。本当に無い。

 何故なら、自分達の眼前にはそれ以上の問題――日本ダービーが迫っているのだから。というか、()()()()の問題がまだ片付いていなかった。

 

「……で、トレーナーさん。自分の勝負服まだです?」

「今日届く筈なんだが……しっかしお前、無駄にデザインに拘ったよな。そういうの気にしねえタチだと思ってたぞ」

「しっつれいですねー、自分みたいな乙女に向かって。コレでもファッションには気を付けてるんですよー?」

「……”乙女”、検索――”年の若い女”か。チ、間違ってねえな……」

「わざわざウェブ辞書使ってまで何の間違いを探したんです? どこに間違いがあると考えたんです?」

 

 勝負服。GⅠに出るウマ娘の、自分専用の服装。ドレスコードとも言うべきソレは、未だ届いていなかった。

 名入はいつもの態度をかなぐり捨て、全方面――先輩トレーナーや勝負服の関連会社など――に土下座する勢いで、勝負服関係の手続きを聞き回って調べた。その甲斐もあって、手続きその物は早期に調べ上げる事が出来た。

 だが、肝心のデザインについてで難航した。まずトレーナーたる名入自身がデザインに疎く、ドロップスティアーがデザインに拘るタイプであったが故に、二人だけではまるで案がまとまらなかった。

 そこで名入は仕方無く、会社にもう一度頭を下げて専属デザイナーを雇った。ドロップスティアーはデザインに拘るタイプであったが、それを表現する力が無かった。なので、あれこれとした要求をその場で翻訳・描写出来る専門家が居なければ話が進まなかったのである。

 『こいつマジでめんどくせえ』。名入はそう思い、実際に口に出し。そして真・震山脚――コンクリートの床で放つ、振動伝達率百パーセントの完全版(フルパワー)――を受けてひっくり返された。ついでに床も砕けた。

 

「すみません、勝負服会社の者です。仮仕上げになりますが、勝負服をお届けに参りました。遅れて申し訳ありません」

「おーっ! 待ってました待ってましたー!」

「いや申し訳ないのはこっちッス。これまで散々迷惑かけてスイマセンした」

 

 そんな回想を挟んでいると、トレーナー室の扉がノックされ、今回散々お世話になってしまった専属デザイナーの女性が小包片手にやってきた。

 ドロップスティアーは無邪気に喜ぶも、名入は本気で謝罪をせざるを得なかった。ダービーまでのトレーニングの合間、僅かな休息を縫って三人で云々と唸る事・約一週間。その一週間で、暫定版とはいえこのデザイナーと会社は見事勝負服を仕上げてみせたのである。

 後はウマ娘が実際に着てみて調整し、実際のレースで耐え得る様に完成させるのみ。ゼロから一週間でこれだけの仕事をこなしたのを見て、名入は心底プロは違うなと思った。専属デザイナーまで雇い強行軍した分だけ、かなりの出費にはなったのだが。

 

「うおー、”自分専用”って考えるとなんかすっごいテンション上がりますねー! 早速開けてみていいですかいいですか!」

「ふふっ、良いですよ。着方についてもこちらでお教えしますね」

 

 失った(かね)ばかり数え始めてナイーブになり始めた名入をよそに、ドロップスティアーは小包をウキウキで開け始めた。

 趣味でトウカイテイオーのレースを見まくったり、地獄マラソンのクールダウン中に様々な菊花賞(てほん)の映像を見せられてきた事もあり、実際に自分が勝負服を着るとなった今、テンションは鰻登りとなっていた。

 GⅠに出走出来るウマ娘は、それこそ中央でも一パーセント前後。全国最速を競う世界の、百に一つの存在。それだけに、勝負服を着る事その物を夢に見るウマ娘も多い。ドロップスティアーは夢を見るウマ娘では無かったが、自分専用の服という事への憧れはあった。『あー良いなーアレ』程度の、凄まじく軽い憧れではあったが。

 

「おー、おぉー……! よーし、早速――……トレーナーさん?」

「あ? んだよ」

「……勝負服。着たいんですけど?」

「さっさと着ろよ」

「今から着替えるから出てけ、って言ってんですよぉー! またひっくり返してやりましょうかー!?」

「だぁー分かった分かった! 分かったからその凶器を上げるな!」

 

 そういやコイツ女だった。完全にその事実を忘れてダラけていた名入に、ドロップスティアーが右足を上げる。

 慌てて座った椅子から転がり落ちる様に名入は全力で逃げ出した。足を上げただけで全力で逃げ出した名入の姿をデザイナーは奇妙に思ったが、別に追求しようとは思わなかった。

 

「声かけるまで扉開けないで下さいよ! 覗きとかしたらマジでズドンですよズドン!」

「お前の『ズドン』はガチでシャレになんねーんだよ! 大体、今更お前の体に興味なんざ無ぇよ。今までトレーニングでずっとあんな姿晒してきただろ――」

「――死にたいんですか?」

「スンマセンでした」

 

 ドロップスティアーが、一瞬全ての表情を失う。瞳を全力で開いた、透明な殺意。

 珍しく耳を後ろに絞った彼女は、恐ろしかった。迫力だけなら今日のパドックでのエルコンドルパサー並である。名入は濃厚な死の気配を一身に浴び、心底からの謝罪を残してトレーナー室を後にした。

 

「……人前ですみませんでしたデザイナーさん。じゃあちょっと着てみますねー」

「は、はぁ。えーと、トレーナーさんは大丈夫ですか? 凄い顔してましたけど……」

「知りませんあんなばか。ほっといていいですあんなばか。ばかトレーナーさんなんで」

「……はぁ……」

 

 表情をフラットに戻し、改めてドロップスティアーは小包の中身に向き合う。

 自分が考えた、自分専用の服。改めてその特別な服の存在により、ノンデリカシーで下がった気分を少し上げ直し、そしてドロップスティアーは着替え始めた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――トレーナーさーん。もう良いですよー」

「……マジで良いんだろうな。もう床を虐めんじゃねえぞ」

「トレーナーさん次第でしょ。言っときますが、トレーナーさん以外に自分はあんなマネしませんからね?」

 

 トレーナー室の中から許可の声が上がる。しかし名入はドアノブに易々と手を伸ばす気にはなれなかった。それ程部屋から締め出された時の恐怖は大きかった。

 しかし実際の所、名入が関わらなければドロップスティアーが怒る事はほぼ無い。アホだのバカだの、お前の走り方では勝てないだの、恥だの卑怯だのと言われても。彼女は自分自身に対して何を言われようが、『それはそう』と全く気にせずむしろ受け入れる素直さを持つ。

 そんな彼女が怒るのは、遠慮の”え”の字も無しにオールウェイズ口が悪い自分の父親と、名入ぐらいのものであった。

 

「んじゃ、入んぞー」

「どーぞー」

 

 実の所。名入は勝負服のデザインにおいて、途中からろくに関わっていない。

 名入にとって大事な事はレースの勝敗に関わる部分であり、つまり服のデザインなどどうでもいい。仮にもドロップスティアーは担当一人目にしてGⅠ出走ウマ娘という、極めて希少にして記念すべき存在ではあるのだが、名入は未来に残る記念よりも今直面する現実を何よりも優先するリアリストである。

 あーでもないこーでもないと大量にアイデアを出して悩んでいる時に『服なんぞなんでもいいからさっさと決めろよだあほ』と言った結果、『じゃあパソコンと睨めっこしてて下さいよ』と返され、デザイン班から完全に排除(イジェクト)されてしまった。名入としてはむしろ面倒から逃れられて助かったのだが。

 そういう訳で名入は、ドロップスティアーの勝負服を見るのはこれが初めてであった。

 

「……なんつーか。えらい、あべこべだな」

「えー? 良くないですかコレ?」

 

 ドロップスティアーの勝負服は、少女らしいミニワンピースをベースとしたモノだった。

 肩出しのワンピースで、上半身は白色だが、膝上のスカートにかかるまで白から水色へグラデーションがかかったモノ。スカートの裾全体には、青色のモミジ状のフリルレースがあしらわれている。

 その上から前開きの山吹色の半袖カーディガンを羽織り、下に着ているワンピースが映える様な色の組み合わせになっていた。……()()()()は、少女らしいファッションである。

 だが、胸部・肘から手先・膝から足首までにかけて、()()()()調()()()()()()()()()()が装着されていた。それも走行の邪魔にならない様に、軽く伸縮するケブラー製の素材で作られている。

 少女らしい服を着ながら局部に防具を取り付けた、そういう出で立ち。それを見て、名入は率直にこう思った。

 

「武士かよお前。どんだけ実用性重視してんだ」

「失敬ですね!? かわいさの中にかっこよさを取り入れたんですよ!」

 

 ワンピース・カーディガン・防具。防具である。

 流石に全体のイメージを合わせる為、胸当て・篭手・具足という『武士』染みた無骨で飾り気の無い見た目では流石に無い。が、服装に合わせて模様を加えたり形状に丸みを与えていようが、明るい印象の服装の中で寒色極まったそれらのパーツは異彩極まりなかった。

 実際問題、ウマ娘の走行による転倒などの危険性を考えるならば、体を保護する物はいくらあっても足りる事は無い。だが、折角の自分の晴れ舞台で着る服装に実用性を盛り込む辺り、このウマ娘もまた結局リアリストであった。

 

「まぁお前の趣味はどうでも良いや。シューズの方はどうだ」

「そっちのが実用性求めてるくせにー……問題無いですよ、いい感じです」

 

 名入にとって、勝負服の特別性や趣味については極めてどうでも良い。だが、一つだけ譲れない部分があった。

 シューズ部分。勝負服とはウマ娘達の夢であり、ブーツに至るまで個々人の趣味を反映して造る。その上で全力を出せる様に、シューズがどんな形状であろうとそのウマ娘の全速が出せる様に調整される。

 なのでGⅠに出るウマ娘達は、勝負服のシューズがハイヒールであろうが平常かそれ以上の速度が出せる。だが、ドロップスティアーの場合はそうはいかない。

 

「ライスさんみたいにハイヒールっぽいのも憧れてたんですけどねー……」

「だあほ。お前以上に()()()が重要なウマ娘がいるかよ。そういうのが欲しけりゃ普段遣い用の趣味で買ってこいや」

 

 名入が勝負服で唯一強く拘ったのは、シューズの足裏(ソール)部分だった。

 このトゥインクル・シリーズにおいて、ドロップスティアー程シューズに気を付けなければいけない存在は居ないと言っても過言では無い。何せ彼女の走りは、どこまで行っても足裏の使い方こそが肝なのだから。

 鋭角コーナリングは足先への負担が激しい。それは同時に、()()()()()()()()も激しい事も意味する。名入はレース直前には予習・復習として、必ず鋭角コーナリングのトレーニングをさせてきた。その中で、一周ごとにシューズを交換する程に気を付けている。

 これは少しでも磨り減ってグリップ力が落ちたソールや蹄鉄でやらせれば、このウマ娘がステップを失敗する以前に、パワーに靴側が耐え切れずスリップしかねないからだ。

 加えて、青葉賞で使ったメジロパーマー式ミッドフット走法・及び”震山脚”。これらをフル活用する為には、足裏の接地面が広い完全なランニングシューズ状のブーツが要求される。

 なので名入は、ドロップスティアーのイカれて偏ったパワーでシューズが潰される度に『もっと良いモノは無いか』と試行錯誤して買い漁り、その結果()()()に辿り着いた。

 

()()()()()()()の接地感はどうだ」

「いつも以上にいい感じですよ、めっちゃしっくり来ます。試しに一発撃ってみましょっか?」

「やめろ絶対撃つな。ターフ外でソレ撃つのは単なる破壊兵器なんだよ」

 

 ドロップスティアーは白と青の二色で構成されたシューズを履いた足を上げ――いつもの震脚(いかく)ではなく、純粋に足裏を見せる為――、爪先から踵まで平らに繋がったソールを見せる。

 フラットソール。足裏全てを接地面として使える、ミッドフット・ピッチ走法の両方を活かす為のソールである。

 接地面が広い分だけ地面とのグリップが増し、足の負担は減る。負担が減ればピッチ走法の弱点であるスタミナの消耗も軽減される上、一瞬で両脚をクロスさせて地面で接地させて軌道を捻じ曲げる鋭角コーナリングのキレも増す。

 スタミナ消耗が軽減される事はレースにおいて極めて優位に働くのだが、このソールは中央ではあまり好まれない。何故なら、()()()()()()()()()()()()()が存在する為。それが勝負服のブーツで、ハイヒール形状の物も平然と使われる理由でもあった。

 

「なんで皆コレ使わないんですかね? めっちゃ地面に吸い付く感じすんですけど」

「お前が最初の頃にレンタルで使ってたシューズの足裏、見た事あるか?」

「え? いや、全然」

「セパレートソールっつってな。()()()()()()()でゴムが分かれてんだよ、一般的なランニングシューズは」

 

 セパレートソール。シューズの前後にゴムが取り付けられ、中抜き状の土踏まずの部分には代わりに樹脂パーツを取り付けられたソールである。

 これはストライド走法用のソールであり、前後を繋ぐ樹脂部分が爪先と踵の力をバネの様に伝達する性質がある。また、ゴム部分が分割連結されている事で、爪先から踵までにかかる荷重移動がスムーズに出来る。

 この二つの性質があるセパレートソールは、()()()()()()()()。ストライド走法は極めて行けば一歩の反発力でどれだけ上手くロスせず跳ぶかという”質”の走法であり、故に構造的に足の力を伝達しやすいセパレートタイプが中央では標準的に扱われている。

 

「勝負服の靴でヒールみたいな明らかに走りにくそうな形状のヤツでも速く走れてる理由は、セパレートソールの構造を転用してるからだ。つっても、本来運動靴のが伝達率高ぇハズなんだが……ウマ娘(おまえら)がおかしいのかメーカーがおかしいのか、どっちかわかんねぇ……」

「あの、一応その辺りは企業努力なので、その辺りは褒めて頂けると助かります」

「あ、デザイナーさん。ばかトレーナーさんのコレは『どっちもスゴイ』をヘッタクソに表現してるだけなんで気にしないで良いですよ」

「翻訳家気取ってんじゃねーぞだあほ」

 

 狭いヒールの形状をした勝負服の靴を履いたウマ娘がレースでも全く問題無くパフォーマンスを発揮出来る、トゥインクル・シリーズの不思議の一つ。そこに関わる努力を素直に褒められない名入の言葉を、ドロップスティアーは極めて簡潔にまとめてデザイナーへと伝えた。

 理屈はわかる、しかしそれだけでは説明が付かない。エアシャカールに匹敵するデータ・ロジック信者の名入は複雑な気持ちでいた。だが、ここで気にする所でも無い。

 今回重要な事は、ドロップスティアーがちゃんと平常通りの技術が発揮出来るかどうか。そして、それは問題無いらしいという事だけだ。

 

「……そういや。なんか珍しくネックレスとかしてんなお前。走るのに邪魔じゃねえのか?」

「その辺は大丈夫ですよ、ワンピースのトコにバッジみたいな感じで付けられるんで」

 

 全体的な印象と、実際の走行問題。一番目に付く部分の話が終わった後、名入が気になったのは、衣装のワンポイントとしてドロップスティアーの首に提げられたネックレスだった。

 胸元でぶら下がっている、花のネックレス。どう見ても走るのに邪魔な代物だが、ドロップスティアーはそれを手に取るとかちりとワンタッチで服に留めた。

 ドロップスティアーはファッションに拘りを持っている。だが、胸や四肢にプロテクターを取り付ける様な実用性を考える彼女が、服のデザインはともかく余計なアクセサリーを勝負の場に持ち込むのは少し意外だな、と思った。

 

「どっかの野花かなんかか? 野生時代の故郷が恋しくなったのかよ」

「フツーに違う上に思ってても言わないでしょそんな言葉。ネックレス一つでそこまで誰かをバカに出来るのマジでどうかと思いますよトレーナーさん」

「それはシオンの花をモチーフにしているんですよ、本人たっての希望でして」

「……シオン?」

 

 ワンピースの胸元に留められた、一輪の小花。淡い紫の細い花弁が円状に開いている、菊の一種。

 ふんす。そう声が聞こえそうな、腕組みをしてドヤ顔を浮かべている野生出身のウマ娘には似合わない、ささやかで可愛らしいワンポイントのアクセサリー。

 スカートの裾にあるモミジの葉をモチーフとしたレース部分は、山育ちという事でまぁ縁があるのだろうというのがわかる。だがシオンについては、あまり野生では見られない花という事もあって良く分からない拘りだった。

 

「取付機構まであるって事は、レースん時も付けて出るのか」

「いけませんか?」

「別に良いけどよ。なんか思い入れでもあんのか、って」

「フツーに好きな花ってだけですよ」

「ふうん」

 

 好きだから付ける。極めてシンプルな理由に、名入は相槌を打つだけだった。

 勝負服は自分唯一の物にして、GⅠ限定のドレスコードである。どう見ても余分だろうと言いたくなるゴテゴテな飾り付けを行うウマ娘も多い中、ドロップスティアーの勝負服は普通の装飾と言える。防具部分がえらいミスマッチなだけで。

 ネックレス自体も然程珍しくは無い。ただ、少しだけ『らしくないな』と思っただけで。

 

「……それで、ドロップスティアーさん。キツい所はありませんか?」

「オールオッケーですよ、デザイナーさん! いやー、良い服貰えて嬉しいです! ありがとうございました!」

「そう言ってもらえると助かります。……こちらも、結構辛かったので……」

「……スンマセンした……」

 

 デザイナーは少しだけ目を逸らし、ぽつりと零した。実際、勝負服という物はデザインと実用性を加味して作る以上、入念な調整が要る。

 実の所、ドロップスティアーが提案した服の案は大別して四種類はあった。その中から色々と折衷案を考えつつ、決まった所から即刻で会社に連絡・共有・製作。

 トゥインクル・シリーズの勝負服会社は極めて大手ではあるが、オリジナルの服をゼロから仮仕上げまで突貫工事で仕上げるというのは極めて厳しい戦いであった。

 本来ウマ娘というのは自分用の勝負服をある程度考えている物であり、全くの無思考からあれこれ注文を入れてくる例は稀であったのもキツい。手続き・連絡が滞ったトレーナーの手際もキツい。向かい風だらけの中で、しかしダービーに出るウマ娘の勝負服を仕上げる。デザイナー達の現場は冷や汗だらけであった。

 

「では、これを決定稿としますね。ダービー前には確実に仕上げますので、ご安心下さい」

「ふいー。いやー、危なかったですねトレーナーさん。ガチで責任問題だったでしょコレ」

「…………今回ばかりは、何の反論の余地も無ぇ」

 

 自分のデザインした服が出来上がってほくほくのドロップスティアー。

 自分の不手際で責任問題寸前だった汗ダラダラの名入。

 初めてのGⅠという決戦前にまるで相応しくない対極的な表情を浮かべる両者は、全くもってGⅠ出走コンビには見えなかった。実際名入が新人で経験不足なのは確かなのだが。

 

「それでは、服を返してもらって良いでしょうか。持ち帰って仕上げますので」

「トレーナーさん」

「足を上げるな。出てくっつの」

 

 二度同じ轍は踏まない。二回同じ足は踏ませない。

 今度はちゃんと着替えの事を忘れなかった名入は、大人しくトレーナー室を後にした。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――さて。まぁ、勝負服の問題が解決したし……()()だ」

「ダービーでの作戦ですよね」

「ああ」

 

 デザイナーが去ったトレーナー室で、制服姿に戻ったドロップスティアーと名入は、モニター前のテーブルに座って向き合っていた。

 日本ダービー。語るまでもなくクラシック期最高峰のレース。トライアルレースである青葉賞では勝ったものの、それだけで安心出来る要素などまるで無い。

 青葉賞には、”三強”が居なかったのだから。

 

「”絶対に勝てないシリーズ”こと”三強”サマは、順調に怪我も無くじっくり調整中だ。仕上げをミスるっつーラクな展開は、ちょっと考えらんねぇな」

「無事が何よりですって。……スペさん達まで怪我したら、自分本気で落ち込みますよ」

 

 名入からすれば、不調のまま来てほしい存在。ドロップスティアーからすれば、元気で走っていてほしい存在。

 ”三強”、スペシャルウィーク・キングヘイロー・セイウンスカイ。弥生賞と皐月賞を完全に制圧した傑物達。それらは全く何の問題も無く、ダービーに向けて一杯まで練習を詰めている。

 彼女達の怖ろしい所は、マイルカップのエルコンドルパサーの様に、どこまで成長するか分からない潜在能力である。ただでさえ強い存在が、想像以上に強くなって出てくる。そういう可能性を加味した上で、挑まなければならない。

 レースに絶対は無いが、力量に絶対はある。弥生賞・皐月賞を蹴って、青葉賞を完勝するだけの力をトレーニングで得たドロップスティアーではあるが、それでも地力では劣っていると言わざるを得ない。

 

「アイツらがどんだけ強くなってくるかは分からんから、当日になって作戦を考える必要も無ぇ。レース開始しねーと分かんねーなら、今の内に作戦を決め打っとく」

「ちなみにお天道さんは今回味方してくれてます?」

「漏れなく敵だよ。雨は降らん」

 

 ドロップスティアーは重バ場になればなる程強いウマ娘だが、気象衛星の行方を見る限り今回その恩恵は望めない。

 精々が稍重止まりだろうという程度で、走りに強い影響が出る事は無いだろう。ちなみに雨に弱かったキングヘイローは、東スポ杯の負けが余程効いたのか、雨の中でも泥に塗れてトレーニングする姿が目撃されている。当時の弱点は消えていると考えて良い。

 つまり、ダービー当日は完全な実力勝負となるだろう。

 

「……つー事で。とっておきの作戦を考えてきてやった」

「”とっておき”?」

「ああ。ここでしか、このダービーでしか使えねえヤツをな」

 

 それを踏まえ、名入はたった一つだけ作戦を既に考えていた。

 幾つも考えた。スペシャルウィークを倒す策も、キングヘイローを倒す策も、セイウンスカイを倒す策も。しかし一人を倒しても、残り二人に負ける。生粋のマーク屋であるドロップスティアーは、元々そういう性質のウマ娘である。

 だが。そんな絶望的な状況でも、勝つ為の()()()はしてきた。

 

「…………」

「なんですその、『めっちゃ言いたくねえ……』って感じの顔は」

「『めっっっ、ちゃくちゃ、言いたくねえ……』の間違いだ」

 

 しかし()()は、諸刃の剣である。元々綱渡りの様な戦いだけをしてきた身ではあるが、今回ばかりは相手が悪すぎる。まともにやってはほぼ勝ち筋は無い。

 まともな作戦では勝てない。それ故に、名入は『めちゃくちゃ言いたくない』作戦を与えざるを得なかった。

 ()()()()()()()()()()()()、たった一つの作戦を。

 

「――()()()を……使って、良い」

「お、やっていいんですか! いやー、流石にダービーでなら良いですよね!」

「良いワケねーだろ。……言っておくが、俺は反対してんだぞ……」

 

 ドロップスティアー・五つの武器。その最後の一つ。

 名入はコレを、()()()使()()()()()()()()()。しかし、どれだけトレーニングで地力を付けようが、結局この武器に頼らざるを得ないだろうという結論に至ってしまった。

 ”五つ目”は散々勿体振っただけあって切り札ではあるのだが、強制斜行と同様に状況に左右される技であり、使えない事も有り得る。使()()()()()()()()とすら、名入は思っていた。

 

「……青葉賞の後にも言ったが。お前のレースは俺のモンでもある、だから責任は俺にある。勝てるなら、使え」

「まー()()()()()()でしょうけど、なんとかやりますって。折角の大舞台ですからね、いっちょかましてやりますよ」

「…………」

 

 ヤマ勘ブロック・強制斜行・山彦砲・震山脚。他のウマ娘であればどれも絶対使えない、しかしドロップスティアーであれば普通に使えてしまう技術。

 そんな無茶を普通に成功させてきた彼女ですら『難しい』とまで思うのが、五つ目の技だ。しかも切り札でありながら、別に三人に無条件で勝てる様な必殺技や裏技という訳でも無い。

 状況に左右され、成功させるのが難しく、勝てるとも限らない。そして()()()()()()()があるからこそ、名入はこの技をずっと禁じてきた。

 だから、この一回。このダービーという場でのみ、一回だけ許可する。

 

「……これは、その五つ目を前提とした作戦だ。良く聞け」

「はいはーい」

 

 そして名入は、そんな禁じ手を前提とした作戦を考えた。

 二度と使わないだろう技に相応しい、二度と使わない作戦を。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――あはははっ! マジですかトレーナーさん!」

「大マジだよ。……やれるな?」

「あったりまえでしょ! ナイスな作戦じゃないですか!」

「俺にとっちゃ最悪の作戦だよ。……五つ目を使う前提だしよ」

「どんだけイヤなんですか、あの技使うの」

 

 ”三強”という普通なら勝てないだろう相手に対する、とっておきの作戦。

 上手くいくかどうかなどさっぱり分からない。元々絶対に勝てないレベルの相手と戦うのだ、どんな作戦だろうが勝率は低い。それ故に名入は考えて考えて、考え抜いて。そうして、今回の作戦に辿り着いた。

 

「……マジで。マジで今回しか許さねえぞ。理由は分かってんだろうな」

「最初から分かってますって。あん時ちゃんと説明したでしょ?」

「反対した理由も説明したからな」

 

 その上で、名入は心底”五つ目”の出番が来ない事を祈っていた。レースに絶対が無いのだとしたら、()()()使()()()()()()()という裏切られ方をしてほしい。そう願う程だった。

 そんな代物を平然と提案したドロップスティアーからすれば、なんでそこまで念入りに言うかなぁ、という気分ではあったのだが。

 

「あっははーっ! いやー、最っ高に楽しい勝負になりそうですね!」

「…………」

 

 ドロップスティアーというウマ娘は、レースに存在しない所から来た。

 そんなウマ娘に対して、中央に存在しない戦い方を教えたのは名入だ。

 ()()()()()()()()()()()()()のが、”五つ目”である。名入は、()()()()していた。

 

(……ちくしょうめ)

 

 ダービーが待ち切れないとばかりに笑っている彼女を見て、名入は心の中で毒づく。

 他の世代であれば、彼女は青葉賞の時の様に十分に好走出来ただろう。だが、このウマ娘がいるのは”黄金世代”であり、今回は歴代最強クラスのウマ娘が一堂に会する様なレースとなる。

 ”五つ目”を使わずに済む相手ならば。使わずに勝てるだけのトレーニングが出来ていたなら。名入は、自分の無力さが腹立たしかった。

 




勝負服(ディフェンスコーデ)

”五つ目”はあくまで名入視点から「ヤバい」技であり、読者的には割と肩透かしである可能性があります。ちなみに作者は「一番ヤバい」と思ってます。
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