東京優駿。またの名を、日本ダービー。
皐月賞・菊花賞と並ぶ、”三冠”レースの一つ。クラシック期の中でも最大級の栄光を競う、トゥインクル・シリーズの祭典とも呼ばれるレースである。
スタンドは当然満員。”三強”が一堂に会する今回のレースは、少し前の世代で接戦を演じたBNWの三人のダービーを重ねる様に一際注目度が高かった。
よって今日、名入はスタンドの
「――やぁ、名入トレーナー」
「”皇帝”サマか。あん時のプールぶりだな」
「……耳は大丈夫かい? あの時、凄まじく耳を痛めていたようだが……」
「……ギリギリな……ガチで鼓膜やられたかと思ったわアレ」
そこで待ち構えていたのは、”皇帝”・シンボリルドルフ。名入とは山彦砲の
シンボリルドルフは前走・青葉賞の動画を見て、プールで出会った時に『ちょっと怒っただけ』の真相を知った。あのスタンドにまで届く大声は、レース映像でも明瞭に残っていたから。
シンボリルドルフは冷静な立場で映像を見れば、その技の効用や本質を一度で見抜くだけの洞察力と思考力がある。なのでプールで起こった事も、結果から逆算して予想がついた。
「……これまで言う機会が無かったが。感謝する、名入トレーナー」
「あん? 急になんだよ」
「彼女をこの場所にまで導いてきてくれた事に、だ。……私の視野や思考だけでは、彼女はここまで強くはなれなかっただろう」
シンボリルドルフがここに来たのは、当然ダービーを観戦する為である。”三強”が集うダービーは、間違いなく歴史に残るレースとなる。
三冠レースに強い思い入れがあるルドルフは、全て現地で見る事にしている。だが、それに加えて今回はこの名入というトレーナーへ感謝を伝えに来た面もあった。
シンボリルドルフは、ドロップスティアーをこの中央に半ば強引に連れて来た張本人である。しかし彼女の走りがレースに向いていない事には、模擬レースの段階で初めて気付いた。
スカウトする際、彼女の父親には『出来る限りの事をする』と言った。だが、シンボリルドルフの
それでも出走するにまで至らせたトレーナー・名入。彼は”皇帝”ですら導けなかっただろう異端のウマ娘に、力を与えた。そこに礼を言いたかった。
「いやー、ボクとしてもビックリだよ。皐月賞はともかくとしてさ、あのティアがダービーなんだもんねー」
「テイオーか。君も観に来たのかい?」
「そりゃそうだよ、カイチョー! ボクも今回のダービー、すっごい楽しみにしてたんだからさー!」
そこに遅れて”帝王”・トウカイテイオーもやってくる。大スターウマ娘である彼女達は、最早どんなレース場だろうが顔パスで最高位の席へと自由に出入り出来る。
トウカイテイオーは顔が広く、多くの後輩ともコミュニケーションを取る。なので、”三強”のスペシャルウィークとも『スペちゃん』呼びする程度には交友関係にあった。
三冠レースへの思い入れという意味では、テイオーはルドルフに匹敵するかそれ以上である。だが、そういう後輩達に対する想いでもテイオーはこの席にやって来ていた。
「……”黄金世代”かー。スゴイ年だよねー、ホント」
「ああ。琳琅珠玉、これ程のウマ娘達が集う年もそうあるまい」
トウカイテイオーとシンボリルドルフの共通点の一つとして、
テイオーから見れば上の世代にはメジロマックイーンが、ルドルフから見ればミスターシービーが居た。しかし、同世代――クラシック期の彼女達は、正しく無敵だったのである。
別に相手が弱かった訳では無いが、純粋に当時の彼女達は強すぎた。シニア期以降のオグリキャップや、ミホノブルボンとライスシャワー、ビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケット。そういった、互角に競い合えるライバルが隣に居なかったのである。
彼女達は、”絶対”だったのだ。
「スペちゃん達、かなりいい調子みたいだったよ。……正直、ティアじゃ厳しいと思うってぐらいには」
「厳しい? ハッ、”帝王”サンはお優しいこって。厳しいどころじゃねーよ、勝ち目なんざ元々ほとんど無ぇよマジで」
「……君の口の悪さも、まるで変わらないな。彼女は君の愛バだろう?」
「愛なんざ勝負に要らねーよ。アイツだってそう言うだろうぜ」
「……確かに、ホントに幻聴で聞こえるレベルだね、それ……」
『それ勝負に要ります?』。名入の言葉に対し、トウカイテイオーは脳内のドロップスティアー・イマジナリーVer.が返答する姿をありありと想像出来た。
名入とドロップスティアーは、普段反発しあって口喧嘩ばかりこそしているが共通点が多い。その最たる例は、勝負に対するスタンス。つまり勝ち負けに拘りを持ち、なおかつ感情論ではなく理性的な判断をする事である。
勝てる時は勝つ。負ける時は負ける。そういう力量差から来る勝率を弁えた、現実主義者。そこに他のウマ娘達が抱く『勝ちたい』という想いは殆ど介在していない。
「とはいえ、青葉賞で一バ身半差。私から見て、勝ち目が皆無とは思えないよ。”レースに絶対は無い”からね」
「そうだねー。あれだけいっぱいトレーニングしてきたんだもん。別に贔屓する訳じゃないけどさ、ボクも頑張って欲しいって思ってるよ」
「ま、
「「――……?」」
ドロップスティアーの好走を期待する二人に対し、名入は気になる言葉を零した。
◆ ◆ ◆
「あっはっはー! いやー、ついに来ちゃいましたねー、この日が!」
「あ、ティアちゃん! 調子良さそうだね!」
「そりゃそうですよスペさん、ダービーですよダービー! いやー、テンション上がっちゃいますよねー!」
「うん!」
一方、地下バ道。ちゃんとメーカーが間に合わせた勝負服・正式版を着て、大笑いを上げているドロップスティアーに対し、後ろからスペシャルウィークが声をかける。
皐月賞で負けたスペシャルウィークは、『今度こそ』という執念と”日本一”の夢を乗せ、ここに来た。即ち、絶好調。気合十分・全身全霊を尽くせる状態である。
その上で、皐月賞には来なかった友人との初対戦。最高峰のレースであるという気負いも無く、気持ちは上がる要素しか無い。
「……皐月賞では来なかったけれど。今回は、逃げなかったのね?」
「あ、キングさん。……おー、凄い真剣ですね。ぴりぴり伝わってきますよ」
「当たり前でしょう。私の最初の冠を奪った相手と、皐月の冠を奪った相手。……今日以上に勝ちたいと想っているレースは無いわ」
そこに、真剣な眼差しをしたキングヘイローがやって来た。そこに平時の笑みは無い。こちらは逆に、気負いが力となって迸っていた。
”三強”と謳われていようが、キングヘイローに初の敗北を与えたのは目の前の彼女――ドロップスティアーである。皐月賞でまとめて借りを返すつもりだったが、勝負すら出来なかった相手。
今度こそ、全員に借りを返す。これまでの敗北を全て、ここで精算する。それが”キング”である自分の証明であると考えて、此処に来た。
「正直セイちゃんとしては、マジで来ちゃったかー、って感じだけどねー」
「セイちゃんさんもどーもー。どうです調子は?」
「ま、ぼちぼちですかねー? ティアちゃんさんは?」
「絶好調ですよ?」
「おやぁ? 珍しいね、意見が合わないのは」
「あははっ」
最後に、セイウンスカイが姿を表す。自分の天敵たる伏兵がやってきた事に、セイウンスカイは半分の恐れと、もう半分の喜びがあった。
初対面の釣り勝負の時から、似通いながらも決定的に違っていた、異種の策士。そんな相手と策をぶつけ合う勝負に対し、セイウンスカイは内心期待を抱いていた。
油断を誘おうと、口だけでも『ぼちぼち』と言うだろう。そんな程度でレースに影響は全く出ないだろうが、似た思考を持つ彼女も同じ事を言うと考えていたセイウンスカイは、『絶好調』という返答を意外に思った。
「……私は、あなた達に負けてきたわ。だから今日まで、死力を尽くしてきた。今度こそこのキングが、”一流”であると示す為にね」
「それを言うなら、私も負ける気は無いよ、キングちゃん! ……勝ちたいって気持ちなら、いっぱい持ってきたから……!」
キングヘイローは、東スポ杯・弥生賞・皐月賞で負けた。どれも惜敗であと少しの差だったが、負けは負け。故に、今度こそ勝つ。いくら泥に塗れてでも勝つ、それもまた勝者の形であると教えられたが故に。
スペシャルウィークもまた、皐月賞で二人に負けた。一番人気でありながら、最後には敗北を確信する程の完敗に屈した。だからこそ、今日のレースへの想いは強まっている。
気合は十分、相手にとって不足無し。”三強”などという世間の評判は有り難いが、そんな事はどうでもいい。そんな評判など無関係に立ち向かってくる異端の伏兵が、目の前にはいるのだから。
「――ねぇ、ティアちゃんさん。一個聞きたい……っていうか、ちょっと確認したい事あるんだけど。聞いて良い?」
「へ? なんです?」
勝ちたい夢や想いは皆同じ。自分もまたそう思っているセイウンスカイであったが、そこで一つドロップスティアーに対して質問があった。
ドロップスティアー。彼女は栄光や夢ではなく、”今日”と勝負に強く想いを抱くウマ娘だ。負けたくないという気持ちは強く、併走時には負けるのがイヤでゴネる一面がある。
彼女にとっては、どんな日でも”今日”。その刹那主義を知ったセイウンスカイは、今回の出走に対してある疑念を抱いていた。
「……皐月賞の時、言ってたよね? 『三人相手に勝ち目あると思います?』、ってさ」
「あぁはい、ですね」
「ティアちゃんさんはさ。
「そりゃそーでしょ。ウソつきはドロボーの始まり、ですよ?」
皐月賞では大逃げを超えた超逃げをかまして観客席へ逃げた彼女は、激昂するキングヘイローに対してこう言った。『勝ち目は無いし、GⅠに出れるレベルじゃない』、と。
そしてドロップスティアーは、嘘を吐かない。言外に含むモノや、敢えて言葉にしない事はあっても、ともかく裏表の無い性格をしている。
言葉は全て真実。そして、あの時言った言葉を
「……じゃあさ。『
「?
「「――……!?」」
さらりと、何の気も無い様に。ドロップスティアーは、宣戦布告を
皐月賞は勝てないから出なかった。だが、
それに対してセイウンスカイは、
「……相変わらずね、あなた。東スポ杯の時と変わらないわ。あの時と同じ、とんでもない事を平然と言ってのける感じ。……本当に、油断ならないわ」
「ティアちゃんも、本気って事なんだね……!」
「いや、本気なのはいつでもなんですけど……ちゃんと
「……”予定”?」
「……やっぱり、か……」
”予定”。その言葉に、キングヘイローは怪訝な顔を浮かべ、セイウンスカイは
◆ ◆ ◆
「どういう意味だい、名入トレーナー。君達が確かに無策でダービーに出るとは思ってはいない、だが”予定”というのは良く分からないのだが」
「……皇帝サマよ。記憶力に自信はあるか?」
「? まぁ、人並み以上にはあるつもりだが……」
シンボリルドルフは頭も良ければ、記憶力も良い。一度出会った者の顔を忘れない――つまり、学園内の全てのウマ娘を全て覚えていられる程に、脳の容量が広く引き出しが多い。
名入はポケットの箱からココアシガレットを取り出し、包み紙を外して一齧りし。それから右手に構えて、シンボリルドルフへ向き合った。
「確かアンタは、アイツのメイクデビューの時にも居たな。あの時のレース、覚えてるか?」
「……忘れられる訳が無いだろう。あんな走りを目前にさせられて」
ドロップスティアーのメイクデビューは、劇的だった。今では最早見慣れた、しかしそれでも心配が勝る唯一無比の技能・鋭角コーナリング。
『唯一抜きん出て並ぶ者無し』という言葉が、中央のスクールモットーである。彼女の走りは、それに類する一種のウマ娘の到達点の一つだ。
あの技術は、他のウマ娘には絶対に不可能なモノである。現地でそれを見せられた時の衝撃を、シンボリルドルフはありありと思い出せた。
「アイツの次走は、オープン戦の中京ジュニアステークスだ。次に、百日草特別」
「……?」
メイクデビューでの話を掘り下げるかと思えば、名入は別の話をし始めた。
ドロップスティアーが走って、そして負けたレース。鋭角コーナリングという唯一の武器を手にしても、オープン戦では通じなかった頃の二つのレースである。
「そっから、キングヘイローとやりあった東京スポーツ杯ジュニアステークス。年明けて、共同通信杯。ラストは青葉賞。六戦三勝か、案外成績的には悪かねーな」
「……何が言いたいんだい?」
「簡単な事だ。なんか気付く事無いか、皇帝サマに帝王サンよ」
「「……?」」
唐突に挙げ連ねられた、ドロップスティアーの戦歴。そこに『気付く事があるか』と、名入はクイズを投げかけた。
名入の意図を、”皇帝”と”帝王”は二人一緒に考えて探る。オープン戦、プレオープン戦、重賞。流れだけ見れば、一般的なウマ娘のステップアップの経緯でしか無い。だが、何か別の意図があるらしい。
”予定”。その言葉に関わる、何らかの意図。それを考え――
「――
「なに?」
「カイチョー! 今言ったレース、全部
トウカイテイオーが、優れた直観で答えを出す。彼女はオープン戦を含む全てのレースを記憶している訳では無かったが、重賞レースは良く知っている。
その断片的で限定的な記憶が、逆にシンボリルドルフよりも答えを早く導き出した。
「……アイツのメイクデビューは東京レース場・左回りの2000。次に中京・左回り1600。続いて東京2000、東京1800、東京1800、東京2400」
トウカイテイオーの答えを受け、名入は
全てが左回りの、マイルから中距離レース。その内一つを除いて、
そして、その例外である中京レース場は。
「中京レース場の形状。アンタなら覚えてるだろ、皇帝サマ」
「――
「え? どういう事、カイチョー?」
「
「えっ……そ、それって……」
中京レース場の特徴は、東京レース場を一回り小さくした様な類似性である。長い直線、第三コーナーからの下り、最終直線で訪れる坂。長さや勾配などの細部は当然異なるが、東京レース場と似通う点が多い。
そして更に、もう一つ。ドロップスティアーが出たレースには、更に共通点があった。
「そんで東京1800・及び2000もポケットスタートだ。つまり、
「えっ、えっ」
「アンタら。
「……”予定”とは、まさか……!」
◆ ◆ ◆
「”予定”って、どういう事なの? ティアちゃん」
「……当たって欲しくない予想で、ただの偶然だと思ってたんだけどねぇー……そっかー……ホントのホントに、
「自分が本気じゃなかった事なんて、一度も無かったでしょ?」
「……はぁー……やっぱり、そっちが一番怖いよ……」
「どういう意味かしら、スカイさん?」
地下バ道では、”予定”の真意を一足先に看破したセイウンスカイが、心底このウマ娘が怖ろしい存在である事を理解して嘆息していた。しかしスペシャルウィークら二人には、その態度の意味がまるで分からない。
事ここに来れば、別に隠すような事でも無い。ドロップスティアーはセイウンスカイの代わりに、二人にさっくり答える事とした。
「簡単な事ですよ。自分、ここ一年の大体、
「……えっ?」
「皐月賞出なかったのは、
「よ、予習、ですって……?」
スペシャルウィークとキングヘイローが同時に困惑する。しかしキングヘイローは、自分とエルコンドルパサーが東京レース場でこのウマ娘と対戦した事を知っていた。
東スポ杯で対戦する前、ドロップスティアーが負けたレースも見た。その時――百日草特別も、思い返せば東京レース場でのレースであった。
皐月賞は『
「セイちゃんもティアちゃんさんの事は警戒してたからさ。青葉賞終わった時点で、そっちのレースとか色々見てきた訳よ。……
「そんな大袈裟な事じゃないでしょ。
「ど、どういう事なのティアちゃん! 二人が何言ってるのか、私全然わかんないよ!?」
「……簡単だよ、スペちゃん。本当に、本当に簡単だったんだ。ティアちゃんさんが、
「――まさかッ」
キングヘイローも、そこで気付く。ドロップスティアーは相変わらず平然と突っ立っている。なんなら、『なんでそんな事を気にするのか』と小首を傾げてすらいた。
皐月賞に出なかったのは、三人に勝てないからという理由が一番であった。だがしかし、本当の理由は
しかし青葉賞には出た。
――つまり。
◆ ◆ ◆
「アイツは選抜の時、『いっぱい走って逆算して勝った』っつってたな」
「……ああ……」
逆算。ドロップスティアーは自分が走り切れる距離と角度を確認する、その
シンボリルドルフはその勝ち方を良く覚えている。彼女の勝負への凄まじい執念、その一端が垣間見えたレースだったが為に。
信じがたい事に。彼女はこのトゥインクル・シリーズで、
「東京レース場の長さは一周2083メートル。俺が年始から走らせ始めたポリトラックコースは、2038メートル。俺はコレを必ず、
「え゛……い、いやいや、まさか……まさか、ウソでしょ?」
「ウソじゃねーよ。アイツはメイクデビューから、一年間――」
◆ ◆ ◆
「自分、デビュー前から決めてたんですよ。
地下バ道で、ドロップスティアーは”三強”へ微笑みながらそう告げる。
彼女はかつて選抜レースという勝負所の為に、一ヶ月を捨てていた。
そして、彼女はダービーという勝負所の為に。
山の頂点に至る為の最大の近道
コイツが出走するレースと勝敗は、第二部執筆開始から全て確定済でした。
つまり、これまでのあらゆる全ての事が伏線です。